サードプレイスは地獄

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だいぶ話が違うところに行ってしまった。
「ブックカフェ」が持つらしい主な機能について検討することで、「ブックカフェ」は本の読める場所なのかどうか、なにかわかるかもしれないと思っていたのだが、一つ目の「本と出会う」機能について考え始めたらずいぶん寄り道をしてしまった。戻ろう。
二つ目の「人とつながる」機能、つまりサードプレイスとしてのブックカフェということらしいが、せっかく戻った矢先に失礼しますが、こんなものは考えるまでもないだろう。そんな場所で本を読めるわけがない。読めることだってあるかもしれないが少なくとも本を読むことが主眼に置かれていないのは言うまでもない。終わり。
というか、サードプレイスサードプレイスってみなさんわりと気軽に言いますけど、あれ、地獄だからね? ということだけ指摘してこの項目は片付けたい。
なんとなく現在の日本ではサードプレイスというと、家でも職場でもなく、「ほっと自分に還れる場所」みたいなイメージが強くある気がするが、社会学者レイ・オルデンバーグが『サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』で唱えていたところ、描いていた風景はまったくそんな安穏としたものではない。ホイップがたっぷり乗ったココアとかを両手で持ってふーふーするとかそんな場所じゃないからね。なんせ彼が言っているのはこういうことだからね。
「談話のないところに生命はないのだ!」……「冷やかし、ばかばかしさ、決着のつかない言い合い、ジョーク、からかい」……「サードプレイス内で生まれるユーモアや笑い」……「さあ元気を出せよ、楽しむためにここに来たんじゃないか。一緒にやろう!」……
もうこれだけで疲れる。
僕がオルデンバーグの著書から学んだところではサードプレイスは多分「さあさあ酒を飲み飲み本を読もう」と喜び勇んで店に入るなり知った顔があって握手をしたり肩に手を回したりハグをしたりしながら「ワッツアップ、マン?」とか言ってなんと答えるのかわからないがなにか答えて、それから大きなジョッキのビールが出てきてカウンターで立ちながら飲みながら男二人、振り返り見る視線の先には女がいて多分ビリヤードをしていて、「いつ見てもあのケツは本当にたまんねえな」と言って舌なめずりをしてその尻に引き寄せられたかのようにビリヤード台のあるところに彼らも移動してそのゴージャスな女のことをチラチラ見ながら球撞きをして、そうしたらどうしてだろうしばしば目が合う。それどころか笑顔をこちらに向けてくれる。「もしかしてワンチャンあるかも……」と思うんだけどまあそんなうまい話はなくて多分アメフト部とかの多分ウィリーとかが勢いよく入ってきてジェニファーの腰を抱いて熱烈なキスをすると二人で出て行った。「ねえ、俺さ、最近だんだん諦念とも仲良くできるようになってきたなって思うんだよね」と言いながらビールをもう一杯飲んでさて帰ろうかなというところでジェニファーが一人で戻ってきた。ショートパンツとタンクトップ姿の体全体にうっすら傷を負いながら泣き叫びながら戻ってきた。「外に……外に……」と言っている。「ウィリーが……ウィリーが……あいつらに……」と震えながら言っている。どうやらなにかが起こったらしかった……と、そのとき。窓ガラスの割れる音。店内には悲鳴。見るとジェニファーが「いけない……それだけは……いけない……」と繰り返しながら白目を剥いて痙攣している。いったいなにが……まさか……というそういう場所だ。読書はどうしちゃったんだよ!