今日の一冊

2019.06.06
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####デニス・ジョンソン『海の乙女の惜しみなさ』(藤井光訳、白水社)
『煙の樹』が好きで、
「心理作戦。あんたと同じく。あのトンネルを心理的精神的拷問ゾーンに変えちまおうってわけ(…)クーチー地区のそこらじゅうにあるベトコンのトンネルだよ。俺は考えてるんだ。無臭性の精神作用剤とか、スコポラミンとか、LSDあたりをさ。トンネル網をそいつで満たしちまう。あのクソ野郎ども、一線越えた脳味噌で穴って穴から出てくるぜ(…)心理作戦っていうのは尋常じゃない思考がキモなんだよ。アイデアが破裂しちまうギリギリのとこまで膨らますわけ。俺たちは現実そのものの切っ先にいるんだ。現実が夢になるまさにその場所だ」
デニス・ジョンソン『煙の樹』(藤井光訳、白水社)p.201
『煙の樹』がとても好きで、
イカレ中尉は、一メートル離れたところでデズモンド・デッカーのカリブのリズムに合わせて踊っているゴーゴーダンサーの膝元に夢中になっているようで、ストーム軍曹が彼の耳に大声で叫んでいた。「こいつに勝とうが負けようがクソほどでもねえよ。俺たちは後ゴミ期に生きてんだ。マジで短い十億年になるぜ。エクトプラズムの回路んとこじゃさ、人類のリーダーたちは知らず知らずのうちにお互いとも大衆ともつながってんだよ、そこじゃもう世界規模で満場一致で、この惑星を捨てて新しいのに乗り換えようって決定が出てんだ。この扉を閉めたら別んとこが開くってな」中尉には聞こえていないようだった。
同前 p.207
分厚い、
ジェームズに分かる限りでは、ハンソンも入れて六人の兵士が、斜面のすぐ上の茂みに腹這いになっていた。
下の山への爆撃が一段落したとき、ハンソンは静かに口を開いた。グリーンでのパッティングという、緊迫した場面を中継するアナウンサーのような口調だった。「ハンソンは姿勢を低くする。ハンソンは背筋を汗が伝うのを感じる。ハンソンの親指は安全装置にかかってる。指は引き金にかかってる。もし来たら、心底やられたって敵は思うことになる。ハンソンは奴らの顔を吹っ飛ばす。ハンソンの指はクリちゃんみたいに引き金を舐める。ハンソンはアソコみたいに銃を愛してる。ハンソンは家に帰りたい。ハンソンは清潔なシーツの匂いを嗅ぎたい。アラバマのシーツだ。ベトナムの臭いやつじゃない」
誰もハンソンの相手をしなかった。敵は殺し屋で、自分たちはほんの子供にすぎず、もう死んだのだ、と誰もが分かっていた。この瞬間のことが理解できて、この瞬間を生き延びれるような口調でハンソンが喋っていることを、皆がありがたく思っていた。
同前 p.305
2段組で600ページ以上もあるこの分厚い小説がとても好きで、
ハーモン曹長が後ろにやってきた。下で着弾したロケット弾の、突然神々しい光の中、背筋を伸ばして歩いてきて、助かったんだ、と兵士たちは思った。(…)
「(…)俺についてこい。明るくなったら伏せて前を見ろ。暗くなったら見えてた所に動くんだ」彼はかがみ、ジェームズの肩に触れた。「呼吸が深すぎるぞ。鼻から浅く息をしろ、そうすれば大丈夫だ。こういう状況では過呼吸になるな。手や指が痙攣する」
「オーケー」とジェームズは言ったが、何のことなのか分からなかった。
「行くぞ!」と曹長は言って、出ていった。ゆらめく光の煙を引いた照明弾が谷の上空を漂い、煙から離れ、ゆらゆらと落ちていく。煙っぽい薄明かりで、ジェームズは移動しながら自分の足を見ることができた。前進している限り、殺されることはなかった。(…)
