読書日記(97)

2018.08.12
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#8月4日(土) 起きたとき、曜日が思い出せなかった、変な眠り方をした、なにかやっぱり体調がいくらかすぐれないところがあるのだろうか、営業し始めても、なにか目の前がいくらかチラチラしているような感じがあった、少し白い、目の前が。
とても暇な始まり。昨日、ひたすらがんばったので、やることも薄く、ゆっくりしている、日記の推敲をまずおこなった、印刷して推敲するのはやっぱりやりやすいし気持ちがいい、編集者にでもなったかのような気分だ、誇り高い、誇り高い編集者だ、校正記号を学んだらよりいい気持ちになれるだろう、学ぼうか、それから、経理の作業をした、TODOリストを新調して毎日少しずつ経理をやれるように、タスクとして登録したところ、非常にまめまめしく経理を進められて、よい、一日に伝票を2日分、レシートを5枚、Excelに登録しなさい、というそういうタスクだ、それを始めて2週間ほどか、だいぶ、現在に近づいてきた、それにしても、数字がどうなっているのか、さっぱり把握していないままなのは変わりなかった、かつてはあんなに好きだった、ピボットテーブルで「ポン!」も、まったくおこなわれない、3月くらいから、月の売上を算出したりしていないのではないか、とても低調ではないけれどもとても好調でもない、ということだけがわかっている、曖昧にわかっているし、曖昧で今はどうやらいいらしかった、午後三時頃だった、やることも見えなくなり、『GINZA』の原稿に手が伸びない、僕はこの原稿は、選ぶまでがそれなりに気が重いが書くこと自体は楽しい気がしているから、やればいいのに、なんでか、火曜日でいいかな、という気でいるらしい、手が伸びない。
八月四日 八時。出発。被割礼者と列車の中で最後の調査。三つ四つのすさまじい落雷。そのあと滝のような雨の中を発つ。いまや雨は困ったことに本降りになったらしい。到るところ沼ばかり。道は小川に変わり、どろどろ。
バマコ。丘は青々として、この季節は非常に穏やかな風景。大きすぎはしない中心地。むしろ、《水の都》。
着くとすぐ、その筋の人々の挨拶、そして歓迎の言葉。グリオールは空軍仲間の一人に会う。 ミシェル・レリス『幻のアフリカ』(岡谷公二・田中淳一・高橋達明訳、平凡社)p.123
レリスを読み、そうか、1931年、ひゃく、何年だろう、113? 113かな、あ、違うw 80年くらい? 90年くらいか、90年くらい前の8月4日にレリスは列車でアフリカを移動したのだな、と思って、じゃあレーナは? と思って、『レーナの日記』を開くと、8月4日は見当たらず、それで少し読み、それから『GINZA』の原稿をやり始め、と思ったところから、一気に忙しい日になって、結局は忙しい日となって、快哉を叫んだ、よかった、飯食って、帰って、保坂和志を、と思ったら間違えて『レーナの日記』を持って帰ったらしく、読んだ、レニングラード、1941年の暮れ、ドイツ軍が徐々に後退していく、少し、生活が戻ってくる。
##8月5日(日) 朝、頭がじんわりじんわりしていて、起きてからも朦朧としている、準備をしながら、数ページ「ハレルヤ」、そのあと開店し、今日は昨日が始まりがものすごくゆっくりだったが今日は速かった、夕方くらいまではずっと集中というか気を張って働いていた、晴れていて、外で煙草を吸いながら「ハレルヤ」。
猫はペチャたち両目ともある猫も狙いをさだめるときには顔を頷くように上下に動かして距離を測る、花ちゃんもそれと同じ動きをした、何より花ちゃんが狙いを外すことはなかった。
二階のベランダの手摺りから落ちたことは二歳になるまでに二回あった、それは花ちゃんが小さい頃はチャーちゃんのかわりでもあったからだ、 保坂和志『ハレルヤ』(新潮社)p.16
この展開のところで、今までは特別「わあ!」とはならなかった箇所だったが、3度目の今日、「わあ!」となった、花ちゃんは失敗しない、そういえば失敗したことがあった、なぜならばチャーちゃん。それから、
けれど肝心なのは最初のこの言葉だ、犬たちがいっぱい踊って暴れてる絵を見て、私はこれがいまのチャーちゃんだ! と直感したのだ。
花ちゃんは小さい頃は同じメスでもジジのときとは全然違う男の子みたいな暴れん坊だった。 同前 p.16,17
踊るやんちゃなチャーちゃん、花ちゃんの小さい頃も。
花ちゃんとチャーちゃんがダイナミックにぐんぐんして、ぐんぐん来た。それから、終日忙しかったというかずっと働いていたような気がする、忙しかった、食べ物がどんどんなくなっていった、途中、昨日の夜に少しだけ文字起こしをしていたことを思い出して、そのときに、ローの、RAWの話のときに、滝口さんが「ローフード」という言葉を出した時に、聞きながら、文字を起こしながら、どうしてだか代々木上原の駅前の通りを、花屋さんとかのある曲がり角のある通りを、思い浮かべていた、浮かべながら耳をそばだてて文字を起こしていた、ということを思い出した、あれはなんだったのだろうか、僕が勝手に、代々木上原在住といつかに聞いた記憶があってそれで伝票に「代々木上原くん」と書いている青年が昨晩やってきた、それもあっての代々木上原だったのだろうか、しかしローフードはなんのトリガーになったのか。それで、食べ物がどんどんなくなっていった、おかずが途中で一つ切れて、それで定食は出せなくなるというとてもめずらしい事態になったあと、鶏ハムもなくなって、だから、おかずは、一つだけでなく三つ、ほぼ切れて、だから、明日の朝は仕込みはものすごいことになるぞ、というところで、今日は今晩は僕は食べるものはあるだろうか、と考えたとき、濃い味のものを食べたい、ラーメンだろうか、と思って、ラーメン楽しみと思って、そのときに、では、前回の反省:ラーメン大盛りとご飯大盛りだと多すぎた。では、どうしたらいいだろうか、ラーメンとご飯大盛りだろうか、ラーメン大盛りとご飯だろうか、どちらにしたらいいだろうか、とひとしきり、悩みながら、猛烈に、働いていた、どんどん夜になっていった、時間が足りない、足りない、といくらか慌てるような気持ちも湧いた気もした、閉店して、食べ物が少しあることがわかったため、ラーメンはやめて、節約だった、なんとなく節約したい気持ちがあった、千円がもったいなかった、ラーメンはやめて、店で、大量にご飯を食べたら朦朧とした。食べ物を食べて朦朧とするといつもフアン・ホセ・サエールの『孤児』を思い出すので思い出した。
