読書日記(26)

2017.04.01
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#3月25日 読み終えた本は書店のカバーを外して適宜本棚に収められるのだけどベン・ラーナーの『10:04』がずっと手元に置かれている。どうも、僕は、この本が、けっこうなところ、すごく好きのようだった。肩が疲れた、雨が降ろうとしているらしい、僕は苛立ちながら、いや苛立ちをどうにかどこかに放出するために、ひとつゆっくりとため息を
##3月26日 日曜雨。『ユリイカ』の「アメリカ文化を読む」を読んでいた、大山エリンコイサムの「アメリカ文化とアルターエゴの行方」を読んでいたらかっこうよくて、
##3月27日 雨で完全に油断していたというか絶対に暇だろうと、その絶対は本当に何を根拠にしているのだろうという絶対な気分で暇を確信していたところ完全にしっかりと忙しいことになっていつもの週末よりもずっと疲れるようなことになってまったく動きを止められない体になって21時を過ぎてからくらいだろうかそのあたりで極まっていったらしく自然にニヤニヤ顔をほころばせながら延々と働いていた。昨日のことだ。驚くほどに疲れて、終わった直後にビールを2本飲んだら一気にヘロヘロになってそれからご飯を3杯かきこんだ。掻き込む。掻き込むというのもすごい言葉で箸というよりは鍬か鋤かわからないけどそういうやつというかフォークか、フォークな感じがする。それでソファに、ロッキングチェアなソファに座ってウイスキーを飲んだところ『オン・ザ・ロード』を読んでいたらそのまま眠ってしまって朝だった。体が明確に朝から疲れていて目を開ける前に肩の重みを感知してそれで横になったまま肩をぽんぽんぽんと叩く動きから一日が始まった、客数や売上を見るとそこまで極端に疲れなくていいというか他の週末とくらべて極端に多かったわけでもないのにこれだけ疲れたのはもともとの構えのゆるさと実態のギャップによるものなのだろうか、そんなところで疲労度は変わるものなのだろうか。
ともあれ大山エンリコイサムの「アメリカ文化とアルターエゴの行方」はかっこうがよくて、「グラフィティにせよブレイクダンスにせよスケートボードにせよ、どのようなストリートカルチャーであっても、その出発点においてあらかじめ反社会的・反権力的な政治的目的のもとに誕生したものでないことは明らかである。路上に名前をかくこと、地べたにダンボールを敷いて踊ること、プールの水を抜いて板乗りをすることは、政治的行為などではなく、キッズたちが夢中になれる新しい「遊びプレイ」だったのであり、」とあり、グラフィティ、ブレイクダンス、スケートボードが路上に名前をかくこと、地べたにダンボールを敷いて踊ること、そしてなによりプールの水を抜いて板乗りすること、と言い換えられるところに僕はなんだかぐっときたらしい。大山さんは、と「大山さん」とさん付けをしてみたけれども面識はないけれど大山さんは高校のたぶん1つ上の学年の方で大学もキャンパスが一緒だったからたまに見かけたけれど高校の先輩という印象でとにかく寡黙そうでかっこよい風貌の方でグラフィティをやっていて、ブレイクダンスを一所懸命やっていた同学年の友だちが仲良くしていた気がする。だから、そういう姿を覚えているから、というか、グラフィティやブレイクダンスやスケートボードといったストリートなカルチャーなことを語るときに身体的なというか抽象的でない身体を伴った言葉が出てくる様子がかっこういいようなそんな気になっているのかもしれない。先の文章に続くところもなんかとても若くからストリートなカルチャーに傾倒していたのであろう大山さんの強い実感が伴っている感じがして気持ちがいい。
それは「大人」を意味していないか。すなわち、政治的判断が十分に可能な成熟した主体が、暗に想定されていないか。

だが控えめに言って、ストリートカルチャーの先駆者たちは当時10代前半の少年少女たちであった。それは政治や社会の変革のための理性でも暴力でもなく、子供がのびのびと落書きをするような無邪気な表現欲求のセンソリアルな発露として始まったと考える方が納得できる。とくにグラフィティ文化において、その黎明期に原動力となっていたのは、特定の政治的立場やメッセージ性といったものに回収される手前で、自我形成期のキッズたちが自由に波打つ想像力によって「自分らしさ」をかたどるための、アルターエゴの造形感覚にほかならない。名前というモチーフは、その想像力を注ぎ込むことができるもっとも身近な造形素材だったのである。 ユリイカ 2017年1月号 特集=アメリカ文化を読む ―カウンターカルチャーの新しい夜明け』(p.221)
