#7月28日(土)
覚醒の大砲、不動の心。トイレに入ると、目の前に『週刊ベースボール』があり、特集タイトルは「最強四番論」で、オリックスの吉田正尚とともに表紙を飾っているのが巨人の岡本和真で、その岡本の名前の上に「覚醒の大砲、不動の心」とあり、見るたびについ、読み上げてしまう、読み上げて、笑う。
それで、土曜日で、雨が強くなるのは夕方からのようだった、店に行くときはほぼ降っておらず、自転車で行けた、よかった、行って、今日は暇だ、と決めていたので、ダラダラと準備をして、開店して、するとわりと来られ、ありがたい、と思って、思いながら、いろいろとやるべきことをやっていった、日記の推敲を、先週そうしてみたように、印刷したものを紙で確認する、という方法にしてみたところ、これはやっぱり紙はいい気がする、これなら一発でオッケーになる気がする、という感覚があり、よかった、よかったし、紙で読むのはやっぱり体験として全然違った、画面上だと表示されている部分が全部になるというか、すごく現在にフォーカスされる、連綿と続いていることは頭ではわかっていても、前や後ろがないようなそんな感覚にもしかしたらなるというか、紙と比べたらずっとそうだった、紙で見ていると、全体が、紙の枚数や、視野に映っている今は読んでいない部分によって常に意識させられて、させられるのだけど、させられるし、「あのことが書いてあった箇所」と思って探そうとするときも、スクロールよりもずっとずっと速く目を動かすことができる、ブロック、ブロック、ブロック、という感じがする、スクロールは巻物で、全体のうちのどのあたり、という位置関係が直観的には全然つかめない、多分そうで、その違いは面白い、と思いながら推敲をしていた、夕方になった、やるべきことは済んだ。
済んで、そうしたら『幻のアフリカ』を始めるぞ、とも思ったが、『小説の誕生』も引き続きすごく読みたいんだよな、と思って、どうしよう、と思った、昨日から、今日のこの夕方以降、雨が激しくなる以降、どうせ絶対に暇で、すでにもう暇だ、暇になるから、読むぞ、どっちを読もうかな、ということが楽しみだった、楽しみだと思ってからふと、西日本のことを考えた、台風はわけのわからない経路を取っていて、関東のあと、関西のほうに行くという、そんな予報を今、岡山や広島の人たちはどういう気分で見ているのだろうか、と思ったら、おそろしかった、雨という、極めて日常的なものが、誰かにとって大きな傷になり、恐れになる、ということを想像したら、それはつらいことだった。地震なら、と地震を軽いものにする気はまったくないけれど、地震なら、予報がないから、起きて、「わ!」と思う、それで済むというか、そうなるしかない、という性質が地震にはあるが、雨は、予報されちゃうから、待たないといけない、これは、つらいことだった。雨マークを見るたびに、恐れをいだく、それは、つらいことだった。今回の台風によって被災地が、より大きな被害に見舞われませんように、と、なんだかやたら強くそう思った。
やたら強く思い終えたため、本を開くことにして、今日は5時間くらいは読書の時間になっちゃうかな、飽きるだろうな、『小説の誕生』とレリスがあれば大丈夫かな、と思っていたら、意想外に仕事をし続ける日になり、けっきょく1時間くらいしか読んでいなかった、嬉しい誤算だった、大雨なのに、人々は。
それで、読んでいると、やっぱりずっと面白くて、読んでいるあいだじゅう頭の中が喜んでいるというか動いている感じがあって面白くて、レリスについての記述があった。
レリスは日記に書いた文章に手を入れて、それらを再構成して(といっても明確なテーマがあるわけではないが)、『成熟の年齢』『ビフュール』などの本にして出版した。それらに書かれているのは、半ページないし一ページ、ときどき長いのがあって数ページに及ぶことがあるけれど、どれも断片であって、それらは詩でも評論でも随想でもない。
日記から日付を消して、
少し取捨選択して並べただけのはずなのだが、その
少しが決定的な違いになっていて、それらは間違いなく'文学'になっている。それに対して『日記』の方は、'文学'であるかどうかを問う以前の状態に踏みとどまった文章(=思考の不連続な連なり)であって、あくまでも'日記'なのだ。
もちろん、生前のレリスは日記を公表していないのだから、手を入れて取捨選択した文章を集めた著書によって名が知らていたわけだけれど(…)ライヴの思考(の胎動)と作品化された思考(の抜け殻)ほどの違いがある。
レリスはもともと強く作品化された著書は書かず、断片という作品化の度合いが最も低い著書しか書かなかったわけで、'作品'というもののある意味での限界があるのかもしれない。
保坂和志『小説の誕生』(新潮社)p.301,302
「日記ほどにはおもしろくない」と書かれたあとの記述だけど、『ビフュール』は『ゲームの規則』の第一巻で今だと『ゲームの規則Ⅰ 抹消』として出ていて、今、『すばる』の連載では保坂和志はその『ビフュール』なのかわからないけれどもどうやら『ゲームの規則』を読んでいるというか読みながら書いているらしく、だからきっと今はぐっと面白いのだろう、考えが、どういうふうに変わっていったというかどういうふうに面白くなったのだろうか、と思った。それにしても、これだけレリスレリス書かれていたのにレリスの本を読んでみようと思わなかったのはどうしてなのだろう、それどころか、ミシェル・レリスがこんなに取り上げられていたこと自体、まったく覚えていなかった。
雨が、閉店する前くらいの時間はもうやんでいて、閉店したくらいでまたザアザアと降り出して、ご飯を食べているくらいはやんでいて、またザアザアと降り出して、それが上がった1時過ぎ、店を出た、まさか行きも帰りも自転車で動ける日になるとは思わなかった、台風は、どっちに行ったのか。
