本のある風景

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どうも本論から逸れて本の論になってきた感じがするのだが、ちゃんと戻るのでご安心ください。 ひとまずは、「本のある風景って、いいよね」の話を続ける。
本のある風景はとてもいい。本がわーっと並べられた風景を前にすると、なにか安心感があるのか、気持ちがほっとあたたまる。そして同時に、ワクワクと心踊る。
この「本のある風景はなんかいい」という意識はおそらく、本を読む人読まない人関係なく、それなりに広く共有されているものだろう。
僕がおもむいた「ブックカフェ」でも本はすばらしく効果的なインテリアとして輝きを放っていたし、なんせあれだけ全体的におしゃれでかっこいい、おそらくいろいろと周到に計算されて作られているのであろう店が大事な壁の一面を使っているくらいなのだから、間違いないはずだ。本を読む人よりも圧倒的に女子会やデートといった用途で使われているのだから、そういうシーンに見合った、いい見栄えのものとして受け入れられているのだろう。
また、代官山の蔦屋書店は僕はたまに行くが、優雅な人たちが犬を散歩させるコースになっていたり、ノートパソコンを広げて仕事かなにかをして過ごす人たちがたくさんいる。僕もなんだか好きで、建物の中にいても外にいてもどこからでも本の並ぶ様子が見えて、もっといえば屋外にいながらにして本に囲まれているような感覚にもなって、その感じはさながら「本のある庭」というふうで、気分がいい。
この「本のある風景はなんかいい」をさらに突き進めると、「もはや本ですらなくていい」にまで行けてしまうことを見せてくれた事例もある。2017年、TSUTAYAを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が空間プロデュースおよび運営を担う公立図書館が、数万冊のダミー本および貸出も閲覧もできない大量の洋書を購入することが発覚したというのがニュースになったことがあった。ネット上では激しく非難されたり呆れられたりしていた。このときに自治体の担当部署からなされたという説明に「本に囲まれた圧倒的な空間づくりのため」とあったが、「本っぽければもう、かっこいいんで、別に本じゃなくていいと思うんすよ、なんで、今回はひとつダミー本で行きましょう、バーっと、ダミー本、かっこいいと思うなあ」という意思決定の場面をぜひ見てみたかったと思った愉快な出来事だった。
ともあれ、本を読もうと読むまいと、本のある風景は広く、気分のいいものとして楽しまれている、といって差し支えないだろう。
この気分のよさの一つの理由は言うまでもなく「なんか知的な雰囲気がする」というところで、そのことはことさら説明を加える必要もないだろう。ひとつ加えてみるとすれば、「書架」と口にしてみたとき、自分が知的な存在になれた感じがする、あの感じが、それだ。
もう一つとして僕が思うのは、ひとつのかたまりになった本というのはもしかしたら、海の波であるとか草木であるとか花々であるとかに近い存在になるのではないかということだ。
つまり、「無限のパターンがあるのか、眺めていて目が飽きない。見るどの風景も初めて見る風景になる」ということで、本の連なりというのは純粋な視覚上の効果を上げるものとして非常に使い勝手がいいのではないか。
本の背というのは実に多彩だ。言うまでもなくそこに印刷された文字は本のタイトルによってまったく違うし使われているフォントも文字の大きさも違う。色もそれぞれに異なる。経年による微妙な変化だってあるだろう。それに厚さも違えば高さだっていろいろとある(CDやレコードと違うのはこの部分だと思う。CDは低すぎるし、レコードは薄すぎる)
一冊一冊がかくも異なる本というものが一定以上の連なりになったときにあらわれるのは完全に唯一無二の風景で、まったく同じものを別の場所で作り出すことはまずできない。まったく同じものを再現することができないものは、だんだんと自然物に近づくのではないか。
自然というのは、みんな好き。
空間を装飾するためのアイテムとして、こんなに簡単に自然の持つ無限性みたいなものを作り出せる人工物は他にはそうないのではないか。
お手軽に作ることのできるまったく差別化された風景。それこそが本のある風景の「なんかいい」の大きな源泉ではないだろうか。
そして、差別化、これこそが、仮に昨今「ブックカフェ」というものが増えているとするならば、その理由の小さくない一つになるのではないだろうか。
「自分の関心のあるテーマや趣味、嗜好にあった店に行きたいというニーズからブックカフェが生まれました」とあったけれど、逆で、「自分の関心のあるテーマや趣味、嗜好を表現した店を作りたいという気分からブックカフェが生まれました」なのではないか。
人は店を始めるとき、何かしら他の場所とは差別化されたものを作りたいと思うものだ。往々にして「自分らしく、うん」とか、そういうことを思うものだ。
そのときに、本というアイテムほど便利なものはない。自分の蔵書を並べさえすれば、それでひとまず「他にはない風景」を作ることができるし、そして知的な感じであるとか、おしゃれな感じであるとか、そういう印象を与えることもしやすい。
また、その場が演出したい、あるいは伝えたい価値観なり世界観なりがあるときに、適切に選定し適切に配置できたら、本棚は、その場所のメッセージを伝える手段にもなる。
本は、とっても、便利なアイテム。