帰って、「ハレルヤ」。
笑える冗談ではないがかわいい、とてもしっくりしている、鳥の鳴き声も写っているみたいだ、死ぬ前に一時間だけでもこんな楽しい思いができてよかった。しかし花ちゃんがいなくなって私はどうすればいいのか? 雑草だらけになっている庭の草を抜いてガーデニングでもはじめるか? 買うだけ買って少しも読んでない十冊以上はあるキリスト教神秘主義の本を少しずつ読んでいこう、もう何年も前からそう思ってきた、もっともしばらくは何も読む気になれないだろう。 同前 p.30
読むごとに、目に入ってくるというか、強く意識に訴えかけてくるというか、目が覚めるというか、箇所が変わる。で、寝た。
##8月6日(月) いつもより30分くらい早く起きたか、悲壮感みたいなものを漂わせながら起床し、朦朧としたまま出、買い物、店、PUNPEEを聞きながら激しく労働をした、ほんといいなあ、どの曲もいちいちいいなあ、と思いながら激しく労働した、でも君がそう言うならばつまり僕はヒーロー、という、この、そう言うならば、というのがとてもよくて、そういうことだよなあ、と思いながら激しく労働した、どうにかこうにか開店5分前にいろいろ完了して間に合い、慌てて外で煙草を吸いながら「ハレルヤ」を読み、開けるぞ〜と叫びながら店を開けた、そうしたらまったく誰も来ない、こんなことならば間に合わなくてもよかった、ついそう考えそうになるが、それは違う、ということもすぐ考えるから、打ち消されるから、ではこのときに僕が考えた考えというのはどんな考えということなのだろうか。
今日は開店までの2時間が仕事みたいな日になるようだった、2時間、めいっぱい、フルスロットルでがんばって、そうしたら何も起こらない、というか、何も、というのはまったくの嘘だが、惨憺たる暇な日で、夜から雨が降るという、強く降るという、暇なままだろう、2時間の日だった、今は眠い、それで、眠くなる前の時間、まず『GINZA』の原稿に取り掛かり、そうしたら書けたため送った、すっきりして、すっきりしたら、じゃあ、なにをやりたいの? と思っていくらか途方に暮れた感じにもなった、とりあえず「ハレルヤ」を読み、読み終えた、3回くるくるとリピートして、これは1つの曲を気に入ってリピート再生するような感覚だった、読むたびに、面白い、それから、次に行こうかと思ったが、次に行くのはもう少し後にすることにして、『幻のアフリカ』を開いた、8月6日だった、1931年、8月、と思って、1ページも読まないうちに何かオーダーが入ったのだったか、離れて、そのまま離れていた、それでウィトゲンシュタインの日記を開いた、すると1931年10月ということがわかり、気づかなかったが、ウィトゲンシュタインの日記とミシェル・レリスの日記は同じ時期だった、読むと、面白かった。「昨夜、戦慄が走って夢から目が覚めた」という、10月12日の記述。
怖い夢から覚めたかのような感じで目が覚めた(こんな時に子供の頃からいつもしていたように、私は顔を毛布の中に隠し、数分してからようやくおそるおそる顔を出し、目を開けてみた)。さきほど述べたように、この戦慄には深い意味がある、という考えが意識に浮かんだ(ただし、すぐ後になって自分にはっきりしたように、この考えは腹から来たのだったが)。それはすなわち、このように戦慄できる能力は私にとって何かを意味している、という考えであった。目覚めた直後、戦慄の中で私は考えた。夢であったにせよ、夢ではなかったにせよ、この戦慄は何かを意味している。その間、自分の体が何をしていたにせよ、確かに私は何かを為したのであり、何かを感じたのだ。
つまり、人はこんな戦慄を味わうことがあるのだ。——そしてこれは何かを意味しているのだ。 たとえ人が夢の中で地獄を体験し、その後目覚めるのだとしても、地獄はやはり存在しているのだろう。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記』(鬼界彰夫訳、講談社)p.71,72
そのすぐあともよかった。「私の言葉はうまく訓練されていない(あるいは、全く訓練されていない)。つまりしつけが良くないのだ。——恐らくはたいていの人間の言葉がそうであるように。」とあり、ウィトゲンシュタインの自己評価の高さというか、落ち着いた自己評価みたいなものは出くわすたびに気分がいい。
そのあと腹が減って、最近たまにそうするように、パンに、マヨネーズぐるぐる、卵黄、玉ねぎのマリネ、ベーコン、で、チーズ、なんだが、「あっ」と思って、そうだ、今日は、なんだかクロックムッシュ的な、ホワイトソース的な味わいを何か、と思って、であれば、バターも使うべきだったが、遅かった、生クリームを卵黄のあたりにちょろちょろっとやって、それをもってホワイトソースとした、というそういうものを、トーストし、食べた、最初やったときは卵をそのまま落としてやっていたが、卵黄だけにしたほうが固まりやすいのではないか、と思って前々回くらいから卵黄のみにした、つまり4回はやっているということだろうか、ここひと月ほどで。というそのトーストをガリガリと食べ、それから『ハレルヤ』の、次のやつ、「十三夜のコインランドリー」を読み始めた、キャロル・キングから始まって、始まったから、読んでいるあいだ頭のなかではずっと「It's Too Late」のようなニュアンスの音が鳴っていて、自動的に、『ヴァージン・スーサイズ』の色合いみたいなものがその裏側に、二層目の背景としてできた、と思って、『ヴァージン・スーサイズ』にキャロル・キングの曲は本当に使われていたっけか、と調べてみると、どうやら「So Far Away」だったし、僕のところで鳴っているのも「It's Too Late」ではなくて「So Far Away」だった。それでキャロル・キングから始まって、何度も戻りながら、ずいぶん遠いところまで行く。「ハレルヤ」のときと同じように、展開していくそのきっかけというか、どこでそっちに向かうスイッチが押されたんだ、みたいなのが、とにかく面白い、一文一文が面白い、たとえば「猫がいつまでこの重い重い体でいることを私は望んでいるのかわからない、先は長くない、長くないが日々に大きな変化は今は止まっている、」の、「止まっている」とかとても面白い、日々に、と書き出した時点では変化は「起きていない」ものだったんじゃないか、それが「日々に大きな変化は今は」と書いたら、「止まっている」が出てきたというか、より実感に根ざした言葉は「起きていない」ではなく「止まっている」だと気づいたんじゃないか、というような、そういうふうに一文一文が面白い。