走り出し、なにかを感じたのかふと見上げると、空の高いところにやたら明るいまんまるの月があって、その下を薄い雲がすごい速さで流れていった、木々のある家の横を通るとばちばちと雨粒が屋根に落ちる音が聞こえ、老人ホーム建設中の、足場と骨組みがカバーで覆われたところはもっと細かく強くたくさん雨粒の音がした、それから、強い風が吹いて、水の音はなくなり、風の音の中にいた。それで帰宅し、あまり面白いのでプルーストでなく夜も保坂和志、というところで、続きを読んだ、眠くなって寝た、『小説の誕生』は寝る前に読む本ではないような気がした、ずっとちゃんとはっきりと追っていたいのに、布団の中だとどうしても眠りへと滑り込みながらになるから、もったいない、やっぱり布団ではそもそも眠いプルースト、みたいなことなのかもしれなかった。雨がまた降っていた。
##7月29日(日)
朝、眠い眠いと思いながら、なんとなく幸せな気持ちで起きた、すぐ出て、店。今日は台風も明けてどうだろうか忙しい日になるのだろうかといくらか期待しながら店を開けたところ、とても忙しいというふうではなかったがいい調子で、うれしく働いた、6時くらいにはどうにもこうにも体が疲労困憊していて弱気なことばかり考えていた、この先どうやって生きていくのだろうか。
暗く、疲れ、いつもは外で煙草を吸っているときはスマホをいじいじしているのだが、保坂和志をこわきに抱えて連れ出して、読んでいた、元気出る。強度、刺激、音調。それが思考である。と、ピエール・クロソウスキーが『ニーチェと悪循環』のなかで書いている、と書いてあって、ギュンギュンと来た。
強度、刺激、音調。それが思考である。思考が何を語るかはまた別の問題であり、思考が何を語ろうとも同じである。そして思考が何かに適用されれば、また他の強度、他の刺激、他の音調が生み出される。いまやニーチェは、もはや概念的能力においてではなく、情緒的能力において、思考を実践しようとする。それは一つの限界点。知が、悟性の平和のためにではもはやなく、〈カオス〉の呼びかけにも似た諸力の意のままに活動する、そのための手段のようなものを手にする限界点にほかならない。(『ニーチェと悪循環』「トリノの陶酔」兼子正勝訳)
保坂和志『小説の誕生』(新潮社)p.310
それで、
と打って、働いていたところ、それで、と見ても、どういうことを続けようとしたのかまったく思い出せない、それで、思い出せないそのあとはまた本を読んでいた、今日は夜は暇で、ゆっくり本を読んでいた、フレイザーの『金枝篇』の引用を読み始めたところで、この本がどうして飽きないのかがわかったというか、まるで飽きないずいずい読んでいきたくなるひとつの理由はやはり引用によるのだろう、ということがわかった、次に何が出てくるのかわからない緊張感と、まったく違う手触りの文章にとつじょ出くわすことでの覚醒感みたいなもので、ということだと、なんでか、フレイザーのときに思った、引用によってポリフォニーになるというか、すごいポリフォニーになる感じが、すごいポリフォニーというかわかりやすくポリフォニーになる感じがあるのだろう、これが、ずっと、同じことを考えながらでも、引用をせずに単声で書かれていたとしたら、と、でも同じことで、それは単声に見えてもどうやったってやはり多声ではあって、多声なのだけど、でも単純に見え方として、単声的だとどっかで倦むというか、気持ちが疲れそうな気がする、と思った、で、そうじゃないので、疲れないで、読めば読むだけ元気になって、どんどん読みたい、と思って、読んでいた。
途中、そうだ、メールをいくつか返さなければ、という思い出しがあり、メールをいくつか返した、そのなかのひとつが、僕がうぶなのかもしれないけれどもこれまでになかったことだったからぎょっとして、ええっ、となった、ウェブメディアで、今度ブックカフェの特集をやる、貴店を紹介したい、つきましては協力いただきたいことがあり、写真数点と店のコンセプトやアピールポイントなどを教えてください、というもので、え、なんでそれに協力しないといけないの、と思ったというか、それはもちろん、こちらの露出になるというそういう点でのウィンとウィンということなんだろうけれども、それがどれだけのものであるかは知らないけれど、UUとかPVとか書いてあったけれど、知らないけれど、そういう点でウィンとウィンということなんだろうけれど、だから協力してよねということなのだろうけれど、だけど、だから、なんでそれに協力しないといけないのというよりは、なんでそんな悲しいことの片棒を担がないといけないの、と思った、ということなのだろう、悲しい。哀しい、のほうかもしれない。なんなんだこれは、というか、やっていることはつまりバイラルメディアに毛が生えたみたいなものというか、見てみるととても有名な俳優のインタビュー記事とかもあるからそれだけではないのだろうけれども、でもここでやっていることに関してはバイラルメディアに毛が生えたみたいなもので、被紹介者によって公式に承認されたバイラルメディアみたいなもので、バイラルメディアは清々しく不毛だからいいけれど、いいというか、不毛の一言で済ませればいいけれど、でもこちらは、その不毛に一毛くらいが生えている点がすごく虚しくて、つまり編集部員みたいな人が介在しているというか、いる、ということが悲しい、哀しいなんで、紹介したいと思ったものを自分の目で見てみたいと思わないの、という、なんで、紹介したいと思ったものを自分の言葉で書きたいと思わないの、という、このなんというか欲望のなさというか、欠如というか、枯れみたいなもの、それが哀しい、虚しい、クソみたいな写真と噓だらけの文章でも送りつけようかと思ったが得るものもないので断りのメールを送ったが、ところで僕の思っているバイラルメディアというのはこれ認識正しいのだろうか。キュレーションメディアというのだろうか。なんでもいいが、なんだか、ええっ……と思った、ということだった。
