読書日記(149)

2019.08.18
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##8月8日(木)  10時間くらい眠って、起きてもまだ眠かった、いつまでも眠っていたくて、そう思いながら、起きた。
店に少し早めに着いて、しかし急いでしないといけない仕込みというのは、意想外なことに、なくて、日記を書いたりアイスコーヒーを飲んだりしていた。起きたときにふと、iPadを俺もほしいかも、ということを思って、原稿を読み直すときにiPadというか、スタイラスというのかタッチペンというのか、それがあると便利というか、読んでいる原稿に直接文字であるとかを書き込んでしまったほうがずっと楽で、というか、そうじゃないとどう読んだらいいのかがけっこうわからないと思って、PDFで読んで、「お」と思ったらエディタに戻って当該箇所を探して修正する、みたいなのは不便で、というか、誤字の修正だけであればそれでいいけれど「ここからここまで要再考」みたいなものは、赤ペンでだーっと範囲を指示するのが一番で、それはエディタ上でその場でどう、ということではないから、だからPDFと直接戯れられる形が望ましくて、今のように遊ちゃんから借りるのもいいけれども、遊ちゃんだって仕事で使うわけでいつも借りられるわけではないわけだから、だから、iPadをほしい気が朝起きたとき、した。とりあえず今日はまた借りようと、借りていいか聞いたところ、今度カンナちゃんとディズニーシーに行くことにしたらしくて、笑った。
暑くて、最低限のことしかやらない、という感じで日々が続いている。暑さであるとかで、できるだけ動かず、できるだけ動かず、というふうになっている。
山口くんが来て、自転車を停めている、いつもは中に入ってきて、それでなにかが収まってから、外に出て、引き継ぎであるとかをするけれど、今日は「よくわからない勢いの人」という役柄を演じたくなったらしく彼が中に入ってくるのを待たずにiPadを持ってずんずんと外に出て、「来ちゃった」と気持ち悪いことを言った、僕の役柄はたぶん伝わらず、それで暑いねえと言いながら、扉の外のところは特に暑くて、風も通らない、全部がこもる。昨日だるいことが起こったらしく、その話を聞いたりしていた。それで、出た。
家に帰ると遊ちゃんが仕事をしていて、僕はソファに座った、半日店にいただけ、という感じだったがぐったり疲れた感じがあり、眠くなった、少し眠りたい、少しだけ眠りたい、と思って、このあと、本屋に行って、それからラジオをやって、原稿をやる、ということを組み立てた時に、眠る時間なんてあるのだろうか、と思った、それを考えていたら時間が過ぎていき、あ、先に眠っていれば今頃、と何度か思ったが仕方がなかった。遊ちゃんは遊ちゃんで今日の動きを迷っていて蔦屋書店で千葉雅也とミヤギフトシのトークイベントがあって行きたいのだがやることはいろいろあるのだがどうしようか、と言っていた。阿久津くんにも千葉雅也が話すところを一度見てもらいたい、と言っていて笑った。先日見に行ったアンスティチュ・フランセのトークが、とてもよかったらしかった、僕も興味はあったが今日は無理だった、僕はまだ迷っていた、丸善ジュンク堂に行って買おうと思っているのは『新潮』のあたらしいやつと福利厚生本の東欧のなにかで、それ以外は今日は、買っちゃいけない、積まれすぎている、という感じがあり、だから明確にピンポイント購入だった、そんな買い物、アマゾンでいいんじゃない? という気があると同時にしかし、今日これで本屋にも行かずにまたひたすらカタカタするだけで残りの時間を過ごすとか、彩りがなさすぎるんじゃないか、本屋という場所に短時間でも入ることに意味があるのではないか、しかし行かなければ40分は時間を獲得できる、しかし、しかし、眠い、僕は15分だけ、体を横たえて目を閉じているだけでなにか変わるところはあるのではないか、このうち5分だけでも眠ったら、頭がすっきりするんじゃないかと、そう思って、そう言って、寝た。次第に目の前に広がっている青空がぐるぐると回り始めた。飛行機というのか小さい飛行機というのか、小回りのきく小さい飛行機のビューというのか、映画とかでしか知らないビュー、それでぐるぐると回って回って、回るぶんぶんいう音が大きくなっていって、大きくなって大きくなって、ふっ、と画面が切り替わって住宅街の家々に挟まれた道で小学生たちが大縄跳びをしていた。