そのあとは、「環七を渡ったところに半年ぐらい前からある大きなコインランドリー」とあって、グーグルマップを開いて探していた、これかなと思って、口コミをみたら一番古い10ヶ月前の投稿に「最近できた」とあったし、この作品が2018年2月号掲載ということだから、書かれたのが12月くらいだとすると、わからないが、だとすると、半年ぐらい前は6月くらいで、口コミの10ヶ月前は8から10を引くから、マイナス2。マイナス2っていうのはなんだろうか、8月の10ヶ月前はいつだろうか、10月か、10月。オープン4ヶ月くらいして最初の口コミがついた、新しいコインランドリーとしてついた、妥当な線だろう、そういうわけできっとこれだろう、と思い、それからストリートビューにすると、光の色が冬で、ぎゅんと胸が切なくなった、しかし本当に冬なんだろうか、と思いながらうろうろしていたら、コンビニの前を歩くしっかりしたコートを着た女性の姿があって、やっぱりおそらく冬だった。そうやって、散歩をして遊んでいた。
すぐにそれには飽きてこのあいだ奥さんが死んで、自分ひとりになって奥さんがいたときと同じように朝四時に起きてお粥を焚いている、妻がいなくなった家も私も空っぽだという手書きのハガキをくれた、カルチャーセンター時代の私より三十歳ちかくも年上の人にコインランドリーの外の道に出て電話した、すでにだいぶ高く上がっていた十三夜くらいの月を見上げながら三十分ちかく話した、その人は、
「まったく、男なんてものは連れ添った女房がいなくなるとカラッポだね。」と、
少し歌うようにしゃべった、はじめのうちはひと言しゃべっては短く一回咳払いをして、奥さんのことを話すのは咽が詰まっていたがそのうちにふつうになった、そしてそのうちにいま製作中の木版画が二、三年のうちに仕上がるからそのときには奥さんと二人で見にきてくれと言った。 保坂和志『ハレルヤ』(新潮社)p.66
話の始まりの奥さんの不在の話も胸が詰まるというか、つらい気持ちになる、しょんぼりする、それはそれとして、十三夜、三十分、それから短い咳の一回、と数字が続いて、そのあとに出てくる「二、三年のうちに仕上がる」のなんというか凶暴さというか、すごい! と思った。
と打ったとき、「三十歳」は入れると話が弱くなるというかその「すごい!」が弱くなるような気がして素知らぬ顔をして都合よく切り捨てた。雨がなかなか降り出さない、これは自転車で帰れたりするのだろうか、と今、11時前、思っているところだが、どうだろうか、わからないが、「十三夜のコインランドリー」も今3度目で、短編というのはこういう読み方がしやすいというのは短編のいいところなのかもしれない、と思った、初めて感じたことかもしれなかった、長編だとひとまず先に先に行ってしまって、終わってもうひとまわり、というのはよほど元気じゃないとできない気がするけれど、短編だと気楽に何周もできる、これは愉快だった、それにしても、読んでいるとずっと、と打っていたら外を通った車の音がアスファルトが濡れているときの音だった、ついでに看板も上げちゃおう、と外に出た、扉を開いた瞬間にむっとした湿気と一緒に雨の匂いが香った、下りると、かすかな霧雨が今は降っているようだった、それで戻ってきて、読んでいるとずっと、とても強いあこがれというか、こういうことをやってみたい、というような、そういう、つまり書きたいという、そういう気持ちになっている、なんだか、なにを書きたいって、こういうものを書きたい、というような、そういう気持ちになっている、粘り強く、うんうんとゆっくり、前に進むような、そういう書き方でなにかを書いてみたいようなそういう気持ちになっている。
11時。「ネコメンタリー」が始まったはずだった、保坂さんの回で、あとでNHKオンデマンドで見られるといいなと今は思っている、6月にトークをしてそれから何度も文字起こしをしながら聞いていて、聞けば聞くだけ、保坂さんの話している様子は本当にいいなあ、となって、だからこの番組もとても見たい、保坂さんの話している様子を見たい、という、まあだからこれはただのファン心理というか、お話をして、と、この場合ぼくが話し相手だったことはどれだけ関係しているだろうか、客として保坂さんのトークイベントを聞きに行ってその姿を見て聞いたとしても、同じようにその話し方に今のように惚れ惚れとして、テレビに出る姿も、見たい! となっていただろうか、わからないが、とても見たくて、だからNHKオンデマンドで見られるといいなと今は思っている。
それから、少しウィトゲンシュタインを読んで、それから、11時半。「ネコメンタリー」が終わったはずだ、見逃し配信というのはオンエア後どれくらいで配信されるのだろうな、そもそも本当にNHKオンデマンドで見られるのかな、と検索し始めるも、いまいちわからず、途中で、勝手にアップされた他の回の動画がYouTube的なところにあったりして、こういう形を待つしかないのだろうか、といくらか暗澹としてきた、なんだか、やたらに見たいらしかった、今一番の希望というくらいの、それで、そうしていたら、「これからの配信予定」というページを見つけ、そして見ると、明日アップされる模様! ということがわかり、とても安堵した。よかった。僕は明日は楽しみがあった、ひとつは「ネコメンタリー」で、もうひとつが『ハレルヤ』のうしろ2つを読むことで、もうひとつが本屋さんに行ってJ Dillaの本を買ってきて、どんな本なのか知らないが、数日前にインスタでふと見かけて、『Donuts』のジャケットと同じ写真が配された表紙の本らしくて、Amazonで検索すると著者のところに「ピーナッツ・バター・ウルフ」とあり、なんかそれとてもいいよ、と思って、がぜん読みたいことになっていた、それを買ってきて、どっぷり読む、それをしたい、それらをしたい、カレーを作って、キーマカレーを作って遊ちゃんと食べたい、ビールを飲みたい、散歩もしたい、雨だろうか。
