すごく、楽しみにしていた本がある。
発売のその日を今か今かと待っていた本がある。
そういう経験は、読書好きだったらきっとあるだろう。
村上春樹の新作が出るときなんて、毎回ニュースになる。出るぞ、出るぞ、と少しずつ煽られて、さあ、「読むぞ〜!」というあの感じ。とてもいいなと思う。本を取り巻く話題としては出色の明るさと熱狂があるように思う。
もちろん、村上春樹に限った話ではない。直木賞を取ったあの作品、何年も出版が噂されていた翻訳小説、あの力作が奇跡の復刊。それぞれ、「とうとうこの日が!」ということがあるだろう。
新刊に限ったことでもない。レビューを読んだら猛烈に読んでみたくなったノンフィクション、好きなアーティストが紹介していたエッセイ、ただツイッターでちらっと見ただけなのに気になってしかたがなくなった誰かの何か。本に、新しいも古いもないかもしれない。
読みたい本と、そうでもない本、本にはその2種類しかないとも言えるかもしれない。読みたい本があるという状態は、とてもいい。とても心躍る。いいよね、読もう、読もう。そう思う。
それと同時に思う。「それ、どこで読むの?」と。
待ちに待った読書だ。せっかくなら、なににも遮られず、脅かされず、気持ちよく読みたい。とても楽しみな読書の時間を前にしたとき、「さて、どこで読もうか」というのは重要な問いだと思う。とっておきの一冊を、人々はいったいどこで読んでいるのだろうか。
「家でいいのでは?」
たしかに。それでもいいと思う。家での素晴らしく充実した読書というものがあることは当然、僕だって知っている。僕自身も日々の楽しみ方はそのケースがもっとも多い。仕事を終えて帰宅して、ソファに座って安いウイスキーを飲みながら夜な夜なおこなう読書は僕にとってたしかな日々の糧になっている。一日の労働を支えている。
ただ、何にも邪魔されずただただこの本を楽しみたい、贅沢な時間として楽しみ切りたい。そう強く願うとき、家という場所はどこまでそれを叶えてくれるだろうか。できないとはもちろん言わない。でも、難易度はそれなりに高いんじゃないか。どうだろうか。
少しばかりシミュレーションしてみよう。
金曜夜、仕事を片付けて会社を出ると乗り換えの新宿でいったん外に出て紀伊國屋書店に寄った。いつもはふらふらといくらか売り場を回るが、今日は目当ての一冊があった。その本があるであろう場所に直行し、手にし、すぐ会計。今日は俺はこれを読むの。
電車に戻り、すぐに開きたくなる。しかし家に着くまでぐっと我慢することにした。発売の報を聞いた先月からずっと楽しみにしていた一冊だった。丁寧に気分よく落ち着いて読み始めたい。
電車に乗っていると空腹を感じた。時間は七時。晩ご飯はどうしようか。どこかに寄ってさっさと食べて、それから帰ろうか。いや、しかし、早く読みたい。それならばサンドイッチでも作って、つまみながら読むことにしようか。材料を買うためにスーパーに寄ろう。ついでにビールも買っていこう。お酒がなくては始まらない。
右手にはスーパーのレジ袋、左手には紀伊國屋書店のあの袋、両手に袋をさげて岐路を急ぐ。無事帰宅。さっそくサンドイッチの作成に取り掛かる。野菜の水切りをしっかりするとべちゃっとした仕上がりにならない。上手にできた。
ビールを冷蔵庫から取り、普段は使わないグラスも用意して、いざソファに。サイドテーブルがシームレスな動きをつくってくれる、お気に入りの場所だった。ビールを一口飲み、さて、いざ——
読み始めた。食べ始めた。サンドイッチはあっという間に平らげてしまった。ビールもみるみるうちに減っていく。本が少しずつ進んでいく。面白い。ビールがなくなった。次の一本を取りに本を閉じ、腰を上げる。そうだ、音楽を掛け忘れていた。読書にちょうどいい、ナイスなミュージックで彩りたい。しかしその前にビール。
冷蔵庫を前にすると、扉に吊っているホワイトボードに「ゴミ出し」と書かれているのが目に留まる。そうだったそうだった、今日はゴミを出しておかないとだった。その下には「祝儀袋」とある。あ! そうだった! 祝儀袋を買わないといけないんだった。あとでコンビニに買いに行こう。そういえばサンドイッチを作ったときの洗い物もあとでしておかないと。洗い物といえば、今日中に洗濯をしておかないと週明けに困るんだった。洗面所に行ってカゴのなかの洗い物を洗濯機に移し、回す。
やっとビールを手にすると、定位置に戻って読書を再開する。あ、音楽。立ち上がり、音楽再生。そして読書再開。面白いことになりそうな予感がプンプンとする。やっぱり楽しみにしていただけあった。この話はいったいどうなっていくのかな。2本目のビールも減っていく。もう少し何かつまみたいな。冷蔵庫に何かあったっけか。たしかめぼしいものはなかったはずだ。祝儀袋ついでにコンビニに買いに行くか。いやもう少し読んでから。このビールが終わったら。読書が進む。たいへんいい。いいぞいいぞ。洗面所の方からピーーーという音が鳴る。洗濯が終わったらしい。干さないと。洗濯物を干す。やっぱり乾燥機付きにするべきだったかなあ。まださすがに買い替え時ではない。立ったついでにつまみを買いにコンビニに行こうか。
つまみを選んでいると、もう少しビールもあった方がいいかなという気になり何缶か一緒に買う。部屋に戻ると、ビールに気を取られて祝儀袋を買い忘れたことに気がついた。まあ、明日でいいか。いや、いやいや、明日でいい。ゴミだけ先に出しておこう。ゴミを出しに階下にまた降りる。部屋に戻る。これで、何もない。さあじっくり読むぞ。玄関から物音が聞こえる。妻が帰ってきたらしい。今日は遅くなるって言ってなかったっけ!?
