抜粋
12月9日(月)
結局布団に入ったのは2時で損した気分。布団に入ると『TwitterからXへ 世界から青い鳥が消えた日』を開いてまずはジャック・ドーシー時代の部でツイッターが始まるところが描かれた。STAT.US。洒落てる。それからそのとき働いていた会社の一部門的な感じでツイッターが生まれて、と知った。完全にインディペンデントな状況で生まれたものだと思っていたので意外だった。これこそがそれなんじゃないかという妙案を、属している会社に明け渡すことが僕にできるだろうか、と思った。その間なぜかジャック・ドーシーの顔を『ソーシャル・ネットワーク』のジェシー・アイゼンバーグの顔で想像していてそれはマーク・ザッカーバーグだ。それはフェイスブックだ。
12月10日(火)
昼はうどん。今日も『Number』。この岡田監督特集は妙に厚く、横浜日本一特集がずいぶんあっさりしていたのと比べるとずいぶんな違いで、なかなかここまで厚い特集は見ないような気がするというレベルで厚く、岡田監督というのは書き甲斐のある対象なのだろうか。
12月11日(水)
いろいろ決まったということにして仕事はおしまいにし、本を取ってきてもう一杯のビールとフライドポテトを頼んで読書の時間にした。たぶん1時間くらい読んで切り上げ、とうとう高尾山温泉に仕事を持ち込んじゃったな、と思いながら、電車でも本を読みながら、帰り、スーパーでビールと冷凍のフライドポテトを買って帰宅した。フライドポテトをもっと食べたくなったらしかった。
12月12日(木)
途中でした話。ウイルススキャンのサービスでAWSが今年出したGuardDuty Malware Protectionというのがあるとのことで、マルウェアってそういえばどういう意味なんだろう、と思って聞いてみると、maliciousなsoftwareということだと教えてくれた。あ、これはマリーシアと同じ語源に違いない、と思い、そう言った。マリーシアはサッカーでずる賢いプレーみたいなやつでわざと大げさに倒れてファールをもらおうとするとかそういうやつです、と私は言った。
12月13日(金)
カレーを持って帰っていたのだが、なにかもっと暴食っぽいことをしたい、と思ってコンビニで醤油ラーメンを買って、あとおかずも要るだろうとほうれん草の胡麻和えみたいなものも買った。だがどうしてなのか、家に帰ってシャワーを浴びるとカブを塩もみして刻んだ大葉で和えたやつと人参の花椒ラペをつくっていて、それとラーメンとご飯、というのが夕飯になって和え物のことはすっかり忘れていた。
12月14日(土)
布団に入っても寒いままだった。でもツイッターの本は面白くてドーシーはツイッターに嫌気が差してきたようでいろいろ気もそぞろだった。
夏が深まるにつれ、ドーシーとツイッターの間の距離は広がっていくばかりであった。直属の部下から報告を受けたり、進捗を確認したりする頻度が減っていき、ビデオミーティングではカメラをオフにしたまま参加するようになった。全従業員を対象とした毎月の定例会議では、心ここにあらずの様子で準備した原稿をただ読み上げるようになり、それまで従業員の前で見せていたようなエネルギーも熱意もすっかり失われてしまったようだった。
カート・ワグナー『TwitterからXへ 世界から青い鳥が消えた日 ジャック・ドーシーからイーロン・マスクへ、炎上投稿、黒字化、買収をめぐる成功と失敗のすべて』(鈴木ファストアーベント理恵訳、翔泳社)p.201
悲しい〜、と思いながら読み、「フリート」という24時間で消える投稿機能に至ってはドーシーは一度も使ったことがなかったらしく、「ある従業員がその理由をたずねたことがあった。ドーシーはただ肩をすくめ、それは自分の好みではないのだと答え、担当者たちにフリートに関する報告を続けさせた」。ひんやりする場面。そしてドーシーはツイッターを離れることになり、そしてイーロン・マスクが登場した。ドーシーとマスクは相思相愛というか、ドーシーはこんなにもマスクを尊敬していたのか、と知った。マスクがツイッターに入ることをドーシーは熱望していた。最初から楽しかったがなおのこと楽しくなってきた。
12月15日(日)
今日は相模湖のイルミネーションを見に行く日だった。相模湖のイルミネーション、というのがまったく想像できないというか、僕が想像していたのは湖畔のなんにもない平たい広大なところにおびただしい電飾が張り巡らされている、何かしらワイルドな光景だった。少しだけトイレの心配をしていて、そういう平原にトイレはあるのだろうか、と思っていた。ビールは買えるのだろうか、とも。