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OurStory 本の読める場所を求めて

「本の読めない街」をさまよう

一人の読書好きとして、長いあいだ満たされない思いがありました。
本を読むのが好きだから、そして都合のいいことに、読書というのは実にポータブルな趣味だから、移動の電車でも、先に着いた待ち合わせ場所でも、病院のソファでも、あるいは適当な壁に寄りかかってでも、たまさかいることになったいろいろな場所で気軽に本を開くわけですが、また一方で、ひとつところに腰を落ち着け、時間を忘れて読みふけりたい、という日もあります。
「楽しみにしていたあの本を、今日はしこたま読んじゃうぞ」というワクワクした気持ちを経てどっぷりと浸る読書時間というのは、ひとつのレジャーであり、自分へのご褒美と言っても差し支えないものだと思います。

そんな日、もちろん家で読むのだっていいのだけど、少しだけ日常から離れた場所で過ごしたいことがあります。誰かが供してくれる飲み物や食べ物を口に入れながら、何にも邪魔されないで、自分に許した贅沢な時間を享受しながら、本をたっぷり読みたい。そんなときはリュックに本を入れて、どこかに出かけます。
カフェや喫茶店に行ってコーヒーを片手に。緊張しながら入ってみる居酒屋やパブやバーで、お酒を飲みながら。あるいはもっと気楽にファミレスで豪遊しながら。

どんな場所での読書にもそれぞれのよさはきっとあったはずですが、それ以上に、「思ったほどは読めなかったな……」という失意の機会のほうがずっと多くあった印象です。
隣の席のしゃべり声がどうしても気になっちゃったり、長くはいづらいようなプレッシャーを感じたり、おかわりし続けなければいけない気になってたちまち酔っぱらって読書どころじゃなくなっちゃったり、席が狭くて物理的に肩身が狭くて疲れちゃったり、照明が暗くて読みづらかったり。
そういう経験をしながらも、それでもやっぱりどこかに本を読みに行きたくなるから、しょうこりもなく、また出かけていくわけです。しかし待っているのは似たような展開。

映画に映画館があるように

長いあいだそんなことを繰り返しながら、なぜ映画には映画館があるのに、読書にはそれに対応する場所がないのだろう、とぼんやり考えていました。
読書が禁じられるような場所はめったにないけれど、読書の時間を全力で肯定してくれるような場所は、まるで見当たらない。そんな場所があったらすごくいいのに、どうしてないのか。
あるときにふと、「見当たらないと嘆くぐらいだったら、自分でつくってしまえばいいのではないか? 自分がほしいと思う理想の場所を、自分の手でつくってみたらいいのではないか?」という考えがやってきて、「ああ、これは、俺は、やるんだろうな」と思いました。
そこにあったのは、世界への信頼と期待のようなものかもしれません。

そんな場所があったら行きたい僕という人間が、ここにいる。
自分ごときが持てる欲望なんて、そんなのは凡庸な、ありふれた、特別変わったものではないはずだ。
それならば、僕と同じように本の読める場所を求めている人が、小さな商売が成り立つ程度にはきっといるでしょう、この世界には、という信頼。
できる範囲でやるだけやってみて、嘘なく、自分を騙すことなく、自分だったらほしいと本当に言える場所になっているかを問いただしながら、ちゃんと形にすることができたとしたら、あとはもう、世界に任せたらいいんじゃないか。もし応えてくれなかったとしたら、それはもう、世界が悪いっていうことにしたらいい。落胆して失望して、終わりにしたらいい。でも、そうはならないでしょ? という期待。

映画好きが映画館がない世界をもう想像できないように、読書が好きな人にとっても忘れられない場所をつくっちゃおう。そう決めた瞬間でした。

「先入観は可能を不可能にする」

そんなわけで動き出したのが2014年の6月。それまでやっていた店を離れ、東京で物件探しを始めました。
場所はどこでもよかった。なんせ小さな商売だ。それに、商圏はきっと、日本全国になる。
ずいぶん楽天的な展望ですが、それでも東京でやることにしたのは、「まあ、とは言え不安なので、人口の多いところで」という日和った考えからでした。