それにしても『オン・ザ・ロード』を読み途中の身としては「路上」という言葉は見逃すわけにはいかなくて何箇所か出てくるのだけど次のところとかかっこういい。
路上に張り巡らされた不可視の通信網による霊的コミュニケーションへの想像力は、グラフィティライターたちが現実の都市をもうひとつのアルターシティへと読み替えている証左だと考えたい。

こうしたことが可能なのは、ネットワークを構成するひとつひとつの落書きそのものが、かき手個人のアルターエゴを表象するタギングであるからにほかならない。路上のそこかしこに四散するそれらアルターエゴの集積と接合が編み目をなし、ライターたちに都市の別の姿を幻視させているのである。 ユリイカ 2017年1月号 特集=アメリカ文化を読む ―カウンターカルチャーの新しい夜明け』(p.219)
僕はだから雨もまだやまないし午後の授業が休講になったから昼飯を食べたら学校をあとにして東武東上線で池袋に出た。学園祭で知り合った女の子とデートをしたそのときのことを池袋に出るたびに僕が思い出したのはそれが池袋でおこなわれたからでどこかに入って何かを食べて、の前に映画を僕らは見たのだったか。『ブリジット・ジョーンズの日記』、と書き始めて「はて」と思って検索をしたところあった。
「豊島」という二つの文字で思い出すこと。文化祭で知り合った女の子とデートをしたこと。緊張しながら電車に乗って池袋に出たこと(そう、さっきの電車に!)、どこで待ち合わせたかは忘れた、映画館に行った、『ブリジットジョーンズの日記』を見た、どこかできっと夕飯かそれに類するものを食べた、知らないけどドリアとか食った、甘いものも食った、僕はベル&セバスチャンのCDを彼女に貸し、彼女はエミネムのCDを僕に貸した。そのあと会っていない気がするけれど、エミネムは僕の手元にないしベルセバは僕の手元にある。友だち伝いに返却したのだろうか。共通の友だちがいた。彼を起点に翌日の教室は僕を囃し立てる用途で黒板に似顔絵と相合傘を描いた。ということはあれは高校一年のときか、それにしても相合傘って!彼女の名前がいま思い出せそうな気がしたけど思い出せない。俺はともかくあの子はこんなんじゃないよ!もっとずっとかわいいよ!と僕は黒板の似顔絵を見て思ったはずだった。彼女はたぶん豊島岡女子学園高校の人だったはずだった。それを思い出した。クソみたいな高校生活のなかで唯一くらいのウキウキした話題。ウキウキした、淡く儚い話題。あれから15年とかか。なんだ15年って。
同じことを書こうとしていて、でも同じことを書いてはいけないなんて決まりはどこにもないというか、同じことを書くことはむしろよいというか何度でも何度でも同じ記憶をたどることは何か、豊かなことのように思う、豊か、豊かという言葉というか「豊」の文字を見て思い出すのは「豊島」で「豊島」という二つの文字で思い出すこと。文化祭で知り合った女の子とデートをしたこと。緊張しながら電車に乗って池袋に出たこと(そう、さっきの電車に!)、どこで待ち合わせたかは忘れた、映画館に行った、『ブリジットジョーンズの日記』を見た、どこかできっと夕飯かそれに類するものを食べた、知らないけどドリアとか食った、甘いものも食った、僕はベル&セバスチャンのCDを彼女に貸し、彼女はエミネムのCDを僕に貸した。そのあと会っていない気がするけれど、エミネムは僕の手元にないしベルセバは僕の手元にある。友だち伝いに返却したのだろうか。共通の友だちがいた。彼を起点に翌日の教室は僕を囃し立てる用途で黒板に似顔絵と相合傘を描いた。ということはあれは高校一年のときか、それにしても相合傘って!彼女の名前がいま思い出せそうな気がしたけど思い出せない。俺はともかくあの子はこんなんじゃないよ!もっとずっとかわいいよ!と僕は黒板の似顔絵を見て思ったはずだった。彼女はたぶん豊島岡女子学園高校の人だったはずだった。それを思い出した。クソみたいな高校生活のなかで唯一くらいのウキウキした話題。ウキウキした、淡く儚い話題。あれから15年とかか。なんだ15年って。だから東上線に乗って僕は池袋に出た午後、授業は休講になると自由にしていられたので午後の2限が休講になったら早く帰っていいということだったからそれでそうやって僕は僕らは池袋に出て映画を見たりした。新文芸坐に行って、映画を見たりした。