####フレッド・ウェイツキン『ボビー・フィッシャーを探して』(若島正訳、みすず書房)
2017年12月5日
駅に出て、東横線に乗った、『エクソフォニー』を引き続き読んでいた、元町・中華街駅、そうか、中黒点が入るのか、元町と中華街駅という感じがする、そこで降りて、なんとなくなんでだか行ってみたいような気がしたことのあるような記憶がおぼろげにあるカフェ的な店に向かうことにした、川がチラチラと3種類の光を集めていてきれいだった、よくわからない通りを歩いた、どうせつまらない時間を過ごすのだろう、有閑なマダムたちのあいだでふさぎ込んだようにイヤホンをさしてどうにか本を読もうとしてしかし気が散ってしかたがない、子どもの塾の話、ここにはいない共通の友だちの噂話、そういうものを聞かされることになるのだろう、と思っていたら店内は静かで、男性二人がおだやかに静かな調子で話しているその一組以外はおらず、僕は快適だった、アリス・ウォータースの話をしていたかもしれなかった、アリスさんと言っていた、野菜のこと、料理のことを話していた、スープとパンのセットを注文して飲み物と甘いものはあとで考えることにして『ボビー・フィッシャーを探して』を読み始めた、著者の息子がずいぶん腕利きのちびっこ棋士ということだった、それにまつわる話かと思っていたら、プロ棋士たちの食えなさ、社会的な評価の低さ、そういうことがわりと書かれていた、一方のソ連ではトップの人たちは大富豪だしものすごい政治と関わっているし、だいぶいろいろ違う、というようなことがわりと書かれていた、彼らは今、取材旅行でソ連に行った。
コーヒーとケーキを追加で頼み、どれもとてもおいしかった、大満足だった、オーダーを取る、配膳をするその人の歩き方、強い足音、厨房から聞こえてくる冷蔵庫の扉のバタンバタンいう音、洗い物のガチャンガチャンいう音、拭いたカトラリーを戻すときのカチャンカチャンいう音、会計をすると奥にいる人たちがこちらを見ることなく「ありがとうございまーす」という声、総じて、作るものや出すものには気を配ってもそこに今いる人に対しては気を配る気がないのだろうと思った。
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