####江國香織『なかなか暮れない夏の夕暮れ』(角川春樹事務所)
2017年4月13日
夜はひたすらに暇で、原稿みたいなものをまた書くことをおこなった、それからピクルスの仕込みをおこなったところだったのでピクルスの仕込みのレシピをイラレで作ったりしていた、それからまったく誰もいない状況が続いていたので石井一成、森本龍弥、清水優心という、僕も見慣れない、読み方もいしいかずなり以外は心もとない、そんなフレッシュな3人のヒーローインタビューを音付きで再生しようとしたところ、幸いにもお客さんが来られたのでヒーローインタビューを聞かずに済んだ。清水はゆうしと読むらしい。
夜はだからひたすらに暇で、今度は江國香織の『なかなか暮れない夏の夕暮れ』を読み始めた。まったく初めて読む人なのだけど、なんだかとても面白そうに思った。
深々と愉快な、そしてたぶんやさしい気持ちに稔はなっていた。チーズなら無難だから。その言葉が、すっかり胸にしみていた。こういうことが、稔にはときどきあった。何の変哲もない言葉に、いきなり気持ちのどこかを鷲掴みにされる。かわいい発言だと思った。かわいくていじましい。それに意味不明だ。なぜチーズなら無難なのだろう。くせのあるチーズだってあるし、腹にたまらないものなら枝豆とか野菜スティックとかあるのに?おまけに、やや感じが悪い。無難なものを選ぶというのは、謙虚なようでいて傲慢だ。完璧ではないだろうか。かわいくていじましく(稔には、その二つの区別がいつも上手くつけられない)、意味不明でやや感じが悪いというのは完璧に淳子だ。稔が女性に魅力を感じるのはこういうときで、それは恋愛感情では全くないが、好意には違いなく——もっとも、雀なら悪意と呼ぶかもしれなかったが——、今夜、別れ際にうっかりキスなどしてしまわないように気をつけようと、稔は自分で自分を戒めた。
江國香織『なかなか暮れない夏の夕暮れ』p.17
なんともいえずいい。こういう瞬間はなんというか生きている醍醐味の一つのような気がする。たぶん僕はいつかの読書日記、たぶん秋くらいだったと思うけれど、で書いた蔦屋書店の喫煙所で聞いた女の発した「気をつけて」という言葉を思い出していた、かわいくていじましくてそして意味をなさない、すばらしい一言だった、その発語の場面に出くわせて僕は自分の幸運に感謝している。それを思い出していた。
一日、いささか体が疲れているように感じていた。関節が痛い。関節が痛く、すぐに疲れる。なんだろうか、休みの翌日だぞ、ふざけてるのだろうか、俺は、と思っていたのだけど、胸のあたりに漂う寒気を感じて関節の痛みに合点がいった、昨日の猛烈な腹痛も合点がいった、どうやら少し体調を崩しているようだった、それで寒くて、痛いのだった。マジで困るなと思いながら一日を過ごしていた。本当に参ったというところにはいかず違和感を覚える程度で留まっていた。風邪を引いたらいろいろに支障をきたしすぎて困りすぎるし、一日家で布団のなかで臥せっているという過ごし方も、もしかしたらたまにする分には贅沢で面白い愉快な時間かもしれない、とも思ったが風邪は引きたくなかった。寒々とした気分で生きていた。夜は本を読みながらウイスキーをがぶがぶ飲んだ。
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