大学生になってからかなり頻繁に、月1は少なくとも行っていたはずの文芸座のオールナイトは高校生のときはたぶん1回だけしか行っていなくてそれは『惑星ソラリス』と『2001年宇宙の旅』とおそらく『未来世紀ブラジル』とかの3本立てだったんじゃないか、混んでいて、通路に座って見たはずだった。2003年くらいのことだろうか。日中の2本立てで覚えているのはコーエン兄弟の『バーバー』を見たことでもうひとつが思い出せなかったが調べたらショーン・ペンの『プレッジ』だった、そこで英語の教師でありテニス部の顧問である先生と遭遇した、彼はすごく映画が好きで授業でもよく映画を見せるという話だった、僕は彼の英語の授業は受けたことがなかった、いいおじいさんという感じの人で見た感じ鋤だったし話し方も鋤だった。さっき鋤と鍬と打ったためこういうことが起こった。先生は僕ら、そのときは僕ともう一人で見に来ていて僕らに気がつくとうれしそうだった。そのうれしそうな気持ち、わかるよ、と思った。2002年12月10日のことだった。映画が終わって池袋で友だちと別れた友だちはあざみ野まで帰っていった、僕は埼京線で大宮に向かった。大宮はその日は一年に一度の十日市で大宮駅から10分ほど歩いたところにある氷川神社はたくさんの露天が出てみな楽しかった。僕は大和田でソフトテニス部の友だち数人と待ち合わせると電車で大宮だったか大宮公園だったかまで出て「どこかにきっといるんだよな、同じ場所に、同時に、僕らは」とそわそわした気持ちで友だちと歩いていると彼女はたしかにいてそのときにとても執心していた女の子がバレー部の他の人たちと一緒に歩いているのを見かけて、これだけの人数がいるなかで出くわす、ということは僕たちは何かしらの何かで何かなのではないかと思ったが、あの時分、あの子には誰か好きな男子はいたのだったろうか、あの子のそういう話は僕は聞いたことがなかったし2007年か2008年かの成人式のときの同窓会かなにかで会った彼女はすでに結婚していたんだっけか、十日市でそわそわしていた僕は2000年か1999年だった。ソフトテニスは僕は高校になったら続けなくてだから僕は高校になったら2001年は部活はフィールドホッケー部に入ったら夏休みで辞めたあざみ野に帰った友だちも一緒に辞めた一人だった。高校時代はだから僕はダラダラと虚しい虚しいとだけそのあざみ野の友だちと言い合って過ごしていた、あの時分は人生で一番退屈なときだったしその同じときに壁にかっこいいものを描いていたかっこよかった先輩は十数年後に「公共空間におけるアルターワールドの産出とは、文字通り異世界のパフォーマティヴな「現れ」であり、それが出現する路上という場は、理性的なコミュニケーション、身体の(暴)力、そして文化的空想力などが混沌と入り乱れながら拮抗する政治的空間として捉えることができる」と『ユリイカ』に書いたのだしその路上で1940年代にケルアックは「今宵、ここ、ロッキー大分水嶺ディヴァイドの東側の暗い壁のなかは、静寂と風のささやきがあるばかりで、騒いでいるのは谷間にいるぼくらだけだ。分水嶺の向こう側には壮大な西部丘陵ウエスタン・スロープが広がり、その高原プラトーはスチームボートスプリングスへと延び、そこでがくんと沈んで東コロラドの砂漠へと、ユタの砂漠へとつづいている。真っ暗闇のなか、山のちっぽけな谷間でぎゃあぎゃあわめいている僕らは、たくましい大地にさまよう狂った酔っ払いのアメリカ人だった。はるか、ずっと遠く、シエラの向こう、カーソン湿地帯のあちら側には、宝石のような湾にかこまれた夜のような、ぼくの夢のフリスコがある。アメリカの屋根の上にいて叫ぶことしかできないぼくら——夜の彼方、大平原プレーンズの東のほうから白髪の老人が言葉をたずさえてぼくらのほうに歩きだしているような気がした、追いつかれたらたちまちぼくらは沈黙させられてしまうだろう」そんな夜を経験したそれを1951年だかに書いて書いたそのオリジナル原稿が2010年に日本で翻訳され出版されたその本を2017年の3月に僕は読んでいるし読んでいると今こうやって書いている。後方にはなにもない、すべては前方にある、それが路上オン・ザ・ロードだ。
