フアン・パブロ・ビジャロボス『犬売ります』(平田渡訳、水声社)

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8月1日(土)
ドゥーユーノーダルビッシュユー?
薬局の近くで女が男にそう言っていたのを聞いたのは、いつだったっけか。野球は終わった、他のスポーツも見てみようというところでサッカーを見た、パリ・サンジェルマン対なんとかの試合だった、なんか、ゴールが見たい、と思って開いた、ハイライトもあったのでそちらも見てみたら、120分、両チーム無得点、という試合で、「ゴールが見たい!」と思って笑って、他の試合を見た、それはユヴェントス対なんとかの試合で、それは3つくらいゴールがあって、ゴールはいいなあ、と思って、閉じた。今度はF1でも見てみようか、MLBは今年はDAZNでの放送はないということでそれはとても残念。
早く寝ようとするがこんな日に限って眠気が訪れず、『犬売ります』を長々と読んでいた。老人がタコス屋に犬の死骸を売ろうとしたことを追及されるところでアリバイがあることを説明しようとして曜日が肝要だった、毎週水曜日と土曜日に部屋を訪れるモルモン教の青年に、あの日、一緒にいたよな、と問いかけた、青年はその嘘に乗らなかった、苦境に立たされた、万事休した感があった。
「ちょっと待ってください」とわたしは叫んだ。「二〇一二年は閏年ではありませんでしたか」 わたしたちは、カレンダーのところまで引き返した。案の定、二月は二十九日あった。 それで計算が変わるわけではなかったが、少なくとも混乱は起きた。 フアン・パブロ・ビジャロボス『犬売ります』(平田渡訳、水声社)p.104
この無意味な撹乱の様子がビジャロボスっぽくておもしろくて、ニヤニヤしながら読んでいた、ニヤニヤしているばかりでもなかった。
あとで、ようやくヴィレムが帰ったときに、わたしは映画を早戻しにした。ヴィレムが、おしゃべりをしてわたしの注意を画面からそらそうと躍起になっていたあいだに、ちらりと見た写真をきちんと見たかったのである。それは、フアン・オゴールマンがニーナ・マサロフという名前の女を抱擁している写真であった。わたしは、一時停止ボタンを押してから、ビールを一杯、もう一杯、さらに一杯とひっかけながら、じっくりと眺めた。それは、フアン・オゴールマンがフリーダ・カーロ宛にヨーロッパから送った、婚約者同士の写真、というか絵葉書だったけれど、わたしがそれまでに見た、いちばん哀しい写真に相違なかった。オゴールマンがよく見せる悲痛な眼ざしに加えて、フィアンセの諦めたような、ぼんやりとした雰囲気が切なく映った。彼女は、自分たちには未来がないことをきっちりと悟っていた。いや、それどころか、未来などどこにもないと観念していたかもしれない。(…)写真に見入りながら、マリリンや、恋人になり得たけれど、じっさいはそうはならなかった、すべての女たちのことを考えた。なるほど、オゴールマンの言うことはもっともであった。人生というのは、あまりにも哀しいので、三度も自殺する必要があるのだ。わたしは、酒を飲みすぎていたが、ノートを開いてマリリンについて憶えていることをすべて書きはじめた。あれこれ不平を洩らすときの特徴や、脚の長さ、さわらせてくれなかった髪の毛のことを。 同前 p.129
一向に眠気はやってこなくて、ずっと読んでいた。左手が支える残りページの厚みが減っていく。途中、水を飲んだり、外で煙草を吸ったりしながら、眠くならないなあ、と思いながら、読んでいった、このまま読み終わっちゃう可能性もある、というくらいまで残りページ数が少なくなったところで無理やりやめた、閉じて、電気を消して、少しずつ眠りに近づいた。
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