人の読書離れを憂うな

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若者の読書離れが深刻です。
よく聞く話だ。
聞くたびにげんなりした気持ちになるし、飽きることなく強い憤りを覚える。
1ヶ月に本を1冊も読まない大学生がこれだけの数います……この数値は10年前の調査と比べても10%高くなっています……原因はスマートフォン等情報機器の普及でしょうか……たいへん嘆かわしいことです……
こういう言説が成立する背景には、読書というものが、「有益で、立派で、すべきおこない」だという認識のモードがわりと広くあるのだと思う。
もちろん本というものは必要な知識を得るためにおこなわれる場合もたくさんあることはまったく否定しないけれど、「読書が好きなんです、読書が趣味なんです」という人にとってそれは、そう、趣味だ。趣味であり、喜びだ。
読書が趣味の人にとって読書はあくまで趣味であって、たくさんの可能性の中から選択された一つの趣味以上のものではない。
それはアニメ鑑賞でも映画鑑賞でも編み物でもアウトドアでもなんでもいいけれど、その趣味を持つ当事者たちの人生にとってそれが重要なものであるのとまったく同じ意味で重要なだけであって、その趣味を持つ当事者がその趣味を持たない人に対して「アニメを見(映画を見/編み物をし/キャンプをしてチャイを作って寒空の下で仲間たちとチルな時間を過ごさ)ないなんて由々しきことだ」と嘆くことがバカバカしいことであるのとまったく同じ意味で「読書をしないなんて由々しきことだ」と嘆くことはバカバカしいことだ。
それなのに読書は、読書というものはなんでだかこういう扱われ方をしやすい。なにかあたかも大切なもの、どの人もすべきもの、そういうものとして問題を立てられやすい。
たとえば文化庁が実施している「国語に関する世論調査」を見ると「読書をすることの良いところは?」という問いが発せられていて、そして最も多くの人が選んだ答えが「新しい知識や情報を得る」というものになっている(平成二五年度「国語に関する世論調査」の結果の概要)。
これなんかは問いを発する側も答える側も、「読書というものはすべきもので大切なものだ」という神話に支配されているようにしか思えない。そしてその読書人口が減少していることを取ってきて「新しい知識や情報を得」られる大切な読書から人が離れている、これは由々しい、そう言ってメディア等は憂う。
繰り返すが、この問いのバカバカしさ、嘆くことのバカバカしさは、「読書」のところに他の趣味を代入して考えてみればいい。そうすると本当にバカバカしいのがわかる。
「アニメを見ることの良いところは?」
「編み物人口が減っている……」
もちろん、読書によって知識や情報に限らず新たな学びや気づきや教訓やなんやかんやを得ることはあるだろう。それは他のあらゆる趣味がその実践によって新たな学びや気づきや教訓やなんやかんやを得ることがあるのとまったく同様にある、というそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
読書を特権化してはいけない。
こんなのは僕らの実感 ——今ここで僕は勝手に「読書が趣味です」という人全体を「僕ら」という言葉で暴力的にくくってしまったのですが—— からは大きくかけ離れている。
読書は楽しい、だからする。
読書は心躍る、だからする。
「良いところ」とかじゃないんだよ。好きなんだよ。どうにか生き続けていくために、なくてはならないものなんだよ。
本というもの、読書という行為に対して愛と敬意のない人間だけが発することのできる問い、本というもの、読書という行為に対して愛と敬意のない人間だけが発することのできる嘆き、そんなものはクソ食らえだ。あるいは犬にでも食わせておけ。犬には本当に申し訳ない。犬に謝れ。
それに、本というものがよりポップでよりクールなものになっていけばいいのにと(あくまで利己的な理由から)思っている人間としては、こういった論調は本および読書のイメージ向上を邪魔するものでしかないので積極的に有害だ。
それはどうやら「良いこと」らしい……新しい知識や情報を得るために触れるものらしい……でもそれに触れる若者たちが減っているということで憂い嘆かれている……そのわりに憂い嘆いている年長者たちの読書人口も減っている……
「しろ、しろ」と言う人間がしていなくて、する人が減っていて、しかしすべきもの、なんていうものごとに人が引き寄せられるわけがない。
引き寄せられるのはワクワクや欲望を感じたときだろう。
無駄な嘆きの姿は本来ある魅力すら奪い去る。本当に迷惑。
笑顔を、見せなさいよ。憂い嘆く前に、楽しむ姿を見せなさいよ。楽しく読む姿を見せなさいよ。嘆くにしても、せめてそれを徹底的にやってからにしなさいよ。それができないんだったら頼むからそのろくでもない口を閉ざしなさいよと、そういうおためごかしの憂い顔みたいなものを見かけるたびに僕は、いつも、「さすがにちょっと怒りすぎなのでは?」というくらいに憤っている。
さてさて本筋に戻ろう。