3月は平日はすっかり暇で2月は平日でこれだけいったらとてもよいなという数字だったそれが3月は落ち込んでやっぱりこんなものか、それにしても、という調子だったのでそういうつもりで今日も迎えていたところ今日は調子のいい昼間を演じている、そうしているうちに夕方、4時になった、これまでのところ僕はこれを打ったり仕込みをいくらかしたりしていた、これを打ったりする前に必要な仕込みの大部分を済ませた、なぜなら体が妙に疲れていて「止まったら終わる」と思ったからでだから動きを止めないでずっと加速し続けてひたすらやるべきことは全部済ませてそうしたら座ろうと、あとでやろうなんて考えないでやっつけてしまおうと、そうしてから座った、それからこれが打たれていた、室内の光の色が変わってきた、これから暮れていく、今日も昨日に続いて寒い、天気は回復した。『ユリイカ』をいくらか読んだあと日が暮れてそれから『オン・ザ・ロード』を読んでいた。
トレイシーは鉄道町で、線路脇のダイナーで制動手ブレーキマンたちがぶすっとした顔で飯を食う。列車はしゅっしゅと吠えながら谷の彼方へ向かう。陽が沈むときはどこまでも真っ赤に染まる。魔法のような名前の谷がつぎつぎとつづいた——マンテカ、マデイラ等々。まもなく日が暮れてくると、葡萄色の夕暮れになり、紫色の夕暮れがタンジェリンの木立と長いメロン畑の上に広がった。太陽はブルゴーニュの赤が一条走った葡萄をつぶした色で、畑は愛とスペインの神秘の色になった。ぼくは窓から首を出して、いい匂いの空気を胸いっぱいに吸い込んだ。最高に気持ちよかった。
ジャック・ケルアック『スクロール版 オン・ザ・ロード』(p.102)
##3月28日 『オン・ザ・ロード』がどうやら興に乗ってきたようで営業中にとぎ
途切れ途切れにというのはこういうくらいの途切れ方で営業中に途切れ途切れ読むのも気持ちがいいし家の外で一服しながら街灯のだいたい暗い灰色のままのページを眺めるのも気持ちがいいし眠りに突入しながら読むのも気持ちがいいしそれによるとLAはアメリカの都市でいちばん孤独でいちばん野蛮なところらしい。
LAは、アメリカの都市でいちばん孤独でいちばん野蛮なところだ。ニューヨークは、冬こそおそろしく寒いが、街のどこかに妙ちくりんな仲間意識がある。LAはジャングルだ。サウス・メイン・ストリートは、ベアとぼくもホットドッグをかじりながらよく散歩したが、光と荒っぽさが乱舞する、まったく途方もないカーニヴァルだった。ブーツをはいた警官が、それこそ角ごとに、だれかを尋問している。歩道にはこの国でもっともくたびれたビート連中がたむろしている——それらをすべて見下ろす南カリフォルニアのおぼろな星々は、LAという、広大な砂漠のキャンプ地が放つ茶色いかさのなかに姿を隠していた。そこいらじゅうにお茶ティーウィード——というのはマリファナのことだが——の匂いがただよい、チリビーンズやビールと混じりあっていた。バップの偉大でワイルドなサウンドが酒場から流れてきた。それが、アメリカの夜のなか、あらゆる種類のカウボーイやブギウギの音楽とごちゃまぜになった。みんながハンキーに見えた。バップな帽子をかぶったヤギヒゲの野性的な黒人たちがげらげら笑いながら通りすぎた。長髪のくたびれきった風来坊ヒップスターたちはニューヨークからルート66で到着したところだった。年寄りの砂漠の金鉱狙いたちは袋を背負ってプラザの公園のベンチを目指していた。ほつれた袖のメソディスト派の牧師たちもいたし、ヒゲを伸ばしてサンダルをはいた「ネイチャー・ボーイ」的聖者もたまに見かけた。
ジャック・ケルアック『スクロール版 オン・ザ・ロード』(p.109)
タンタンタンと、刻みつけられる言葉を追っていくと体が喜ぶようなところがある、なんのリズムだか知らないけれど、ビートがある、と、ビートというのが「くたびれた」という意味だったとは知らなかった。ビート・ジェネレーションがくたびれた世代というのは全然知らなかった。なんかビートを刻んでいる系のビートかと思っていた。ビーツの比喩も2回出てきたがそれは関係なかった。ビーツって芋だったっけか、と思ったら赤かぶだった、火焔菜。と思ったらほうれん草と同じアカザ科とのことだった。タンタンタンと刻みつけられる言葉、僕が吐き出すタラタラしたものとはまったく違うそういう言葉が気持ちがよかった、夜がそれで更けていって僕はエチゴビールのIPAと金麦を交互に飲んでいったところ葡萄畑の列の端っこまでそっと進んで、あったかい土に膝をついた。
五人の兄弟がスペイン語できれいなメロディの歌をうたっている。星々がかわいい屋根の上に屈みこんでいる。煙がストーブの煙突から噴き出ている。マッシュド・ビーンズとチリの匂いがする。おやじは怒りの唸り声をあげている。兄弟たちは軽快にヨーデルをつづけている。母親は黙っている。レイモンドと子どもたちは寝室でくすくす笑ってる。まさにカリフォルニアの家庭。葡萄の蔓に隠れて、僕はそれを堪能した。100万ドルの気分。クレージーなアメリカの夜の冒険だった。