そのあと、政治家のクソみたいなツイートを見かけてというかはてブ経由で見かけて、ええっ……と思って、なにか、すごく気持ち悪い気持ちになり、世界がバグってきたような気がしてきた。ちょっとおののきを覚えた。
帰宅。ソファで保坂和志、布団でプルースト。
プルーストを読んでいたら、「彼女は私の両親が夕食をとる時間をたずねてくれさえした、まるで私がそんなことをまだ思考にとめる余裕をもっていたかのように、まるで私を支配していた混乱が、私のうつろな記憶と麻痺した胃のなかに、食欲不振とかひもじさの感覚、夕食の概念とか家族の映像の遺存をまだゆるしていたかのように。」という一文の、後半の、というか真ん中の、「まるで私を支配していた混乱が、私のうつろな記憶と麻痺」くらいのところで、ジョナス・メカスのなにかを思い出したというか、ジョナス・メカスを巡るなにかの感触が立ち上がって、最初はそれがメカスだとはわからず、なにか、と思って、ちょっと焦点を当てたらメカスだとわかって、それから、そのメカスを立ち上がらせた箇所をもう一度読んでみるも、いったいどうしてここでメカスなのか、見当もつかなかった。
##7月30日(月)
いつもより15分早く起き、店。重めの仕込みがいくつかあり、がんばる。そのためには大音量の音楽が必要。昨日、Twitterでその名を見かけたこともあり、久々にケンドリック・ラマーを聞こう、と検索すると最初に表示されていたアルバムが『アベンジャーズ』関係のなにかのサントラというもので、流したところ、めっぽうよかった。アメリカはたいしたもんじゃあ。とこういうとき思う。わしゃ、よう知っとる。前からよう知っとった。わしゃ、よう知っとったんじゃ。アメリカはえらい国じゃあ。とこういうとき思う。
開店後も、重めの仕込みが重なった感じの日になった感じがありいろいろがいくつもあり、しゃかりきに働く。夕方、イライラした。自分はものごとを高速で処理できると思っている人がわりと嫌いかもしれない、ただ軽んじられるのが癪に障るというだけかもしれない、さらさらさらーっとメニューをめくっていって、飲み物を頼んで、という、それ自体はそう珍しいことではないけれども、ほとんどの人は最初は読まなかったとしてもその後にはある程度は目を通してくれるものだけれども、その人が、本棚から6冊くらい本を取ってきて机に置いて(あとで4冊ほど追加された)、読んでいた、読んでいたというか、目次のあたりを見たり、適当なページを開いたり、いちばん後ろのほうとかを見たり、という感じでやっていて、数分すると、ものによっては一分もしていなかったか、横に押しやって、次の本に行って、という感じだった、いや、そんなのは、多読というのか、なんていうのかわからないけれども、読書のひとつのメソッドなのかもしれない、それこそ松岡正剛あたりが何か名前をつけているかもしれない、のだけど、だから、だからというか、それはなにか面白いことを発生させるメソッドなのかもしれないけれども、それを見ていると、というか、ただただ本の扱いが雑だったことがきっと全部だけど、本は雑に扱う、みたいな姿勢は、それは人それぞれで、かまうもかまわないもないが、自分の本だったらね、というところは抜け落ちちゃいけないだろう、人の蔵書、蔵書という言い方は僕は性に合わないので、店の備品、それは雑に扱っていいものではないだろう、というところが、多分それだけが気に食わなかったのだろうけれども、そうやって気に食わないでいるとその読み方もすごく気に食わなくなって、なにか、高速で処理できているつもりなのかな、今、済んだと思ってかたわらに押しやった本、もう処理できたと思っているのかな、なにか判断できたと思っているのかな、と思ったというか、なにかを読んで、違うなとか、あるいは、もうわかったとか、思って、置いて、というところを見ていると、そんなの、自分のサイズでしかものを考えようとしていないってことじゃん、みたいに思ったというか、自分のサイズを超えるものにその読み方って対応できないんじゃない、ちょうどよく自分の思考をくすぐるものとしか触れ合えないんじゃない、みたいな、ことを、思って、余計なお世話だが、思って、だから、ただ苛立っていたというか、雑に扱うなよ、ということだったし、本を戻すのも、ある程度は元にあった場所に戻してくださいねと書いてあるのに、驚くほど全部間違えてる! となって、いや間違っててもいいんだけど、覚えていられないなら一挙に持ってくんなよというか、と、僕はここでグダグダと書くのだが、言えばいいのだが、言わなかった、その場で言わなかったことをここで書いているこれはだからただの愚痴になっているのだが、お客さんがその人だけだったら言っていたがそうじゃなかったので、のでというか、言う機会をつかめなかった、それで、だから僕は終始なにかイライラしながら、いて、その、高速で処理できていると思っている、高速は関係ないか、処理できていると思っている、思い込んでいる貧しさみたいなものがずっとなんだか気に食わなかった、と書いていて笑うがそもそも完全に僕の想像でしかない、ひどい話だ、だがとにかく気に食わず、苛立ち、本が変な折れ方をさせられるんじゃないかとハラハラしてほとんど監視しながら過ごしていた、こういう監視みたいなことは記憶になかった、ハラハラ、それはすぐにイライラ、それで、というかすぐにというか同時にイライラか、それで、1時間半くらいだろうか、いて、帰って、帰るとき、やっぱり案内書きはなにも読んでいなかったことが露見して、だから、ほら、処理できていないんだよ、処理できているつもりで、それは処理じゃないんだよ、自分のサイズでしか考えていないんだよ、自分のサイズからはみ出たものを捨象してるだけなんだよ、憶測を頼りにものを判断してるだけなんだよ、それでけっきょく自分の体験を貧しくしてるんだよ、この人にとってフヅクエの体験は「本がいろいろ置いてあってどうしてなのか静けさが保たれている店」くらいなもので、