その次に田舎の小さな小さな駅で、渓谷の上にあるような感じで下を見るとどこまでもなにもなくて木々のてっぺんや細く流れる川があるように、感じる、そういう駅のホームではなく線路を、さっきと同じ子どもたちだろうか、走っていて、その背中を見ていた、それからさっきと同じような、轟音。遊ちゃんの声で目が覚めて、たくさん夢を見た、と言った。すごい、と言われたので、すごいでしょう、と言った。頭はいくぶんすっきりして狙い通りだった、遊ちゃんも決めたらしく代官山に行くということだった、『新潮』を持っていくかどうか迷っていて、え、持っていったらいいじゃん、と言うと、気づかれたら恥ずかしい、というようなことを言って、いやいや、みんなというか、普通に、持ってるよ、と言って、持っていくことにしたらしくかばんに入れた。一緒に出て、楽しんできてね、と言って別れた。 僕は山手通り、松濤、と自転車を進めた、走りながらふと、本の鮮度のことを思った、ここのところ、出たばかりの本を買う、という機会が多くなっている気がしていて、そうじゃないのはほとんど文化人類学系の立て続けに買った3冊くらいで、あとはほとんど、出たばかりのものばかりなんじゃないかと思って、その、鮮度、新鮮さ、それで本を欲望することは僕の読書にとってどれだけ意味というか愉快な欲望になっているのだろう、社会とともにというか漠然とした他者とともに欲望しているというか他者の欲望を欲望しているだけに見事になっているんじゃないか、というような気がふとしてもっとひとりで本を読みたいというか僕が読みたい本はもっとひとりで読む本であることのほうがこれまで多かったような気がして、最近のこれはなんだろうな、と思った。一人称単数で読む。一人称単数で話す。僕は国民でも住民でもなく、なくというかその前に、僕で、そのことを手放したらあいつらと変わらなくなるぞ、と思った。坂をくだって東急百貨店に続く平らな一本道になる直前、カーブのところで、カフェみたいなものがあったところが「For Rent」になっていた。一方で、というか、ここのところ出たばかりの本を手に取っているひとつの原因というか理由もなんとなく想像がつくところがあって自分がいま本をつくりつつあるというのはあって、本とは、どういうふうに書かれているものなんだろう、ここのところ出ている本とは、というそういう、ことを知りたい、見てみたい、そういうのは、も、あるだろう。
本屋は混んでいてレジに列ができていた、それを見ながら進んで、文芸誌のところで『新潮』を取って、それから海外文学のところに行って『アカシアは花咲く』を取った、一切知らない本だなと思って奥付を見ると去年の暮れに出たものだから古いわけではなくて、松籟社、山口くんはこの本をなにで知って、どうして読みたく思ったのかな、と思って、これはいつも聞いていることだけれども、特に聞いてみたいと自然に思うそういうチョイスだった。東欧のその本のあった棚はラテンアメリカ文学の棚の並びで、ラテンアメリカの調子はどうかなといつも見るわけだけど、今日は目新しいものは見えなかったが、面陳列されている数冊のうちのふたつがボラーニョの『野生の探偵たち』の上下で、なんでだろう、と思って、まさか増刷でも掛かったのかな、と奥付を見るとそういうわけではなくて、だからただの担当者のプッシュなのだろうと思うと、感動した。
それから本の本みたいな、それは『読書の日記』も置かれているところで、見ると、『読書の日記』もまだ面陳列してもらえていて、そしてその冊数は増えているように見えて、ほう、と思った。そこで、平野さんからのメールで言及されていて、ちょっとどういう様子なのか知っておこう、と思った『本屋、はじめました』をペラペラとした、ペラペラしていたら、買いたくなったが、ぐっとこらえた。
レジに、だから2冊だけを持って、向かいながら、あたらしい『Number』とかないかな、なにか、野球、と思って雑誌のところを見ようとするとコミック棚に変わっていて、そういえば入れ替えがどうというのを前に行ったときに見かけた。こうなったのか。たしかにこれまで、コミック棚は僕はどこにあるのかも知らないくらいにたぶん奥の方だったはずだから、もう少しアクセスのいい場所にするのは自然に思えた。『Number』は見当たらなくて、『BRUTUS』は見当たった、「ことば、の答え。」という特集で、言葉に興味がある者のため、買った。トイレ用だった。