ジャック・ケルアック『スクロール版 オン・ザ・ロード』(p.127)
アメリカ、アメリカ。日本人がアメリカに憧憬して「アメリカ!」と思うことはなんだかとてもわかるというか僕はたぶんそうやって「アメリカ!」と思っているところがどこかにあるというか、アメリカ!と思っているのだけど、ケルアックの連呼するアメリカの響きもなんというかだいたいそんなに変わらないんじゃないかという気がしてきてそれは不思議というか不思議な感じが起きた。日本!ここは日本だ!と思って喜んだことは一度もない。ホーボーが数百人乗っている長物車フラットか―が走っていく光景を目撃したことがないからかもしれなかった。それはたしかに幻のアメリカだった、と、しかし、長物車ながものしゃとは?と思って検索するとこれに人が数百人乗って流れていくのを見かけたらアメリカ!と叫ぶわな、と思った、それはたしかにフラットなカーだった。ケルアックはホーボーたちの姿に興奮してこれが約束の地だと叫ぶ、憧れは連鎖していく。鼻づまりは伝染していく。眠気は日に日に強まっていく。僕は13時16分の現在、残り10時間44分と思いながら、というのは嘘だが、せっかくなので計算してみただけなのだが、それにしても10時間44分というのはまた途方もない数字という感じがするのだが、眠気と寒気に見舞われている。後者については体調ではなく空調の問題でまだ店が十全にあったまっていないような気がするが前者については残りその10時間44分——2分経ったから10時間42分なのだが——、なにをして過ごそうか、考えあぐねている、『オン・ザ・ロード』を読み続けて過ごすというわけにはいくまい、甘いものが食べたい。
わけにはいくまい、ということで眠くて金村義明、吉高由里子、篠原ともえ、榮倉奈々、と、金村義明は元近鉄バファローズの選手だがそこから右のランキングとかにあった芸能記事にホップ・ステップ・ジャンプした。榮倉奈々は『東京公園』のすばらしいすばらしいすばらしい演技しか知らないがもっともすばらしいものを知っているので偉大で大好きな女優であり続ける、それを思い出した。きわめて眠いが、眠い、眠い。やることもないので『オン・ザ・ロード』を読んでいる。第1部が終わったというかこれは第1部だったんだと思った。それにしても、と思った。
家に着いたあの最初の夜には夢にもおもっていなかった、ニールと再会することになるとは、路上の日々が、疾風怒濤の路上の人生が、ぼくのワイルドな予想もはるかに超えたかたちでまたまた始まることになるとは。 第2部 ニールにふたたび会ったのは、それから一年以上たってからだ。
ジャック・ケルアック『スクロール版 オン・ザ・ロード』(p.142)
それにしても本当にこんなふうにケルアックは打っていたのだろうか、きっとそうなのだろうけれども、打ちづらそうというか、部と部のあいだくらいひと息ついてもいいんじゃないか、と思うのだが、もしかしてこれは止まらずに打ち続けるということよりも紙の省スペースが目的だったりするのだろうか。『オン・ザ・ロード』を読み、それから『ユリイカ』を読み、それから少しロバート・フランクの『IN AMERICA』をペラペラしながら営業時間を過ごした。アメリカ、アメリカ、アメリカ。昨日今日と営業中にする仕込みがほとんどない感じがあり、なんだかすごく楽をしている感じがある、これはつまりどこかで詰まって一気に各種仕込みが発生するということで、それは疲れる、分散的にあるといいのだけど、こちらの思い通りになる理由はない、とりあえず今は眠い。
##3月29日 疲れたというか今月は週1日が休みというところなのだけど全日12時開店の営業時間になったのが2月で2月は週1.5日、丸一日と半日が休みという休み方をしていて今月は週1日でだから全日12時開店の営業時間では初めて働く働き方を今月はしているのだけどこの休み方だとちょっとしんどい気がしてきた、今日は先週は水曜日休みだったので木金土日月火水だから7日目で明日が休みということになるけれども7日目は神は何をしたのだったかと調べたらそうか「神は休んだ」だったのかそういうことだったのか、そのとき民はなにをしていたか、俺は働いている。アメリカ、アメリカ。『民のいない神』をまた読みたい気が起きている、アリゾナ、ユタ、俺は働いている。奴は動いている。みんな、承知していたのだ。いろんなごちゃごちゃやナンセンスとおさらばして、ぼくらにとって唯一の雄大なことがいよいよ始まった、つまり、動くこと。ぼくらは動きだしたのだ!
