オープンから1年、現状、そして謝辞

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開店した時点で手元にあるお金はたしか150万円だった。それが半年とか経った4月だったか5月だったかの段階で40万になった。
その時点での減るペースはたしか月10万弱くらいで、なぜか知らないけど感覚的には「まだまだいけるっしょ」みたいな感じで鷹揚に構えていたのだけど、休日を作るメリットが見出だせず40日に1回とかしか休んでいなかったし、出費することに臆病になっていたし、なんかいろいろ不健全、というところで平日昼間に定食屋を始め、お金を作れるようにした。それに伴い毎週休めるようになった。
8月から定食屋は川越さんが入ってくれたため定食川越になった。それで時間もある程度作れるようになった。
定食屋営業によって貯金は150万弱まで戻った。V字回復。ただ人件費と、それから今月から始まる開業資金の返済によって、増えもせず減りもせずなペースになった。定食屋に伸びしろはないのでここからはフヅクエ次第。
フヅクエのお客さんは増えてきたかなと思ったら停滞したり、減ったり、微増したり、という感じでここまできている。これはわりと予想外で、ジワジワとでもいちおう右肩で上がっていくだろうと括っていたので、集客って大変なんですなーを実感し続ける1年になった。
お金等の現状というか推移はそんな感じで。
店が提供している時間の質は、どうなんだろうか、お客さんはどう感じているだろうか。まあきっとよくなっていると感じてもらえているはず。知らないけど。だといいな。とても。
僕自身は遅々とした足取りながら充実してきているような、クオリティが上がってきているような気がしていて、日々、あれをこうしよう、今度はこれをやってみようと、取り組んだり、怠けたり、疲れたり、飽きたり、また楽しくなったり、そういうことを繰り返している。
ただここ2ヶ月くらいだけの気もするけど、仕事に打ち込みすぎている感があるというか、時間を注ぎすぎている感があるというか、気持ちを持っていかれすぎている感があるというか、強迫的に仕事をしているような感じもあり、リラックスするところはちゃんとリラックスするというか、ちゃんと遊ぶというか、頭の切り替えと時間の割り振りとをまじめに考えたほうがいいような気がしている。こういう生活を送っていると息は詰まらないながらも知らぬうちに何かが詰まっていくような気がする。
開店前からやりたかった本を売ることは年明けの『若い藝術家の肖像』から始まっていたけど、8月から「フヅクエブックス」と称した取り組みを開始できたのはとてもよかった。自分が売れてほしいと思っている本が目の前で買われていく光景はうれしいものだし、また、「あれすごいよかったです」等の声を聞けるのも、冥利につきるというか、そういうこと言われるのってこんなにうれしいものなのね、と思っている。続けたい。
そういうわけで1年が経ちました。
存続できるのか、という、周りの人びとがいくらか抱いていたであろう心配は僕ははなからしていなくて、そんなんよそで働き口みつけりゃなんとでもなるわ、こちとらそんなに簡単に畳むわけにはいかないんですわ、みたいな感じで、都合よく目の前に場所があったので定食屋をやることによってクリアした格好なのだけど、これは運営上というかお金の上での話で、半年のときも書いていたけれど、気持ちの上でフヅクエを1年続けていくことができたのは、そしてこれからも続けていく気満々でいられるのは、間違いなく、お客さんからいただいてきた様々なリアクションによるもので。
チャリンチャリンとよくわからない金が落ちて来さえすれば「いいね!」の声を誰からも掛けられない中でも気持ちとか自負心とかを維持させられるようなことが僕にできるわけもなく、孤高の仕事人みたいな、自分の仕事に誇りを持ってさえいれば続けられるわけもなく、そもそも僕の自負心や誇りなんて反応がゼロだったら砂上の楼閣みたいなものでたちまちに「あー…そうですかー…誰もこんなもの求めていなかったんですねー…これ誰も求めないとか言って信じがたいレベルでクソだな世界…でも世界がそうならもうしょうがないですねー…」に陥っただろう。そのあげく「積もる話に花咲かせてワッショイワッショイみたいな店にしちゃおうかないっそ…パンケーキとか焼いて…食ったことないけど…なんかホットケーキミックスとか買ってきて…」とかになっていたかもしれない。
よかった、いい時間だった、こんな店がほしかった、元気になった、そういう言葉がどれだけ僕を励まし、勇気づけ、崩れ落ちそうな体を支え、背中を押したか、それらの言葉を言ったあるいは書いたあるいは打った人たちはきっと知らないだろう。なんかこうほんと、これはもう、なんかね、すごい力なんですよ。びっくりするくらいに全部が一瞬で立ち直る。なので超サンキューですと、気味悪いくらいに素直にそう思う。ありがとうございます。
また、もっとこうしたらいいとか、こういうメニューはいかがとか、ここ至ってないでしょとか、視野の狭い経験の乏しい意欲の薄い好奇心も浅いバイタリティのない怠惰で脆弱なそんな人間が一人でやっている店ゆえ、シンプルに助けられてきた。あ、サンドイッチね、ほいほい、作ってみますわ、あ、足置きですか、確かに、みたいな。そういうことが積み重なって今の形になっている。いただいたアドバイスなり提案なりでどれだけこの店が前に進んでいったことか、充実していったことか、というか、そういう声がなかったら今どういう格好でやっているんだろうと思うと薄ら寒くすらある。今後ともご指導ご鞭撻のほど、とかここまで言うと言い過ぎ。うそうそ。やわらかなアドバイスを乞いたい。いや乞わない。乞わないけど思いつきの指摘等を受けることはいつも本当にありがたい。
まあ、なんですかね、1年たったから何っていうわけでもないし、持ちこたえたからオーケーみたいなそんな設定でスタートしているわけでもないし、なんせ全国の読書好きに欲望される店というか聖地みたいな場に目指すまでもなくなっているみたいな予定だし、まあどの口が言ってんだ死んでろって話だと思うんですが、ともあれ1年というところで、日頃の感謝とかを述べるとかにはいい口実ではありんすよねというか。ことあるごとに、それは即効で感じることもあれば遅効性のものもあるけれど、ことあるごとにサンキューなんですけど、改めてそれを述べさせていただいた次第というか。
まあなんというか、そんな感じです、という話でした。