「ブックカフェ 東京」で検索して出てきたページにはこんなふうに書かれていた。
「最近、東京で老若男女問わず支持を集めているのがブックカフェ。書店にカフェスペースを設けているところや、カフェの一角に読書スペースを作っているお店などあり、ゆっくりと小説や雑誌、絵本を味わうことができます。どのブックカフェも居心地の良さを考えた店づくりをしていて、コーヒーやビール、カクテルを飲みながら本を楽しめます。お腹が空けばランチやスイーツ、おつまみも提供してくれるので、自宅よりもくつろいでしまうという人もたくさんいます。そんな丸一日でも過ごしたくなる、おすすめのブックカフェを紹介します。」
いかがでしたか?
ゆっくり本を味わうことができて居心地がよくてお酒やコーヒーや食べ物を楽しみながら過ごすことができる。それは、とても、いいじゃないでしょうか。そんな場所に、行きたかったんだ、そんな時間を、過ごしたかったんだ、そう思った。
意を決し、そういった記事で高い頻度で取り上げられているブックカフェに行ってみることにした。
平日で、夕方だった。
そのとき読んでいたジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』が面白くなってきたところで、この日は続きをどんどん読みたかった。夜の予定も特にない。3時間4時間、がっつりと本と向き合えたら、本にどっぷりと没入できたら……
そういったウキウキとした希望を胸に駅から10分ほどのその店に向かって歩く。人気店ゆえ席待ちの列ができるようなことも多々あるようで、たしかにもう何年も前だったけれどいつだかに「なんのお店だろう」と覗いたときに店の外で人が何人も座っているのを見かけたことがあった。そのときは「なんかおしゃれなカフェなのかな」と思って通り過ぎた。今日は違う。待つ覚悟はできていた。店の外で待つ時間、それすらも読書タイムと思えば楽しみだった。僕は浮かれていた。
大きな商業ビルの地下にあるその店に続く階段をおりていく。すると予期あるいは覚悟していたような待ち人は見当たらず、扉の向こうを覗いてもどうやらすんなり入れそうな様子だった。
と、扉の前になにやらの看板が出ていて、読んでみれば2時間制と書かれていた。「3時間4時間」と思っていた矢先に突きつけられた時間制限で、たしかに2時間制の居酒屋であるとかもよくあることだし人気の店ならばしょうがないのかなと思いながらも悄然とする気持ちは隠せなかった。
3時間や4時間、しかも夜の時間、もしコーヒー1杯でいられたら店にも迷惑だろうくらいの気持ちはもともと持っており、そもそも自分にとってこれは楽しむべき夜だったから、コーヒーを飲んで甘いものを食べてどこかからお酒に切り替えてなにかつまんでと、ちょびちょびオーダーしていれば嫌な顔をされずにいさせてもらえるかな、と思っていたのだが、そもそも時間を区切られていた。どれだけ一人の単価が上がったところで、店が優先したいのはそれよりも多くの人にこの場所での時間を体験してもらうということなのだろう。しょうがなかった。
しかしあるいは、どうだろう、往生際悪く考える。満席にさえなっていなければだが、2時間で一度出たあとに「新規でもう1セットいいっすか?」とか言いながら再入店することなんかは不可能だろうか。
そんなことをあれこれ思いながらドアを押し開けて店に入ると大きな音のジャズが耳に流れ込んできて若い、美人というか、自分の外貌に一定の自信あるいは自覚がありそうな、非常に生きる勢いのありそうな女性がずんずんとやってきた。一人ですと伝える、席に案内してくれた。
席につくと今度は若い、かっこいいというか、自分の外貌に一定の自信あるいは自覚がありそうな、非常に生きる勢いのありそうな男性がずんずんとやってきてメニューを置きながら「2時間制で」と告げてくれた。知っていますと思いながら、メニューを開いてあれこれを検討した結果、飲み物とケーキを頼んだ。
店内を見渡す。
