今日の一冊

2019.06.25
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####アルベール・カミュ『カミュの手帖〈第1〉太陽の讃歌1935-1942』(新潮社)
2017年6月26日
カミュは1913年生まれということだから22歳ということだった。「太陽の讃歌」というだけあってとても太陽を讃えている感じがある。おそろしいほどキラキラとしている。
五月十六日
長い散歩。丘とその向こうに見える海、そして柔らかな太陽。灌木の茂みには白い野バラが咲いている。紫色の花びらをつけたいかにも甘ったるい大輪の花。帰りもまた同じ道だ。女たちのやさしい愛情。若い女たちの厳かな微笑する顔。微笑、冗談、そしてさまざまな計画。ふたたび遊戯の世界に帰ってゆく。そこでは、みんな少しも信じていないのにうわべだけの見せかけに微笑み、それにならっているふりをしている。調子を合わせぬことは許されない。ぼくは、あらゆる仕種で世界に密着し、あらゆる感謝の念で人間たちに密着している。さきほどの雨の名残りで、太陽に照らされ、もやが立ちのぼるのが丘の高みから眺められた。たとえ森をよぎって下ってゆこうと、この綿のようなもやのなかを進んでゆこうと、太陽はいつも頭上にすぐそれとわかり、この奇蹟にみちた日に、樹々はくっきりとその輪郭を描いていた。信頼と友情、太陽と白い家々、ほとんど聞きとりがたい微妙な抑揚。噫ああ! 完全無欠なぼくの幸福感はすでに流れだし、夕べの憂愁のなかで、ただ乙女の微笑みと、あるいは理解されたことを知る友情の利口そうな眼差しだけをぼくにゆだねてくれるのだ。
アルベール・カミュ『カミュの手帖〈第1〉太陽の讃歌1935-1942』p.22,23
短い時間電車に乗りながら本を開いているそのときが僕は好きだ。夜の電車はいい。酔っ払った人、疲れた人、悲しんでいる人、いいことがあった人、これから恋人の家に向かう人、あるいはどこかに遊びに出ようとしている人、いろいろな人がいるなかで少しのあいだ本を開いている、そういう時間が好きで、カミュを読んでいた。
三七年八月
数年前から、ぼくは、政治家の演説を聞いたりわれわれを指導する彼らの談話を読むたびに、そこに人間的な声がなにも聞かれぬことにおどろかされる。彼らは相も変らぬ言葉でいつも同じ嘘をついている。そして、たとえ人びとがそれに甘んじ、人民の怒りがいまだそうした操り人形を打ち壊さぬにせよ、そこにぼくは、彼らが政治にいかなる重要性も与えていないことの、また彼らが、生活や彼らのいわゆる根本的な利害の一部をもてあそんでいることの——そうだ、たしかにもてあそんでいるのだ——証を見るような気がする。
同前 p.47
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