読書日記(140)

2019.06.16
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メールマガジン「読書日記/フヅクエラジオ」 | fuzkue
##6月7日(金)  目が覚めるとまだ暗く、水を飲むため立ち上がり時間を見ると5時前だった、ずいぶんすっきりした感じがあった、これはもうあんまり要らないなと思い8時にアラームを掛けた、なかなか寝付けなくなって、遊ちゃんも起きたり寝たりしていたので「魔性の女っていうのを聞きたくなかったんだよね、というか、」というようなことを言っていた、というか、そもそも、いや、
なにを言っても同じ穴に入り込みそうで、しかしそれにしたってさ、だって、いや
失礼にもほどがあるし貧しいにもほどがある、30代の女性がかつていくつかの恋をしてきたなんていくらでもあることで、それにそういうつまらない安い退屈な想像力ゼロの愚かなラベルを貼ろうとする態度はかつていくつかの恋をしてきた30代の女性全員を愚弄している、人間全体を愚弄している、と、布団の中で憤っていた、そうしたらまた寝た、8時にアラームが鳴ったものの起きる気が起きず、布団を出るのがもったいない気持ちになって「もったいない、もったいない」と連呼していた。そうしたらいつもと同じ時間まで寝ることになった。今日は雨が降るらしい。
そそくさと家を出て店に行き、お腹が痛かった、昨日刺激物を摂取しすぎた感じがあってお腹が弱ったらしかった、トイレにいた、それから日記を途中まで書いて、暑いような寒いような調子だった、気持ちが上がらず、やっぱり休みの日の次の日は休みたいな、と思って、思ってから、先週「僕が明日フヅクエで働くのダルいなと思うことってまったくないというか身に覚えがないくらいにない」と書いたけれどたちまち「本当かな?」と思うようだった、しかしそれは嘘偽りはないような気は実際にした、明日が仕事、ということでダルい、ということはないような気がする。未来を思ってそう思うことはないような気がする。あるのは現在を眼差しながら、ダルいな、すごく体が重いし気持ちも張りがないしダルいな、というそういうことはいくらでもある、ということだった。 雨が降り始めて、開けても誰も入ってこなかった。雨との関係は定かではなかった。
気持ちが塞ぐ。昼間から薄暗いのは苦手。気持ちが薄暗くなる。 長いメールを一本送ったらやることがなくなった。千葉雅也を読んでいた。アメリカ。
このごった煮のアメリカはノスタルジーの対象になるものではないと思う。日本に帰ったらアメリカを懐かしく思い出すにしても、だがそれは、懐かしさなのだろうか。奇妙な時間がここにはある。時間自体がごた混ぜになっている。それを懐かしく思うというのはどういうことなのだろう。
アメリカでは、あまりにも多くのノスタルジーが共存し、撹拌されている。
ケンブリッジの住宅地の道を、何も考えないで家に帰るために歩く。そのまっすぐさ。あまりにも多いコンテクストが並立している時空を、ただたんなる必要のためにまっすぐに歩く。そのまっすぐさ。 千葉雅也『アメリカ紀行』(文藝春秋)p.173,174
日本。
駅でカフェに入る。店員の対応が異様なまでに丁寧で、動作と言葉をいちいち観察してしまう。彼らは儀式をしている。何か畏れ多いものを鎮めようとしているかのように。
日本の「おもてなし」は、他人への思いやりというようなものじゃない。他人とは、下手をすると荒れ狂う自然であり、それを鎮めるために絶えず儀式が必要なのだ。地鎮祭。自然への畏れとしてのサービス過剰。これは西洋的な意味での人の尊厳を大事にすることとは違う。お客様、自然、天皇。
空疎で事細かな書類を作るのも、自然の猛威を鎮めるためだ。
日本においてサービスとは祭祀である。コンビニ店員の事細かなマニュアル対応は、最高位の儀礼主体としての天皇とつながっている。 同前 p.179,180
そのあと「何という驚くべき無論理、無倫理だろうか。主体に何の責任もないことをお詫びしている。非人称的な出来事へのお詫び。ここにはIもyouもない」とあってビシビシいい。
ビシビシいいが、気持ちがすぐれない、暗い、今日も暇、これで一週間全部暇だったことになる、そのせい? あるいは体調がぼんやり悪いから? おかしい。
店を手放す日が来たりってするのかな、というようなことを考えながら、暗澹たる気持ちで、立ったり座ったりしている。夕方くらいはフヅクエはやっぱり立派だなあ、と感心していたのに、夜にはそんなことを考えている。手放す、と言ったけれど、追放される、だってあるだろう。
『ユリイカ』を開く。アマゾンの日本法人の方のやつ。面白い。面白いのだけど、これに限らず、けっこう何度も誤字というか「なんかおかしくない?」というのが目につく気がする。気になる。ダウナーが続く。
やる気なし。「今日も読書」は、今日というか明日でパタッと止まる。3月10日くらいからだったか、どうしてだか意地みたいに毎日更新を続けてきたそれがとうとう、無理してやるの無理、というか無理してやる意義が見えなくなったというか無理できなくなった、というところに行ったというかなんでだかポキっと折れて明日は無更新。過去日記があるところとプラスちょっとだけでいいような気になった、というか、買った本のことを書こうと思っても買った本のことなんてやっぱり大して書くことがないというか、大して書くことがない買った本について書くのとかやっぱり意味がないというか、大して書くことがないというのはその本に価値がないということではいささかもなくて「いや、ただ読みたかったからさ」くらいしかないということでそれは『台風一過』にしても『アメリカ紀行』にしても『往復書簡』にしてもそうでそこに言葉を絞り出す価値がないというかむしろ、不健全な、なにかであるような気に、なった、植本一子のやつを書こうかと思って過去作の日記の引用をいくつか取ってきたけれど、いや、それだけならできるし、いや、それだけこそがもっとも正しい「読みたい理由」になっている。そこに言葉を付け足すことが間違っている。と今は思う。と思ったら明日は引用のみでいいや、ということで明日は続く。明後日は過去日記でフラナガンがある。そこで3日くらい止まる、ということでもういいや、という気になった。
千葉雅也をもう一度頭から読み出す。教会の場面から始まったのだった。「お決まりの儀礼にすぎないのだろうか。ここには十分に本気があると感じる」。極めて魅力的。
万全。承前。豊前。
漫然。悄然。憮然。
それぞれ、そうしたい変換が最初に出てこなくてイライラした果てに笑った。雨は上がった。帰った。元気がないままだった。デニス・ジョンソンを読んだ。途中、没頭して、その中にいて、その外に出たときに中にいたことに気がついて、ああ、小説はいいなあ、と思った。
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又吉直樹、武田砂鉄『往復書簡 無目的な思索の応答』(朝日出版社)https://amzn.to/30PGquZ
『ユリイカ 2019年6月臨時増刊号 総特集 書店の未来』(青土社)https://amzn.to/2I3sPYz
千葉雅也『アメリカ紀行』(文藝春秋)https://amzn.to/2I5mxaL
マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈5 第3篇〉ゲルマントのほう 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)https://amzn.to/2v1ZyY0
デニス・ジョンソン『海の乙女の惜しみなさ』(藤井光訳、白水社)https://amzn.to/2HzaTF0
千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(文藝春秋)https://amzn.to/2WC33Vo