奥まった場所で、窓が広く取れて、長い窓向きのカウンター席をつくりたい、という希望に沿う物件が出てきたのは、渋谷と新宿の境にある初台という街でした。
初台への馴染みはほとんどなく、オペラシティのアートギャラリーやICC、新国立劇場にそれぞれ一度二度、大学時代に行ったことがすべて。駅の反対側なんて、存在を考えたこともなかった。
知らなかった南口側は、とても静かで、なにもなくて、なんだかゆっくりしていて、すぐに気に入りました。ここであれば、やってくるお客さんも働く僕も、穏やかな心地で過ごせそう。
また、静かとは言え新宿や渋谷は至近だし、人も集まりやすいのではないか、という考えもたしかにあって、つまり、「場所、全然どこでもよくなかったんだな」と感じました。全体的に、虚勢を張りたいモードだったのだと思います。

さて、初台駅南口から徒歩20秒、古い、ひっそりとした、いい感じのビルの2階を舞台に、工事に明け暮れた夏になりました。
天井や残置されていたコンクリートブロックの壁の解体から始まり、パテ埋め、テーブルや本棚の造作、床張り、あらゆる場所の塗装。友人たちに手伝ってもらいながら、毎日汗まみれになってDIYをして過ごしました。

またそのかたわらで、どんな条件を整えれば本当に快適に本の読める場所と言えるのだろう、本を読みたくてやって来てくれた人を本当に守り、その時間を祝福することができるのだろうということを、ひと夏かけてセルバンテスの『ドン・キホーテ』を読みながら、考え続けました。
その本の中には、店づくりを考える上で役に立つどんなヒントもありませんでした。ただただ面白く読んでいました。

次第に考えがまとまっていくと、会う人会う人に店のアイデアを披露してみるのですが、だいたいの反応は
「うーん、すごく斬新だけど、現実的な話、それで店が成り立つといいよね。だけど、応援しているよ」
という感じのもので、心配されていることだけはよくよく伝わってきました(そういえば物件探しをしていたときにも、不動産屋さんから「趣味の店ですか?」と言われたのでした)。

「先入観は可能を不可能にする」

大谷翔平が恩師から教わったという言葉を握りしめた僕は、
「やれるかどうかなんてやってみなくちゃわからないんだから、やってみるしかないでしょ。
それに、始める以上は成り立つようになんとかするしかないわけで、なんとかするしかないとき、人はなんとかするもんでしょ、なんとかしたら、なんとかなるものでしょ」
と、ほとんど意味をなさない言葉をうわ言のように繰り返していました。
未知の仕事を前にひとりで奮い立っている僕は、ドン・キホーテと同じように、幻影を相手に戦う滑稽な騎士に見えていたのかもしれません。

This Must Be The Place

うだるような暑さはとうに終わり、季節は秋になっていました。やっと迎えたオープンの日、ウェブサイトにひとつの文章を載せました。

ゆっくりと本を読みたい。外で。家だとすぐ寝ちゃうし集中できない性分なので。

おいしいコーヒーが飲めて、お腹がすけば食事もできて、飲みたくなったらお酒も飲めて、 つまめて、そんな場所で気が済むまで本を読みたい。

静けさが約束されていて、だけど緊張を強いるようなものともまた違う、心地良い静けさの場所で本を読みたい。

どれだけ長くいても「そろそろ出たほうがいいかな」とか思わないで済んで、 「全然、ほんとそれ大歓迎ですよ」と言ってくれるような場所で本を読みたい。

だだっ広いチェーン店の片隅で感じる心細さとか孤独感とかそこに流れる非人間的な時間とは違う、なんとなくほっとできる、なんだかよくわからないけれど人間味みたいなものを、 親密さみたいなものを感じられる、そんな場所で本を読みたい。

ただし店の人と話をする必要なんてなくて、慣れ合いが始まってその末に行くのがだるくなるみたいなリスクを抱えたりしないで済んで、会話はなくとも安心できる、そんな場所で本を読みたい。

と、ずっとほしいと思っていたそんな店を目指して、つくりました。

2014年10月17日 フヅクエ 阿久津隆

少しずつ噂が広まり、全国の読書好きがやってきて最高の時間を過ごしていく、きっとここがその場所になる。
そんな高揚を覚えながら、Talking Headsの「This Must Be The Place」を大音量で聞いてから開店。それがフヅクエの始まりでした。
未来は俺等の手の中、そう思っていました。

まさかの定食屋

しかしそれは大いなる見当違いでした。
暇。毎日本当に暇。
お客さんがゼロの日も珍しいことではなかったし、ちょっとは忙しかったかなという日でも、売上は微々たるものでした。気が滅入った夜は、わずかな売上を握りしめて遅い時間までやっている書店におもむき、本数冊と交換してスッキリする。何がスッキリするのかわかりませんが、そんなことをしていました。
時間だけはあり余っていたので、本をたくさん読めたことはよかったのですが。

