今日の一冊

2019.11.18
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####滝口悠生『「続アイオワ日記」『新潮 2018年12月号』所収』(新潮社)
2018年11月18日
家に帰ったらミックスナッツかポテチでも今日は、つまみながら、千葉雅也読むそんな時間にしようかな、その場合はご飯を食べる量を調整しなければならないぞ、と、6時くらいからそんなことばかり考えていた。疲れたといえば疲れた。
夜、座り。ぼーっとしたのち、『新潮』開く。
夕飯を買って帰り。店の前でナターシャに会って立ち話。私は相槌を打つだけで全然何の話だかわからないのだがナターシャは私がわからないことはわからないようで、いろいろ話して去って行った。
ホテルに戻るオールドキャピタルの芝生の坂道で、電話で誰かと話しながら泣いているアジア系の女子学生とすれ違った。何があったのかわからない。私は日本でもよく泣いている人とすれ違ってどうしたんだろうと思うけれど、ここでは泣いていようがいまいが、ほぼほとんどの人に対してその人がどんな時間を毎日生きて、今日生きたのかうまく想像ができないので、泣いていてもあまり特別でないというか、わからなさのバリエーションに過ぎない感じがある。と思いながら歩いていたら、向かいから坂をのぼってくるこれははっきりとアメリカンの女子がやはり泣きながら誰かと電話をしていた。何かあったのだろうか。 滝口悠生「続アイオワ日記」『新潮 2018年12月号』所収(新潮社)p.97
最初この二人目の泣く人の登場に笑って、笑ったのち、アメリカ、泣きながら電話で話す女性、というその組み合わせで僕が知っているというか最初に想像されるのはテロとかのあとのニュースの映像とかで、なにか悲劇のあとのニュースの映像とかで、それに当たり、笑いが凍りつくというのはこういう瞬間のことだよな、と思った。
明確にわからない中で生きていると、わかる、と思っていることの傲慢さというか傲慢さは言いすぎかもしれないけれど、根拠の薄弱さというか、たいていの場合はわかるなんていうのは幻想でしかない、雑な投影みたいなものでしかない、みたいなものに突き当たったりするのだろうか、どうだろうか。
と思ったら(以下次号)ということで終わってしまった。さみしい。さみしがっていても仕方がないので、ぼーっとして、それから目の前に溜まっている、郵便受けから取って開きもしていない封筒群に手を付けることにした、免許証の更新に行かねばならぬ、開いて見てみると「優良」とあり、「優良」とはゴールド免許を指すようだった、たいへん光栄だった、それから、あれこれと、税務署に行かねばなあであるとか、あって、進めていくと、「個人事業税納税通知書」とあり、えっと、と思って開くと、個人事業税を納税しなければならないらしく、げんなりした。期日は10月末日だったが、過ぎてしまった。開けてみたくさせるような封筒を送りなさいよ、こんなの全然ときめかないよ、と思い、思って、振込に行かねばな、と思った、全部が面倒だった。
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