レジは相変わらず混んでいて列になっていて、これは夏休みだからなのだろうか、というのは近くに「わんぱく」という感じの男の子ふたりが遊んでいたからだったが、夏休みだからなのだろうか、だからなのだとしたら、うれしいことのように思った。まだ、人は、本屋に用事があるんだな、というような。
エレベーターで、鈍い色になった空や光が明滅する町を見下ろしながら、吸い込まれるように下方へ、下方へ、行った。エレベーターの運動すらももしかしたら僕にはけっこう新鮮で、乗ることも、こうやって丸善ジュンク堂に行くときくらいで、他にはあまりないから、新鮮なことなのかもしれない、と思った。外に出るとむあっとした暑さが全身にぴったり貼り付いた、神山町の通りを走っていると、半地下の、カフェみたいなものがあったように記憶しているところががらんどうになっていた、その先か手前がDAZNの、スポーツ観戦ができる広々としたバーみたいなところで、画面には巨人と中日の試合が映し出されていた、野球を見ながらビールを飲めるというのはいいことだから、いつか僕も行ってみる日が来るだろうか、武田さんを誘ってみようか。
ドトールに着くと窓際の席が空いていたので喜び勇みながら座り、左がパソコン作業者、右が産休制度の使い方であるとかに一家言がある中高年サラリーマン男性二人組で、一家言というか文句だった、使うのはもちろんいいんですよ、どうぞどうぞ、権利だからさ、でも使い方というか、わきまえないといけないことはあるじゃないですか、それをせずに権利だ権利だって、それって筋は通っていますかっていうさ、ま、大きな声では言えないけどね。時代の流れと自分の感覚が乖離していく感覚というのはどういうものなのだろうか、脅かされているような気になっていくのだろうか。
パソコンを出してまずラジオ活動をして、終わると、パソコンをしまってiPadを出して、原稿の読み直しに取り組んだ、2時間ほどやっていただろうか、疲れた、iPadは便利だった。閉店時間になって、どうしようか、ご飯も食べていないし本も読みたいし、でも赤入れをした原稿の反映作業もしちゃったほうが気持ちがいいよな、と迷い、外に出ると、見慣れた背中があって好きな人が歩いていた。近づいて「すいません」と声をかけると驚いた顔で遊ちゃんは振り向いて「歌ってたからびっくりした、歌ってるの聞こえた?」と言った。トークはとても面白かったらしく、ずっと書くことについて話されていた、行為を積み重ねること、日記、『新潮』の「リレー日記」が小説に向かうきっかけのひとつになったということだった、なんだか聞いてみたい話だった。サインをしてもらった、と言って、質問もしちゃった、と言った。めいっぱい楽しんできたなあとニコニコして、なにを聞いたのかを聞いたところ、どうやって終わらせるのか、ということだった。千葉雅也の答えは、それはとても難しい問題で、というところで、締切とか文字数とかから逆算して強制的に終了させちゃう、みたいな感じで、ミヤギフトシは、いろいろ集めていくと落ち着いていく、みたいなことだった、又聞き、不確か。サインは、『新潮』の開いたところにしてもらったらしく、見させてもらうと、サインらしいサインだった。持っていってよかったね。
僕は夕飯を、どうしよう、と思いながらビールを飲み始めて、とりあえず原稿を修正することにして、目の前にパソコン、その右にiPadのデュアルディスプレイ方式で、赤入れしたところをInDesign上で直していった。僕はInDesignで書く気なのだろうか。半分くらいの量をそれをやるともう、疲れて、もういいや、と思っておしまいにした。今日の夕飯はビールとナッツだった。いい人、本当にいい人、と遊ちゃんは言った。わたし千葉雅也とお友だちになりたいんだってわかったの、と遊ちゃんは言った。本当に優しい人だと思う、と言ったところで僕はそれがツボに入って、15秒くらい小刻みな声で笑い続けて、遊ちゃんも同じくらい笑っていた。
それで僕はだから仕事は今日はおしまいにして、11時過ぎだった、買ってきた『新潮』を開いて千葉雅也を読み始めた、暗がりの中で人の体が連動し運動している様子から小説は始まって、冒頭だけ山口くんから借りて、というか置いてあったのを勝手に開いただけだが冒頭だけ読んだ『プラータナー』の感触に近いような、夜、液、の感触があってまたどうしてだかギャスパー・ノエの『アレックス』が思い出された。