まあいいやというか、それ以上続くものがなかっただけだが、目を凝らそうとしない人には見えないものがあって、耳を澄まそうとしない人には聞こえないものがあって、手を伸ばそうとしない人には触れられないものがあって、できる範囲で僕は人生を豊かに過ごしたいので、目を凝らしたいし耳を澄ませたいし手を伸ばしたい、そうやって生きたい、と思った、というか、しかし、この場合において多読的な読み方はいま不当な難癖をつけられたのではないかと、そのときも、書いている今も思っていて、ああいう読み方を否定するのは違うし、そもそも、書店での立ち読みは同じようなことをやっている、数ページ、あるいは目次だけ、見て、違うかなとか思って、戻して、ということをやっているわけで、まったくやっているんだった、いや、違うんだ、だから、今日目撃したそれらの本が、雑に、物理的にも、物理じゃない方(?)的にも、雑に扱われるのを見て、なんだかふいに、あ、かわいそう、といま俺は感じた、という気持ちが浮かんでしまったというか、
夕方、それからは、働いたり、働かなかったりしながら、本を読んでいた、『小説の誕生』を今日も読んでいた。ところで、想像的な他者。僕は、やはり、ネガティブなことを書こうとするとき、とても想像的な他者に邪魔されるというか、注意を払う、前の段落のことで、書きながら、誰かを傷つけはしないだろうか、読んだお客さんを萎縮させたりはしないだろうか、変な圧力を感じさせはしないだろうか、例えばこういう人はどう読むか、例えばこういう人ならどう受けとるか、そういうふうにけっこう頭を使っていて、途中で、そんなコストを掛けるくらいならやめて消しちゃおう、とも思ったが、どこかで、まあ大丈夫だろう、と思って消さないことにしたのだが、実際どうかはわからないが、ともあれ、ネガティブなことを書こうとするときは注意を要するに、余計な注意を要しかつ書いていても愉快でないことなんて書かなければいいのに、とはとても思うが、なんなんだろうか。
それで、保坂和志を引き続き読んでいた、「つまりこれらの文言の細部は、一つの観念 - 世界観を表象するための比喩ではなく、それ自体が伝達されるべき実体であり、それゆえ(例えばカフカの小説と同じように)要約不能である」、これは樫村晴香からの引用だった、それ自体が伝達されるべき実体。
お寺には桜や梅や欅の木があり、バス停からお寺までの道にもいっぱい木があるのだが、その夏は猛暑だったにもかかわらず蝉があんまり鳴いていないことに気づいた。お寺からの帰り道、私はふいに、
「東京では蝉が、いっぱいいるカラスに食べられて数が減ってしまうなんてこともあるんだろうか。」
と、それまで一度も考えもしなかったことを考えた。というよりも、その考えが急に頭に入ってきた。
そしてバス停まで戻り、バス停で道をはさんだ向かいにある大きな欅をぼんやり見ていたら、欅の木の葉叢から蝉が一匹飛んで出た——と思ったら、たぶん電線にでも止まっていたカラスが急襲して、蝉をくわえて飛んでいってしまった。
ある人はこういう話を「予感」と言うかもしれない。しかし私は予感や胸騒ぎは感じたことがないから、ただ自分でそれまで考えもしなかった考えが頭に入ってきたとしか思わなかったし、「入ってきた」という言い方も後付けかもしれない。しかしとにかくそういうことがあった。
カラスがそんなに頻繁に蝉を襲っているとは思えない。少なくとも私はあの一度しか、そんな場面を見たことがない。しかし、これを確率としての可能性の低さを根拠にして語ってしまったら、科学という制度化された思考法に掬い取られてしまうだろう。
あのとき私はカラスや蝉たちが棲んでいるのと同じ空間に短時間だけ棲んだのではないか。
保坂和志『小説の誕生』(新潮社)p.480,481
それから、「あのとき、私の肉体か思考の一部が空間化されたのだ」とあって、最後にレリスの日記からの引用があって、この本は終わった。
それが11時頃で、昨日の夜、その、ネットを見ていてなんだかうんざりしたのもあったのだろう、というかあって、つい、はてブであるとかからなんかバズっている記事とかを読んでしまうのだけど、怒りとか非難とか嘲笑とか、そういうものにどうしても触れることになって、これはどうなのかなあ、と、ずっと思っていたが、昨日特にそう思ったらしかった、つまり目をつむりたいねということだった、で、じゃあ、隙間の隙間ででも何かを読みたいという私は何を読んだらいいのだろう、と思ったときに、そうだ、青空文庫、と思って、青空文庫アプリを昨夜入れた、それで、いろいろあるのだなあ、数が多すぎてどうしたらわかんないくらいだ、と思いながら、「日記」でとりあえず検索するといろいろ出てきた、夏目漱石『自転車日記』、横光利一『厨房日記』、国木田独歩『酒中日記』、魯迅『狂人日記』など、落としてみるが、どれもしっくり来ず、閉じて(高速で処理!)、が昨夜だった、今日、もう一度ラインナップを見ていると、山中貞雄の『気まま者の日記』というものを見つけた、へえ! 山中貞雄の日記なんてあるの! と喜んで開いてみると、日記というふうでもなかったけれど、読みたい気になり、だから、外で煙草を吸い吸い読んだ、数ページ。
