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『若い藝術家の肖像』を読む(62)戸外の木々の下のくらやみにさからうようにして、祈った

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先日岡田利規の舞台であるところの『God Bless Baseball』を見たということは書いたけれど、チェルフィッチュ=、=でいいのかわからないけど、岡田利規が大好きで、見られる機会があれば見てきたし今回も見られたので見ることができたのだけど、チェルフィッチュ以外の演劇を見ようという気にはなかなかならなかった。何を見たらいいのかわからない、なんとなく心理的なハードルがある。
「東京で開催される国際的な舞台芸術フェスティバル」であるところのフェスティバル/トーキョーのどれかを見に行きませんかと、友人というか知人というかに誘っていただいて、チケットも取っていただいて、それで『God Bless Baseball』に行ったのだけど、もう一つあって、それが土曜日に見た飴屋法水の『ブルーシート』だった。あめやほうすいだと思っていたらあめやのりみずとのことだった。

ところで「友人というか知人というか」という書き方を僕は好んでするというか頻繁にする気がするのだけど、友人と知人の境目はいったいなんなのかというか、勝手に友人と呼ぶのも気が引けるけれど知人というのはドライすぎないだろうかと思いながら、いつもわからなくなって「友人というか知人というか」になるのだけど、人々はどのように使い分けているのだろうか。
ともあれ『ブルーシート』の会場は豊島区旧第十中学校グラウンドで、千川駅あるいは江古田駅から歩いて十数分のところにある、それの開演が11時で開場が10時半なので9時に千川駅で落ち合ってモーニングでも、ということになったので「ということはいったい何時に起きれば…」と大いなる不安を抱えながら眠りについたところ見事必要な時間に起床することができたため私は電車に乗って千川駅に向かった。
土曜の朝の京王新線〜都営新宿線は特筆することもない様子で運行しており、それを確認すると本が開かれた。せっかくの電車だ、今日こそはじっくり読むぞ、そのように思い、読み始めた。

「礼拝堂の先生がおしまいのお祈りをとなえているのが聞えた。彼も、戸外の木々の下のくらやみにさからうようにして、祈った。」(P34)

くらやみにさからうようにしてのくだりがとてもいいなと思い、音楽を発生させているiPhoneを取ってキンドルアプリを開いた。

「He prayed it too against the dark outside under the trees.」だそうだ。やはり僕は「against」って単語が好きなんだろうな、何かと、と思い、さて、続き続き、そう思った矢先、「市ヶ谷」とのアナウンスが聞こえたため電車を降りた。市ヶ谷駅から有楽町線に乗り換える必要があったためだった。本読むの終了。いい読書だった。
和光市行きという電車に乗った。和光市って見覚えあるなあと思いながら駅名を見ていると池袋であるとか成増であるとかが見られ、成増!「あっ」と思った。高校時代、学校が終わったあとに新文芸坐に映画を見に池袋まで出ることがたまにあり、そのときに乗った電車がこれだった!その電車に今、私は!13年とかの時を越え、今!と思ったら懐かしさというよりは時間の厚みのようなものがうわっと体というか腹の底から立ち上がるというか起き上がるような溢れ出すような気がして圧倒された。(あとで気づいたが僕が池袋まで乗っていたのは有楽町線ではなく東武東上線だったので間違いだった)
圧倒されたあと千川駅についたので電車をおりて階段をあがるとバカみたいに晴れた空が上にあって、待ち合わせた友人というか知人というかと会い、モーニングを食べようと言っていた喫茶店らしき店舗は午後からしか開いていないことが発覚したためうろうろ歩いた結果ここしかないということで結局モスバーガーに入って、今年初めて巻いたマフラーをまんまと置いてきたので今度また取りに千川に行かなければならないことになった。僕が気になったのは「じゃあせんかわえきね」と言って仙川駅に行ってしまう事例がどれくらい発生しているかだった。仙川駅には豊島区旧第十中学校はない。

