####武田砂鉄『日本の気配』(晶文社)
2018年5月29日
自転車で家に戻る、それで置き、代々木公園駅に歩いていく、それで、千代田線に乗る、明治神宮前で降車し、原宿から山手線。これが、取りたいルートだった、穏やかで平和な、ルートだった。
大崎で降りたのは初めてだった。たくさんの高いマンションであるとかが林立していた、よく整備されたそういうあたりの道を歩いていくと、会場があって、アトリエ・ヘリコプターだった、五反田団の『うん、さようなら』を見に来た。
俳優とは、すごい存在だなあ、と何度も思いながら見た。おばあちゃんたちを描いた舞台だった。若い俳優たちが、おばあちゃんをやっていて、それは確かにおばあちゃんだった、それが、主な場面となっているある日のおばあちゃんたちの熱海一泊旅行から何年も経って、一人が呆けて老人ホームに入ったそこに一人が会いに行ったその場面で、わあ、すごい……! となった。さっきまで、機敏に動く声の張る元気な老人だったのが、突如としてまったく呆けた老人になっている、その震えや猜疑の目が、まったく老人で、わあ、すごい……! となった。なんだかすごくよかった。
俳優はすごいなあというのは、演技だけでなく、暗転してまったく暗くなったところで立ち位置を変え、あるいは退場し、次の場面に備えるような、そういう運動もまた、俳優の仕事であり技術なんだよなあというのが実感され、それは簡単そうにやっているけれど高度なことなんだよなあ、というのが実感され、すごい、と改めて思った。何度も思った。
客席は、窓外の景色となり、あるいは乱れ咲く一面のつつじとなり、あるいは海となった、彼女たちが視線をこちらに向ける、じっくりと視線を向ける、それだけで、そうなった、すごい、と思ってまた、この演劇を僕が感動しているこの感動はやはり、ここで描かれる人たちが誰一人として悪者にされていない、すべての人物が同じやさしい視線で扱われている、そのやさしさにあるのだろうなと思った。ジエン社も同じだった。僕はきっとこういう感触を得たい。
演者の一人が、とても思い出深い人だった、かつて岡山の店のときに一時期、バイトをしてくれていた、最初期で人手も足らず、とても助けてもらった、そういう人だった、上演後、トイレから出て1階のロビーに入ると、目の前にその人があって、目が合って、しばらく、数秒、目が合って、気づいて、それでいくらか話した、なにか、感慨深いものがあった。感慨深いものがあった。
じわじわと、よかったなあと思いながら、大崎のまた同じ町並みを歩き、見え方はもっとマイルドなものになった、川があって、抜けて、駅に上がった。同じルートで帰り、いったん家に帰り、それから渋谷に出た、時間がまだあったのでフグレンに久しぶりに行った、なんでだかけっこう久しぶりになった、縁側も中も、人はたくさんで、本当に人がたくさんだ、と思って、ソファが1席空いていたのでそこに座って、コールドブリューのコーヒーを飲みながら、その時に掛かっていた音楽をシャザムに聴取させたところスティーヴィー・ワンダーで、その同じアルバムをApple Musicで流してイヤホンで聞きながら、しばらくプルーストを読んでいた、するとわりとすぐに、たくさん席が空いて、ソファで楽しそうにしていた韓国語を話している女性二人も出て、出ると外で、執拗に写真を撮って、それからいなくなった、そのあとに煙草を吸いに外に出ると、縁側もほとんど空っぽになっていた、来たときは一番すごいタイミングだったことがよく知れた。
本をしばらく読んでから、丸善ジュンク堂に行った、それで外国文学のあたりをあれこれ見、しかし特にこれという気にならず、それで武田砂鉄の『日本の気配』と内沼晋太郎の『これからの本屋読本』を買って、出た、友だちと合流し、まだ少し時間があった、微妙な空き方だった、セガフレード・ザネッティに入ってビールを一杯飲んだ、そのあと予約の時間になったので台湾料理屋さんの故宮に行って、もう一人が合流して、どれもおいしかった、食べて、飲んで、眠くなって、みんなが楽しく満足して生きていけたらいいな、と思って、切実にそう思って、それで11時には家に帰っていた、もう眠いから、プルーストを開いても仕方がないからと武田砂鉄を開いたが、やはり眠く、すぐに寝ついた。
・・・