とにかく、とにかくというか、ネットにあふれるなにかを削ってくるろくでもないあれこれの言葉に触れるよりも、もっといいものに触れていたい。
帰り、『幻のアフリカ』を始める。さあ、冒険が始まるぞ! と思って開いたら、訳者による解題と、「はじめに」がわりと続き、律儀に読まずに日記を読めばいいじゃないか、とも思ったが、なんだかこれはゆっくり大切に読みたい本のような気もあって、律儀に読み、しかしそれが本当に本に対して敬意のある作法なのかはわからない、その律儀さは不真面目さでもあるのではないか、本に対してというよりも自分に対してか。とにかく、律儀に読み、「はじめに」が終わり、開くと、見開き2ページの中に2つ3つの日付けが見えた、さあ、日記が、冒険が、始まる! と思って、寝た。
##7月31日(火)
昼前まで寝、起き、歯磨き、店行き。家賃の支払いと、昨夜生地を作ったショートブレッドをついでに焼いた、とんとんとお客さん来られていて、昼間から、ビールやジントニックがオーダーされていて、気持ちがよかった、暑かった、夏だった。
それだけで家に帰るのももったいない気が起こり、パドラーズコーヒーに行った、アイスのアメリカーノを頼み、外の席に座った。スタッフの方がドリンクを持ってきてそのついでで、蚊取り線香をセットしようとしてくれていて、僕、あまり刺されないんで大丈夫ですよ、と言った、あまり刺されないから大丈夫って初めて聞きました、と言いながら、香りもいいし、ということでつけてくだすった。そのあと、座っていたら、けっこう蚊が寄ってきて、なるほど、いつもは遊ちゃんと一緒にいて、遊ちゃんはO型で刺されやすいという話だから、だから全部遊ちゃんに行っていただけであって、僕単体では普通に刺されるのだな、と知った。
それで、『幻のアフリカ』を読み始めた。
一九三一年五月十九日
午後五時五十分、ボルドーを出航。作業が終えたことを知らせるため、荷役夫たちはサン=フィルマン号に一本の小枝を置く。娼婦が何人か、前の晩に寝た船員たちにさよならを言っている。船が着いたときには、女たちは夜を一緒に過ごそうと男を誘いに波止場へ来ていたらしい。数人の黒人の港湾夫が、仲間の出港を見送っている。そのうちの一人は、《三段に》ボタンのついたダブルの青い水夫服を着て、格子縞の庇つき帽子をかぶり、黒いエナメル革と白い裏革の靴を履いている。とても粋だ。
ミシェル・レリス『幻のアフリカ』(岡谷公二・田中淳一・高橋達明訳、平凡社)p.36
とてもいい。一本の小枝を置く、というのも、どこにどう置かれたのかわからなくてなにか掻き立てられる感じでいいし、娼婦が律儀に見送りに来ているというのも、なんだか、というか、前夜の「誘いに波止場へ来ていた」というところから、なんだろうか、なんだか人生、という感じがしてグッとくるし、港湾夫の姿を想像するのもグッとくる。娼婦たちは肩になにか薄手のものを羽織って、腕を抱いて、船が出ていくのを見上げている。
読みながら、ボルドーから、リスボン、ラス・パルマス、ヌアジブ、ダカールへの航程を、グーグルマップを開いて追っていた。5月いっぱいをかけてダカールに着いた、ダカールは、セネガル。そこで船を降りて、西へ西へと横断調査する、という調査団、ということだった、解題のところで、刊行時、大顰蹙を買った、というかスキャンダルだった、ということが書かれていた、「何しろ厳密な客観性にもとづく科学的民族誌を推し進めようとしていた彼らの前に、民族誌学上の記述の合い間あいまに、夢や、エロティックな妄想や、個人的すぎる悩みの赤裸な告白の入りまじった途方もない日記が現れたのだから」とあって、レリスはこの旅行に「書記兼文書係」として参加した、「一日も欠かすことなく日記をつけることは、旅行中、彼に課せられた義務であり、この日記は調査団の公的な日記であり、報告書であるはずだった」とあり、なんだかとても笑ってしまった。「個人的すぎる悩みの赤裸な告白」というのが、「個人的すぎる」というのが妙におかしかった。それにしても、そりゃ怒るよな、としか思えない、というところも愉快だった。僕が団長だったらお前マジでいったい何やってんのwww と笑いながらブチギレそうだった、レリスの目論見は「最大限の主観性を通して客観に達する」というものだったとの由。
読んでいると、ちびっこと親とその友だち的な数人が外の席にやってきて、おそらく、カブトムシを入れた飼育容器的なものを持っていたのだろう、カブトムシとちびっこを中心に盛り上がっていた、聞いているだけで愉快な心地になった、明治神宮で取ってきたとのこと。本当は取ってはいけないとのこと。そうなのか、いけないのか、と知った。ちびっこは、その「実は禁じられている行為だった」という事実をどういうふうに処理するのだろうか、と思った。
それから、どこかとおくから、強い風の音みたいな子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてきた、全力で泣いている、という声で、吹き荒れる風みたいだった、もうやだ、やめろ、そういうことを言っていて、ちょうどパドラーズから出ていったやはり家族連れのちびっこが、「もうやだだって」「やめろだって」と冷静にリピートしていて、そのあいだもずっと叫んでいた。声が近づいてきて、外の通りを、父親に手を引かれて歩く少年の姿があった、常に組体操の、いちばん簡単なやつ、手をつないで側面に体を倒すみたいな、そういう方向性の力の掛け方をした少年の姿があった。路地の奥に消えていった。どうしてだか、肉味噌を食べたくなって、肉味噌うどんを食べたくなって、そうすることにして、ちょうど船もダカールに着いたことだし、というところで帰ることにした、スーパーに寄って、帰った、スーパーには、求人の貼り紙があり、そこで働くメリットというか楽しさみたいなものが列挙されていて、「知らない人と知合いになれた」というものが、見るたびに笑ってしまうので、今日も笑った。なんでこんなに面白いのだろうか、打っている今も吹き出しそうになった。