##3月30日 ぼくらは動きだしたのだ、ぼくは働きだしたのだ、ぼくは、と思いながら一日を暮らさなかったところやけに疲れ切ってコンコンと眠ったところ朝に起きた。朝といっても10時ごろだが。休みだった。しかし前日で意想外のおかずの減り方をしたので仕込まなければならなかった、その野菜を昨日買っていれば昨日できたが昨日は買っていなかったので昨日はできなかったので八百屋さんが開いたら野菜を買ってきてそれで仕込まなければならなかった、そのために仕込みをした。仕込みをすると昼だったので電車に乗って動きだしたところ電車で読む『オン・ザ・ロード』は調子がよく、この小説は動きながら読まれたがっているのかもしれなかった。ピワンでカレーを食べた、とてもおいしかった。生姜の佃煮を今度作ってみたい気になった。それにしてもとてもおいしかった。それから散歩をして公園でおびただしい数のスワンボートが漕がれていた、桜はところどころで咲かれていたがぱっと全体を見ると枯れ枝の下、人々はシートを敷いて問題なさそうに花見をしていた、最高気温は18度だったからよかった、メトロ動物園に入ると象のショウがちょうど始まるところで象たちは言われるがままに寝てみたりスキップをしたり立ち上がったりと、たいへんに愛くるしかった。それから死産したサイが解剖のために解体されて最後は首を切られていた。ウサギを撲殺してそれを蛇に渡していた。餌を作る係の人がバナナや肉やなんやかんやを混ぜて餌を作っていた。ラップの手際よい張り方、そこに仕事人としての挟持を見た。それがずいぶんオープンなつくりのトラックによって各所に運搬された。入場ゲートの手前で出張美容師たちが髪をカットしていてたくさんの人がそれによって切られた。ゴリラは身体検査のために吹き矢で麻酔を掛けられて病院に連れていかれていろいろと検査された。それをテレビクルーが撮影していた、アナウンサーは何度かやり直しながらその模様を伝えた。犬か何かが去勢手術で睾丸を丁寧に切り取られた。野犬によって園内の動物数匹が食い殺された。動物を見ながらディナーを食べる会が催されたくさんの料理がその場でワイルドに作られた。3人の楽団が陽気な音楽を奏でたその後ろではうっすらとライトに照らされた虎がのそのそと歩いていた、人々はそれを見ながら料理や酒を楽しんだ。
するとそのあとに税務署に行ったところ署員の方は親切に知りたかったことを教えてくだすった、深くお礼を言った、その足でカフェと思しき店にいった、するとつまらない気分になったのですぐに出た、シネマヴェーラでチケットを買うとロビーのベンチで本を読んだ、つまらない店で読むよりもそちらの方がずっとよかった、なのでよかった、すると開場の時間になったので客席についた、「だいぶ見ました?」「全然。まだ11本。半分だね。おたくは?」というおじさんどうしの会話が聞こえてきた、おじさんの会話は映画が始まっても20秒くらいのあいだ終わらず、「なんでなのwww」と思った、フレデリック・ワイズマンの『動物園』を見た。80羽ほどいるというオシドリがとにかくきれいで見飽きなかった。カラフルなオスはまったく多用な色合いと質感の羽をまとっており頭部も妙にソリッドで、バシャバシャと水の中で跳ね回ったり、飛んでいったり、戻ってきたり、オスとメスのペアでのんびりと目を細めて過ごしたりしていた、しっかり咲いた桜もいくつかあり、家族連れがたくさん楽しんでいた、たしかに動物園の外には子供を乗せられる自転車がおびただしい数駐輪されていた、アカゲザルは不安定な足場で毛づくろいしており人間を展示したケージもあった。
雨はまだ降っておらず餃子を食べる店に入るとたくさんの声と大きな音量で流されるなんというのかペズを思い出させる——しかし僕はペズはほとんど聞いたことがないから僕のイメージ上のペズを思い出させる——陽気な音楽が鳴り響いていた、つまりわりと一枚の分厚いノイズが店内に垂れ込めていてそれは求めていた環境だった、カウンター席に座った僕は『オン・ザ・ロード』を広げて「いいね!いいね!いいね!」と額から汗をほとばしらせながらビールを飲んで餃子を食べて過ごした。
「いやあ、昨日のアルトサックス吹きだが、あいつはアレをつかまえた——そしてつかまえるや、しっかり握って離さなかった——あんなにしっかり持ちつづけたやつは初めて見たよ」「アレ」ってなに、と僕は訊いた。「うーむ」——ニールは笑った——「そう訊かれてもなあ、うまく言えねえよ——えへん! まず、やつがいて、みんながいる。いいか?やつ次第で、みんなの心にあるものは抑えられる。ファースト・コーラスをスタートし、だんだん自分のアイデアを並べていく。すると、聴いているほうはヤアヤア言いながらノッてくる、そしたらそこで運命に任せて昇っていくんだ。運命に負けないように吹いていく。すると、いきなりコーラスの真ん中で、アレが現れるんだ——みんなが見上げ、納得する。耳を傾ける。あとはそのアレをつかまえて離さない。時間は止まる。なにもない空間を、みんなの血と肉の命でいっぱいにしていくんだ。吹きながら橋を渡り、また引き返し、そうしながら無限に感情をはためかせて瞬間の音色を求めていくと、徐々にみんなにもわかってくるんだよ。大事なのは音色じゃない、アレなんだってな——」ニールはそれ以上つづけられなかった、汗ぐっしょりになっていた。