なんかそれとてもいいよ、と打つとき、『三月の5日間』の、山縣太一のことを思い出している。
帰宅後、寝る前、「こことよそ」は明日の楽しみ、というところでプルーストを久しぶりに開いた。最後に読んでいたところが面白くないというか、なんの話してるんだろう、という話で、退屈だったこともあって開かれなくなっていたが、読んだら、電光石火という感じの面白さがあった。
しかし、嫉妬の消滅を待ちさえすればあかるみに出せると思っていたそうした興味ある問題も、スワンが嫉妬することをやめてしまったあとでは、彼の目にすべての興味を失ってしまったのであった。といっても、正確にいえば、嫉妬しなくなった直後からではない。オデットに関して嫉妬を感じなくなってからも、ひるにラ・ペルーズ通の小さな住まいの戸を空しくたたいたあの日の午後のことだけは、彼のなかにまだ嫉妬を煽りつづけたのであった。そんな嫉妬は、ある人々の体内よりもある土地やある家屋のなかにその本拠や伝染力の中心部をもっているように見える疾病に、その点でいくらか類似しているものであって、それの対象となっているものは、オデットそのものよりもむしろ、彼がオデットの住まいの戸口という戸口を空しくたたいた、もういまはかえらない過去のあの日、あの時間であるといってもよかった。いわばあの日、あの時間だけが、かつてスワンがもっていたあの恋の性格の最後の分子をひきとめていたのであって、彼はそこよりほかにはもはやそうしたなごりを見出さないのであった。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈2 第2篇〉花咲く乙女たちのかげに 1』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.162,163
スワンのオデットへの感情の修正関連の記述はいつでも、もうひと息、先に進む感じがあって、面白い、のかもしれない。もうひと息というか、体内に差し込まれている、内蔵とかに触れている手が、もう数センチ前に進められて、えい、のような。
##8月7日(火) リュックを背負わず、雨靴で、徒歩。涼しさがあった。店、素通りして皮膚科。薬もらう。店、コーヒー飲み、一服し、いくらか準備し、11時から取材。途中途中でひきちゃんと歓談しながら取材終わり、撮影用にお出ししたご飯が手を付けられなかったので朝ご飯がわりに食べて、じゃ、と言って家帰る。帰ると遊ちゃんが出るところで、バトンタッチのようだった、僕もまたすぐ出、今度は自転車。
丸善ジュンク堂行き、カレーの本を立ち読みして、カレーのことを考える、途中、たぶん祖父母と孫という三人組がいて、おばあちゃんがおじいちゃんに「ゆういちさんゆういちさん、認知症バイバイ体操」と、置いてあった本を指差し、おじいちゃんがなにか応答し、孫の、底の厚い靴を履いた女の子が「おっかし〜」と言う、言いながら、おじいちゃんの腕の隙間にすっと腕を差し入れて、組んで、ゆっくり、三人で歩いていった。
それから、音楽の棚のところに行き、行くとすぐにあった、J Dillaの本を取った。P-VINE BOOKSだとどうしてだか思い込んでいたらDU BOOKSだった。それから、うろうろし、マスキングテープを取り、買った。「おっかし〜」が心地よく残響している感じがあった。
エレベーターからおりると、見えた映像の何かが「あれ?」と思わせ、よく見ると、食べるように読んでいるTシャツを着た人がいる! と思って、見ると、先週のABCで買ってくださった方だった、目が合い、あれ〜どうもどうも、と言う、このあとフヅクエに来てくださるとのことだった、ぜひぜひ、と言った。
家に、帰って読もうか、と思ったが、いややっぱりフグレンで読んでから家に帰ろうか、と思ったが、やっぱり家に帰って読もうか、と思ったが、フグレンに入る路地のところを通り過ぎそうになったとき、通りすぎずに曲がって、自転車はフグレンのところに停められた。夏休み的な混雑があるかとも懸念したが、天気が微妙ゆえに今日はそうでもないかとも祈念したが、後者だった、静かフグレンがあった、カフェラテのダブルショットのやつをお願いし、誰もいないソファに座って、J Dillaのやつを読み始めた。最初がピーナッツ・バター・ウルフによる序文だった、そういうことだった。『Donuts』は本当になんというか僕は名盤だった、まったくコンテキストは知らなかった、すでに亡くなっていることすら知らなかったかもしれない、どうして聞いたのかも思い出せないが、わしづかみにされた。大学生の頃だった。
このアルバムは、ディラの生前と死後という正反対のコンテクストで聴くと全く異なるサウンドに聞こえた。だがどちらにせよ、僕や仲間たちにとって、このアルバムは芸術作品なのだ。それは公式のアルバムとなる前から、すでに名盤と言えるものだった。ディラ自身を含む誰もが、彼がもう一度病気になると分かるより前からすでにクラシックだったのだ。それは僕たちの間で話題になっていたし、歓迎され賞賛された。しかしそれが何であれ、もっと重要なのは、僕が《Donuts》を車で繰り返し聴き続けたことだ。そうすることがいつでも最良の試金石なのだ。ディラが最初に《Donuts》を僕にくれたとき、彼はそれが何なのかを説明しなかった。それは運転の最中に突然差し出され、僕の目の前に現れたのだ。 ジョーダン・ファーガソン『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命 』(吉田雅史訳、DU BOOKS)p.11
なんだか涙もろくなっているのか、病床に臥すJ Dilaの描写を読んでいたらこみ上げるものがあって、フグレンは静かで、きっとアメリカの、グッドなミュージックが流れていた。J Dillaを聞きながら読もうという気もあったが、流れている音楽やその他の聞こえてくる音のなかにいたい気がして、そのままでいた。
