抜粋
12月2日(月)
夕方になるにつれて忙しくなっていった。5時台は定食4連発で、「定食、定食、定食、定食」と思った。
12月3日(火)
西友に寄って豚肉とかを買って帰り、豚肉とカブと長ねぎの塩焼きそばと人参と花椒のラペみたいなやつをつくり、部屋で食べながら少量のプリ。さすがにもう捗らなかったので2時半くらいには布団に入った。庄野潤三を開き、「杖」が昨日まではあまり面白くなく感じていたのだが、小沼丹が中学生のときに愛読した『ロシア伝説集』について書いた随筆を思い出すくだりで突然きらめいた。
『ロシア伝説集』は小沼が彼の家の本箱にあるのを見つけて、引張り出して読んだというから、ひょっとするとキリスト教会の牧師さんで明治学院に関係のあったお父さんが昔、読まれた本なのかもしれない。訳者は昇曙夢(のぼりしょむ)氏だったと思うとある。私たち戦前にロシア文学に親しむようになった者には、秋庭俊彦氏などとともに馴染のある翻訳家の名前である。大勇士のスウヤトゴルは大へんな大男で、うっかり歩くと地面が壊れてしまうので(というのがおかしい)、大抵のときは高い山の嶺から嶺に静かに身体を横たえていたという。このスウヤトゴルがどこかへ行くときは巨大な馬に乗るが(それはそうだろう。彼が乗ってもつぶれないくらいの馬なら相当大きくなくてはいけない)、大地は震動し、河川は氾濫し、森はざわめき始める。
庄野潤三『世をへだてて』(講談社)p.47
うーん、いい。
12月4日(水)
布団に入って庄野潤三を開くと病気で倒れて緊急入院したときのことが描かれ、のちに家族から聞いたことを構成していく形で、書きぶりはやはりおおらかでのんきさも滲む感じだが、周囲の家族の心配の気持ちとかを想像しているとギュッと胸が締め付けられる感じがした。
12月5日(木)
ニューカッスルは荒くれ者の集まり、みたいな印象があって見た目の印象だ。ジョエリントンとかブルーノ・ギマラインスとか。長身痩躯のイサクとか、ゴードンもアルミロンもいい顔をしている。この3人は『レザボア・ドッグス』に出ていそう。『レザボア・ドッグス』は6人のようだからもう少し人数が必要だ。イサク、ゴードン、アルミロン、リヴァプールのツィミカス、ブライトンのイゴールとヒンシェルウッドとかでどうだろうか。とにかくニューカッスルにはいい面構えのキャラクターが多くいる。
12月6日(金)
また来月に打ち合わせをさせていただくことになって終えて出、三省堂に行って数日前にe-honのメールでどうしてそれを教えてくれたのか、建物の建て替えに伴って来月末とかでの閉店が決まったとのことだった。下北沢の三省堂はちょこちょこ行っていた店で、ここがなくなるということは下北沢から普通の本屋というのかそういう本屋がなくなってしまうということで、これは残念なことだった。それで『TwitterからXへ 世界から青い鳥が消えた日』を買おうと思って探したが見つけられず、なんで手に入れるのに難航しているのだろう、と思ってウケると出た、初台に移った。
12月7日(土)
今日は疲れていたので早く寝た。庄野潤三を読んでいてやっぱり庄野潤三で、いいのだが、やっぱり病気の話を読み続けることに一定の苦しさがある、と感じている。心配になる感じも怖くなる感じもある。「よく左足がうまくはまらなかったものだ、あれが運の分れ目であったと思わずにはいられなかった」とあった。玄関で靴を履けなくなったときのことだ。
左足も右足と同様、靴のなかにはまるべきところを、左足だけうまくゆかずに手こずっていたのが、玄関へ送りに出て来た妻の目に運良く止った。そうして靴が履けないのにそのまま外へ出て行こうとしていると映った。たとえ左の足首の機能が正常でなくなっていたにしても、ズック靴に近いような、やわらかい皮靴のことだから、最初の一回で全部入らなくても、子供のけんけん遊びのようにたたきの上で靴の底を蹴っているうちに足がはまっていたかも知れないのだ。よくぞどこかで引っかかってまるごと足が入らないままで持ちこたえていてくれたものだ。
庄野潤三『世をへだてて』(講談社)p.84,85
こういうのが僕は怖いと思い、考えてみたら僕は昔から過去を仮定するときに怖さを覚えているような気がする。あのときもう一歩外側を歩いていたらとか、そういうのが怖い。そういうのに近い。
12月8日(日)
お湯を沸かしているあいだにストレッチをするのがちょうどいい感じがあってカーテンの隙間からヨガマットに向けて光が差していて、体を斜めに横切る光のところがあたたかかった。30秒を8セットだから240秒、240秒だから4分、4分間ストレッチをし、アプリがチクタク言ってくれるとやっぱり30秒間はちゃんとやろうと思えるので助かる。