####牧野伊三夫『かぼちゃを塩で煮る』(幻冬舎)
2018年6月4日
ASAP Rockyの新しいアルバムを聞きながら準備したのち、店を開け、のんびりと働いていた、コーヒーを淹れていたら、ふいに、真っ昼間からコーヒーを淹れて、これが仕事なんだもんなあ、幸せな仕事だよなあ、というたまにやってくる幸福感に見舞われて、幸福だと思った、そのあと、プルーストを読んでいた、そのあと、『かぼちゃを塩で煮る』をいくらか読んでいたら飛騨高山の楪子という、ちゃつという、もともとはお皿の名前のようなのだけど、そこにいろいろをのせて食べるご馳走のことでもあるようで、そのことが書かれていて、家でもいろいろ盛ってちゃつやってます、と書かれていて、そういうのはいいよなあ、と思ったあとふと、ポテトサラダを作ろうと思いたち、じゃがいもを剥き始めた、すると、左手は手袋をしているのだけど、手袋をしながらピーラーでじゃがいもを剥くということがとてもやりにくいことが知れた、引っかかりそうになる、手袋を切りそうになる、すごくやりづらく、時間もかかり、なるほど、やはり定食復活はまだだ、手袋が必要なうちは無理だ、と思った、それに、やはり、たまに、勢いが余って間違ったところに指をぶつけてしまって、痛い、となることが、まだまだ起こる、なにもかも、ふさがってからだった、腹が今日も減った。プルーストを読んでいた。
なんとなくまた、この先どういうふうに、いやこの先ではない、わりと目下のところだ、わりと目下のところ、どういうふうに働きたいのか、どういうふうに暮らしたいのか、ぽやぽやとまとまらない頭で考えていた。どういうふうに生きたら、気持ちがいいのか。
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