ジャック・ケルアック『スクロール版 オン・ザ・ロード』(p.264-265)
僕はニールの姿を見ていると思い出す友人が一人あった。彼をだから僕は『オン・ザ・ロード』を読んでいるあいだじゅうずっと頭のどこかで思い出していた。まずやつがいて、みんながいた。やつは雨のなかでもワイパーを動かさないで運転を続けていた、どんどん視界が悪くなっていった。車は横浜の方に向かっていた。まずやつがいて、みんながいた。この夜にいたのは俺でグーグルマップで旅の動きを確認しながら読んでいた、デトロイトからニューヨークは自転車で2日徒歩で8日だった、それならいけそうな気がした、ビール2杯とハイボール1杯で妙に酔っ払ってしまって私は徒歩で5分、ふわふわとした足取りで帰路についたところどんどん眠っていった。
##3月31日 17時40分くらいからそわそわし始めて試合開始は18時半だった。そんなに楽しみにしていたつもりはなかったが突如そわそわしていった。ひとあし早く神宮球場のヤクルト-DeNA戦、東京ドームの巨人-中日戦は始まったらしかった。巨人は中井、立岡が1,2番に名を連ねていてそれに「ほお」と思った。岡本が7番レフトで入った。日ハムは——あと15分で試合は始まるわけだが——西川、田中、大谷、中田、近藤、レアード、岡、市川、中島、そして有原、だった。全体的に簡単な字の選手が並んでいる印象で、もっとも複雑なのは「藤」だろうか、それとも「近」だろうか、あるいは「岡」だろうか「島」だろうか。——口頭でその字を伝えるとするならば、という話だが。
試合が始まった。有原の直球が決まって2番田代は見逃し三振に倒れた。1番西川遥輝がしぶとくセンター前に運んだ。2点を先制された。岡の止めたバットはハーフスイングを取られた。2点はフィルダースチョイスとピッチャーゴロだったことが判明した。市川の打球はフラフラと上がって二塁手が捕球した。田中賢介がゴロをさばいた。いいポジショニングを発明した。デュアルディスプレイという戦術だった。これによって試合はテンポよく進んだ。球場に立ち込めていた重たい空気は払拭された。中村はセンターフライに打ち取られた。岡は捕球したボールを客席に放った。有原はベンチに戻ると静かに面々とハイタッチをした。そんなにハイではない位置でタッチをした。巨人が4点取って中日と2点差としている。ヤクルト対DeNAは2-0である。広島は阪神相手に1点取ったが2点取られている。オリックスは楽天に1点ビハインドである。ソフトバンクとロッテは両陣無得点である。中島の打球は内野安打になるかと思われたが浅村がいい守備をして阻んだ。その直後に菊池雄星は西川をストレートの四球で歩かせた。こういうことはきっと本当によくないことだった。その直後の初球、田中賢介が直球を打ち上げてセンターフライに倒れた。すると大谷に打席が回って花巻東対決は大谷が初球を引っ張ってライト線に痛烈な打球を放った、西川が3塁を蹴った、クッションボールを処理したのは木村文紀だった、木村からたぶん浅村を経由してホームを守る炭谷に送られたボールは西川が滑り込むよりも早くそして的確にやってきて、西川は憤死という格好になった。おそらく大谷の打球が速すぎたのが原因だった。市川友也が甘く入った直球を振り抜いた。レアードがゴロをはじいて3塁走者が生還した。有原が四球を出した。次の打者の初球が外れると吉井コーチはブルペンに電話を掛けた。ゴロを捕った田中賢介が二塁に送球するとボールは走者に当たり転々と転がり、本塁を狙った二塁走者を刺すべくレアードがホームに投げるとそれは大きく逸れた。なんとなく悲しい。野球のことは関係ない。外を走る車のタイヤの音が濡れた路面によっていつもより大きくというかはっきりと聞こえてくる。しぶきが立つほどではないだろうがしぶきの音が聞こえてくる。夜は悲しい。こういう夜は悲しい。大谷が空振りをした。岡と西川がキャッチボールをした。武田久が登板した。公文のあとに投げた鍵谷陽平は1失点した、大谷翔平、有原航平。そのあとの石川直也は背が高かった、市川友也、中島卓也。大石達也から近藤健介がファウルを打った、田中賢介はそれをベンチから見ていた。四球を選んだ。すると回は5回表へと戻りスコアはまだ0-2だった。炭谷がツーベースを打った。見事な打球だったがライトを守る近藤は無駄なくクッションボールをさばきストライクで二塁に投げた。ルーキーの源田が送りバントを決めるとベンチは喝采して迎えた。悲しい金曜日だった。悲しみが全体に染み渡っていった。秋山が倒れ田代が打席に立った。ファウルを打った。有原の投球数はこの時点で71球だった。スコアはまだ0-2でここから逆転する可能性はいくらでもあった。このときにはすべての可能性があった。