帰って、肉味噌うどん。油が見当たらなかった。肉の油分でまあ大丈夫だろうと思って、フライパンで肉に火を通して、生姜とにんにくをすりおろして、味噌、麺つゆで煮詰めていったら肉味噌になった。冷たいうどんに乗せて、混ぜて食べた、大満足だった。それから、しばらくのあいだ『幻のアフリカ』を読み、ゆうちゃんが帰ってきて、そのあたりで眠気がやってきたので眠ったところ、ずいぶん眠った、2時間以上眠っただろうか、先週も長い時間昼寝をしていた気がする、どうしてこんなに眠たくなり、そして眠れてしまうのだろうか、と思いながら起き、歯磨き、店行き。ひきちゃんと歓談し、バトンタッチ。夜だけの日は、まったく働く気が起きず、まあこれは今度でいいや、これも今度でいいや、といろいろを後回しにしながら過ごした。
途中、ウーヴェ・ティムの『ぼくの兄の場合』をぺらぺらと読んでいた。
危険なのは、そのときの衝撃や驚愕、恐怖などが、くりかえし語るなかで次第に理解可能なものに変わっていき、体験がゆっくりと色褪せて決まり文句のようになっていったことだった。
灰と化したハンブルク。
街が火の海に。
炎の嵐。
ウーヴェ・ティム『ぼくの兄の場合』(松永美穂訳、白水社)p.46
あるときぼくは、父がストーブのそばに立って、両手を背中に回し、暖かい空気に体を晒しているのを見た。父は泣いていた。ぼくはそれまで一度も、父が泣くのを見たことがなかった。「男の子は泣くもんじゃない」。それは死んだ息子を悼む涙というだけではなく、言葉にできないようなものがそのなかに滲み出ていた。そこに立って泣いている父は、何か恐ろしい記憶と対峙しながら、底なしの絶望に駆られていた。自己憐憫ではなく、口にできない苦しみであり、ぼくの問いかけに対して、父はただくりかえし首を振るだけだった。
同前 p.118
それから、『GINZA』の原稿をやろうと、しばらくうんうんと唸っていた、それから、たびたび取る休憩中、青空文庫、今日は『海野十三敗戦日記』をダウンロードして、読んでいた、これは、柴崎友香の『わたしがいなかった街で』で取り上げられていたというか大事なモチーフというのか、モチーフっていうんだろうか、あれで使われていた、というか、語り手が日々、青空文庫で読んでいた、そういう日記だった、それを、読んでいた。昭和19年の12月10日からの日記で、その前の「これまでのことを簡単に」という項目で、「本格的な空襲は、昭和十九年十一月二十四日から始まった」とあり、次の段落で「高射砲が鳴りだし、待避の鐘が世田谷警察署の望楼から鳴りだした。英や松ちゃんなどがまだぐずぐずしているのを叱りつけるようにせきたてて防空壕内に入れる。」とあり、唐突に出てきた「英や松ちゃん」で一気に何かが立ち上がる気になる。
閉店後、『週刊ベースボール』の「深遠なる変化球の世界 プロ野球魔球伝説」という特集号を読みながら、飯。帰り道、何箇所にもわたって道のわきに出されているゴミ袋がぜんぶ積み重なった人の体に見えた。
##8月1日(水)
昨夜帰宅後、買ってきたビールのロング缶を飲みながら、今日のトークで触れることになるかもしれないことをA4の紙にいろいろと書きつけ、といっても引用がほとんどだったが、書きつけていたら、文字で埋まったら、十分な準備ができた、という気になり、よかった、と思った。『茄子の輝き』の「一日目の日記だけでも手帳の四ページにもわたって、細かい文字が書きつけられていた。ラーメン屋内の記載だけでも一ページを占めており」のところで何度読んでも笑ってしまうので、声を出して笑って、書き写しながらもまた笑った。「占めており、ずいぶんと意気込んだものだった」と続く。『幻のアフリカ』を少し読む。レリスが訪ねた行政官だったかなにかの部屋に、『金枝篇』と『失われた時を求めて』があった。眠る。
11時ごろ起床。店に、ほんの5分程度の用事があって、行って帰ってくる、通りを、中学生のお姉ちゃんと小学生の弟、みたいな二人組や、小学生の三姉妹、みたいな三人組が歩いていて、それにしても夏休みだと思った、遊ちゃんと出て、下北沢、もともとは根津のうどん屋さんに行こうかと昨夜決めてウキウキしていたが、今日予約をしようと午前中に遊ちゃんが電話をしたところ夏休みだったようで、それじゃあ蕎麦、ということになり、すだち蕎麦、ということになり、下北沢、打心蕎庵。
座っていると、ガラスの向こうが庭で、木とかもあり、そこに、背中側のテーブルの人たちの姿がそこに浮かび、外で食べているみたいだった、草上の昼食、という感じの。違う窓からは寺。とにかく全方位が緑だった。もうここは、那須の別荘地帯、といった心持ちになった、少なくとも下北沢ではない、そうですよ、代沢ですよ、という声が、聞こえはしなかった。瓶ビール、巻海老と貝柱の掻き揚げ、僕はすだち蕎麦、遊ちゃんはゆば蕎麦。量は少なく、お、これは、足りないぞ、どうしよう、家帰ったら蕎麦でも茹でて食べようかな、と思いながら食べたりもしていた、とてもおいしかった、なんか、ハイソというかハイソサエティな昼食というか、いい昼食だった、素敵ランチというか、だった、外は緑。夜のことをいくらか考えたら一瞬緊張がやってきた、解いた。