満足し、出、スーパーでカレーの材料を買って、帰った、ビールを開けて、「こことよそ」を読み始めた。やっぱりずーっと面白くて、面白い、面白い、と思いながら読んでいた、ジャン・ジュネのことが出てくるあたりで、意識が遠のき、次のページを開くと終わりだった、そこで、本を置いて、目をつむると、寝た。暑さだったか寒さだったかで目が覚めて、一時間くらい寝ていたらしかった、また「こことよそ」を開き、外で煙草を吸っていると、遊ちゃんが帰ってきた、それで僕もカレーを作り始めることにして、キッチンに立った、ゆで卵を作り、キャベツを千切って塩もみした。同じキャベツでも千切るのと千切りはこんなにも違う。それからスパイスを温め、いくらかして、クローブだけ取り出し、粗みじんにした玉ねぎと人参を入れ、塩を振り、蓋、蒸す。遊ちゃんが横でご飯を研いで炊く。ターメリックライスにしてみようよというところで、ターメリックとオリーブオイルを少し入れる、それで炊く。玉ねぎとかが柔らかくなってきたら、ロング缶の、本当は分けて、グラスに注いで飲もうかと思って買ってきたものだったが、遊ちゃんは遊ちゃんで帰りがけに自分のビールを買ってきて、すでに開けていたので、僕一人で飲むビールとして、ロング缶のビールを開け、飲みながら、『Donuts』をiPhoneから流す、この家には音響設備がなにもない、スピーカーくらいあってもいい、今日日中に買おうかと思ったが、忘れていた、それで、『Donuts』を聞きながら、ゆらゆら、揺れながら、上機嫌で、玉ねぎがやわらかくなり、甘い香りがしてきた、そこに、ひき肉を入れ、しばらく放置し、あとでほぐし、それからゴーヤと、違う形に切った玉ねぎと、しめじと、トマトを入れ、適当なパウダーのスパイスを入れ、また蓋をし、J Dillaの音に揺れていた。
食べながら、食卓にPCを置き、「ネコメンタリー」を見た、NHKオンデマンドで無事見ることができた、たったの108円だった、それで、見た。
「死んでいないのかもしれない、わかりやすく言うと、心の中にいるのかもしれない、もう少しわかりにくく言うと、本当にいるのかもしれない」
「本来人間が使ってきた全身使った思考のあり方と、猫の思考のあり方、鳥の思考のあり方、カマキリの思考のあり方、それを思考だと思っていなかった、小説が思考の形態なんだ」
「なんで猫なんですかって聞いてくる、高校球児になんで野球そんなにしてるのって聞かないじゃん、みんなどうしてを考えすぎなんだよ、ずっとやってるんだからしょうがないんだよ」
「世界を説明するための入り口が俺にとって猫だから、猫がいるから花の美しさがあり、冬の寒さがありっていう、世界を感知する存在があるから世界が輝ける。猫の前にいると、なにも考えていないというすごく大きな考えを教えてくれる、ただそういうふうに猫というのはいろんなものをもたらしてくれるというふうに言うと人にはわかりやすいんだけど、なにももたらしてくれなかったとしても、そこは非常に大いなるものがあるということまで猫は教えてくれる」
猫の姿、保坂さんの姿を見ながら、保坂さんの言葉を、発せられる音を聞いていると、なんだか胸がいっぱいになって、ゴーヤのカレーはとてもおいしかった、おいしいと思いながら、ほとんど泣きそうになっていた、25分の番組で、終わったとき、「ああっ!」と思った、せめてあと25分はあってほしかった、猫の姿もいちいち美しかった、とてもよかった、ゴーヤのカレーは、キャベツの酸っぱいマリネと、ゆで卵を潰したものを添えて、食べた、お腹いっぱいになった、ターメリックライスはなんせきれいでよかった、初めてやった。それで、満足して、ソファで、「こことよそ」をまた読み、ベランダに出るとはっきりと寒いという気持ちになった、散歩と思っていたが小雨が降っていた、またジャン・ジュネのところで眠くなった、どう読んだらいいのかわからないというかどう受け取ったらいいのかわからないというか結びつきというかどう反響しているのかがよくわかっていないのだろう、と思い、「生きる歓び」に進んだ、文庫も持っているから読んでいるけれどまったく初めて読む気分で読み、とにかくよかった、花ちゃんを拾ったときの話だった、
「欧米だったらこんな時期に全盲ってわかったら始末しちゃうんだけどね。
でも右はいちおう眼球はある」
私は気がつかなかったが、彼女の横にいたトリマーさんは、Y先生がそう言っているあいだずっと、小さい声で、「平気だもん」「平気だもん」と言っていたらしい。 保坂和志『ハレルヤ』(新潮社)p.139
何度読んでもなにかグワッ、と来るものがあった、それから、今日は保坂和志はおしまいにして、J Dillaをしばらく読んだ、それから、眠くなって、10時過ぎには寝ていた。
##8月8日(水) 雨、歩き、雨靴を履いていると靴下が濡れない、これまでは穴の空いたビルケンを履いていたのですぐに濡れた、しみるというより直接濡れた、でも雨靴を履いていると濡れないので、快適に歩いたら店に着いた。特にやることもなく、今日はこれから台風が来るということで、終日暇になるのだろうと思った、文字起こしを30分くらいやってから、ご飯を食べながら「ネコメンタリー」をもう一度見て、それから店の時間になった。
昨日の日記を書いていた。
猫が、世界を感知する入り口になる、世界が輝く根拠になる、その話を、外猫のシロちゃんの姿を見ているとすごくなにかこういうことかなと思う感じがあり、冬の寒さは外を歩くシロちゃんを通じて理解されるというか、要は寒さを感じた瞬間に同時にシロちゃんを思う、心配する、そういうこととともに寒さは体験される、根拠にもなるし、そのとき私みたいなものは外に外に拡張しているかもしれない、そのとき私はシロちゃんになる/とともにある、それだったら僕は遊ちゃんだった、僕はずっと店の中にいるけれども、遊ちゃんはいろいろなところにいる、今日は山梨に行くと言っていた、雨が降れば、遊ちゃんのことを思う、太陽がじんじんと照りつければ、遊ちゃんのことを思う、誰かのことを思うとき、いくらかは私みたいなものはその対象とともに存在していることになるのかもしれない、いくらかは一緒にそれを体験していることになるのかもしれない、私みたいなものは、今ここを離れて、僕はだからいま山梨にいるのかもしれない。家族でも、友人でも、顔も知らないツイッターでフォローしている人でも、動物でも、すでに死んだ人でも、同じことかもしれないと、そう考えてみることはわりと、生きていく上でヘルシーなことのように思った。
