####岡田利規『三月の5日間』(白水社)
2017年3月22日
「自転車に乗ったところ環七をまっすぐにまっすぐに進んだ、風だけがひんやりとしていて天気はもっぱらよく、まっすぐに進んだ、すると高円寺に当たったのでネグラに行ってカレーを食べた。ネグラは友だちがおいしいよと言っていたので行った。するととてもとてもおいしかった。そこにあった「'おいしい'を巡る」が特集タイトルの『IN/SECTS』を読んでいた、ベジしょくどうの方のインタビューを読んでいた、面白かった。それにしてもカレーはおそろしくおいしかった。それでまだコーヒーを口に含んでいないといういけない日だったため野方のDaily Coffee Standに行ってコーヒーを飲んだ。それから考え事を、しないといけない日だったため今日はそれを起点にしていたのだけど新井薬師前のロンパーチッチに行って考え事をしようと思って、それでぐるっと高円寺野方と通ったわけだったけれどそれでそうやってロンパーチッチに行ってカフェオレとガトーショコラを食べた。パソコンを開いて考え事をしようとしたところ、ロンパーチッチはこれまで何度か行ったことがあってそれはもっぱら大きめの音で流れているジャズがひたすら気持ちよくてその中でおこなう読書がとても心地よかったからで、そこで初めて考え事というかパソコンを開いてのことをしようとしたところ、僕はやっぱりここは読書がいい、ここでは贅沢で気分のいい読書時間を過ごしたい、となって考え事はまるではかどらなかった、考え事をする気がまったく抜けていった、パソコンの画面を見つめていても目が吸い寄せられて眠くなるだけでまったく考えなかった。なので『三月の5日間』を開いて読んだ。それから寒くなってセーターを着たかったのだけどジャケットのジッパーが引っ張るところがいつか折れてそこに針金を入れて上げ下げできるようにしいているその針金が今日どこかで落ちたらしく着ているジャケットを脱ぐことができなかったため寒いままだったため自転車に乗って初台に向かってそのあいだもずっと寒くてフヅクエに着くと針金を装着してジッパーが上げ下げできるようになってそれでセーターを着込んで店は度し難く暇そうでいくらかスタッフのひきちゃんと話して引き続き一所懸命がんばるようにという具体的な指示を出してから店を出てバスを待ったらバスがずいぶんな遅れをもってやってきて、そういうこともあるものだと思った、急いでいたわけではなかったのでまるで問題がなく、東急百貨店前でおりて丸善ジュンク堂にエレベーターで上がっていった。本を何か買おうと思った、ぐるぐると、書棚の前を逍遥するが、俺を読んでくれよと語りかけてくる本がなかった、そういうとき僕は必要以上に意気消沈というか悄然というかほとんど絶望的な気分になるためほとんど絶望的な気分になりながら、それでも、と思ってジャック・ケルアックの『スクロール版 オン・ザ・ロード』を開いて1ページ読んでうん、これは、面白く、読める、はずだ、と思ってそれを買った。それから喫茶店の集に入ってやっと考え事をちゃんとしようとして、ある程度はちゃんと考え事をした気がした。考え事をしようとして目の前に考え事のもとになるノートというかテキストエディタがあっても、それだけを見ていても考えがまるで動き出さない、ほんとうに呆けた、何も考えない状態にしかならない、考えを動き出させるためには遊びがないといけない、遊々としなければならない、遊々としたモードに入れたら考え事のボールのようなものが転がりだして、カランカランと音を立て始める、立て始める音を聞けたらそれはいい兆候だ、焼き鳥を食べたくて餃子を食べた、ハイボールを飲んだ、考え事は頭のなかでカランカランと響き続けろ、煙草を吸ってコーヒーを飲んだ、寝る前に「労苦の終わり」が終わりを告げた」と男は書いたがそれのどこまでが事実でどこまでが虚偽なのかはその男にももうわからなかった。
ひょーひょー、とかされて、勝ち誇られてるみたいな、そんなつもり向こうないかもしれないけど、「勝ち誇ってるつもりなんてないよ」って言うかもしれないけど、その言い方がまたあれだったりするんだけど、でも分かんない、あるかもしれないし、ほんとにないかもしれないし、たぶんないんだろうけど、分かんない、
飄々、とかいって勝ち誇られてるようなの、って私が感じるようなの、って——を見て、そうですけど、私はキャパシティない側ですけど、悪いですか、それが? って思い知らされて、思い知らされて、あげく(笑)開き直っちゃったり、しかもあとでそのことで自己嫌悪になったりとか、開き直っちゃったってことに、直面させるようなことしてくるから、すごいむかつくじゃないけど飄々とするのってほんと、絶対、犯罪だと思って、ギャグじゃなくて本気で、えー、だって、悪いのはこっちなのかもしれないのは分かってるけど、でもなんか、犯罪じゃないけど絶対、別に、ただ飄々としてるだけなのは、ってのは分かってるけど、でもすごいそれ自体は別に絶対悪いとか言われないって分かってるけど、それやると絶対やられた相手はカチンとくるし、キーッてなるし、むかつかれるからやるべきじゃほんとはない、みたいなことが、世の中には絶対あるはずだと思うのね、私は、でもそういう考え方は全然一般的じゃないっていうか、そういうふうにみんな思わないから、たとえば飄々とかしてても、誰もそれを悪いとか思わなくて、でもそれ見てむかつくんだけどって思って、思うでしょ、そう思った人がむかついてー、なんかやるでしょ、やるでしょ、とか言って、そのやっちゃったことが悪いことだと、しかもするでしょ、そしたらそれを仕向けてるね、その飄々ってした態度とかだって悪いことだよ、って思うのってだめなのかな、却下?なんかでも卑怯、もしそのへん全部分かってやってるとしたらね、しかも分かんないけどどっちか。見てても分かんないし、ていうかそういうふうな見方したくないから、
岡田利規『三月の5日間』p.153-154
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