掲題の通りfuzkue booksの活動を始めた。名前はなんでもよくて、Fuzkue Publishing Booksellers(通称FPBS)でもいいのだけど、とにかくずっとやろうと思っていた本の売り方を始めるに至った(『若い藝術家の肖像』は例外的な売り方だった)。
たぶん二つのことが僕を駆動させたと思っていて、一つはB&Bでのトークのときに数十の人の前で「本を売ることをもっとやりたいんですよね」と自分の口が言ったのを自分の耳が聞いたこと、もう一つはその数日後に『若い藝術家の肖像』の残り冊数が少なくなったため追加発注したということ。
その二つのことで「本、やっぱり、売りたいよね…否、売るぜよ!」と決め、白水社に電話して、「すいません、あの、ブ、ブックカフェ的な店をしておりまして…へえ…さようで…」云々と伝えたのちにお金を振り込んだところ本が届いた。
そういうわけでF&B最初の本はロベルト・ボラーニョの『通話』とオラシオ・カステジャーノス・モヤの『無分別』で、その2冊は「ボ、ボラーニョとモヤから始めたくてッ…!」と先の電話で伝えたようにどちらもとても大好きで、かつ自分の中でわりとエポック感がある小説だ。
FUZKUE&ジャンク堂書店の活動は、僕が好きな本、売れてほしい本を売るといういたってシンプルな内容で、何度か書いた気がする通り本なんていくら売っても小遣いにもなりゃせんわみたいな感じなのだけど、売れてほしい本には売れてほしい、その一端を担いたい、みたいなそういうところだ。
例えば『無分別』は2012年8月初版発行で3年経つわけだけどまだ初版の本がこうやって仕入れられるわけで、それが重版っていうの?増刷?わからないのだけど、2刷?2版?ちょっとわかんないのだけど、もしそうなったら世界が一つ豊かになるわけです、僕の目から見た世界は。「『無分別』が初版で終わる世界」と「『無分別』が2刷?される世界」だったら後者の方が僕にとっては豊かなんですよ。それこそ知らないけどこの作品の訳者は細野豊で、細野さんが豊かになったら豊かなんですよ、世界は。なんか売れるしモヤの他の作品もどんどん出版していこうか、あるいはなんか売れるから前作2000だったけど今度のは3000刷ろうか、みたいになった方が細野なんですよ、豊は。
ていう、そういうことを思っていて、もちろん、知らないですけど、売り切れたら絶版になっておしまいっていうそういうものなのかもしれないけど、でもまあなんというか、自分が好きな本が一冊でも多く売れてほしい、自分の好きな本に1円でも多くの金銭が支払われてほしい、自分の好きな本を作る人なり会社なりに1円でも多くの金が落ちてほしい、みたいなそういうことを僕はずっと思っていて、僕が今回仕入れた5冊ずつを売り切ったところで何になるという話ではないことは当然そうなのだけど、でもなんかそれ俺やりたいぞ、みたいな、そういうところで。
なお、文机屋書店で販売する本をご購入の方にはトップの写真の感じで僕の読書感想文的なものが贈呈されるという仕様なのだけど、これも僕がずっとやりたかったことで、書籍というどこで買っても一緒の商品を「そこでしか手に入らない本」に変えるみたいな、一冊入魂みたいな、本の販売に特殊な出口を与えるみたいな、そういうのってあってもいいんじゃない?みたいな、Amazon含む超大型書店とも目利きによるセレクト書店とも違う、クソパーソナルな書店のあり方の一つとしてそういう暑苦しいものがあってもよいのではないかという試みというか。
とか言って、文机社初台店が売り始めた2冊のやつは最近書いたテキストではなくて1年前とか2年前とかに読んだあとに書いたものを使っていて、読みなおして「いいんじゃないこれ」と思ったので使うことにしたのだけど、そういう自分の中で「いいんじゃないこれ」というテキストをコンスタントに書いていくことができるのかたいへん怪しい話で。だから今回はありものを使って本当に勢いで始めた感じで。これからは月1くらいでやっていきたいなと、そうここに書くことで自分に発破をかけてみるのだけど、まあ毎月「これ」っていう一冊と出会えるとも限らないので、という保険も同時に掛ける、この卑怯さ。
そんなわけで僕のテンション自体は今だだ上がりですよ、一人で超ワクワクしています(主に今回用に買ったというか使い始めたイラレの作業に対してだけど)、という話でした。
追記。読書感想文のやつ、フヅクエで買われた方だけでなく、すでに持っているという方にもお渡しすることにしました。お会計のときでもいつでもいいのですが、「持ってるよ!」とおっしゃってください。
(追記:始動したもののすっかり止まってしまった)
(追記:
やり方を変えてリスタートした)