そう思って、それにしてもやっぱり暇で、やることもなくて、長い、長い長い一日になるぞ、と思うと恐々としている。柴崎友香をもう読み始めちゃってもいいだろうか、というか、なにかもったいなくて読んでいなかったが、きっと今日、手を出してしまうだろう。肩が、無駄に重い。
では、《Donuts》のサウンドのソースとして「見える」ものは何だろう。それらはイメージや色、そして雰囲気のコラージュとして心の中にちらつくものだ。それは、ミュージック・コンクレートとしてのヒップホップだ。すべてのサンプリングソースを知っているからといって、頭の中でそのサウンドをより理解できるようになるわけではない。そのリスニング体験を不条理なホラー映画のようにしてしまうだけだ。ガルト・マクダーモットがピアノを静かに鳴らしているとき、トラックの平らな荷台から空中に落下するかのように、ジャクソンズが彼の上に落ちてくるのだ。マイケルと彼の兄弟たちが配線を間違えたアンドロイドのようにひきつり、痙攣を起こし、理解不能なヴォーカルが噴き出し、事態はおかしくなる。ルー・ロウルズが黒く濁った泥沼からステージの脇に這い出すと、テンポは遅くなる。そしてジーン&ジェリーのホーンにかき消され、衛星からのレーザー砲のような威力で撃たれる前に、ルーは息を切らせた屠殺場を顕現させるのだ。暴行はすぐに終わる。しかしルーの仕上げはそれだけでは済まない。彼はステージの上を震えながら這い回り続け、この事件全体にコメントする。 ジョーダン・ファーガソン『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命 』(吉田雅史訳、DU BOOKS)p.147
初期のディズニー・アニメの雰囲気で再生された、『Donuts』の戯画化の文章というのか、これだけでも僕は面白い、このあと、「古代ギリシャの哲学者エピクロス」の、信者たちの多くが墓に刻んだ碑文が紹介されて、それは「私はいなかった、私はいた。わたしはいない。だが怖れない」というものだということで、とてもよくて、そのあと、キューブラー・ロスの死の受容に至る五段階モデルに沿いながら、このアルバムの楽曲を見ていく、サンプリングされたレコードがなんなのか、それをどう使ったのか、そういうことから、いろいろ考える、とても感動的で、胸が躍る、『Donuts』を聞きながら読みたい、サンプリングされたものも聞きながら読みたい、サンプリングって奥深いというか面白いのなあ、と思った、コラージュアートというか、すごい。ずっと面白かったけれど終盤の読み解きはすごくエキサイティングでいい、すごい。腹減った。今日は、今日もまた、トーストを食べるだろうか。今は5時ごろだ。サンプリング。コラージュ。引用。サンプリングというものが他者の声や時間を響かせるということだとは、これまで考えたこともなかった。
それからけっきょく我慢できずに柴崎友香を開いた。最初が表題作で、見慣れないカタカナの名前が次から次へと流れ込んでくる感じがとてもよくて、人が集い、バラけること、それから森に分け入ること、開けること、なんだかとても風通しがいい感じがして、風通しがよい中でも緊迫感みたいなものもそこかしこにあって、よかった。
モルタダは、いつのまにか電話を終わって、道に積もった落ち葉を散らしながら私の前を歩いていた。わたしは、写真を撮りたかった。落ちた葉は、とてもきれいだった。赤かったし、黄色かった。葉を拾いながら歩いた。もともと他の人よりも歩くのが遅いから、すぐに距離が開いた。 空は深い青だった。紅葉は進んだが、雲一つない遠い空から陽が強く射して、暑かった。 柴崎友香『公園へ行かないか? 火曜日に』(新潮社)p.10
そのあとの「ホラー映画教室」の「アイオワにいるあいだ、わたしは周りの状況がいつもあまりよくわかっていなかった。自分が思ったことや知っていることを伝えるのも難しかった。」のあとの「広い空は毎日青く、夕日は美しく、アイオワ川は止まらずに流れ続けていて、ホテルも学生会館も校舎も、いつも同じ場所にあった。」も、簡単な言葉による見えているものの描写が、すごく強く鮮やかに響く。響いて、「わあっ!」となる。
面白く、続けざまに3つ読み、面白く、これはどんどん読んじゃうな、と思っていったんやめた、それでレリスを開き、8月8日の日記を読んだ、特に、ずっとそうやって同じ日付のところを読みたいというつもりはないのだけどそうなっている、それで閉じて、なんとなく、なんでだか、小島信夫の『残光』を本棚から取ってきて、お客さんは一人だった、ソファに座って、読み始めた、これは、食らいそうだ、と思って、おののいていたところお客さんお帰りで、なじみの方で、あれこれ話し、帰っていかれた、まだ9時半くらいだったか、それで、もう来ないだろうな、雨はそんなにひどくないけれども、今日は、と思い、エアコンのフィルターを外して掃除をした、掃除機で溜まった埃を吸い取り、それを裏返してバタバタと床に打ち付けると、ふわんふわんと落ちるので、これはいいやり方かも知れない、と勢いに乗って何度も何度も強打していたら、手応えが変になり、見ると、少し割れた、水で流して、洗剤で洗い、乾かした。
飯食い、帰宅。寝る前、プルースト。今夜のプルーストも面白かった。
##8月9日(木) 世界が今日あたりで終わる系の夢を見て、しばしば見る、情景はそれぞれ違うが、今日明日で終わるんだなということはよくわかっている、そういう夢を見て、雨のつもりでいたらもう上がっていた、眠くて起き上がることが大変だった、昨日もおとといも、睡眠時間でいえばずいぶんな時間、それぞれ9時間とか8時間とか、寝ているはずなのに、朝の眠気と睡眠時間は全然関係ないんだな、というような眠気で、起き上がることが大変だった。店に行き、働こう、と思ったが、たいしてやることもなかった、今日は7時で閉店で、そのあとは家でのんびり過ごそうかなと思っていたが、ふいに、小説や日記の話をしたい、とてもしたい、そうだ、武田さんと話したい! となんでだか強く思って、来週飲む約束をしていたが、武田さんに今晩予定はありますかと尋ねたところ、飲むことになった、どうしてだか、そういう話をやたらしたかった、それでショートブレッドを焼いたりケーキを焼いたりして、過ごしたのち、Twitterのプロフィールとかをちょっと編集したいと思っていたためして、その流れで、『読書の日記』のご感想とかのツイートのまとめをTogetterで作った、いい気分になってよかった。
