読書日記(161)

2019.11.10
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##11月2日(土)  朝飯前、ご飯を温め、納豆を用意した。そして朝飯を食べた。朝飯後、市川さんご夫妻、取材。
店、今日も暇。マキノさんがチャキチャキとしているので僕はぽやぽやとしている。10月、自動車の売上が25%減で百貨店が20%減というのを見かけて、それはずいぶんな下がり方だなと思って、じゃあフヅクエが暇でもしょうがないか、と思って便利だった。
夕方、ドトールへ。原稿、と思うが、やる気が見当たらない。遊ちゃんは今日は中央大学に行って千葉雅也の講演を聞いてきた。今日の千葉雅也もやさしかった。
質問した? と聞くと、一斉にわーっと手が挙がってそれどころじゃなかった、小説が書けなくて。進路に悩んでいます。そんな質問というのか相談がなされた。それを聞いてその光景を思っただけで僕はなにかジーンと感動して、その相談を千葉雅也にするということを選んだ学生さんたちに対して、強い、なにか、愛おしい気持ちが湧いてジーンとしていた。それから遊ちゃんは屋台でだご汁を買って階段に座って食べた。日は暮れていって祭りは終わりに向かっているようだった。中央大学は山の中だった。山に囲まれたキャンパス。歩く学生。足もとを照らす光。寒い季節でしかありえないと、なにがそう思わせるのか、ありえないと思わせる光景。泣きそうになっていた。それは都会のキャンパスの写真を見ては湧かない感情でだから湘南台を思い出していたのだろう。でもそれだけとは思えない。
写真中央少し下、後ろ姿の女の子二人は立ち止まっているように見える。数段の階段の途中。もう少しその照らされたコンコースみたいなところは続いて、写真中央のところで境界線ができて、暗い穴ぼこがあって、その向こうはイルミネーションになった樹々がいくらかある、光っている、駅だろうか、青い防塵ネットに包まれた大きな矩形の建物がすぐのところにある。その向こうはまた黒だ。黒が連なり、まっすぐ行った先に高層マンションがひとつそびえる。その向こうは全部灰色の空だ。灰色がべたーっと広がり、視線を左に移していくと黒の山があって送電線の鉄塔が画面左端に立っている。ズームしていた画面を引いて全体を見ると、鉄塔は画面右端にもあってだから「灰色がべたーっと広がり」のあいだには電線も何本も通っていた。
立ち止まったように見える女の子二人が、なんだろうか、立ち向かっているように見えるのかもしれない。「Two against the world」という感じがする。
そんなふうに見えるしそんなふうに見るのはキメすぎな凡庸な画面の見方だとも、ひととおりジーンとしたあとに思ったが、凡庸ななにかの現れに気持ちをがっと掴まれることも悪いことではなかった。それで気が済んだのか、原稿をやり始めた。最終章、という感じで、おまけみたいな章だった。その材料を気の赴くとおりに書き散らして材料を吐き出していくような作業だった。それを組み立てていくのはまた違う頭や手の使い方だった、今日はひとまずこれでいい、と思って、7時過ぎ、ドトールの閉店まではまだ時間があったが店に戻った、やはり暇なままのようだった。
8時でマキノさんは上がり、それからお客さんがいくらかあって、どうだ、乗るか、最低限のところに乗るか、と思いながら、願ったところでできることなんてなにもないのでチーズケーキを焼いたりしていて今日はチーズケーキがとにかく出た、『ESCAPE』を開いてじっくりじっくり絵を見ていた。「Hudson Commodore」の右端の小屋の壁、その裏の木、道路に横たわる雪。「Cadillac Eldorado」の金色の線、空と建物がぶつかるところ。「Toyopet Corona Model PT20」のスタジオの、窓と扉、それから街灯。「BMW 733i E23」の少しだけ上がっている窓。「Aston Martin DB5」の雲、山、電線。目を奪っていくのはそういうところで、じーっと見ていた。
それから『YURIKO TAIJUN HANA』を読んでいた。ずっといい。ずっと『富士日記』を読んでいたときの感触が蘇って、ジーンとしていた。
この暇な状況とどう向き合うというか、どう付き合ったらいいのかよくわからない。