年は越せたが、貯金残高はみるみるうちに減っていく。残り40万……。あと数か月で底をつく模様。
というところで、その時分のフヅクエは夜だけの営業だったので、使っていなかった日中は定食屋として営業して急場をしのぎました。フヅクエという名のもとでは妥協をしたくなかったので、別の屋号を名乗り、まったく無関係の顔をしながらやっていました。
定食屋でベースの売上を確保しながら、閑古鳥がやかましく鳴きつづけるフヅクエの時間を見つめる日々でした。

売上はわずかであれ、読書の時間を全力で応援するというコンセプト自体には手応えを覚えていました。
本を読んでゆっくりゆっくり過ごしていった方が帰るときに見せてくれる笑顔や、掛けてくださるうれしい言葉に、どれだけ救われたことかわかりません。本の読める場所を求めていた人はやっぱりいた、たしかにそう思えました。
それになにより、本を読み耽る人たちで構成された静かな空間はとても美しいもので、その気配を感じながら働く時間は、端的に言って幸せでした。

これは、きっととてもいいものだ。もしかしたら、僕が思っていた以上にいいものかもしれない。
だけど、もっともっといいものにできるはずだ。少しずつ、ブラッシュアップやチューニングの作業を続けていきました。

誰を幸せにするのかを明確にする

続けていった作業は、大まかに言えば「誰を幸せにするのかをより明確にしていく」というものでした。
開店当初、この店が幸せにしたい対象は、「本を読む人を中心に据えつつ、ひとりの時間を過ごしたい人たち」でした。
ここには、物件選定のときと同じたぐいの、「とは言え本を読む人だけに絞るのも不安だし」という日和見的な態度も含まれていますが、素直に、「読書に限らずひとりの時間を過ごす人たちにシンパシーを覚えるし、自分がシンパシーを覚え、好きだなと思える人たちを相手に仕事をしたい」と思ってのことでした。またそのときは、本を読む人を全力で歓迎しながら、同時に、読書以外の過ごし方のひとりの人を歓迎することは、両立できるのではないか、と考えていました。
しかし、やっていくなかで、みんなを幸せにしようとするのは無理だな、と思うようになりました。

では誰のためにありたいのかと言えば、考えるまでもないことでした。
そこで、この店が幸せにしたい対象を「本を読んで過ごしたい人たち」に改めて設定し直し、よそ見はせず、とにかくこの人たちにとっていい場所にしていく、ということに決めました。
それは、「本を読んで過ごしたい人たち」以外からの声はひとつも気にしないことにする、ということでもありました。
その結果、「要素を削ぎ落としていく」「本当に読書に特化していく」という変化を、段階的に遂げていきました。

おしゃべりができる余地は、完全に摘んでしまったほうがいい。
読書と共存できると思っていたパソコン仕事や勉強も、やっぱりご遠慮いただく必要がありそうだ。
いっそ長時間の読書を前提にしてしまったほうがいいかもしれない。
いやしかし、短い読書の時間を迎えようとしないのは本の読める店として間違っている。

たくさんの変化を遂げながらの歩みですが、一度たりとも、「本を読んで過ごしたい人たち」を裏切るような選択はしなかったつもりです。

「一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かな店」というものだった名乗りも、途中で「本の読める店」という言葉に落ち着きました。
時間を掛けながら、フヅクエはその名の通り、たしかに「本の読める店」になっていきました。

街にひとつくらい、
読書に特化した店があるのもいい

次第に、「こんな店が自分の街にもあったら」という声をいただく機会が増えていきました。
開店当初は「小さな商売が成り立てば」と思っていた僕も、徐々に考えが変化していきました。

たしかに、こんなにいいものが、初台にしかないというのは、いかにももったいないことなんじゃないか。
読書に特化した店が、街にひとつずつくらいある世界のほうが、きっと豊かな世界なんじゃないか。