たいしてやることがないと思っていたがなんのかんのと時間は経ち、最後の方で柴崎友香を開いた、「とうもろこし畑の七面鳥」を読んでいた、これはすごいぞ! となった、めっぽう面白かった、途中でM・ナイト・シャマランの『サイン』の話がでてきて、そのあたりから各国作家御一行が歩く一面のとうもろこし畑は一気に不穏な気配に包まれていった。
とうもろこし畑には、なにかが潜んでいた。わたしたちからは見えないなにかが、こっちを見ている。
道の先は、少し高台になっていて、小さな森につながっていた。歩いていくと、茂みの縁には、丸太が積んであった。そしてその上には、なぜかフライパンが置いてあった。ジョンは肩をすくめて、首を振った。この敷地はジョンだけのものではないのだろうか。共有地なのだろうか。それとも元々、ジョンは知っていて案内してくれているだけで、持ち主ではないのかもしれない。
その丸太のそばには、鮮やかな黄緑色の丸いものがあちこちに落ちていた。表面に皺が寄り、脳みそにそっくりな形をしていた。ちょうど子供の頭くらいの大きさだった。 柴崎友香『公園へ行かないか? 火曜日に』(新潮社)p.72
小説、エッセイ、日記。小説とは、エッセイとは、日記とは、と、考えていて、この連作短編集を読んでいるといよいよわからなくなって、表題作は、もしエッセイと言われたらエッセイとして読みそうだなと思ったし、そこに日付けが入っていたら日記として読みそうだなと思ったし、小説だと言われたら、小説だった。「とうもろこし畑の七面鳥」は、小説だよなあ、だった。こういうことはどういうことなんだろうと思って、どういうことなんだろうなと思った。
わたしたちは、また車に乗り込んで、出発した。まっすぐな道を走り、集落が現れては遠くなっていった。アーミッシュの村に行く、といつの間にかそういう話になっているみたいだった。
「チャック」
クリスティンが話しかけた。チャック、アーミッシュっていうのは、住むところが限られているの?
隣に座っていたわたしは、クリスティンが発した「チャック」のその響きを忘れられない。 同前 p.77
もうなんかめっちゃ面白い、と思って、閉店して、これだけ読み終えて、店を出た、夜7時過ぎの初台の通りは少なくない人が歩いていて、帰り道だった、玉ねぎを甘く炒めた匂いがした、そういうものを食べたくなった。
いったん家に帰り、家を出、武田さんがいるスタジオというのか、シェアスペースというのか、そういう場所に行った、お邪魔したのは二度目だった、変な場所だった、アイスコーヒーをいただいた、もう少しやることがあるのでちょっと待っててもらっていいですかということで、僕は「庭」だったか「公園」だったかと呼ばれている芝生とソファのあるスペースで座って、次の「ニューヨーク、二〇一六年十一月」を読み始めた、もうちょっと読書をしたい気分があったからおあつらえ向きだった、喜んで本を読んで待った。これも面白く、面白い面白い、と思いながら読んでいた、語り手の、別れのときに言葉が出なかった、英語をもっと話せたらよかったと痛切に思った、その痛切さが鮮やかに迫ってきて、泣きそうな気分にいくらかなった、武田さんの、
「阿久津さん僕もう行けそう」
という声が離れたところから聞こえてきて、僕は、
「僕は、まだ行けないかな」
と言おうかとも思ったが、ぱらぱらとめくるとわりと先まで「ニューヨーク、二〇一六年十一月」の文字がページの左上に続くから、これは読んでいたらしばらく掛かるとわかり、閉じた。僕は、まだ行けないかな、と打つとき、『高架線』の新井田千一とタムラックスの公園のベンチの光景が思い出された、もう一度は、無理かな、だったか。同じことは、できないかな、だったか。どちらも違う気がする。
それで、スタジオだかなんだかを出て、代々木八幡のどこかで飲みましょうか、ということになり、代々木八幡のほうに歩いていった、一度、踏切を渡って、右側の、駐輪場や山手通りに上がる階段が巨大に目の前にある、その細い通りを行って、なにかありますかね、と探したが、ピンと来ず、行き止まりだ、となって、戻るか、となったが、同じ道を引き返すのは好きじゃない、というと、武田さんもたいがいそんなふうで、山手通りに一度上がって、それからまた下りて、居酒屋に入った、そうそう、こういうちょうどいい居酒屋がいいよ、と思って、入るなりよかった、一杯目のビールのあと、ホッピーを飲んでみた、初めて飲んだ、おいしいとかおいしくないとかそういうものではなかった、よかった、小説、エッセイ、日記、これらは、どう違うというかどういうことなのだろう、という、夕方に持っていた問いをそのまま広げるようなことをして、話をした、武田さんの口から「リニア」という言葉が出てきた、
「阿久津さんの普段のというか多くの日記が、思考の流れがリニアなんじゃないか、それが、なにか小説っぽい空気というか気配を持つとき、なにか変わっているのではないか、思いつきだけど」 というようなことを言っていた気がするが、まったく違うことを言っていたかもしれなかった、そうあったかもしれないなにか、みたいな、複数の時間が同時に存在するような、そういうものがあるとなにか小説らしさみたいなものに近づくのだろうか、というようなことを思った、ような気がした。
愉快に飲み、とんかつさんという方が合流するということで、11時半くらいだった、タラモアに移動した、とんかつさんが横浜ベイスターズのキャップと、肩に野球ボールの縫い目、胸ポケットはホームベース型という白い半袖を来てやってきた、はじめまして、と僕は言った、とんかつさんは勢いのあるしゃべり方をする人だった、しゃべっているのを見ているだけで元気になってくるような、そういうしゃべり方をする人だった。