跋扈跳梁。夜、飯、食後、ツイッター、見ていたらパクツイだけをしているフォロワー1万人弱のアカウントがあって本当にどれもパクツイみたいで、それもネタ元は2011年とか2013年とかけっこう前で、どういうつもりでこういうことをやっているのだろう、と想像したらげっそりするというか、心配になるような、暗い、じめっとした暗い気持ちになったあとにインスタを開いたら友達がハッシュタグを見る限り円城塔の小説の1ページらしいものを上げていてそこに「跋扈跳梁」とあったそれを跳梁と跋扈が逆になっている、というような感じの鉛筆の書き込みをした、その写真を、アップしていて、本当にないのかな跋扈跳梁、と思って調べたらあって、跳梁跋扈も跋扈跳梁もあるということが知れて、メッセンジャーを開いて「跋扈跳梁もあるみたいよ」と1年半ぶりくらいに連絡を取った。「え、まじー」と返ってきて、その隣の行の襞にもルビを振ってほしい、とあって、明石くんなら襞は読めるかと思ったと返すとググってばかりですよ。どうやってググるの、襞って難しそう、あ、「壁 衣」でいけた。iPhoneのキーボードに中国語手書きのやつを入れている、アジアの人も多いし。それは、便利そう、と思ってさっそく入れてみるとたしかに漢字をつくれて、それをコピペすればいいことになって「いいことを知った」と思った。挨拶なしに始まり挨拶なしに終わるそういうやり取りはよかった。次になにか接するのはいつになるだろう、飲みたくなった、岡山でいちばん親しくしていた友だちだった、彼と話してヘラヘラしている時間が好きだった。
帰って、寝ている遊ちゃんにさっそくその新知識を披露すると平倉圭。オフィスマウンテン、ものすごく見てみたい。たとえばこういうセリフ。「あるじは奥方に向かってお前とか、おいとか、まるで飼っている動物のように声を掛けたりすることもあるのに、あるじ、それで主人が家に朝からげつまでいるので私が今まで室内犬の犬が外でドッグすることにハウンドなりまして」「車イスだ車イスだ車イスだ車イスだ。腰椎あわれみのだ」「?え・・・?とここまでっていう?のは私のここまでのほし人生っていう意味ですくわ?」
山縣―すみません。シケモクがシケってて、結局ライターの火をじっと見て心がざわつくのをただやり過ごしているうちにどこからか陽気なそれでいてノスタルタルな歌が耳にいや全身にメタルしてちょっとボディソニック状態。あの歌は多々良さんのオリジナルなジュディ・オンググ?
[五秒沈黙。この間、松村は藤倉の尻から手を離し、替わって中野を背中から壁にくり返し押しつける]
松村―子供の頃の記憶にふっと意識が飛んでしまう事ってありゃしません?
[五秒沈黙。この間、松村は中野の背を激しく押して壁に打ちつけ続ける]
山縣―そう言われましても、こう見えてノンケなんで。でも若い頃ピースボートに憧れて小林カツ代さんの本を読み漁ったことが自分の恥部として未だにくすぐったいようなそれでいて現在進行系の自分のマインドもナウなのかなとも感じますね。[松村の脚の間を這ってくぐる]今短時間でかっこつけようなどと思ってしまった自分の卑しさも嫌いじゃありませんし。
[五秒沈黙。松村、中野の背から手を離す]
松村―子供の頃の記憶にふっと[山縣、両脚を床から持ち上げて飛ばす]意識が飛んでしまう事ってありゃしません?
山縣―再度チャンスをいただけてありがとうございます。もうオーディションは始まっているのですね。(…) 平倉圭『かたちは思考する』(東京大学出版会)p.314,315
読んでいるあいだじゅうゾクゾクするような感触がずっとあってどうも面白すぎるようだった。読み終わってしまった。布団に移って治。治を読んでいても、あ、そんなに読点行く、とか、あ、そんなに続けて事事言う、とか、言葉の使い方が新鮮で、体にちゃんと従っているような、どうかわからないけれど、そういう感じを受けると一挙に面白さが来る。行儀のいいものに触れている時間なんてない。
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##この週に読んだり買ったりした本
平倉圭『かたちは思考する』(東京大学出版会) https://amzn.to/31pp9YQ
太宰治『正義と微笑 』(ELVIS PRESS) https://artlabo.ocnk.net/product/6298
ミズモトアキラ『YURIKO TAIJUN HANA 武田百合子『富士日記』の4426日』(HERE I AM) https://www.akiramizumoto.info/category/column/fujinikkinikki/
箕輪麻紀子『ESCAPE』(ELVIS PRESS) https://artlabo.ocnk.net/product/6354
マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈5 第3篇〉ゲルマントのほう 2』( 井上究一郎訳、 筑摩書房) https://amzn.to/2v1ZyY0