そんなふうに考えるようになり、2店舗目を下北沢につくったのが2020年。
初のフランチャイズ店としてフヅクエ西荻窪ができたのが2021年。

まだまだ、フヅクエがある街を見てみたい。もっともっと、本を読む人たちが生み出す美しい光景を、見てみたい。
そう考えています。

本の読める場所・きっかけをつくることを通じて、「幸せな読書の時間」の総量を増やす。
フヅクエは、そのための取り組みをこれからもずっと、続けていきたいと思います。

そんなこんなを経て
「本の読める店」は今、こんな店です

本を読んで過ごすことに特化した店です

「心地よく本を読みたい」と思って来てくださった方にとっての最高の環境を目指した店です。穏やかな静けさのなかで、気兼ねなく読書を楽しんでいただくことができます。
穏やかな静けさのなかで
穏やかな静けさのなかで
フヅクエでおこなう読書は、人の話し声にも仕事や勉強の音にも煩わされることはありません。安心した読書の時間を守るための静けさが約束されています。「本を読む人たち」だけで構成された穏やかで美しい時間を、ぜひ一度体験してみてください。
気兼ねなく、気が済むまで、ゆっくりと
気兼ねなく、気が済むまで、ゆっくりと
「気まずい思いをせずに長居ができる」を実現しました。
フヅクエでは、「そろそろ帰ったほうがいいかな……」「せめてもう一杯頼んだほうがいいかな……」と気になっちゃう瞬間は決して訪れません。4時間や5時間のご滞在は見慣れた光景ですし、11時間過ごした方も。誰にも気兼ねすることのない読書時間を、気が済むまで、思う存分に過ごしていってください。
お茶でも食事でもお酒でも
お茶でも食事でもお酒でも
おいしいコーヒーやケーキはもちろんのこと、野菜たっぷりの定食から手製のシロップを使ったこだわりのカクテルまで、幅広く、ひとつひとつ真面目に用意しています。お菓子類の持ち込みもできますので、お気に入りのスイーツを食べながらの読書もおすすめです。
短い時間の読書にも
短い時間の読書にも
今日は1時間ぎゅぎゅっと読みたい。そんなときの過ごし方も用意しています。 予定の合間や帰宅前の読書時間が、一日をぐっと彩りのあるものに整えてくれるかもしれません。
本をお持ちでない方も、店内の本をぜひどうぞ。
すべての方に気兼ねのない時間を過ごしていただくために、独特の仕組みを採用しています。ご予算目安としては、「ゆっくり過ごす=2000円前後」「短く過ごす=1000円ちょっと」です。
フヅクエの案内書きへ

fuzkueの歩み

2014/10
東京・初台にてオープン
2015/03
支払い額自由を廃止し、メニューに値段を付ける
2015/04
「持続的な会話はご遠慮を」から、「会話は厳密に不可」に
2015/05
金銭的な大ピンチから、営業時間外に定食屋営業を開始
2015/07
定食屋が忙しくなり、人を雇うことに。川越さんという方だったので「定食川越」という名前にする
2015/10
変動席料制の導入。長い時間滞在する方に満足してもらうことに振り切る
2016/04
困り果て、とうとう看板を出す
2016/04
平日朝の営業「あさふづくえ」を開始
2016/05
席料制に「ご滞在時間4時間超の場合」の附則。使い倒しマインドを感じがちな長時間の仕事・勉強利用の抑制に走り始める
2016/09
まったく採算が取れず、「あさふづくえ」終了
2016/10
「読書日記」開始。店主阿久津のライフワークへ
2017/01
週末の開店時間を16時から12時に変更
2017/02
平日の開店時間も18時から12時に変更。定食川越は役目を終える
2017/06
マウスの使用、不可に(静音マウスを除く)
2017/07
タイピングを不可とし、パソコンの使用が実質不可に(閲覧と検索のみ可)
2017/11
「一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かな店」から「本の読める店」へ拡張子の変更
2018/06
「読書日記」書籍化。NUMABOOKSから『読書の日記』として刊行
2019/01
2020/03
日記書籍化第2弾。『読書の日記 本づくり スープとパン重力の虹』としてNUMABOOKSから刊行
2020/03
ツイッター上で「#自宅フヅクエ」開始
2020/04
「フヅクエ下北沢」を開店。数日の営業を経て、緊急事態宣言によりしばらく休業
2020/04
『music for fuzkue』配信開始。6月にCD発売
2020/07
『本の読める場所を求めて』を朝日出版社から刊行
2020/08
2020/11
下北沢、勉強・仕事を不可に。読書への特化をさらに強化し、ハードコア仕様に
2020/12
「1時間読書」(のちに「1時間フヅクエ」)を導入し、短い時間の読書ニーズにも応えられるように。 同時に初台も勉強・仕事を不可に。集客不振の窮地の中、自らをさらに追い込む
2021/04
読書の時間のためのオリジナルブレンドコーヒー「フヅクエ時間ブレンド」発売
2021/06
初のフランチャイズ店「フヅクエ西荻窪」を開店