遊ちゃんにも声を掛けたらやってきた、居酒屋で話している時に、保坂さんのときも滝口さんのときも武田さんも遊ちゃんも来てくれているのだけど、僕が話しているのを見る遊ちゃんの様子、というのを武田さんが真似して見せてくれて、僕はそれでなんだか胸がジーンとした、その遊ちゃんも、呼んでみたら来てくれて、4人で飲んだ。とんかつさんと武田さんは同じキャッチボールクラブで野球を最近している、先日初めての試合があった、試合のあと、打てなかった反省でみんなでバッティングセンターに行ったとき、とんかつさんはバッティングしている人たちに目もくれずに試合のスコアをつけることをしていた、そのときの様子がおかしかったので動画を撮った、それを見たら、数人で真面目な顔をしてスコアブックとにらめっこをしている様子が映っていた、とんかつさんが、プレイを剥ぎ取っても剥ぎ取っても野球性のようなもの、野球の表象みたいなものが残るんじゃないか、宿るんじゃないか、スコアにも、たとえば野球盤にも、というようなことを言ったとき、僕はそれを聞きながら、とても感動していることに気がついた、話を聞いていたら、頭の中というかおでこの少し先のあたりでずっと、ショートバウンドのボールを捕球している、捕球しているというか、グローブにショートバウンドのボールが吸い込まれるその瞬間、それを何度も何度も描いていることに気がついた。
武田さんは、居酒屋のとき、「ネコメンタリー」で世界を感知する入り口としての猫という話を保坂さんはしていたが、僕にとっては野球かもしれない、というようなことを言っていた、バットやグローブ、ボールを用いて体を拡張すること、「ネコメンタリー」の、その答えは、取材の方が「こういう質問って保坂さん一番嫌だと思うんですけど、保坂さんにとって猫ってなんですか」という問いへの答えとして与えられたもので、僕はその場面が感動したと言った。たぶん、取材の終わりの時期なんじゃないか、長く張り付いて、取材者と被取材者の関係ができたあとにあの問いは発せられたのではないか、遠慮がちに問う問い方、やさしいやわらかい答え方、夜の道、木々、あの空気の全体に感動した。
##8月10日(金) 昨日、看板を上げるために下におりたとき、床屋のおばちゃんと鉢合わせて、今日はもう終わり? と言われて、今日は7時までなんです、と答えた、休まないとね、長く続くんだから、休むときは休まないとね、ということを言われ、何年ですか、と聞いたら、だから、今年でちょうど50年でしょ、ということだった。50年!
感動した。
その翌日が今日で、今日は金曜日だった、晴れていて、風はあったが暑かった。店行って、開店までにこれということはたいしてなく、のんびり準備をして、間に合った。開店して、暇だった。日記を書いていた。
僕はいま小説を書きたいという気分が妙にあって、日記を書きながら、今日もそのことを考えていた、きっと、ここ数カ月というか2ヶ月くらいか、本が出たあと、日記について話す機会があったり、だからそれは考える機会があったり、それから、他のものは書かないんですかと問われて答えるだから考える機会があったりして、そういうなかで、書きたいような気になっていったのだろう、他のものは、と問われたとき、B&Bのときの質疑応答の場面だったけれど、僕は、今は日記だけでいい、日記はなんでもできるから日記で十分だと今は思っている、と答えたが、そのときは大して考えもせずに、でもそのときはそう思っていたから、答えたが、問いが、問いというものは、問いに限らずだが、与えられた言葉はいつも種みたいに、体のどこかに埋めこまれる。時間が経って、咲いたりする。そういうことなのだろう、と思った、それからは、柴崎友香の続きを読んでいた、「甘いもの、おいしいものは、かなしい気持ちやさびしい気持ちを助けてくれる。」「それでも、私が見ているのは、木で葉でリスで鳥であることに変わりはなかった。」
搭乗口に近づくと、日本語が聞こえた。日本人の会社員男性たちと、若い女性の旅行者グループ。わたしは、日本語を聞きたくなかった。聞いてしまった、と思った。特別な時間はもう終わったのだと、わかった。
定刻通りにやってきたアメリカン空港成田行きに乗り込み、窓際の座席について、iPhoneでSafariを開いた。さっきの彼女が、わたしのツイッターアカウントをフォローしてくれていた。うれしかった。長い旅の終わりが、さびしいこと楽しいこと嫌なことがごちゃ混ぜに続いた数日の、最後の最後。わたしは、彼女に感謝した。 柴崎友香『公園へ行かないか? 火曜日に』(新潮社) p.129
飛行機で村上春樹というかHaruki Murakamiを読んでいる女性と話をするところがとてもよくて、最後、僕も彼女に感謝した、泣きそうというかうるうるしながら読んでいた、それはそうと、マンハッタンで、『ビリー・バッド』の演劇だったかオペラだったかを見に行こうかとも思っていたが、というような記述があり、ハーマン・メルヴィルの『ビリー・バッド』、なんだか最近とてもよく目にするというか、『ハレルヤ』にも出てきた、先月か先々月に読んでいた伊藤亜紗の『どもる体』でもあったし、いくらか前になるけれど、同じ医学書院の「ケアをひらく」シリーズだった、國分功一郎の『中動態の世界』でもだいぶ論じられていた、『中動態の世界』を読んだのはいつだったろうか、『中動態』は、遊ちゃんと鎌倉のほうにショートトリップをした日を思い出させる、海沿いの道を歩いていたところを思い出させる、寒い季節だったが、あたたかい日で、外の席で海を見ながらご飯を食べた、徐々に体が芯から寒くなっていった、2月末だった。
夜は、柴崎友香は一日一つと決めたわけではないけれど、もったいない気がして、夜は、それなりに忙しかったこともあって、夜は、『幻のアフリカ』をぽつぽつ読みながら働いていた、これまでよりも何かレリスを身近に感じるような気分があった、よかった、そのあと『ハレルヤ』を開き、「生きる歓び」をもう一度読んだ。数日前に読んだときもそうだったが、かつて、いつだかはもうわからないけれども、おそらく大学生の時だろう、かつて読んだときにこんなには感動していなかったよな、という感動をして、かつてはどういうふうにこれを読んだのだろうかと思った。読みながら、今日ビール屋さんからサンプルでいただいたノルウェーの多分Lervig Aktiebryggeriというブリュワリーの「Liquid Sex Robot」とというビールを飲んだ、ラベルアートが矩形の胴体のロボットらしきものの上にまたがる裸の尻というもので、おいしかった。
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