昨日は
「会話のない読書会」の第一回だったわけなんですけど、とても楽しみにしていたんですけど、それでやってみたんですけど、僕の感想はなんというか極めて個人的というか僕ゆえみたいなところが非常に大きいものになったのでひとまずエゴ&サーチしたものペタペタ貼り付けますね。
今日は読書会の日だったんですけど、なんかこう取り急ぎな感じでとりあえずで失礼しますな感じなんですけど「めっちゃいいなこれ」とひたすら思っていました。これから超やる決定ですわ。
https://t.co/P2Qx94uEOr — fuzkue(フヅクエ) (@fuzkue) 2016年10月13日
アホほど手前味噌な話なんですけど本読みながら食ったオムレツのサンドイッチもなんかすごいおいしかったしこの読書会最高以外なにものでもないなって思ってました
— fuzkue(フヅクエ) (@fuzkue) 2016年10月13日
あ!これ自分のツイートだ!ほんと手前味噌にもほどがある感があって非常にいいんですけど。仕切り直しで。
フヅクエの会話のない読書会むちゃくちゃよかった。喋らずに、ただ本を読んだらいいというのがすごくよかった。ご飯もすごくおいしかった。幸せな時間だった。また行きたい。
— ⚡︎ (@L1ku) 2016年10月13日
これ行ってきました。いやー面白かった!店内で誰も一言も発してないのに同じ本の中にいるのめちゃくちゃグルーヴィ。同じ船に乗ってる感が凄くて、ただの場と体験の共有なだけじゃなくてなんかとても稀有な感じでした。
https://t.co/x6j3etHTiU — ヨイヨル (@_yoiyoru) 2016年10月13日
「同じ場で同じ本をみんなで黙って読む読書会」、1人くらい全然違う本を読んでる可能性もあるうえにみんなソロ活動だから基本バレないって考えるとなんかそれも面白くなってきてしまい、ユダになりたさがもりもりでてきちゃったんだよね…
— ヨイヨル (@_yoiyoru) 2016年10月13日
でもちゃんと課題本を読んでたしフヅクエで読み終えたのでめちゃエモでした。エモい。会話のない読書会で読み終えるのはエモいぞ。
— ヨイヨル (@_yoiyoru) 2016年10月13日
八時に読みはじめ、十時半に百六十頁。おいしいごはんとおいしいコーヒー付で邪魔ものなしのたのしい読書。食器も洗わんで可。自己紹介も会話もなし。尻肉が薄いせいで終盤は尻が痛く立読みしたが、これはいい。課題図書によってはまた参加したい
#会話のない読書会 #fuzkue pic.twitter.com/JkmV89rqWU — Bonulo (@Bonulo) 2016年10月13日
フヅクエさんのところでやっていた読書会に参加。課題本はアンソニー・ドーア『すべての見えない光』同じ空間で同じ本をみんなで黙々と読む変わった読書会。見渡せば同じ本。見知らぬ人同士なのに同じ本。だいたい右手のページの厚さであそこら辺を読んでいるのかしらんと思うのもまた面白かった。
— 雨空 (@ama_zora) 2016年10月13日
浅煎りの珈琲がものすごく甘やかでとても美味しかった。久しぶりにあんなに甘味の強い珈琲を飲んで感動した。
— 雨空 (@ama_zora) 2016年10月13日
読書会中に読み終わるぞと思っていたのに読み終わらなかったのは少し心残り。
— 雨空 (@ama_zora) 2016年10月13日
《会話のない読書会》タイムアップ終了。集中して黙々と読んだ。アンソニー・ドーア「すべての見えない光」を20:00ごろから22:30までの2時間半。今回は事前に読まず読書会開始を以て読み始めたわけで当然読了ならず。およそ半分まで読むことができた。
#honyakmonsky — unyue (@unyue) 2016年10月13日
いやーこれは良い。家で読んでいると寝ちゃったり遊んじゃったりご飯作んなきゃならなかったりしてなかなか儘ならないわけだけれども、美味しいご飯と美味しい珈琲が出てきて一寸した周りの人への緊張感と本の面白さでのんべんだらりとする事なくビシッと本が読めたよ。
#honyakmonsky — unyue (@unyue) 2016年10月13日
— unyue (@unyue) 2016年10月14日