「豊島」という二つの文字で思い出すこと。文化祭で知り合った女の子とデートをしたこと。緊張しながら電車に乗って池袋に出たこと(そう、さっきの電車に!)、どこで待ち合わせたかは忘れた、映画館に行った、『ブリジットジョーンズの日記』を見た、どこかできっと夕飯かそれに類するものを食べた、知らないけどドリアとか食った、甘いものも食った、僕はベル&セバスチャンのCDを彼女に貸し、彼女はエミネムのCDを僕に貸した。そのあと会っていない気がするけれど、エミネムは僕の手元にないしベルセバは僕の手元にある。友だち伝いに返却したのだろうか。共通の友だちがいた。彼を起点に翌日の教室は僕を囃し立てる用途で黒板に似顔絵と相合傘を描いた。ということはあれは高校一年のときか、それにしても相合傘って!彼女の名前がいま思い出せそうな気がしたけど思い出せない。俺はともかくあの子はこんなんじゃないよ!もっとずっとかわいいよ!と僕は黒板の似顔絵を見て思ったはずだった。彼女はたぶん豊島岡女子学園高校の人だったはずだった。それを思い出した。クソみたいな高校生活のなかで唯一くらいのウキウキした話題。ウキウキした、淡く儚い話題。あれから15年とかか。なんだ15年って。

そういうわけで豊島区旧第十中学校は天国みたいだった。校舎に面した中庭的な広場というか通路というかは空を隠さない程度の高さの木が何本も植わり、柚子っぽい実をつけているものもある。人々が何人も腰を下ろしていてそこにいろいろな影をつけた太陽の光が落ちている。苔むしたっぽいような、手入れされていない緑がさんさんと緑色を発している。あんまり牧歌的なその様子は『アワーミュージック』の天獄篇を思い起こさせたので僕はそれを見て「天国みたいだなあ」と思った。

そこからチケットを結局なんのためにあったのかわからなかったリストバンドと交換してテニスコートであるとかを横目に進むとグラウンドがあり、その一部に客席が設えられていて、段々になったところに学校の椅子が並べられていた。その一つに座ると日が顔の右側を強く照らしてリストバンドと一緒に手渡されていたホッカイロの用なんてまるでないように思えた。グラウンドのうえで、演劇が始まって終わった。
それは福島県いわき市の高校生が2年前の2013年に2日間おこなった公演の2年ぶりの再演で、2011年の3月11日を合格発表待ちの受験生として経験した彼らが使うことのなかった北校舎のことや体育館が分割されて教室となったことやグラウンドに仮設校舎が作られたことや(卒業までそこで過ごしたことや)彼らが見たことやそれ以前のことや覚えていることができると思うことや忘れることができると思うことやよく知らない相手のことやそれと同じくらいよく知らない自分のことやセイタカアワダチソウの茂った地面から見上げた空のことや飛び回る鳶のことや町のあちこちを覆うブルーシートのことやひたすら眠いことやテレビから聞こえるその社名と自分の父親が毎朝通う会社が同じ会社とは思えないことや同級生の父親はその下請けの会社で働いていることや窓は四角くブルーシートはブルーであることや今日の天気は晴れであることや明日の天気はわからないことや猫のことや蛇のことや、傾いた家の壁のことや逃げろ!逃げろ!そういったことがにぎやかに、静かに語られた。

そもそも体が酷使されることや大きな声が叫ばれることだけで僕はこみ上げてくるものを抑えられませんというタイプだからそれだけで感動したのだけど、その初演を僕はもちろん見ていないどころか再演だということも知らず、どんな演劇なのかもほとんど知らずに見に来たのだけど、冒頭と終わりで導入されるテレビ画面にうつされた映像から、それが数年前にいわき市のその高校で上演されたことや、そのときのメンバーの一人だった女の子が今では一児の母となっていること、子供はうたちゃん、ごんべんに寺でうたちゃん、だから今回の上演では不在であることが知れ、2015年の『ブルーシート』は2013年の『ブルーシート』を中に包んだ別のもので、その包みこみというか、演じる彼らがもう高校生でないこと、卒業後いわきに残っているのは一人か二人かで、他の人たちは東京であるとか神奈川であるとか茨城であるとかに今は住んでいること、その彼らがいま高校生を演じていること、それはかつてあった、そのことを今一度演じていること、そういったことがとにかく僕の胸を打ったように思った。2011と2013と2015が1時間40分の公演のなかで別々に何度も立ち上がるような、あるいは同時に3つの時間があらわれるような、その立ち上がりやあらわれに、僕はどうしようもなく感動したような気がした。

出口のもみじが一本だけバカみたいに赤くてその後ろのやつは透き通るみたいに黄色でその向こうは相変わらず真っ青の空で、土曜日、4時から営業したら信じられないほど暇だったのでビスケット焼いた。

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