底なしの孤独

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一人でいるときよりも、人と一緒のときのほうがよっぽど孤独だよ。
というときがある。
自分がそこにいることを許された存在なのか確信が持てなくなるとき、そうなりがちかもしれない。
みんなが楽しそうに過ごしている大勢の飲み会ではたいてい、そう感じる。
自意識過剰だろうけれど、他者といることで自分の存在が際立ち、うまく振る舞えない自分の脆弱さが際立ち、情けない孤独が際立つ。
誰からも自分の存在を許してもらえないと感じるとき、誰からも自分の存在を勇気づけてもらえないと感じるとき、誰からも自分の存在を肯定してもらえないと感じるとき、しんどい。
一人なんてなんでもないけれど、「独り」を感じるのは身にこたえる。
ブックカフェで僕が味わったのはそういう「独り」の感覚に近いものかもしれない。
諦めて、もう帰ろうかな、と考え始めたときに、たくさん並ぶテーブルのひとつに、僕と同じように、一人で、本を読んでいる人の姿を見つけたとき、ぞっとした。
なんて場違いなんだと思い、なんて寂しい姿なんだと思い、自分も今、こういうことになっているのかと思ったら、ぞっとした。
一人で過ごしている人なんて他にいなかった。
見渡す限り、二人や、グループで、彼らはもちろん「みんなで黙って本を読む」なんていう過ごし方をするわけもなく、にぎやかに話に花を咲かせ、食べたり飲んだりに興じている。デートであるとか女子会であるとか、そういうことが各席でおこなわれている。その華やいだ空間の中で、本を読む一人客である僕や彼は、なんというか、珍品だった。
中学生だった頃、休み時間にわいわいとにぎやかに歓談する同級生たちの存在を感じながらひとり席についておこなってみた読書が、続けるためにはけっこうな意志の力を必要とした、もう何年も思い出していなかったあの場面を思い出した。
店という場所において、孤独を感じさせたり、反対に勇気を与えたりするのは、その場を構成する客だけじゃない。
そこで働く人たちの振る舞いや様子も、過ごす時間にとって決して小さくない影響力を持っている。
そのお店のスタッフは、男も女も等しくどの人も素敵な、見目がかっこうよかったり麗しかったりしていた。なんというか強そうだな、というのが僕が受けた印象で、この「強い」の読みは「つよい」でも「こわい」でも構わない。
なんの勝負をおこなえばいいのかは定かではないが、戦ったら負けそうに感じた。だいたいどんな勝負をしても負けそうだったし、僕がどうにか勝てそうな土俵 ——たとえば「ラテンアメリカ小説のタイトルで山手線ゲーム」みたいなもの—— で戦おうにも、その提案をした時点で笑われて敗北を喫することになりそうだった。
まったくただの偏見でしかないのだが、「この人たちは、自分たちが働いている空間にたくさんの本が並んでいるということに対して、どんな興味もないんじゃないか」と思った。
そうなればネガティブな思考は実になめらかに進む。
「この場で本を読んで過ごす客に対しても、冷笑以外の気分を持っていないのではないか。むしろ、二人席を一人で使う人間なんて、邪魔者以外なにものでもないのかもしれない」
バックヤードではスタッフ同士で「A5卓? あのなんか読んでる客?」と言っている。
「読書家の高尚な御仁?」
「ゴジンてw 言う人初めて聞いたww ゴジンてwww」
せせら笑う声が聞こえてくるようだ。
ただそれも、いささか自虐的にすぎる想像かもしれない。こんな場合だって、考えられるじゃないか。
「本読んでるあの客さ〜、なんか大きめハードカバーで、なに読んでんだろうと思ってちらっと見えてケルアックの『オン・ザ・ロード』で、見たことないジャケと思って」
「河出の全集の改訳のやつじゃなくて? ピンクの」
「違ったんだこれが。スクロール版てやつで、なんかね調べてみたら出た時期同じくらいで全集と。訳者も同じく南たんなんだけど」
「みなみたん?」
「青山南」
「みなみたんてw 言う人始めて聞いたww みなみたんてwww」
「そ? でケルアックがタイプ打ちしたガーーーっと一枚ペラで続く登場人物全員実名バージョンがあるらしくてこれヤバくない?」
「ヤバい」
「ヤバイよね笑う。そんでジャケかっこいいなと思ったら緒方修一。納得のかっこよさ」
「へ〜〜〜気になる」
「ね、明日ジュンク行って探してみるわ」
こんな場合だって、考えられるじゃないか……
珍品だとか負けそうだとか笑われていそうだとか、こんなものはいずれにしても余計な自意識の発露でしかないわけだけど、でもこれだけは言えると思う。
この空間を構成する人たちのありようは、客にしてもスタッフの人たちにしても、まるで「本を読む」という行為を肯定し勇気づけ後押ししてくれるものではいささかもなかった。
そしてまた、すでに述べたように長居の抑止や、照明や、人の話し声、そういった要素の全部が絡まって、本を読む人間に対して、
「何してんの? あんたここで何してんの?」
と伝えてくるようだった。
まさか、ブックのカフェで、ブックを楽しもうという過ごし方がこんなにも異質な、想定されていない、場違いなものになるとは思ってもみなかった。
その期待とのギャップも相まって、すべての要素が突きつけてくる「あんたじゃない」というメッセージが、僕の過ごす時間を、まったき底なしの孤独に突き落としたといったら、さすがに言い過ぎだろうか。
「いや、普通に言い過ぎだし、それに自分のその文句、どれだけ正当性あると思ってんの? あんたのその、なんだ、本を気持ちよく読みたいとかいう極々個人的な欲求にどうして応えなきゃいけないと思ってんの? そもそもここは—— 」
そもそもここは?
え?
ブックカフェ、じゃないの?
というか、ブックカフェって、一体なんなの?