「すべての見えない光」はfuzkue読書会の課題本。その場にいる人たちみなが黙って同じ本を読む、という経験は繋がっているようでいてむしろ違いこそを意識させるようで、カトリック教会が聖書の黙読を危険視したのが何となくわかった気がした
— コパさんアートブック (@co8_) 2016年10月17日
昨夜おもしろい場に行ったので10か月ぶりにブログを更新した⇒会話のない読書会
https://t.co/sT0Zglduav — 菊人形 (@kinocoffia) 2016年10月14日
あと、先日の会話のない読書会を機に読み始めた「すべての見えない光」がとてもおもしろくてぐいぐい読んでいる。
— 菊人形 (@kinocoffia) 2016年10月16日
今日完了させたかったことは明晩に持ち越すことにしたが、そのかわり「すべての見えない光」読み終わった。すごいおもしろかった。あの読書会がなかったら読まずじまいになるところだった!危なかったー
— 菊人形 (@kinocoffia) 2016年10月23日
— moo (@m_moos) 2016年10月17日
近くにあったfuzkue(フヅクエ)というところでの、そこにいる人が同じ本をただ静かに読むという催し?会?に参加したところ、すごく良かったです。何が良いのか説明出来ないところがまた。
— 星野概念 (@gainenhoshino) 2016年11月30日
昨夜また会話のない読書会
@fuzkueに混じってきた。2回目。チーズケーキとてもおいしかった。好きな場。
— 人形 (@kinocoffia) 2016年12月1日
fuzkueで読んだジョン・ファンテ『満ちみてる生』、この二時間半はすごかった。
pic.twitter.com/uYcDtNm60F — 朝日出版社 酒部 (@asahipress_sake) 2016年11月30日
そしてたまたま座った椅子の前ちょい上には柴崎友香さんの本がずらりと。『文藝』2008年冬号は知らなかったのでとても幸せだった。『わたしがいなかった街で』も『青空感傷ツアー』も、めっちゃ折り目ついてて。fuzkue店主の阿久津隆さんがどこでおぉっとなったか気になる。ええね。
pic.twitter.com/uvvsp0hS9k — 朝日出版社 酒部 (@asahipress_sake) 2016年11月30日
— unyue (@unyue) 2016年11月30日
会話のない読書会で本を一冊読了。このところ自宅では全然読書に集中できずに時間ばかりが過ぎていく傾向にあるが、珈琲を淹れる芳香と軽く緊張感が漂う静寂が醸す周囲の雰囲気が相俟って恐ろしい程に気持ちが読書へと向かうのであった。嗚呼fuzkueが家にあれば…
#honyakmonsky — unyue (@unyue) 2016年11月30日
初台fuzkueさんの会話のない読書会に初参加。行くまでは、映画を家で一人で見るのと映画館で見るのとの違いと同じなんじゃないか、と思ってたんですが、それとは明らかに異なる感じで、でもとにかくこれほど本に没頭できるなんて。と、静かな高揚感とともに帰路につく。
— Ryosuke TANAKA (@rsk_tnk) 2016年12月15日
フヅクエ
@fuzkue にて読書会
ただ、ただ読む
ときどき食べ、飲む
どこのカフェでもできそうだけど、五感全て満足するってなかなかなし得ないこと
同じ船に乗った感じもまた心地よく
映画館の席もあれぐらい間あいてると、同じ船感がいい感じになるのになーなんて思ったり
pic.twitter.com/LGgOqlSuAM — ERI2217 (@eri2217) 2017年2月8日
途中で「読書会直接は関係ないけどおいしいコーヒーが飲めるよみたいな宣伝も兼ねちゃえ」みたいなのも入れちゃったんですけど、昨日はアンケート用紙もお配りしていくらか書いていただけて、そこで何人かの方が書いてくださったのが「人見知りゆえしゃべらないで済むのは安心感があった」ということで、いやほんとそれ〜、と思いました。コミュニケーションの圧力がないというのは本当に気楽でいい。よかった。そう思ってくださる方が僕だけでなくてよかった。
