読書日記(159)

2019.10.27
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##10月15日(火)  家を出ながら金木犀の香りを感じてくんかくんかしてどこだどこだと見回した、金木犀の近くにいたいというのは本当にあった、起きてからか寝ているときからか、デヴィッド・ボウイの「Space Oddity」が頭の中で流れていてこの曲は僕はベルトルッチだが『オーガ(ニ)ズム』のなにかがその記憶に触れたのか、と思ったが、そういえば『火星の人』ではなく、『オデッセイ』でも流れていたはずで、数日前に佐藤くんになにかを説明していたときに宇宙とかの、外と中をつなぐスペースの、そこでパン、みたいな、ということを話しながら『オデッセイ』をうっすら思い出していたそれが見させた夢かもしれなかった。佐藤くんに説明していたのではなくて台風の風の話をしていたときだった。それにしても台風は、「今度は関東の番ね」「今度は風の番ね」というのが事前の雰囲気だったと思っていたが結果として、関東だけにまったくとどまらなくてもっともっと広範囲だった、風ではなく雨だった。
マキノさんが来るまでに食事、炊飯、机拭きを済ませ、歯磨きをしながら掃除機を掛けていたらやってきたので「おはよう」と言った。春菊の和え物をこしらえてもらってにんじんしりしりも教えながらやってもらって、それからショートブレッドを焼いた、開店してしばらくしてやることもなくなって早々に出て、西新宿を北上した、パークハイアットのあたりを左折して十二社通りを北上した、このあたりは学生時代にスノボーであるとかに行く高速のバスの乗り場のあたりであの時分、新宿とあるけれどこれはいったいどこなんだ、と思いながらうろついた、そのあたりを勝手知った顔で自転車で走っていた、勝手知ったと思っていたが走っているそのところは初めて走るところだったらしく突然左にぽっかりと四角い、コロッセウム的な、コロッセウム的というのがどういうものなのか、さっぱりわからないが、石っぽい、広場が開けて、スケボーをする人たちや休む人たちがいた、その壁をよじ登って向こうに行けば公園のはずだった。
そのまま真っすぐ行って曲がってすぐのところに鍵屋さんがあって入って、前もここでつくったはずだがそのときはなにかテレビが置かれていて鍵屋さんに関わる防犯的なことを紹介する番組が流れていて面白かった、鍵が開かない、もしかして、大通りが近かったりしませんか? というそのアプローチ。と思って、なんだったか、と日記の中を検索してみたらあった、2017年の11月13日のことだった、大通りが近かったは間違っていないがこうだった、「もしかして、換気扇ずっとつけっぱなしにしていませんか?」だった、そのテレビがなかったから入ったときに違う店だろうかと思ったが同じ店だった、鍵を待つあいだパソコンを出して日記を書いていた、それは思いのほかにすぐにできて、また自転車に乗って、気持ちのいい天気だった、のびのびとした心地だった、ドトールに、今僕は「戻る」という動詞を使いそうになっていた、ドトールに、戻る、ドトールがすっかり居場所化しているのだろうか、ドトールに行くのもよかったがせっかくこちら側に来たので、というところで清水橋のカウンターパートコーヒーギャラリーに行くことにしてコーヒーをいただき、3階のソファの席に座った、なるほどこの狭さ、これは下北沢店の参考になるかもしれない、この狭さで、この感覚か、なるほど、大丈夫な気がしてきた、と思ってそれから音楽だった、下北沢はもしかしたらドローンやアンビエントにこだわる必要はないかもしれないというか、そういうものじゃないほうがいいかもしれない、と思った、もっと狭くなる、今よりは密集する、そのとき、音は皮膜のような役割を持ってもらいたい、そのとき、もっと軽快というのか飛び回る音のもののほうがもしかしたらいいかもしれない、情報がもっと多い音、というのか、ねんそう君のドローンを聞いていてむしろドローンは情報量がものすごく多い、全部が折り畳まれてここに入っている、という気がしたから情報がもっと多いという言葉は違ってとにかく初台とは違う考え方がされる必要があるかもしれない、と思った。それで、なにを使っているんだろうな、と天井からぶら下がっているスピーカーを見上げると、見たその瞬間になにかの不良が起こったのか音が止まって僕の視線が止めたみたいだった。
遊ちゃんにSlackで「記憶が組み替わる」と打とうとしたところ組み変わるを打ち間違え、それをバックスペースで消そうとしたら予測変換の右端を何回か押していたらしく、すると「記憶が義務変わるのはいいけどされても大丈夫かと。」というテキストが生成された、予測変換のところ押したらこうなった、と遊ちゃんに伝えたところ「予測変換のせいにすることよかったです、」と来て「それは良いのではないけどね〜」「怖いのである素敵だと営業の人しかいないようで。」「その話は別の意味深」「電車でニヤニヤとまらない限りある資源」「俺も今のところに! やばいねえこの遊びたいですねーっていうから。」というやり取りがおこなわれて遊ちゃんは電車の中で吹き出して、唇を噛んで笑いを押しとどめながら何度も咳をした、僕はコーヒー屋さんでニヤニヤニヤニヤ笑っていた。