コーヒーを、というところでベアポンドエスプレッソに行って、ラテジャーというものとダーティというものがどんなものなのかを教えていただき、それぞれ頼んだ、僕はダーティで、これがびっくりするほどおいしかった、外のベンチで飲んでいた、斜め前の、木板で囲まれた土地のなかに撮影隊の人たちがずいずい入って、乗り越えて入って、なにやらの撮影をしていた、秋冬もの、的な感じだった。
いったん家に帰り、いくらかの緊張を覚え、忘れ、家を出、表参道、まずは腹ごしらえ、と思い、丸亀製麺で冷たいかけうどんの大盛りを食べた、天ぷらは頼まなかった、簡潔に食べた、それで出て、コーヒーが飲めて煙草が吸えるところを探し、行った、お店の人たちがずっとしゃべっていて、楽しそうで、それが、大学生と思しきアルバイト男性をかわいがっているつもりなのかもしれないけれどもコケにするようなそういう笑いによって成り立っていて、少なくとも部外者の僕が聞いて気持ちのいいものではなかった、お前は右から左、なんにも理解してないんだもんなあ、ごめん、あのときいなかったね、お前存在感ないなあ、そんな感じだった。しんどい。
と思いながら、煙草をひっきりなしに吸いながら、トークのメモを見返したり、緊張したり、『幻のアフリカ』を読んだり、していた。
七月七日
カイへの道に沿う周辺の地区を一日中巡回。タラリ峡谷の水をたよりとした畑で、若者が開墾の仕事をしているのを見た。一群の人たちが歌いながら前へ進む。一人の子供が太鼓を叩き、鈴を振る。その調子にあわせて、少年たちが農具をふるっている。娘たちが、大きな布で男の子をあおぐ、というより土埃をまき起こしている。長と思われる人物が時々鍬を空に投げ上げ、それを笑いながら受けとめている。すべては、バレエのように整然とし、ほとんど数学的な正確さを備えている。
ミシェル・レリス『幻のアフリカ』(岡谷公二・田中淳一・高橋達明訳、平凡社)p.90
日記は、突如、というかふいに、というか、前触れなしに面白い。「ファジャラは、クルギディの首長への薬を持って、意気揚々と出発する。歩いて二日かかるが、あまり気にしていない。」とか「しかし僕は、これから数カ月で、昔からいつも手に入れたいと思っていた身体を使うさまざまな特技を身につけることをあきらめていない。」であるとか、なにやら面白い。緊張が時々やってくるが、コーヒーをもう一杯飲み、水を飲み、煙草を吸い、落ち着けようとする。
6時前に出、青山ブックセンターへ。集合は6時半だったが、少し早めに行き、保坂和志『ハレルヤ』と柴崎友香『公園へ行かないか? 火曜日に』を買おう、というところだった、この2冊、どのタイミングで読もう、というので、楽しみのあまり、どのタイミングで読もう、というので、悩むことになりそうな2冊だった、楽しみだった、SNSに「これからトークです」の投稿をしようとスマホを取り出すと電波がなく、おや、と思って一度地上に上がり、変わらないので再起動したところ直り投稿し、店に戻ると目の前に内沼さんがおられた、挨拶をして、それからこの2冊を見つけて買って、内沼さんも、この2冊で買った、とおっしゃっていた、控室に入って控えた。滝口さん来られ、食べるように読んでいるTシャツを着てくださっていて、やったー、と思った。昨日の昼間、フヅクエに来られ、ちょうど僕はショートブレッドを焼きに行ったタイミングで来られ、挨拶をしていた、僕はすぐに店を出たのだが、夜に戻ると、ひきちゃんが「滝口さん、Tシャツ買っていってくださいましたよ」とのことで、買っていってくださっていた、これはこれは、もしやもしや、着て来てくださったりして、と思っていて、そうしたら着て来てくださったりした。僕も着ていた、内沼さんは残念ながら昨日着ていた。惜しい! と思って、愉快、だった、いくらかの打ち合わせというか、をして、その中で、滝口悠生・内沼晋太郎・青山ブックセンターの3つが一同に登場するページがあることがわかり、すごい! と思って、愉快、だった。
時間になって、会場に向かった、もっと白々とした光の部屋かと思っていたら、入ろうと後ろから見たらいくらかなんだかムーディな色味に見え、いくらかなんだか三鷹のSCOOLを思い出すような箱だった、そこに入って、トークイベントだった。話した。
こういう、人に向けてしゃべっていると、というか関係ないか、人としゃべっていると、どんどん自分の言葉が自分の考えを裏切っていくような気になることがあるが、それはトークが終わって思い返せば思い返すほどそういう気がしてくるが、特に、日記はたしかに面白い、が、しかし、面白い小説は面白い、じっさい僕は読むのはたいてい小説だ、そのことをもっと話せたらよかった、というのはとても思った、それはそれで反省すればいいとして、それにしてもとっても楽しかった。褒美の時間だった。
一時間半はあっという間で、終わり、Tシャツを売ったり、サインを書いたり、お客さんとお話したりして、ABC出。青学に沿った道を入ったところにある海月で打ち上げ。ビーツと生食のかぼちゃとルッコラとかのサラダとか、とうもろこしメンチとか、ゴーヤとミョウガのご飯とか、どれもとてもおいしかった。途中、外に出て煙草を吸っていると武田さんもやってきて、武田さんの日記は本当に好き、最近のやつに青春とあったけれど、僕は武田さんを見ていると青春ということをこれまでも考えていた、武田さんは僕を青春に誘い出す、そこまでは言わなかったが、青春のことを話した、打ち上げは7人ほどで、いろいろが話された、滝口さんが僕の日記の野球の記述の特異さをおっしゃっていた、そうか、と思った、開幕戦の書き方がどうたら、ということで、どんなことを書いていたか気になる、と思った。もう、とっても楽しかった。