で、ここからは僕の感想なんですけど、昨日は
ひきちゃんの独(り)立(ち)記念日だったので基本的にオーダーはひきちゃんに全部任せようと思っていたのだけど、最初にいくらかまとまってオーダーが入ったところで「あ、やっぱりこれちょっと手伝おうかな…」となってしばらく手伝って、たぶん20分過ぎくらいから席について読みはじめた。
最初のうちはひきちゃんの動きが気になって「大丈夫かな、今あれやってる感じかな」とか思ったりして、全然本に集中できなくて、やっぱりこれ俺は楽しむの立場上難しいかもなとか思っていた。しかもなんか眠くなってきて、「えーなんか眠いんですけどーーー客席で船漕ぐ店主とかまずいだろーーーwww」と思ったりしながら、ポヤポヤとページをめくっていた。
ひきちゃんの動きがなんだか落ち着いているふうに見えたときがあったのでコーヒーとサンドイッチをオーダーして、コーヒーが来て、飲んで、おいしくて、これおいしくて、とか思っているうちに次第次第になにも考えず本を読むようになっていって、少女の夢中を、少年の熱中を喜びながらページをめくっていた。たとえこれからそうとうな艱難辛苦が待ち受けていそうな雰囲気が露骨に見えていても、それでも喜びながらページをめくっていた。
すると57ページのことだった。少女が父親から誕生日プレゼントをもらう場面にぶつかった。その本は『海底二万里』だった。
「「書店主からは上下巻あると言われたよ。それが上巻だ。貯金していけば、来年に下巻を――」
彼女はもう読みはじめている。」
なぜかそこで、僕は、なぜかそこで僕は。手と目がぴたりと止まって。僕はもともと登場人物が本を読む場面がある小説はすごく好きで、それは僕が本を読むのが好きだからなんだろうと思うのだけど、こうやって矢も盾もたまらず本を開く感じ、がすごくよくて、それでふと今のこの、自分の環境を考えたときに僕も『すべての見えない光』を読みたいなと楽しみにしていて、そして次第にウキウキしながら読んでいて周りを見れば、見ずとも同じように何かしらの理由でこの本を読みたいと思った人たちがいてそして読んでいて、10人全員が同じ本を読んでいてこのフヅクエという、
本を読む人のために作った場所で「本を読むんだったらこれが最高でしょう?」と思ってととのえた環境のなかで10人全員がおそらくその環境を享受しながら同じ本を読んでいてというその事実に突き当たって僕は。この瞬間フヅクエという空間は僕が思い描いていたおそらくもっともピュアな状態を具現化していて僕は。泣き虫なのでしかたがないんですけど、極めて感が極まってしまって、「やべー涙がとめどなくあふれてくるwww」と思って、「フヅクエ店主客席で涙止まらないwww」と思って、落ち着いたかなとか思って本に目を戻すとまた涙があふれてくるようで、もうちょっとどうしようもなくなったので外に煙草吸いに出ることにしてスマホを出したら日ハムが最終回で逆転されて負けていたがマーティンを責めることは僕にはできない。
席に戻ってまた読んで、すると「あ、もう」という感じで終了の10時半がやってきて、終了を告げるために立ち上がるも、立ち上がって見回すも、まあ読んでいらしてみなさん、そういう会なんでそりゃそうなんですけど。それでいつ声を出そうかとか2分くらい迷ったあとにおずおずと「えーと、10時半になりました、まああのあとはお好きなように…」と言ったところ多くの方がしばらくそのまま読み続けることを選んでいて、笑ったというかすごくよかった。切りが良いところまでね、読みたいよね。とか思って。それで僕もまた席に戻ってしばらく読んだりして。
そもそも始まりも「えーとそれじゃあ始めます、といっても始めるも何もないんですけど、まああの、お読みください…」とか言って、すでに本開いている方もおられる中でのよくわからない開会宣言みたいな感じになって、始まりも終わりもなしくずし、みたいな、とてもそれはいいものだと思いました。いいのかどうかしらないけど、気楽でよかった。
まあそんなわけで第一回すごくよかったのでこれから乱発しようかと思っておりまして第二回の告知の記事を夜中3時くらいにアップした。こちらです。→
「会話のない読書会 保坂和志『地鳴き、小鳥みたいな』」
たいへんよいのでふるってご参加ください〜〜〜という話でした。