読書日記(167)

2019.12.22
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##12月12日(木)  セットしていたアラームが鳴ったのは7時でスパッと起きた、散歩に出た、もう一度外宮を歩こうということにして、歩いた。早朝の町はいっそう静かで、寒さも心地よく、コーヒーを飲みたかった。朝の外宮もいっそうよく、柔らかい光とうっすらとした靄みたいなものが建物や大きな樹々にまとわりつき、彩っていた、正宮横の空き地が今日も僕はとても好きで、あとで岡野先生に聞いたらそこは20年ごとに移動する正宮の片方ということだった。お参りをしに正宮の中に入るとそのスペースの横の小屋みたいなところにいる神主さんというのかそういう人が、スーツ姿の男性二人を前にして塩を撒いたり何かを唱えたりしていて、このあたりの地域はもしかしたら「今日は勝負」みたいな仕事の日の朝に「だからお伊勢さんに行って」みたいなそういうことが組み込まれたりするのかもしれないな、と思った。
ホテルに戻って、朝ごはんの時間はなさそうだった、僕は緊張を覚えつつあった、持ってきたドリップバッグのコーヒーを淹れて飲んで、コーヒーは本当に助かる、と思った。先に荷物をまとめて下におりて、外で煙草を吸いながら今日の授業のおさらいをしていた、緊張が高まる感覚があった、白湯を飲んだ。チェックアウトをして外に出ようとすると岡野先生の姿があって、それで車にまた乗せていただいた、走り出すと遊ちゃんと岡野先生のおしゃべりは朝から止まらず、僕は緊張しながら話したり話さなかったりして、車に運ばれていった。大学に向かう通りの歩道を歩くたくさんの学生の姿を見たらまた緊張が強まった。
皇學館大学は神道系とかの大学とかで、それは皇學館とあとは国学院で、皇學館はかつては国立で一度GHQの手で潰されて、そのあとに吉田茂とかがどうとかだった、国学院は私立だったからそういうことにはならずに続いて、どうとかだった、そういう話が車中でされていて駐車場から歩く途中に神道の授業の実技というか演習で使うのだという祭式教室というなんかすごい神社っぽい建物の中を覗かせてもらった。濃い色の板張りのだだっぴろい部屋で、神社っぽい装置がいくつかあった。しんとしていた。
大学、大学。大学という場所に足を踏み入れたのはいつ以来だろうか、日記を書き始めてからどこかで「大学という場所に足を踏み入れたのはいつ以来だろうか」みたいなことを書いたような覚えがあるからわりと最近どこかに入ったかもしれなかったがそうだとしたらどこだろう、思い出せないが、一度先生の研究室に寄って、たくさん本があった、本の本の類の本がたくさんあって遊ちゃんはなにかメモを取ったりしていた、パソコンと綾鷹を手に、教室に向かった、研究室の棟の扉の向こうは明るい廊下で教室の棟で、その見え方の印象はどこかハイスクールというふうに思えてあれはどうしてだろうか、『エレファント』を思い出したりしていた、僕が緊張で視野が狭くなっていたということだろうか、そこまで強く緊張しているふうではなかったがもしかしたらそうなのか。始業のチャイムが鳴った。始業のチャイム! と思って、いっけねー、みたいなふうだったかわからないが小走りで走っていく学生の姿があった、2012教室だったか、入ると、広い教室だった、入り口側が教壇で、向こうに学生がいた、40人から50人くらいいる、と聞いていたが、広くて、点々と座っていて、それがどのくらいの人数なのか、見当もつかなかったしあまり前を見る気が起こらなかった、最後までほとんど見なかった。手前側に、昨日の学生さんたちが数人固まっていて、遊ちゃんは「こっちこっち」みたいな調子でそのあたりに呼ばれて、「いいの〜?」みたいな調子でニコニコとそこに合流した。