「おかえり〜」
「ただいま〜」
「おつかれさま〜」
「お、なに読書? いいじゃんいいじゃん優雅じゃん〜」
「今日飲み会は?」
「なでしこが来れなくなって、じゃあまたにしよっかって」
「あーなでしこちゃん。なでしこちゃんでも復活したんだ?」
「うん、今週から、もうなんか前より元気」
「無理しないといいよね、しがちだよね、なでしこって名前やっぱりどうしても間宮あや最初に浮かんじゃう」
「知らない」
「うん。でも残念だったねえ」
「なにが?」
「あ、飲み会、楽しみにしてたから朝」
「あー、ね、私は二人でもよかったんだけどあつこはそういうとこ気を使うというか、すまん〜行けなくなった〜って来たら残念!じゃあまた今度だねって即で、またたく間に、というか開いたときにはもうそうなってた、見たら秒だった、あそうかまそっかって」
「そかそか、まあたまにはゆっくりするのもいいですよね。わりとビールあるけど飲む?」
「飲む飲む〜。なんやかんや金曜やっぱ疲れた〜」
「おつかれおつかれ〜〜〜我々は今週も立派に働いた〜〜〜立派〜〜〜汝自身をほめたたえたまえ〜〜〜」
「はいかんぱ〜〜〜い」
妻との会話が、いつだって楽しみだった。職場で今日あったこと、通勤中に見かけた面白いもの、話した人、その内容、それを聞きながら、あいづちを打ったり笑ったりしながら、とても満ち足りた気分になった。
二人でつまみを食べながらビールを3缶空けると彼女は「シャワー浴びてくる」と言って部屋から出ていった。また読書を再開した。気づいたらうとうととしていた。今日は少し飲みすぎたかもしれない。コーヒーにしよう。また立ち上がり、お湯を沸かしてコーヒー豆を挽いた。もちろんシングルオリジンの、豆だ。妻が風呂から上がってきたので「コーヒー淹れるけど飲む?」と尋ねると、「眠れなくなるからいい」と答えた。リビングの椅子に座って髪をタオルで乾かしている。コーヒーを淹れる背中に向けて話しかけてきて、注がれるお湯の先の細かい茶色い泡を見ながらそれに答える。コーヒーが入ると彼女は、「明日早いしなんか疲れたしもう寝るわ。どうぞごゆっくりね。でも夜ふかししすぎちゃいけないよ」と言って、それから「あ、祝儀袋って買ってくれた?」と付け足した。コンビニに行ったときの顛末を話すと「代わりにビール買ってきちゃったわけだ」と言って笑った。「まあ明日でいっかね。楽しみだねえみはるちゃんの晴れ姿。見た瞬間に泣いちゃいそう。誰?って言われそう。じゃ、おやすみ」そう言うと部屋に入っていった。
妹が明日結婚する。なんとなく不思議な感覚だ。わりとずっと仲のいい兄妹で、彼女が就職して働くようになると、年に何度かは仕事終わりに落ち合って飲むようなことがあった。それぞれの恋愛の話なんかもしたものだ。たけとくんの話も出会ったときから聞いていた。一度は別れた二人がまたよりを戻して、信頼を築き直していって、明日結婚式をあげる。
「こんな結末を迎えるとはね。いや、はじまり、あるいは第二章の幕開け、か」
そうつぶやくと少し笑って、それからコーヒーを飲んだ。
……いかがだろうか。なんとなく穏やかで幸福な夜を過ごしたことはわかった。よかった。
しかし、そもそもの目的である読書はどれだけできただろうか。
家での「ハレ」の読書を完遂させるためには、超えなければならない障害があまりに多くある。
気の散る要素がありすぎる。生活が近くにありすぎる。お腹が減ったらあるいは何か飲みたくなったら自分でそのつど用意しないといけないし、片付けもある。やってきた眠気に対しては抗うよりも受け入れる方がずっと容易い。一緒に暮らしている人があれば話しかけてくることもあろう。用事を言いつけられるかもしれない。一人でいたとしてもテレビやパソコンが手招きをしてくることもあるだろう。誘惑は尽きない。
もちろん、様々の状態を最適に調整して、準備万端の格好を用意しておこなう家での読書も楽しいものだ。「今日は朝まで読んじゃうぞ〜」というウキウキした気分には、何か子供の頃のお泊まり会のときのような喜びと期待がある。それを否定する気は毛頭ない。それはそれであるとして、家ではない快適に読める場所もほしい。家でも職場でもない、サードプレイスとしての読書場所。この特別な一冊を読むためにあつらえられた第三の場所、それがほしい。