最初に提示されたその暗い湿度の高いなにかの渦巻くその映像から惹きつけられて、それは低く重い音がごごごごごと鳴っている感じで、それが高まって高まって、スパッ、と切れて静寂が訪れて、という感じで、うわあ、と思いながら読んでいたら「この量なら人間の野グソかもな、と思う。」のあとの「今朝、ドトールでジャーマンドックを食べている最中に舌の脇を噛んだ。食べている最中に頭の中でしゃべると、舌を噛んでしまう。食べる運動としゃべる運動が衝突するから。」というパラグラフでなんだか一気に持っていかれた。ずっとただただ面白くて、読み応えみたいなものだけがずっと連なっているような感覚になり、ページはどんどん折られた。
環七の広い道が、まだ何の形も成していない無垢の金属のようにどんどん伸びていく。郊外の店の明かりが次々に通り過ぎ、いつの間にか僕たちの車は、緩やかな長い坂を下り始めている。加速を抑え、できるだけ一定のスピードで。すり鉢状の空間の中心へはまり込んでいくように滑って行き、その一番底のところを通過した直後、僕は急ブレーキをかけ、路肩に車を停めた。
ハザードがカチカチと鳴っている。
「赤信号だったよ」
うそ? とKは後ろを振り返りながら言う。
信号無視だった。たぶん赤い光を見た。見たが、通り過ぎている。一瞬で。免許を取って、初めて経験する信号無視だった。どの方向にも他の車が見えず、まるで僕たちしか存在しない夜の中心部をまっすぐに通過したみたいだった。 千葉雅也「デッドライン」『新潮 2019年 09月号』(新潮社)p.16
去年の夏の濱口竜介特集の『ユリイカ』で書かれていた文章を思い出して、ドキドキした。
用紙のダンボール箱が積まれた一角でA3の束を持ち上げるときに、先週、知子は指を切ってしまった。暑さ4センチほどの束からはみ出ていた紙の端が、スッと右の人差し指の付け根に当たって、高い音が鳴るように痛みが走った。
だから今週は、ひじょうに慎重に、指の内側が決して紙束の端に当たらないようにと手を膨らませて包み込むように持った。そのときに、今度は肘のあたりが、開封されたダンボール箱の縁に当たって擦れたので、焦ってそこを見ると、切れてはいない。だが、気を取り直して紙束を持ち上げるときに、底の方の紙が腕首に当たって、痛みが走った。あれほど気をつけていたのに、むしろ気をつけていたからこそ、また切ってしまったのだった。無言のうちに告げられていた予言が、まさにその通りに実現されたかのように。 同前 p.20
際限なく面白くて、なにがこんなにというか、なにをこんなに面白がっているのだろうか、僕のなにが反応してこうなっているのだろうか、わからなかったしそろそろ寝ないとと思い布団に入りながら、めちゃくちゃ面白いね、と遊ちゃんに言った。久我山に住んでいたのかなあ、と遊ちゃんは言った。2年前まで遊ちゃんが住んでいた町だった。
昨日に続いて『欲望会議』を少し読み、寝。
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##この週に読んだり買ったりした本
綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)https://amzn.to/2K07q4M
千葉雅也、二村ヒトシ、柴田英里『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』(KADOKAWA)https://amzn.to/2ZKJDLq
千葉雅也「デッドライン」『新潮 2019年 09月号』(新潮社)https://amzn.to/2yNZQ6K
『BRUTUS 2019年 8月15日号 No.898 [ことば、の答え。]』(マガジンハウス)https://amzn.to/2YXFanD
マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈5 第3篇〉ゲルマントのほう 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)https://amzn.to/2v1ZyY0