原稿は少しだけ進んでよくわからなくなった。夕方に店に戻ってマキノさんに鍵を渡して、店はとてもゆっくりのようだった、よろしくお願いして家に戻った、家を出た。代官山にバスを使って行こうと思ってまず渋谷まで向かった、車内で阿部和重を読んでいて人の顔が吹き飛ばされていた、ふと顔を上げると見覚えのない建物がうっすらと光っていてホテルだろうか、なんだ、ここはどこだ、おかしい、と思ってしばらくしてそれが区役所だとわかる。現在のバスの方向を勘違いしていて、進行方向への先入観がそれを区役所だと見なさせることを妨げた。車内ではおばあちゃんふたりが横並びで話していて「犬の散歩がなかったら、私ほんとに歩けなくなってたと思う」と言ったから犬を飼っているのだなと知れて、そのすぐあとに同じ人が今度は「だからヨガ、ヨガ続けてなかったら、私ほんとに歩けなくなってたと思う」と言っていてヨガをやっているのか! と思った。この世代の人がヨガをやるということを僕はあまり考えたことがなかったのだろう、だから驚いた。その人は「俳句、最近は人の俳句を読むのが本当に好き」だった。昔は読めなかった、解説してよ、と思っていたが、今はそうじゃなくなった。
モヤイ像のところのバスターミナルで降りて反対の東口のバスターミナルに行った、調べると洗足駅行きのバスに乗ればいいらしいがそれがどこなのか、52番、それがどこなのか見当がつかなかった、人間に不釣り合いな大きさのスペースに警備員的な人が立っているのが見えたためそちらの方に向かって行きながら、すいません、と声を出すと、そこは僕が入っていい空間ではなかったらしく追い返すような手つきをされて、了解したからその手つきしなくていいよ、というつもりで両手を上げて了解了解と知らせるが追いやる手は変わらずに、立っていていい位置まで一緒に、追いやり、追いやられ、歩いた、それで、どこに行きたいんです、と言われて代官山です、52番の乗り場が知りたくて、と言うと代官山だったら向こうの、というようなことを言うから、洗足駅行きに乗ればいいって調べたら出てきて、だから52番の、と伝えると、52番だったらあっちだ、ヒカリエの、そこを上がって向こう側行ってあっちの、その先頭の、と教えてくれた。最初にどこに行きたいのかを問い、そしてオリジナルの回答をこしらえてくれたその工夫というのか、意志のようなもの、それに僕は感謝というか、うれしい気持ちを覚えた。
バスを待ちながら本を読み、バスに乗ってまた本を読んだ。
予定していた通りに6時で遊ちゃんとの待ち合わせが果たされてクリスマスカンパニーに行った、内沼家にマットレスのお礼をなにか、というところで先日お邪魔したときにクリスマスツリーがあったそれが印象に残っていて遊ちゃんはだからオーナメントを、ということでオーナメントを探すのにこんないい場所はないということでのクリスマスカンパニーで「364日クリスマスイブ」がメインコンセプトということで入ったら面白かった、クリスマスソングが掛かって全部がクリスマスで、これは、面白いというか、いい気分になるし、そしてまた、時間の感覚がバグるな、と思って愉快で、いろいろを眺めていた、二人が同時に気に入ったのは木のわりと大きなシックな色合いのサンタクロースのオーナメントでフェアというのか、それはCRAFT MAN/タケシ・サイトウによる作品群のひとつだった、これはいいね、として、そのあともいろいろを検討したところこれがやっぱりいいね、なんだか内沼さんみたいだしこれも本みたいだ、というところでそれにされて、遊ちゃんがクリスマスツリーを家にも置きたいというのは去年くらいからちらちらと聞こえてきたことだったがこうやってクリスマスに囲まれた場にいたら僕も俄然その気になって、我が家のツリーも買おうよ、と僕から言ったんだっけか、遊ちゃんが言ったんだっけか、と混ざって覚えがなくなる程度に僕もツリーを欲した、60センチのやつにして、ぶらぶらするサンタクロースの一群、みたいなオーナメントを買った。
ツリーが少しはみ出した袋を持って歩きながら、クリスマスツリーを一緒に買うって、なんだかすごく家族という感じあるねえ、と言い合って、遊ちゃんの歩みが遅くなったから「もしかしてお腹減ったりしてへろへろなの?」と聞くとそうだった。時間はしかしあんまりないだろう、と言って、というか今が何時だか確認したほうがいいくらいだよね、と言うと遊ちゃんが「当てるから」と言って6時46分と言って、僕は31分と言った、時間を見た、31分で、変な声が出た。蔦屋書店に入るのは久しぶりだった、1階のレジで伊藤亜紗と平倉圭の対談のチケットと『かたちは思考する』を買って遊ちゃんはチケットと『記憶する体』を買った、真ん中の雑誌のところに出ると人と目があって「あ」と思ったらかつて喧嘩別れした編集者の人で「会いたくない人に会っちゃったよ」と思って、建物に入ってすぐにレジカウンターに行くその動きから、同じトークイベントの客として来たことが推測されて一気にこわばった気持ちになった。筆者・編集者としての関係が最悪の形で終わってから顔を合わせたのは2年前くらいに代々木八幡駅の踏切のところで同じように目が合ったそのとき以来で、同じ表情でこちらを見ていたな、と思った、たぶん僕も同じ表情をしていた。
