読書日記(162)

2019.11.17
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##11月10日(日)  短い横断歩道の信号は赤だった。そう決めているように、把握できる範囲でちびっこがいたので渡らないで青になるのを待った。ベビーカーをつかんだ母親、子供の手をつかんだ父親、渡ろう渡ろうとする子供。赤だから。みんな待ってるでしょう。渡らないの。少し待つの。お父さんがそう言って、伸びた手を掴んでいる。子供の体は45度くらいの角度で傾いている。と思っていたら子供が静かに道路に寝そべった。声を上げるでもなく、じっとりと静かに落ち込んで、倒れていた。原付きが前を通った。にぎやかな風貌のおじさんおばさんが乗っていて、にぎやかな原付きだなと思ったら、通り過ぎていくとき、運転しているおじさんの足もとに薄い金色の犬がいることが知れて、いよいよにぎやかなものになった。信号が変わって僕は自転車をゆっくり漕ぎ出して、子供は立ち上がらず、父と母は声を掛けず、立ち尽くしていた。
はーいもしもし〜、パレード見てる? もしもし〜?
女が電話をしながら歩いていて僕は外階段で休憩をしながら煙草を吸っていた。「パレードを見ているか」という問いの唐突さに、にぎやかな問いかけだな、と思って、それからまたiPhoneに画面を戻して、煙草の続きを吸っていた。日曜日で今日はゆっくりした始まりで、そう思っていたら次第に忙しくなっていって満席になった、しかしゆっくりとした満席で、マキノさんと二人で働くにはいくらか持て余すようなところもあるようなそういう満席状態だった。ゆったりした心地で働きながら、途中途中で思いついたように皿を洗ったりカレーをつくったりしていた。しょうがなくなって『ドラフト最下位』を開いた、今日もどれもおもしろい。ヤクルトの常務取締役になった人、それから、マンモス鈴木。マンモス鈴木の経歴が異様だった。大学野球でもそこまで大活躍というふうではなかったがなにかの代表に選ばれてアメリカのチームとの試合に出た、それを見たスカウト的な人が、アメリカでやらないか、と声を掛けて、それでサンフランシスコ・ジャイアンツに入った、メジャーのチームに帯同をして移動をくり返していたら日本に着いていた、日米野球に出場した、アメリカに戻るとメジャーから1Aにすぐに降格になって、すぐに首になった、そのあと巨人の2軍打撃コーチを務め、またアメリカでルーキーリーグに参加、すぐ首、日本に帰国、ロッテの練習生になって、ドラフト最下位で指名される。イースタン・リーグで開幕から4試合連続のホームランを記録し、その年に戦力外通告。野球を辞め、ゴルフの道へ。プロにはなれなかったがティーチング・プロになり、ずっとゴルフを教えている……。
大学時代のプロ野球スカウトによる評価の言葉に「プロレスラーのようなからだで馬力だけはある。しかし変化球に対しては[放送禁止用語]だし、打てるコースも決まっている。そのうえ足が遅いので使い物にはならない」とあって、「変化球に対しては」に続くことのできる放送禁止用語っていったいなんなんだろう、と愉快だった。
夕方、ドトール。タイミングよく入った原稿仕事を始めようとして、今年の振り返りみたいなことを簡単にしていたら、1月 メールマガジン創刊 4月 下北沢店の発表とスタッフ募集の開始 7月 本の執筆開始 8月 新スタッフ徐々に合流、ということになって、これと、今年は出ていないけれど『読書の日記』をこれからコンスタントに出していくためのフォーマット固めがあり、下北沢の、まだちょびちょびしかないけれど内装の検討であるとか準備があり、スタッフが入ってからは働く仕組みづくりというか、どうやって複数人のスタッフに正しくフヅクエをインストールしてもらいそのうえでのびのびと働いてもらうかを考えたり試したりということがあり、つまり一年を通して未来をつくるための基礎づくりみたいな、そういうことをやっていたことが知れて、悪くない心地だった。原稿はほとんどやらなかった、『ドラフト最下位』を引き続き読んで、8時になったので店に戻った、山口くんは番頭席に、マキノさんは厨房奥の即席椅子に、座っていて、お客さんは一人だった、なんだか笑ってしまった、二人が立ち上がるから、座って座って、と、ジャスチャーをして、僕はソファに座った、伝票を見ると僕が出てからお客さんは来ていない、というか、最後に来られたお客さんの来られた時間は4時40分だった。4時40分……! 大変な暇な日曜日になって恐ろしい暇な日曜日になった。
山口くんと外で少し話し、また中に戻るとお客さんは帰っていった、上がったマキノさんは夕飯を食べていた、「なんだよこれはw」と笑って、マキノさんは帰り、山口くんはトマトを切っていた、この状況で一人にすることに対して申し訳なさというのか、心細い思いをさせちゃうねえ、みたいなそういう気持ちを感じつつ、帰ることにして、帰った。スーパーで野菜等を買って帰って玉ねぎ、生姜、にんにく、人参をみじん切り、白菜を細切りにしてストウブに。オリーブオイルと塩、蓋をして蒸す。残りの玉ねぎ、トマト、パクチーの茎、しめじ、刻み、ボウルへ。これで準備は完了で風呂が沸いたので入った、遊ちゃんは今日は洗面所に椅子を持ってきて座った、それでおしゃべり、33歳、34歳、39歳、28歳、29歳、34歳。
