####中村寛『残響のハーレム』(共和国)
2018年4月6日
カレーを食べに行った、幡ヶ谷の、六号通り商店街の、わきの細い道を歩いた、向こうからやってきた初老という感じの女性に「今、なんでそんなことしたんですか!」みたいなことをわめかれた、動作からすると、僕がずれた眼鏡をかけ直したのが、彼女への攻撃、侮辱と映ったらしかった。すれ違ったあともわりと長々となにか言葉を発していた。
幡ヶ谷のそちら側、つまり北側を歩くのは久しぶりというわけではなかったが日中は久しぶりだった、店舗物件を探しているときに幡ヶ谷はいくつか物件が出てきて、見た、それを思い出した、あそこや、あそこや、あそこも見たな、という建物があった、今どうなっているのかは知らなかった。幡ヶ谷の物件は同じ広さでも初台に比べると5万は安い、という印象だった、でも町は、雑然としているというか、雑然というよりはエネルギーが放出され続けている感じがずっとあり、そこに身を置き続けるのは疲れそう、と思った。初台は静かだった。いいチョイスだった、と今日改めて思った。
青い鳥でカレーを食べた。チキンカレーとうどと豆のココナツのカレーを食べた。やたらおいしくて感動した。喜んだ。途中、5lackのラップが聞こえた、聞いたことのない曲だった、なんですか、と問えばよかった。いかつい曲や、荘厳な曲や、おだやかな曲が掛かっていた。
帰り、パドラーズコーヒーでコーヒーをテイクアウトし、とことこと帰った、風の強い日だった、店の看板が心配になった、帰って、気づいたらずいぶん溜まっていた、1月中旬から手がついていなかったレシートの入力作業をした、けっこう時間が掛かった、時短テクニックをひとつ獲得した、そのあと昨日の夜に送った原稿が、面白がってもらえた旨のメールを編集の方から受け取り、僕は、僕にとっては、自分が書いた文章を面白がってもらえることがいちばんうれしいことかもしれない。
夕方、少しだけ『残響のハーレム』を読む。ハーレムってどこだっけ、と思ってグーグルマップで調べると、セントラル・パークの少し北のエリアらしかった、星がひとつついていた、それはモーニングサイドパークで、テジュ・コールの『オープン・シティ』の語り手の住まいが多分このあたりだった、彼が襲撃されたのは、ハーレムでのことだったか。
夜、店。忙しくなった、よかった。なんとなくうら悲しいような心地がつきまとった。風がずっと強かった、雨が少し降った、いっとき、強く降った。
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