そこからもう少し飲みましょうというところで移動して、ギネスがおいしいというバーに行って、カレーの匂いがプンプンしていてカレーもおいしいとのことで、カレーをつまみにしながらギネスを飲んでそれから薬草のお酒を飲んだ。それでとっても楽しかった。気づけば2時で、内沼さんと武田さんとタクシーに乗り、帰った。滝口さんは方向が違うということで別の車だった、ずいぶん不躾なことをたくさん僕は言ってしまった気もするが、それにしても滝口さんは、僕は小説として書かれている文章しか知らないで、この人は本当にいい、本当に誠実、大好き、と思っていた、その人は、やっぱり本当に素敵だった、それにしても、これは、これは途中でもぼそっと言ったが、滝口さんも同調してくださったが、好きな、尊敬する作家と、こうやってお話をする機会を得るということは、一見とても幸福なことだが、本当に幸福なことなのかはわからなかった、ということを言ったのは、半ばは本当だが、半ばは自分の味わっている思ってもみたなかった幸福を、いさめるというか、いさめるという言葉で合っているだろうか、まあなんか、落ち着けよ、浮き足立ちすぎるなよ、と言い聞かせているようなところだった、そういうわけで、なんというか、とっても、とっても楽しかった。
とっても楽しかった! と言って、とっても楽しかった! と思いながら、寝た。
##8月2日(木)
朝から疲労。汗がひかない。目の前がパチパチするような感じがあり、健康ではない感じがあった。休みの翌日は休みにしたほうがいいのではないか、と思った。
ぼーっと過ごしている。ご飯を、朝ご飯を食べたらこういうお腹のあたりがもわーっとした、二日酔いとかに似ているような感覚はたいてい、なくなるものだったが、今日はずっともわーっとしている。それに寒い。
本を読む気にも、『GINZA』の原稿を書く気にも、ならず、仕込みを、今日やっておかないときっと明日一気にやることになるぞ、大変だぞ、とは思っているが、やはりやる気にならず、なにも頭も体も使いたくない感じがあり、ちょうどお客さんもなかったので、昨日のトークの文字起こしを始めた。一瞬で楽しい。
冷や汗をずっとかいている感じがあった、文字起こしはやめて、お腹が気持ち悪い、お腹というか体全体というか、生きている状態が気持ち悪い、今日は早く帰りたい、と思った、あと7時間だ、と思って、7時間、と思った、しかたがないので、少しずつ仕事をしていた、仕込みをしたりしていた、そうしたら時間は少しずつ過ぎてくれた、お客さんも夜は来られた、そのおかげで時間は少しずつ過ぎてくれた、夜になってからは、保坂和志を開いた、表題作の「ハレルヤ」を読み、ながら働いた、途中からなんだかずっと泣きそうな心地になって読んでいた、泣きそうな心地とテキストに引っ張られてというかぶん殴られて頭があちらこちらに行ったり来たりする状態で読んでいた、閉店して少し読み続けて、すると終わった、終わったので、もう一度読み始めて、夕飯を食べたがお腹のもやもやは取れず、これはつまり胃の調子が悪い、ということだとわかった、それで家に帰って、続きを読んで、寝た。
##8月3日(金)
起きると、お腹の不調が小さくなっている、小さいと思ったのは昨日読んでいた「ハレルヤ」の胃の腫瘍のことがあるのかもしれなかった、いつもより少し早めに起き、行き、10時過ぎからめいっぱい仕込みをしていた、しゃかりきな様子で仕込みをしていた、途中、休憩、と思って休みながら、「ハレルヤ」を数ページ読み、開店し、引き続きずっと仕込み等をしていて疲れる、午後三時頃だった。
家に帰り、私は何を買いに出たのかそんなことまで思い出せないが何かを買いに自転車で駅前に向かった。午後三時頃だった、五月の爽やかな晴れた日の午後三時だ、いや四時だったか、私は急にLアスパラギナーゼを思い出した、自転車を止めて、妻に、
「Lアスパラギナーゼがある。」
と言った、妻もそれで思い出した。
保坂和志『ハレルヤ』(新潮社)p.32
どうしてだかこの、「午後三時頃だった、」で、ガツンとなる、なんでなのか、なって、その前のところ、外階段に座って煙草を吸いながら読んでいた、
待っているあいだ私は花ちゃんと外のそこにいることにした、キャリーの戸を待つあいだいつものように私は開けた、戸を開けて、中で縮こまっている花ちゃんを撫でるつもりだったのが花ちゃんは戸が開くとキャリーから出た。そしてキャリーを置いていたベンチから下に跳び降りた、花ちゃんはベンチのすぐ下のコンクリートにもあまり長いこといずにクローバーの地面を歩きはじめた、このとき花ちゃんは物の影や形ぐらいは見えていた、だから簡単にベンチから跳び降りた、チワワだったかトイプードルだったか、小さい犬を抱いた老夫婦が診察にきた、建物に入る前に奥さんが地面に屈んだ、
「四つ葉のクローバー見つけた。」
「ほお、きっといいことがあるね。」
私はそれを聞くだけでもう泣いていた、私たちもこういう夫婦になるんだろうか。五月の晴れた郊外のキャンパスは鳥がしきりに鳴き交わしていた、ツバメが低く飛び回っている、花ちゃんはその下で喜んで歩いている。
同前 p.29
私はここを読むだけでもう泣いていた。
今日は左手首が痛い、骨折でもしたように痛い、夜、イライラしていた。敬意。そのあと、ほっこりしていた。帰り、ソファに座ったら、いくえみ綾の短編をひとつ読んだ、数日前になんとなしに開いたところ、読んだ、「ラブレター」がなんだかすごく面白くて、それでまた読んだ格好だった。それから、昨日アルコールを摂取しなかった、今日もしない、と思っていたら、シャワーを浴びていたら今日はたいそう働いたし、ビールを飲みたい、という気持ちになってきて、コンビニに行き、ロング缶の金麦を買ってきて、飲みながら「ハレルヤ」、読み終わり、布団に移り、「ハレルヤ」を頭から読み出した、眠くなり、寝た。
お知らせ