今日の一冊

2019.05.26
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####ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(岩津航訳、共和国)
2018年5月26日
海辺に立ち並ぶ家を描いた風景画の前で、その素晴らしさにうっとりしながら、彼は立ち止まります。黄色い砂の上の青い人影、そして、太陽の光を浴びた小さな黄色い壁面。ここでプルーストは作家としての意識をあらためて検証します。「小さな黄色い壁面、小さな黄色い壁面、とベルゴットは小声で繰り返した。私はこんな風に本を書くべきだったのだ、この壁面のように、同じフレーズに何度も立ち戻り、書き直し、膨らみをもたせ、何層にも重ねて。私の本はあまりに乾いていて、少しも練られていなかった」。ここで、ベルゴット=プルーストは、ふとあるフレーズを漏らすのですが、それは彼がアナトール・フランスの弟子であるということを考えると、驚くべきものです。「ほとんど誰だかわからない画家が、ほとんど目に見えないような細部に、これほど熱心に取り組んだというのは、一体どういうことなのだろうか。おそらく誰も気づかず、理解できず、奥底までは見ないであろう目標に向けて、これほど絶え間ない努力を捧げることに、何の意味があるのだろうか。それはまるで、私たちが、調和と真実の別世界で作られた法則のもとで、正義と絶対的真実と完璧な努力を追求して、生きているかのようだった。その世界の反映が、私たちまで届き、私たちを地上で導いているのだ」。
ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(岩津航訳、共和国)p.100,101
小さな黄色い壁面、小さな黄色い壁面。ジョゼフ・チャプスキの『収容所のプルースト』を読んでいた、読み終わった、チャプスキの年表を見ると、1896年が生年で1993年が没年で、ほとんどまるまる20世紀の全部を生きた人だったと知った、ほとんどまるまる20世紀の全部を生きた人のことを読んだばかりではなかったかと思い出した、『マザリング・サンデー』の主人公の女性がまさにそうだった。思い出し、語ること、思い出し、語ること。プルーストもチャプスキも、死を目の前に見ながら、思い出し、語った。訳者のあとがきがこれもまた魅力的だった。岩津航。
時間とともに開示される意味とは、プルーストの作品の主題そのものである。そう考えると、捕虜収容所内でチャプスキが想起したプルーストこそは、逆説的に、最も純粋な読書体験の記録と言えるかもしれない。解放後に講義を再現するにあたって、あえて原文を参照しなかったのは、彼にとって最も貴重なプルースト像を、正確さによって裏切りたくなかったからではないだろうか。
同前 p.184
正確さによって裏切る。とってもいい。記憶違い、思い込み、その豊かさに触れたい。
黄色い壁面、のところはまさにそうだった、訳注に実際の文章が載っている、鈴木道彦訳のもので、こうあった。
(75)「彼は目をすえて、ちょうど子供が黄色い蝶をとらえようと目をこらすように、この貴重な小さな壁を眺めた。「こんなふうに書かなくちゃいけなかったんだ」と彼はつぶやいた。「おれの最近の作品はみんなかさかさしすぎている。この小さな黄色い壁のように絵具をいくつも積み上げて、文章フレーズそのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ」」。『囚われの女Ⅰ』、三五五頁。
同前 p.133
いくらかの記憶違いによるチャプスキ版のほうがなにか広がりがあるような気がする。小さな黄色い壁面、という言葉がぐっとせり出して、記憶に定着して、というチャプスキの読書とその記憶という物語と時間の厚みをそのまま物語っている感じがあり、二重に豊かであるような気がする。'petit pan de mur jaune' がそれらしい。小さな黄色い壁面。
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