僕が通された席は壁を背中にしていてさらに一段高くなっている場所のため全体がよく見通せた。立派な観葉植物がいくつも置かれていたりドライと思しきフラワーが太い柱をデコレーションしたりしている。ちょうど僕の正面、つまり反対の壁のところには大きな書棚があって、たくさんの本が並んでいる。客席はどれも複数人向けに作られていて、実際にそこにいる人たちを見るとみなわいわいと会話をしていた。大音量の音楽と人々の話し声が漠然としたノイズとなってあたりを埋めている。暗いという印象はないが一つ一つの照明はしぼられていて、全体にとてもいい雰囲気が作られている。デートと思しき人たちが何組もいるのも納得のおしゃれでかっこいい内装だった。
ほどなくしてガトーバスクとともに運ばれてきたホットコーヒーをひと口すすると、「さて」という満を持した感じでリュックから本を取り出して、開いた。照明の角度のせいか間違えると簡単にページに影が落ちる。落ちないポイントを探す。見つけ、文字を追う。
本の中ではニール・キャサディというずいぶん破天荒な人物がすぐ目の前でおこなわれているジャズのライブに大興奮してひたいから汗をほとばしらせて、「いいね! いいね!」と叫んでいた。ジャズにまるで明るくない僕はその無知を逆手に取って、今東京のこの場所で流されている大きな音のジャズこそが、今読んでいる小説の中、1940年代終わりのアメリカを生きる若者たちの前で演奏されているジャズである、ということにして、今ここと小説の二つの異なる時空の世界を同期させることに成功した。そして、「いいね! いいね!」と思いながら楽しくなっていった。不便な照明すらも興が乗ってしまえば、「なるほど、これこそが 'アメリカの影' というものかもしれない」と見当違いなことを思って済ませられる。
すると、「マジで! え、それすごくない?」という伸びやかな女性の声がぶつかってきて、見ると二人の女性が僕の隣の隣の席に案内されたところだった。
彼女たちは案内されながらも座りながらも決して会話を滞らせることなく、「ね、すごくない?」「えーだってローマ法王の実物でしょ? すごーい!」などと愉快そうに話を続けていた。僕は本から目を上げると、読書に夢中になってしばし忘れていたコーヒーを改めて飲み、それからまだ手を付けていなかったガトーバスクをフォークでつつこうとした。ガトーバスクはたいへんに硬く、「つつく」という動詞ではまるで不十分な力の入れ方を要求された。それはとてもおいしかった。おいしかったためにどんどん、バクバクと食べていった。硬さもあって僕は不器用にお皿を汚しながら食べ進めた。あっという間に食べ終えると、まったく「あっ」という間もないような間髪の入らなさで店の方がやってきて皿を下げていった。よく注意が行き届いた方なんだろうなと思うのと同時に、待ち構えていたかのようなそのタイミングに「見られていた」と思った。ボロボロ食べていたのでやや恥ずかしい思いがする。
本に視線を戻した。
キャサディは昨夜の演奏のことを話している。やつはアレをつかまえて、握ったら決して離さなかった。そんなことを言っている。
隣の女性たちはメニューを検討している、どうやらハンバーガーを頼むようだ、飲み物はどうしようか。
アレっていったいなんのことなんだ、ケルアックが質問した。私はグアバジュースかな、女は決断した。
そう訊かれてもなあ、キャサディはしばし考えていた。近くにいた店の方を呼ぶとハンバーガーとジュースが頼まれた。店内に流されているジャズは先ほどよりも盛大なものになり、7時を回って席もどんどん埋まっていく。
店全体の音の厚みが変わっていて、流れていた曲がかっこよかったため何の曲なのか気になった僕はシャザムを開いて聴取させたがもはや判読不能とのことだった。比べたりって、しませんか? 女が問うた。
しています、しちゃいます。しちゃいますよね、お互いに。今昔の恋人の話をしているようだ。今でもこれ見て見てーみたいな写真とか送っちゃうんだよね。え、今カレじゃなくて元カレにですか? 料理が運ばれてきた。キャサディはどうやら何をか説明しているらしい。おいしそー! と歓声があがった。シャッター音が聞こえる。