岡野先生のパソコンで資料というか、それは「フヅクエ下北沢店 事業計画書」のスライドをまったくそのまま使う形で、流して、僕は僕のパソコンでそこに書き入れたメモが見えるようにした、最初はなんでだか立ったが、立っていると変で、すぐに座った、大学の授業というものの勝手がわからなかったというか、大学の授業だと思うと、話すのが難しかった、何十人もいる人のほとんどが、ほとんどは言い過ぎだろうが半分以上は興味のない人たちだろう、と思うと、感触がわからなくて、まだトークイベントだったらなにかしらの興味を持ってそこにいる人だと思うから楽なんだなと思った、前夜に学生さんを交えた懇親会みたいなものをやると聞いたときに遊ちゃんがそれはきっと翌日の授業でずいぶんやりやすくなるよ、顔を知っている子たちがいるのといないのとでは違うよ、と言っていたが、その意味がわかった、明らかに興味を持ってくれている人たちがたしかにいる、というのは心強かった、でもその心強さをわからなさが上回りはして、宙空に言葉を吐き続けているような感覚になった、途中で、馬鹿らしいからこれはやっぱりいいや、みたいな捨てやるような説明のやめかたをしたりして、それで30分くらいだろうか、独語した。
それからは配布していて回収された質問シートの質問に答えながら岡野先生と話すような時間になって、質問はおもしろいものだった、少し活気づくような感じが自分の中に芽生えた。そうしていると終わった。
全然わからなかったな、ダメだったかな、失敗した感覚が強いな、と思いながら終了後、煙草が吸いたかった、学生さんの一人に校内に灰皿はあるのかうかがったらあるということで、あとでそこで吸おうと思いながら、先生と遊ちゃんと昨日の拍手の学生さんの4人で教室を出て、事務局みたいなところでお金をもらい、それから図書館を案内してもらった、階段を上がる途中に昨日聞いていた夏葉社フェアみたいなものがあって、遊ちゃんはちょうど『古くてあたらしい仕事』を読んでいるところだった、最近の大学の図書館は一人で学んだり読んだりするだけじゃなくて共同でいろいろをする、だからおしゃべりをしたりもできるようなエリアが拡大されているとかで、それがなんと言ったか、アーリーアダプターみたいな、そういう言葉を先生は言っていた、そのエリアを抜けて、隣の、つくりも無骨な、とにかく本が並んだエリアがあってそれらは全部、棚も、歩くところも、緑だったか青だったか、カシャンカシャンと、歩くたびに音が鳴ったかどうか。『読書の日記』も入れてもらったようで請求記号は「019.04 A.39」で、これはどういう番号ですか、と学生さんに尋ねたら、なんとかだ、と説明してくれた。今日も岡野さんの親しい学生さんたちは、本当に感じがよくて、のびのびとした顔をしていて、なんだか本当に好ましいなあ、と思って、感心していた。
キャンパスの中の紅葉もまたきれいで、緑から赤まで全部の色が入り混じっていた、見上げながら歩いた、予約していただいていたお寿司屋さんに、先生の車で行った、一緒だったその学生さんは、昨日はそんなことは全然言っていなくて伊勢うどんの店で長いことアルバイトをしていたとか友だちとオノマトペ辞典を見ながらエロいオノマトペを探して盛り上がるとか最近は図書館で片っ端から詩を読んでいる、作者名とかは把握せず請求記号順に、読んでいる、そういうことを昨日は言っていたがマジシャンで、日本の大会で何位だとか、なんだかやたらと立派な手品活動をしているということが知れて、神戸の有力なマジシャンチームの一員で国内だけでなく海外でも活動している。さらにミス伊勢志摩とかで活動している。学校のパンフレットであるとかでも紹介されていて「今日は授業が終わったら韓国」みたいな、そういうフレーズとともに紹介されている。とのことだった。食事中、手品は教育にいいと思っている、というようなことを言っていた、手品は不可能に思えることをやることだから、「これは無理、できない」という発想が介入してこない、その先を考えるのが手品だ。その話に感動した。手品のアーカイブ化をしたい。司書でありマジシャンである自分の興味はそこにある。手品は、動詞だ。
