####末井昭『自殺』(朝日出版社)
2017年4月20日
朝からぼんやりした心地でいた、昼もぼんやりした心地で働いていた、間違えた、忘れていた。朝はいつもよりも早く動き出してがっつり仕込みをしていたのだった、そうしたら12時の開店にやや間に合わないような感じになって、間に合わないというよりもスタートはできるけれどもここまではやっておきたかったというところまで達していないという感じで、だから開店はして、それから慌てながら働いていた、のだった。だから「朝からぼんやりした心地でいた」と勝手な思い違いをしたのが現在が「ぼんやりした心地で働いてい」るからで、朝に激しめに労働したためなのか、そして昼もとんとんとお客さんが来られて動いていたためなのか、一つやらないとなと思っている仕込みがあるが一ミリもやる気が起きない。傍点を振って強調したいくらいだ。
一ミリもやる気が起きない。そう打とうとしていて何か用ができて立ち上がって、それから座るまでのあいだに「一つやらないとなと思っている仕込み」を完了させた、さらにもうひとつ、「閉店までにこれも片付けておかないとな」だった仕込みも終わらせた。やる気とかではない、必要なのは運動する身体だ。体は一つのスイッチが押されさえすれば駆動する。僕を椅子から立ち上がらせることになる外部からの要求の声、それだけが必要だった。それがあった。あとはもう、流れに任せればいいだけだった。運動、というよりも自動する身体だった。ところで僕は「身体」を「からだ」と読ませられるのが苦手で、「身体」は「しんたい」であってほしいといつも思っている。
『自殺』は最初は朴訥とした語り口というか優しい語り口というのか、とにかく語り口が僕はしっくりこない感じがあって変な感覚で読んでいたのだけど今日営業中に読んでいると慣れたのか楽しく読んでいる。いろいろなことが起こるものだなーと思いながら読んでいた。それから借金の話を読みながらお金のことであくせくしたくないなー鷹揚に構えられたらいいのになーと思いながら読んでいた。たいへん鷹揚に構えている感じが書かれていた。
夕方にどなたもおられなくなって本も読み疲れたしというところで昨日の閉店後にエアコンのフィルターを掃除したので勢いがついたのか今日はじゃあ換気扇のフィルターというかカバーをやろうと思い立ち、見切り発車で掃除を始めたところ久しぶりなので忘れていたが思ったよりも大仕事かつ直後にぽろぽろとお客さんが来られたため完全に見切り発車だったと思いながらやはり閉店後にちゃんとやることにした。
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