併設のファミマに行った空腹ヘロヘロの遊ちゃんが買っていたのはトマトジュースで、冷たいらしく、冷たい、と言いながら飲んでいた、少し時間があったので『新潮』の新しいやつと『ブルータス』の本屋特集を買って、それでイベント会場の上のフロアに向かった、入って、あ、あそこにいる、と思ってできるだけ離れて、座った。ほどなくして始まって僕は二人とも初めて見た。撮影や録音をしていいと事前にあって、話し始めて10分くらいだろうか、これは、ものすごくいい時間に、なりそうだ、と感じたらしくボイスメモを起動して録音を始めた。平倉さんの話し方も伊藤さんの話し方も心地のいい音楽みたいで、真剣に演奏される音楽みたいで、人が、真剣に、話している、その光景に僕はやたらと感動してしまって長いあいだ涙をこらえるのに必死だった。涙をこらえながら、きっと僕はSNSというかツイッターで日々目の当たりにするまったく真剣じゃないクソみたいな唾棄以外できない礫のような泥団子のようなたくさんの言葉に傷ついていたし不安になっていたし元気を吸い取られていたんだなと思って目の前の二人は手探りで、わかろうとというか、真剣に相手を尊重するというか、それを全力でやっているように見えてこんな人たちがいてくれることが嬉しくてありがたくて助かってしかたがないらしかった。元気が出るというのは大事ですよ、と伊藤さんが言った。大いに元気をもらっていた僕はその言葉は本当にそうで元気が出るというのは大事だった。ずっと、あまりにいい時間で、よすぎる、と思って、終わらないで、と思いながら、聞いていた。
終わった瞬間にこわばった気持ちがやってきて逃げるように出て、逃げるように、すぐに下には行かずにアンジンを抜けて別の棟から下に出て、よほど顔を合わせたくないらしかった、歩くのもいいんじゃないか、お散歩はいいんじゃないか、と思って遊ちゃんに、歩こうよ、ビールでも飲みながら、と提案してそうすることにした、このときの僕はきっとぎこちないこわばった顔をしていた。ビールを開けて、乾杯をして、歩き出してから、いやあ、楽しかった、よかった、ずっと泣きそうだった、と言ったら遊ちゃんは何度かはっきりと泣いたらしくてよかったよねえと言い合った。人が真剣に話しているのがとにかく尊かった、みたいなことを言おうとして「人が真剣に話して」くらいまで言ったら次に声を出したら涙が溢れて嗚咽かなにかに変わりそうな気がして、止めた、風が冷たく吹いていて歩き続けるのは難しいように感じた。いつもは通るとしたら自転車で通る道を歩いていると、それまで知らなかった建物ばかりで、こんなふうに見えるんだな、と、大使館であるとかのいくつも並ぶ通りを歩きながら目が面白がっていた。
歩いていたら風が寒くてこれはずっと歩いていられる気候じゃないと思って諦めて、折れて渋谷駅に向かった、バスに乗った。夕ご飯は按田餃子に行こうと決めていて行った、10時を過ぎていた、着いたらこの時間でも混んでいるらしく一人待っている方があった、その方が通されて、すぐに扉が開けられて「相席になるけれども」ということで「むしろいいんですか」とか言いながら入れてもらった、さっきの方との相席で、僕は今日は麻婆豆腐の定食にして遊ちゃんはラゲーライスの定食にした、きくらげのおかずと餃子をひとつ頼んだ、相席の方はシュワシュワ梅酒と同じきくらげのやつと餃子をひとつと一杯麺みたいな名前だったか、たぶん小さなどんぶりの麺の食べ物を頼んでいて、それを聞きながら「いいオーダーだなあ!」と思った、おいしいおいしいと言いながら食べていたら前の女性が帰っていってどれも残していて、「うわあ」と思ったら遊ちゃんはちらちら見ていたらしく途中途中でうとうとと眠っていたらしかった、めちゃくちゃ疲れてたんだね、と言って、事前にコミュニケーションが発生していたら餃子とかもらえたね、と貧乏性なことを思ったし言った。
午後11時3分、私邸着。洗濯物を畳み、シャワー。冷蔵庫が水漏れ。けっこうな量。買い替え時なのか。それから飲酒と読書。650ページとか。佳境。ひたすら面白い。
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##この週に読んだり買ったりした本
阿部和重『オーガ(ニ)ズム』(文藝春秋)https://amzn.to/2LZu7qI
宇田川元一『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパブリッシング)https://amzn.to/35jnkzG
平倉圭『かたちは思考する』(東京大学出版会)https://amzn.to/31pp9YQ
『BRUTUS 2019年11月1日号 No.903[本屋好き。]』(マガジンハウス)https://amzn.to/33E8hib
『新潮 2019年 11月号』(新潮社)https://amzn.to/2qifshU