食った寿司は、おいしかった。夜も昼もごちそうになって、なんだかすいませんと思いながら、「ラッキー!」と思った。もう一度学校に戻る途中にあった麻吉旅館という昔からの旅館のところで一度車を出て、見た、立派でひなびていて複雑なつくりで、壁が白黒の写真みたいな、彩度がゼロみたいな色をしていた、本当に営業し続けているのだろうか、というふうに見えたが立派にやっているし立派なお値段らしかった、夜になるとどんなふうに見えるのだろう。
学校は神道博物館というところの見学のためで、案内されながら、見た、ゆっくり見たら何時間でも見ていられそうだった、トントンと急ぎ足で見た、神社の供え物のコーナーがことに面白く、神社ごとにというのかエリアの特色ごとに、供える食べ物がまったく違うということで、ごぼうや大根が律儀な積み上げ方で積み上げられていたり、米がぎっしりと高く、ほとんど円柱のように、盛られているというか固められていた、赤や黄に着色された米もあった、熱心にメモをしながら見ている男性が一人あって、その食べ物の配置であるとかを絵に描いていた。
学生さんは授業があるとかでそこで別れた、僕らは車に乗った、走っている途中、もうなくなってしまう珍しいつくりかた、ひとつずつの型で焼くたいやき屋さんがあるんです、と、寄って、車から出るとたいやき屋のおばちゃんが焼きながら大声で二言三言なにかを言って、どうも売り切れなのか、あるいはものすごく時間が掛かるのか、諦めた。渡したいお土産がある、ということで河崎町のお店に連れていってもらって、お菓子だった、サトナカ、と、それは真ん中に「中」があって「サ」が周囲にぐるりと10個あるそういうロゴのもので、伊勢神宮の御神饌をモチーフにした焼き菓子ということだった、塩、米、酒、たしかに! きれいなお菓子だった。それを先生は買ってその場で僕らにくださった、購買の場面に立ち会う、ダイレクトなお土産行為。先生の運転は地元の人の運転で、完全な熟知、というふうで細い道を遠慮なくどんどんと行くものだった、昨日から変わらず小沢健二が流れていた、荷台には三輪車が入っていた。
外宮のすぐ近くにある散策舎まで乗せていただいた、加藤さんは授業にも来られていて「こっちに帰ってきてたんですか」と聞いたら、聞きに来た、ということを、本当だかわからなかったが言っていて、内沼さんの本屋講座のときからの知り合いだった、岡野先生の教え子というかゼミ生だった、それで通常は土日だけの営業だけれども、開けてくださって、ということのようだった、お邪魔して、うろうろと棚を見ていた、加藤さんは普段は東京だから、お母さんが店番を任されていた、今日もおられ、お茶を淹れてくださった、加賀棒茶、おいしかった、うろ、うろ、としていると先生は授業の時間になったようで、帰られた、楽しい思いをさせていただいた。深々と一礼をした。それで僕はふと目についた、知らなかった、今福龍太の『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』が突然気になって、それは伊勢の深い森の中を歩いていた体が遊歩的なもの、散策的な、あ、そうか、散策舎という名前もあったと書きながら初めて気がついた、それでそういうものに触れたいモードになったらしく、でもソローは読んだことがなかった、ソロー読んでなくてもおもしろいですか、と加藤さんに尋ねると大丈夫だそうで、買った、遊ちゃんも数冊買っていた。
辞し、コーヒーが飲みたい。風が強い時間が少しあっただけで昨日も今日も天気がよくて気持ちがよかった、昨日外宮から出るバスから遊ちゃんが見た、ビーントゥバーのチョコレートのダンデライオンがある、と言って、え、なんのまがい物だろうね、と言っていたら本物だった、入って、伊勢ホットチョコレートというほうじ茶の使われたやつを買って、お店の方に聞くと社長が伊勢神宮とかこのあたりをいたく気に入って、それで出店したということだった。ダンデライオンの人ならきっと知っているだろうと、おいしいコーヒー屋さんを教わって、しかしそこは定休日だった。歩きながらホットチョコレートをまた交互に飲んで、とてもおいしかった、ほうじ茶はいいものだった。駅のロッカーに荷物を預けて反対側に行った、河崎町に向かった。
