佐伯一麦『ノルゲ』(講談社)

entry_APC_03127ace71d4-eb92-4a1a-bf71-60cfdc0d6a99.jpg
9月2日(水)
改めてくぐつ草に入り、一番奥の席についてアイスコーヒーを頼むと一分もせず出てきた、店内はだいたい女性で、おしゃべりに興じていた、ノイズをキャンセルして音楽を鳴らすと、『ノルゲ』を開いた。ノルウェーに一年間滞在する話であることは二人から聞いていた、だからノルウェーにいても驚かなかったが、まず目を見張ったのは語り手のタフさだった、図太さというか。到着直後、泊まったホテルにて、ノートパソコンで書いた原稿を電子メールで送ろうとするが、コネクターがタイプが異なり、できない、どうするか。「おれは、まず電話機のコードを抜いた」。
次に、旅行の際には念のために常備しているドライバーをトランクから取り出して、壁側に埋め込まれている差し込みのカバープレートをはずした。ガサゴソしている気配に目を覚ました妻が心配したが、大丈夫だ、とおれは請け合った。
それから、露出させた端子の電圧と極性を小型テスターで確認する。接続を誤って、ホテルの交換機を損傷した場合、莫大な額の損害賠償を請求される可能性があるので慎重を期した。プラスとマイナス、それからアース。それぞれ見付けた端子に、ワニ口クリップを挟み、もう一端のモジュラージャックを延長ケーブルを介してノートパソコンに差し込んだ。
ダイアルして返ってくる音で外線への発信が9、発信形式が昔ながらのパルス、であることは、前もって確かめておいた。ノートパソコンの設定をそのように変え、ダイアルアップ接続すると、やがてモデムの音が聞こえはじめた。
画面にダイアルアップスクリプトが表示されはじめる。まず、7ビット、ストップビット2の世界標準の通信条件で現地のプロバイダーに入り、次に日本標準の8ビット、ノンパリティ、ストップビット1の通信条件に戻して、日本のプロバイダーに接続する。 佐伯一麦『ノルゲ』(講談社)p.14,15
すごい。このあともヒビの入ったガラス窓を補修したり塗料で固まった換気扇が回るようにしたり部屋の電気がつくように何かを何かしたり、生命力というか生き抜く力が強く、感嘆した。
二人から聞いている話でも、そういう話ならば俺も好きかもしれない、と思っていたのが言語の習得に関することで『公園へ行かないか? 火曜日に』も『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』もそうだったし昔からそうだった、言葉を覚えていく、使いみちを知っていく、という場面が僕はどうも感動するらしかった。
怪訝な面持でいると、もう一度、今度は「ウンシュル」と聞き取れた言葉を告げ、乳母車をバスに乗せるのを手伝って欲しい、という仕草をした。
「ああ、そうか」
おれは独り頷き、乳母車のかごの方を持ってやった。
ありがとうタック
とバスに乗った彼女は、恥じらうようなほほえみを浮かべた。
バスに運ばれている間、しばらくおれは、「ああそうか、そうだったのか」と心の中で言い続けていた。スペルはどう書くのか知らないが、「ウンシュル」という言葉の意味を初めて知った喜びが身体に広がっていた。それは、英語の「エクスキューズミー」とも、日本語の「すみません」とも微妙にちがっていて、ちがう言葉では置き換えられない貴重な単語のような気がしていたのだった。 同前 p.33
これは、とてもいいものかもしれない、とウキウキした心地になって、くぐつ草を出てアップリンクに向かった、勝手に7階とかにあるものだと思っていたアップリンクはパルコの地下で、開場すると生ビールの大きなサイズのものを買って、席に着いた。舞台の上に立つジーナ・ローランズとジョン・カサヴェテスが映って舞台裏に戻るとジーナ・ローランズが咥えている煙草をなんの係なのかおじさんが抜き取って自分の口に咥えて、それは置き場所がないからひとまず自分の口に、という移動で、それから水を飲みなさい水を、という感じでウイスキーのボトルを持たせたのがおかしかった、カサヴェテスの『オープニング・ナイト』だった、これは僕は好きな映画10傑とかに入るような大きな強い衝撃を受けた作品で見たのは大阪だった、店の営業を終えて夜中、車で大阪まで走った、漫画喫茶で寝て、翌日、第七藝術劇場で『オープニング・ナイト』を見て、それからアルドリッチの『合衆国最後の日』と『カリフォルニア・ドールズ』を見た、夜は神戸に移ってホン・サンスの『次の朝は他人』を見た、と書きながら、さすがにこれ全部を一日で見たとは思えない気持ちになってきた、『オープニング・ナイト』は別の機会だった気がしてきた。
・・・