風呂上がり、ビール、スープ続き、なかなかできないのでカルシウムを先に摂取しようとかっぱえびせんをつまみながら『別れる理由』。遊ちゃんはベッドで岸本佐知子、よく笑いながら読んでいる。信夫。次に続く言葉のひとつひとつが、どうしてこんなふうになるんだろう、という、見当が全然つかないものばかりで、ずっとすごい、わけがわからない。どんなスピードで書かれるのだろう。一文書いて、翌日に、ほとんど何を書いたか忘れた状態で次の一文を書くみたいな、そんな様子が想像されて、だから僕には断絶に近いなにかに感じられているようなのだけれども、でも断絶とも違う、細い糸、神経みたいな、それだけでつながった、文と文、という感触があるようだった。
「啓ちゃんのところへ行ったのなら、電話があるはずでしょう」そのあとの言葉を彼はおぎなった。「そうなら自分の方から電話をかけてくるべきよ。あんまり時間がおそくなれば、そのうち警察へ電話をしなければならないわ」
と。あるいは、恵子のところかもしれない。
永造は、
「大丈夫ですよ」
と絹子と京子の二人にいった。その次の京子の不用意な言葉によっては、事によったら、自分の口から辛辣な言葉がとび出さぬともかぎらなかった。しかし「大丈夫ですよ」といい終ったとき、光子に心配はない、光子は考えながら歩いているが、誰かに自分の至らなさを語っているが、自分の気持をラクにしようとしたり、正しい判断にもどらなければならない、と奮闘しているに違いない、と肌で感じていた。 小島信夫『別れる理由 1』(小学館)p.162
玉ねぎ等が甘くなってボウルに入れた野菜、それからベーコンを鍋に入れてまたそのままにして、しっとりとじんわりと水分が出たら水を適当にたくさん足した、ひよこ豆も入れて、煮た。これが煮えたら完成で、なかなかできないからミックスナッツを今度はつまみ始めた。途中で洗濯が終わる音が向こうから聞こえ、寝ているかと思っていた遊ちゃんも起き上がって、二人で畳んだ。乾燥の終えられたそれらは暖かで我々の動きは速やかだった。話はあっちやこっちに行き来しながら永造は大学の先生で大学は生徒と大学とのあいだで緊張状態にあった。医師と話しているとそれを思い出すらしかった。
学校から追い出された教師たちはそのときは農協のホールを借りて、そこから、ゾロゾロとキャンパスのある山の上へと集まって行く学生たちの様子を窓から見守っていた。何人かの教師が、集会のおこなわれるグラウンドの様子を別の山に登って偵察し、無線電話で知らせてきた。今日も失敗した、というぐあいだった。「悲報」という感じになった。アンポのときもそうだったが、小さい前線の戦闘みたいだった。永造の記憶では、戦闘の場合でさえも、どこかのどかなおかしなところがあった。隊長をしたことのある人がアンポのときは、バス隊のリーダーになって、救護班のカタチで議事堂の附近に待機していた。この場合も戦争の経験はない者が、戦闘に参加しているような格好で、号令に近いような発声をした。つまり戦闘みたいに、どんなに熱心になっていてもそのこととは関係なく、のどかな怠惰なおかしなところがあった。 同前 p.212
スープが煮えた。フライパンにオリーブオイルとクミンをやって温め、少し残しておいたトマトを置いて、トマト香味油みたいなものを、「これはなんだ?」と思いながらこしらえて、スープ皿によそったスープに掛けて、それからパクチーの葉を散らして、食べた。うまうまだった。それも激烈に。
山口くんから連絡があって結局そのあとも誰も来られずつまり最後のお客さんの来店時間は4時40分ということだった。12時までの店のはずだが。
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##この週に読んだり買ったりした本
マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈5 第3篇〉ゲルマントのほう 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)https://amzn.to/2v1ZyY0
小島信夫『別れる理由 1』(小学館)https://amzn.to/2KfYKqH
村瀬秀信『ドラフト最下位』(KADOKAWA)https://amzn.to/2WS6P9Q
『Number 989「ホークス日本一の組織学。」』(文藝春秋)https://amzn.to/32phKJd
『kaze no tanbun 特別ではない一日』(柏書房)https://amzn.to/2roHqZU
小島信夫『別れる理由(1)』(講談社)https://amzn.to/2WSu2IY
庄野潤三『屋根』(新潮社)https://amzn.to/2X1QRu8