どこからどこまでが河崎町と呼ばれるエリアなのかはわからなかったがたぶんその奥になかむら珈房はあって、岡野先生から教わった店だった、伊勢志摩サミットのときにも使われたとか何とか。それで東ティモールのコーヒーをテイクアウトでいただいて、川べりに座って、受験を控えた高校生カップルごっこをしながら、飲んだ。このあたりは焼き板壁というのか焼杉の外壁というのか焼いた木の壁の家のエリアでその次の世代は焼板とトタンのハイブリッドでそれからトタンだけになる、そのあとが現代の、ペタッとした壁。川向こうに家がたくさん並んでいてそうなっていた。水は澄んでいて浮いた空き缶が少しずつ流れていった。
これもまた先生に教わった古本屋ぽらんに入って古書店だった、向こうに部屋があるらしく、なにかラジオの音が聞こえてきた、日本文学のあたりを見つめていると宇野千代の『或る日記』が目に入って先日『お金本』でその文章に触れていい気分になったばかりだったし、日記、と思い、手に取った、レジに持っていこうと体を反転させるとアナイス・ニンの日記と目が合った。買いはしませんでしたが。
駅で、ビールを買って、特急列車を待った、大阪か、京都か、名古屋か。近鉄はずいぶん広範囲に及ぶようだった、電車に乗るとビールを開けて、楽しい旅行だったねえ、と言い合った、一緒に買ったあおさ味の鰹節とアーモンドのおつまみを食べてそれがやたらとおいしかった、ただ硬く、気をつけないと口腔内を傷つける恐れを感じはした、暮れていく桃色がかった空が横たわっていて手前は田や畑、つまり田畑であるとか林であるとか県道であるとか川であるとかだった、池かなにかが空の光を反射させていて、夕方の名古屋行きの車内はひっそりと静まり、気がつくとしゃべっているのは僕と遊ちゃんだけだった、声を潜めて、そのあと、本を開いた。この旅行に持ってきたのは、どうせ本を読む時間なんてあるようでないんだからと薄いものだけにして『デッドライン』と『歩きながら考える』だったが、ここまで結局開かれないままだった、ここで開いたのは宇野千代で、晩年の日記らしかった、いくつか読むと眠気が体にやってきて本と目を閉じた、起きたら次が名古屋で、空にはまだほんの少し光が残っていて、数分したらすっかり濃紺になった、だから最後の光を目撃した。
少し寝ると疲れと眠気は向こうに行ったから、そうしようかと言っていたように名鉄線に乗って、東山公園駅を目指した、遊ちゃんは何度か乗ったことがあった、僕は初めてだった、初めて乗る名古屋の地下鉄は複雑で、路線図をずっと眺めていた。9駅先のその駅でおりて地上に出ると、片側3車線の車道があって「これが名古屋か」と思った、その流れを見ながら煙草を吸った、すぐのところにあったON READINGに入った、かっこいい廊下だった。うろうろと、本を眺めた、楽しかった、聞き馴染みのある音楽が鳴っていてたぶんヘニング・シュミットだった、CDがたくさんあって、ジンであるとかもたくさんあった、見ながら、この店があることで救われている人たちがきっと大勢いるだろうな、と思った。予期せず、知らず、図らず、そこでこそ目が合った本を買う、というのが今回の旅先本屋での僕の行動指針らしかった、小幡彩貴の『季節の記録』を買った。買って、出る前、迷ったが、あいさつをして、『読書の日記』を長いこと置いてくださっていることのお礼を言って、それから、今度CDを出すので、あの、できたら、ご連絡させていただきます、というようなことを言った、置いてもらおうという魂胆だった。
