####友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』
2018年6月19日
もう夕方になっていた。コーヒーを淹れて、昨日買った友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』を読み始めた。これはなんというか憧れるような企てというか、僕も一時期、いくつかのことに触発されて「『若い藝術家の肖像』を読む」というなんか読み続けるやつをやろうとしたけれどもつまらなくなって頓挫した、それが最後まで貫かれたきっとそういう本だった。冒険小説を読み出す前みたいななんかワクワクした感じがある。
店。ひきちゃんとバトンタッチをして、働く。悪くない感じの日だったが、9時になる前に誰もいなくなった、笑った。日本代表の試合がある夜だった、9時から。その影響なんてうちにあるの? と思ったが、その影響であってほしかった。仕方がないので僕もサッカーを見ながら、いんげんを茹でたりドリップバッグを作ったりして暮らした、サッカーは、面白かった。そのまま閉店した。
寝る前、『『百年の孤独』〜』。どうしたって、『百年の孤独』を読みたくなる。それから、途中でよしながふみの『きのう何食べた?』への言及があって、読みたくなった。
作品の初期段階ではふたりの価値観にズレがあり、それらが露呈するたびに大きな衝突が起こった。そこにあるのは、ふたりであるという孤独だ。そして、価値観の違いを埋めることは容易ではないが、代わりに傷つけてしまった相手に料理を作ることでかろうじてバランスを取っていた。ところが、7年後の第9巻では、信頼関係を築き、互いの抱えている問題や異なる価値観を理解し、相手の身になって考える余裕が生まれている。ふたりであることで生じる問題は変わらないが、まわりには家族以外のコミュニティが形成されており、それが少しずつ孤独を癒してくれている。ドラマとして考えれば、当初の一触即発の状況の方が面白いかもしれないが、大事には至らないいまの方が読んでいて心地よく感じるのは私だけではないだろう。
友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』p.29
大事には至らないいまの方が、読んでいて心地よく感じる、というところが、なんだかよかった。僕もそっちの方がいい、と思った。そういうものに触れたいというか、そういうもののなかにいたい。
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