####平出隆編『日本の名随筆 別巻73 野球』(作品社)
2018年3月16日
今日はうどんではなく焼きそばを食べることにして、冷凍していた肉を外に出した、家には電子レンジがないから自然解凍を待つ。焼きそばを食べるためにはご飯がないといけない、それで米を炊いた。
米が炊けるまでは焼きそばに着手するなどもちろんできないのでコーヒーを飲むことにしてコーヒーを淹れた、それでぼんやりして、それからベランダに出て煙草を吸いながら、昨日届いた平出隆編集の『日本の名随筆 野球』を読むことにした。一服のあいだに読むのにちょうどいいのではないか、という判断だった。まずは草野進の「プロ野球好きはほんの一瞬のために球場へ出かけて行き全身的な体験に身をまかす」を開いた。
しかし球場で演じられるゲームは、そんな錯覚をさわやかに正当化してくれる。そこではひたすらボールが飛び、人が走るだけである。あるいは飛ばすまい、走らせまいとする意志が球場にみなぎる。走ろうとする意志と走らせまいとする意志とがしばらく拮抗しあう。何ともこたえられないのは、その均衡が不意に破られる瞬間だ。そしてそれが新たな均衡に達するまでのほんの一瞬の無秩序のために、われわれは球場に出かけてゆくのだ。
勝ち負けならテレビを見ていてもいいし、翌朝のスポーツ紙を読んでもよい。だが、一つの均衡から次の均衡への唐突な移行の予期しえぬエロチシズムは球場の雰囲気に全身をさらさないと絶対に体験できない。(...)
球場では、あらゆる感覚が総動員される。みんなして首をすくめてファウルボールをよけるのは、あれがあたるとほんとうに痛いからだ。
球場には、こうした潜在的な痛さが充満しているのである。秋の初めのナイターのはだ寒さ。それさえが、ゲームの本質的な要素となる。バットがボールをはじき返すときの音だって、季節によって微妙に変化する。
昨シーズンも終り近く、中日大島は、ウェイティング・サークルで打順を待ちながら、やおらバットをさかさに持って銃さながらに身がまえ、何ものかにねらいを定めて引金を引く動作を演じたものだ。薄い雲がかかった空には十五夜に近い満月が鈍く輝いている。あの一瞬にはなぜかひどく感激して、涙をこらえるのが困難だったほどだ。
平出隆編『日本の名随筆 (別巻73) 野球』(p.169~171)
もう全身が喜ぶ。次のページを開くと赤瀬川原平の「ジャイアンツVS.シュウマイ」で、打って変わってのんきな調子がとてもいい。
と、すごい文章に出くわした。「阪神に藤村、土井垣、若林らのいるころである」とある。さらに!「南海には山本(鶴岡)一人がいた」!!!! 大喜びして、室外機に腰掛けている姿勢から立ち上がっていた。なんというルビの振り方だろう。
これは「ひとの読書」で武田さんから教わって、先日ふと「そうだ、読みたい」と思ってポチったものだった。買ってよかった。
焼きそばとご飯を食べて満足し、練習がてら『GINZA』の連載の文章を書いてみることにした。文字数は500字前後ということで、とりあえず文字数を気にせずに書いてみたところ1000字ほどになった。それを削りながら構成していったら何かになるだろうかと思い、800字、650字、580字、520字、と削っていった。何かになっただろうか。とりあえず昨日感じた緊張みたいなものはほぐれたというか、消えた。よかった。
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