名古屋に戻って味噌煮込みうどん。駅ビルのレストラン街の中のところに入った、え、高い、と思って怯んだ、肉とか卵とかなにもないシンプルなやつにした、待っているあいだに遊ちゃんがスマートEXで帰りの新幹線の予約をしてくれて、ダブルチェックということで画面を確認した、万事大丈夫だった、ほどなくしてうどんが来て、固かった、さすがにこれは固すぎじゃないか、芯が残っているのではないか、と思って調べたらウィキペディアに「独特の硬さに煮込んで提供する店舗も多く」とあり、そうなんだ、と思ったら「これらは無知な客から「生煮え」だの「芯が残っている」などと謂れのないクレームを浴びる場合もあり」とあって、容赦ないウィキだなと思った、あやうく無知な客として謂れのないクレームをつけるところだった。なんだか好みじゃないな、と思って、僕は赤味噌がそもそもそんなに好きじゃないのかもしれないとも思ったしそういうことではないのかもしれないとも思った。
ちょうどいい時間で食事は終わって改札のほうに行った、チケットを発券して、スマートだねえ、一人だったらもっとスマートで、スマホでピッ、で行けるの、それはすごいねえ、と言い合いながら改札を通ろうとしたところ、取っている20時10分の電車の表示が見当たらない、あれ、と思って駅員さんに見せると、これ東京からのやつです、と言われ、大笑いした、遊ちゃんは少し焦ったようで、みどりの窓口みたいなところに小走りで行った、職員の方がまたいい人で、けっこういらっしゃいますよ。スマートEXだと前の乗車の駅情報がぱって出るから、ついそれで取っちゃうんですよね。なまじ、そこに表示されているのは東京と名古屋という、どちらも正しい駅名だから。
無事20時12分の予約ができた、ビールを買って、なんだかみんな本当に親切というかいい様子だよねえ、とさっきの窓口の方の快活な清々しい対応のことを言った、我々が開かれた態度でいるというのも大きな要因なんじゃないか、と言った。阿久津くんのそういう自己認識いいよね、と言った。他者との簡単なコミュニケーションにおいて、できるかぎり常に、気持ちよくありたい、というのは僕も遊ちゃんも持っている姿勢でそれが人の警戒心であるとかこわばりを除いて、いい態度で接してもらえるのならば、こんなに得なことはなかった。
この時間の新幹線はずいぶんと混んでいて隣り合った席もギリギリ見つかった、というくらいだった、出張帰りなのだろうか、スーツ姿の人たちが大半を占めていた、ビールを飲みながら、しばらく話していた、ウィキペディアを見ながら二人で涙をダラダラと流しながら大笑いをする局面があって、そのあとは『デッドライン』を開いた。名古屋から東京もまたあっという間で、どうも伊勢の、二段階の移動、東京名古屋、名古屋伊勢市、という大きなふたつの移動はどちらも「絶妙に短い」という感じがあって、もう少し長くてもいいんだよな、ということは思った、あっという間に着いた。東京は寒くて、人が多くて、まぶしかった。
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##この週に読んだり買ったりした本
平出隆『私のティーアガルテン行』(紀伊國屋書店)https://amzn.to/2BQy2Q8
小島信夫『別れる理由 Ⅱ』(講談社)https://amzn.to/2E4yfkp
『お金本』(左右社)https://amzn.to/389kDlD
千葉雅也『デッドライン』(新潮社)https://amzn.to/2sO8rqd
今福龍太『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(みすず書房)https://amzn.to/2qMx1qO
宇野千代『或る日記』(集英社)https://amzn.to/2PLqN2W
小幡彩貴『季節の記録』(commune Press)http://www.ccommunee.com/publication/