送っちゃえ! 送っちゃう! ジュースにはストローが二本ついているらしかった。おそらく細いやつだろう。細くて黒くてぴったりくっついているタイプの、そういうストロー。きっとそうだと思った、そうに違いないと思った。ただ、今付き合っている男性は笑顔がとてもかわいくて大好きなのだが、こんなことがあった。ある日、二人で住んでいるのかよく泊まりにいくような感じだったのか、家に帰ると電気がつけっぱなしで、そして見慣れない女物のコートがソファに置かれていた。絶対に私のじゃないのね。彼女は家をそっと出ると車に戻って、運転席からずっと部屋を注視していた。それを聞いて僕は「車? 一体どこで暮らしいてるんだろう? 東京ではないのかな? 東京で若い人で車を持つってそうそうないよな。だいぶリッチな方なのかな。あるいは俺が知らないだけで東京でも車持ってる人って意外に普通にいるのかな」と疑問に思った、もちろん尋ねはしなかった。なんせ隣の隣で、聞くには距離がありすぎた。翌朝、問い詰めたところ白状をしたという。もうほんとありえないと思った。でも、と彼女は言った。でも好きだから戻っちゃったんだよ。え、戻ったんですか! バカでしょ~! 女たちは笑い合った。こういうことはもうやめてほしいと頼んだ。もうしませんと男は言った。それで済んだと思った私はバカだった。浮気相手は他にもまだいたのだった……
興奮したキャサディがしている話の内容などもはやまったく頭に入ってこなくなってしまって、諦めて顔を上げると先ほどと同じように店内をぼんやり見ていた。
たくさんのスタッフが働いていた。どの人も若く、自分の外貌に一定の自信あるいは自覚がありそうな、非常に生きる勢いがありそうな人たちだった。スタッフ同士で仲もよく、仕事のあとに飲みにいくのは日常茶飯事だった。スタッフのグループLINEでは頻繁に飲み会が発案され実行されていたし、春は花見、夏は海とバーベキュー、秋は飛ばして冬はスノーボードに彼らは行った。
客席は大方埋まったようで、たしかにこれなら2時間制というのも納得せざるを得ない、僕なんかを入れてくださっただけ御の字、大感謝、そんな卑屈な思いがもたげる。どの人たちも楽しそうだ。目の前に広がっているのは、談笑、談笑、談笑。そのなかに一人、二人用の席に一人で座って本を読んでいる男がいることに気づいた。僕はそういう人が他にいたら共感めいたものを覚えたりするのかなと思っていたのだけど、その姿を見つけたときにとっさに浮かんだ言葉は「場違い」というものだった。とても場違いな過ごし方に見えた。場違いで寂しい、孤独な光景に思えた。
「あなたはここでいったい何をしているんですか?」
問いただしたくなった。そう思ってすぐに、自分もまたまったく同じ身であることに思い至り、口角が上がるのを感じた。
出ようかな、と思った。時間を見ると入ってからまだ1時間も経っていなかった。
レジで会計を済ますと、勇気を振り絞って「本棚を見てもいいですか」とうかがった。快諾してくださったので本棚に向かった。
座っているときも本棚を見に行こうかと思ったタイミングがあったのだが、後にも先にも誰も本棚の前に立っている人を見かけなかったため躊躇していたのだった。トイレに立つ振りをして棚の前を通ってみようかとも思ったが、なんとなくできなかった。お金を払ったときにやっと、せっかく来たのだし本を見てから帰ろう、旅の恥はかき捨てだと意を決し、見させていただくことにしたのだった。
壁一面に設えられた大きな本棚のすぐ後ろが客席になっていてうろうろするスペースはあまりなく、リュックを背負った僕はそろりそろりと本の背表紙を見て進んでいった。なにか「これは」というものに出くわしたら買っていこうかとも思っていたのだが、後ろの席の人から「こいつは人の席のそばで何をやっているんだ」と怪訝に思われはしないだろうか、そもそも邪魔に思われはしないだろうかと気が気でなく、独特な分類も興味深かったしその中で面白そうな本もいくつもあったように思ったが、僕のひ弱な頭は購買の決定等に使うだけのリソースを捻出することができず、奥まで行くと引き返して、未会計だと誰かに誤解されなければいいなと妙な心配をしながら、そう見えないように堂々と、努めて堂々と、と思いながら、店をあとにした。
地上に出ると深呼吸をして、夜の街がキラキラと光っていた。行き交う人々は楽しげで、僕は空腹を感じた。喉が乾いていた。餃子か唐揚げが食べたくなって、また、ビールが飲みたくなった。それらを果たせる店に行こうと思って、調べ始めた。
「いいね! いいね!」
キャサディのはしゃいだ声が頭の中でうつろに響き続けている。路上にひとり、僕は立っていた。