ジョナス・メカス『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959‐1971』(飯村昭子訳、フィルムアート社)

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ジョナス・メカス『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959‐1971』(飯村昭子訳、フィルムアート社)

2月20日(木)
出、現場。今日は取材で、まだ少し時間があったし誰も来ていなかったから、いつも入り口にいるおじさんと少しおしゃべりをしてから、入ってすぐの灰皿のところで煙草を吸って、吸いながら、持ってきていたメカスの『映画日記』の、付箋がつけられているページを開いた。大学生のときに貼った付箋だ。

<人間の条件>は満州での日本人の残虐さを思い出させる。このようなことがこの二本の映画の狙いなのだ。
しかし私は考えた。
だからどうだというのだ? 醜悪さになどわれわれはもうとっくに、うんざりしているのではないのか? それにこんなことはとっくに知っていることではないのか? なぜ、醜悪さには醜悪さで、愚鈍さには愚鈍さで戦い、いっそうそれらを強調して見せようとするのか? なぜ、美しいものを創って醜悪さと戦おうとしないのか?(…)
ふいに私は、こうした陳腐な、リアリスティックな映画のすべてにいや気がさした。ワシントン広場に出かけていって樹を見たい。 ジョナス・メカス『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959‐1971』(飯村昭子訳、フィルムアート社)p.17

入り口の柵のところにもたれるように座りながら、他の付箋がついているところ、線が引かれているところ、読んでいる時期によって付箋対応なのか線対応なのか異なるようだった、それらを適当に見ていた。どれだけ抽象的であってもどこまでも具象だ、みたいなことを僕は少し前に何かで思って、絵を見ていたときだろうか、まったくこのとおりに影響を受けているのだな、と思った。『映画日記』は2冊持っていた、ひとつは大学の友だちからもらった、それは2冊目の『映画日記』で、1冊目はどういう経緯で持ったのだか、うまく思い出せなかった。座り込んで見ていると人影が近づき、取材の方だった。

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