彼の周りの茂みの至るところを、銃弾がチュンチュンとかすめていった。誰かがやられ、泣き叫び、止むことなく喚いていた。すぐ前のところでは、ヘルメットを弾で飛ばされた男がひざまずいていて、頭の傷で頭皮がめくれている——いや、ヒッピーの衛生兵だ、頭にハンカチを巻いて、モルヒネの応急注射器を二本のタバコのようにくわえ、叫んでいる男の上に膝をついている——曹長だ。「曹長、曹長、曹長!」とジェームズは言った。「よしいいぞ、話しかけろ。気絶させるな」と衛生兵は言って、注射器を噛み、曹長の首に刺した。だが、曹長は赤ん坊のように泣き喚きつづけ、ひたすら声の限り叫んでいた。「ちょっとぶっ放してこいよ、な?」と衛生兵は言った。ジェームズは体を屈めて、ブラックマンのところによたよたと歩いていき、下の銃光目がけて発砲した。人を殺していることは分かっていた。動いていること、それが秘訣だった。動いて殺して、素晴らしい気分だった。
同前 p.305,306
とってもとっても大好きで、
クーティーズの黒人は、スイス製多目的アーミーナイフで男の腹をえぐりながら、講釈を垂れているようだった。(…)
カウボーイが声を掛けた。「そのマンコ野郎にかましてやれよ。もっと泣き叫ばせてやれ。そうだ、このカス。曹長はそんな具合に叫んでたんだ。泣き叫びやがれ」彼の顔は怒りで紫になっていて、泣いていた。
「このボロカスウンコ野郎に見てもらいてえものがあんだ」今度はアーミーナイフのスプーンを出して男の目に近づけていった。
「やれよ、やっちまえ」とカウボーイ。
「この野郎にマジで……じっくりと……見てもらいてえ」とクーティーズの男は言った。捕虜の叫び声に「いい調子だ。女の子の赤ん坊みてえな声だぜ」と彼は答えた。彼は足下の血溜りにナイフを捨て、視神経だけでぶら下がっている男の両眼をつかみ、血走った眼球を回転させ、瞳が空の眼窩と頭蓋骨の髄を見るようにした。「自分をよーく見るんだな、このクソ野郎」(…)
大佐はコンテナから飛び降りて(…)吊り下げられた捕虜のこめかみを撃った。(…)
カウボーイは大佐に面と向かい合った。「あんたは声が枯れるまで曹長が泣き叫んだのを聞いてねえんだ。そんなことが一回二回あったら、こんなクソもう楽しくもなんともねえよ」(…)
死体はすぐにだらりとなり、脳の切れ端が顔の片側から落ちていった。(…)
大佐はピストルをホルスターに戻して言った。「反共産主義のためなら俺はたいていのことはやる。いろいろな。しかし神かけて、限度ってものがある」
ミンは大佐の甥の笑い声を聞いた。スキップ・サンズは立っていられないくらい笑い転げていた。テントに片手をかけて、引き倒さんばかりだった。
同前 p.315,316
大喜びしながら二度読んだ。
もうリアルすぎて訳分かんねえ、いやリアルさが足りねえのかな、とジェームズは誰かに言っていた……いや、誰かにそう言われたのか……。
同前 p.346
その作家の「死の直前に脱稿した、26年ぶりの短篇集。」なんて、
スキップは門の向こうの道路を見つめた。母のことはまったく考えなかった。後で考えることになるのだろう。母を亡くした経験などなく、どういう順番でこうした感情が生起するのか、予想することはできなかった。親しい人間を亡くしたこともなかった。物心つく前に、父は死んでいた。戦争に倒れた仲間たちは言うまでもなく、叔父フランシスは若くして息子を亡くしていた——ケープ・コッド沖をヨットで走っていて溺死したのだ。スキップ自身、木の枝から吊り下げられた男を大佐が撃つのを目撃していた。何だと思う? 人が死んだ。この瞬間を独りで受け止められずに済んだら、と願った。彼には無意味な瞬間だった。叔父が戻ってきて、隣に座ってくれたのでありがたかった。
同前 p.404
読まない理由がどこにもなかった。
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