オラシオ・カステジャーノス・モヤ『吐き気』(浜田和範訳、水声社)

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8月7日(土)
ストレッチをしながら日ハム戦のハイライト。堀がしびれる場面での登板というか、抑えの秋吉が抑えられず堀が締めを委ねられ、一人は押し出しで出してしまう、迎えたスパンジェンバーグだったか森だったかをなんかのボールで三振かなにかに仕留め、いい、とてもいい顔をマウンドの上で見せた。かっこよかった。堀は貴重な左腕先発という感じで成長していくのかと思ったが、リリーバーとして生きていくのだろうか。
試合が済むとナインとベンチの人たちは列を作ってハイタッチをして小走りで駆けていく、しかし今年はハイタッチは素振りだけで、しない、ハイタッチ風に小走りで駆けていく、ハイタッチくらい、してもいいんじゃないかと思うのだけどどうなのだろう、いろいろな人が触ったボールを運搬していたどのみち消毒するその手をそのあと消毒すればいいだけなんだから、ハイタッチくらい何も冒さないような気がするけれど、付着していたウィルスがタッチの瞬間に飛散して、それが粘膜から入っていくのだろうか。でもたしかにハイタッチというのは顔の前でおこなわれることだから、そうかもしれない……と思いながら、もう少しストレッチをと思って楽天の試合のハイライトを今度は流した、黄緑のヨガマットの上で、ぎゅっぎゅと、体を伸ばしながら、画面を見る。ロメロだけだったか楽天はみんなそうだったか、ロメロがホームランを打って戻ってくると、そのときのお決まりのポーズとして、手指消毒ポーズをする、カメラの前まで来ると、手指をモミモミして、カメラに向けて、ぱー、とやる、いいポーズ、ロメロは今日2本ホームランを打ったから、2度見た、これはなんだかいいポーズだなあ、と思って見ていると画面が切り替わって今度はブセニッツがマウンドに立っていた、舌を出してキャッチャーのほうを見ていた。なんでだか、その切り替わりがよかった。シャン・コントル・シャン。
そのあといくつか今日やっておくべき仕事をしていたらどんどん時間が過ぎていって、しまいには空が白んでいった、4時を過ぎて、ふとウェブサイトの文言を修正したい箇所が出てきてVSCODEを立ち上げるなどしていて、いったい何をしているんだろう、と思う。5時近くになっていた。やっと寝床に入り、『吐き気』を開いた。開くとき連日、毎回上下が逆になって、あれ、となってひっくり返す、なんでだろうと思ったらカバーを上下逆につけていたことがやっとわかった、明日直そうと思って今日はそのまま、くるっと天地をひっくり返して読む、すると帯が上に来る、帯にはボラーニョの「バスター・キートンの映画や時限爆弾にも似た彼の辛辣なユーモアは、愚者のホルモンバランスをおびやかす」というコメントが書かれている、ベガはどんどんしゃべる。本当に口が悪い。
俺はスポーツほど嫌いなものはないんだ、モヤ、スポーツほど退屈でバカになる気がするものはないと思ってる、だが国内サッカーは特にそうだ、モヤ、どうやったらボールを追って走り回る二二人の知能の限られた栄養失調者に弟が人生を捧げられるのか理解不能だ、弟みたいな奴じゃなけりゃ、ボールを追って走り回っては限られた知能をひけらかす二二人の栄養失調者のふらつく姿に発作を起こすほど熱狂できるわけがない、弟みたいな人間だけが、錠前屋とそれからアリアンサと称する栄養失調の知能制限者のチームに一番の情熱を燃やせるんだ、とベガは私に言った。 オラシオ・カステジャーノス・モヤ『吐き気』(浜田和範訳、水声社)p.128
そのあと、「俺にとって心底どうでもいいものがあるとしたらそれは俺に関するお前の意見だ」という言葉を見かけ、大きくページを折った。この言葉は覚えておきたい、いつか使ってみたい。
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