すると辻監督がバインダーかなにかをいくつか持ってベンチの裏に向かっていった。それはかつてあったあらゆる可能性がひとつの結果に収斂されたことを知らせた。アイシングで胸板が厚いみたいなことになっている菊池雄星がマイクを向けられて話しだした。「若獅子会」と書かれた旗がスタンドで振られていた。菊池雄星がギラギラと輝く太陽の光を顔の間近ではなく遠めに差し出したてのひらで遮るような挙げ方で腕を挙げた。すると菊池のてのひらに光の模様ができていった。アピチャッポン・ウィーラセタクンの展示の入り口からすぐのところにあった大きなスクリーンに映された何も起こらないあるいは何かが起きつづけている映像、風がはためいて、赤や緑の光が空気中を舞うような、ときどき黄色い筋が走るような、あの映像で見たのと同じような質感の光が菊池のてのひらに映っていて、それは画面を侵食していく染みみたいになってだんだん広がっていった。光の模様のなかにときどき知った顔が見えることがあった。もう十年近く会っていない人もいた。顔はおぼろげに形になるとすぐに崩れた。ノイジーな埃のような光が乱舞していた。それが全体に行き渡ってしばらくすると野球中継は終わった。なにが起こったのか僕にはとっさにはわからなかったが一つだけわかったことがあった、今年の菊池雄星はひとあじ違う、そういうことだった。
営業が終わり悲しみのような心地にとらわれた僕は店のソファに座るとバーボンを飲むことにした。ここのところバーボンを頼まれる方がおられるためなんとなくバーボンな気分になったらしかった、倍量程度の水を入れてちびちびと、煙草を吸いながら飲んでいた。『オン・ザ・ロード』を開いて、ケルアックの旅に付き合いながら、「それがぼくらの最後の旅で、バナナの林のなかで終了した、ぼくらにはつねづねわかっていたが、そこがロードの果てだった」という、その言葉を信じきらないまま、第4部を読みはじめた。するとトントン、という、この「トントン」は速くも遅くもないそのまま発音したらそのようになるようなそういう速さのトントンで、トントン、と厨房の方から聞こえた。三十秒おきくらいにそれは鳴っていて、それが鳴り出して何度目くらいに気がついたのかはもちろんわからなかったが鳴っていた。営業中には鳴っていなかった。先週くらいに下の居酒屋の方が最近上からたまに「トントン」って聞こえるときがあるんだよ、今度それが聞こえたときに伝えに行っていい?と言われていたことを思い出した、なんでしょうねそれ、もちろんもちろん、と僕は答えた。覚えがなかった。それが今鳴っていた。オーブンのあたりかと思って耳を済ましてみると、たしかにオーブンのあたりのような感じだった、先日近隣で起こった殺人事件で重要参考人というのか、なんらかの事情を知っているものと見て捜索されていたとんかつ屋さんの上の階のバーか何かをやっている方はまだ見つかっていなかった、行方をくらましたままだった、そのことをなんでだか思い出して怖い気分になった。オーブンを開いたらその人がいる、というシチュエーションを想像したらしかったが、夕方に僕はこのオーブンでチーズケーキを焼いたはずだからそれはありそうもないことだった。そのため自信を持って開けてみると特に何もいなかった。ただ、音は明らかにここで鳴っていた、それはオーブンのドアというのはものすごい防音作用を持っていることを知らせるもので、つまり度し難く大きな音でトントンと鳴っていた。トントンではもはやなかった。ドンドンだった。夜中に鳴らしてはいけないような大きな音が鳴っていた。耳をつんざくようなドンドンの音が、なんでだか開けた途端にテンポを速めて、ひっきりなしに鳴った。ドンドンドンドンドンドンドンドンと、顔をオーブンの奥まで突っ込んだ僕の耳の横で矢継ぎ早に鳴った。僕はそれに呼応するように叫び声をあげて、それを可能な限り持続させようと決意した。僕は叫んだ。音は鳴り続けた。なにかが視界の横で動いたような気がした。オーブンの中でしかし僕は目を閉じていた。だから動いた気配を感知したのは視覚ではなく他の何かだったはずだった。僕は叫び続けた。これ以上はもう無理だという力で喉を全部開いて絞り出すように叫び切った。するとドンドンの音は消えた。僕はとてもさっぱりした気持ちになってオーブンから頭を出し、体を持ち上げた。すると入り口の扉の向こうに人影があった、それは僕が顔を向けるとさっといなくなった。また殺人事件のことを思い出した。僕はホラーのたぐいは苦手で臆病だった。関係ないことと高をくくっていたがごくごく近所で起こった二人が惨殺され一人が失踪するというその事件に僕もそれなりに食らっているらしかった。それなりにナーバスになっているらしかった。怖い気分になってしまったので店を出るときは実に念入りに周囲を確認した。階段の上と下をキョロキョロと確認しながら施錠して、背後と前方をくるくると確認しながらビルの外に出た。帰宅してシャワーを浴びるときも目は決して閉じなかった。そのまま朝までまんじりともしなかった。