7月24日(金)
豚肉ともう一本のビールを買って帰宅して、もう一本のそのビールを飲むと僕は布団に横たわり、きっとこれは寝る、と思いながら、柴崎友香を開いた、夜ご飯はサラダをこしらえるつもりだったが、どうなるか。ラーメン屋の話が書かれていた。
店が建ったころは、両隣も似たような店舗だった。間に合せの安普請で、右隣の飲み屋は傾いて「未来軒」にもたれかかっていた。左側は年配の女性向けの洋服屋だったが、近所の女たちが世間話をしに寄るだけで、買う人を見かけることはなかった。
「未来軒」の裏手は、長屋だった。間口の狭い、そして一階と二階は別の家になっている木造住宅がひしめくように建っていた。
柴崎友香『百年と一日』(筑摩書房)p.55
ここで何かが炸裂して、記憶の中の何かが、ぶわーっと広がる感覚があった。それが具体的になんだったのか、具体的に思い描いたのは三重の伊勢の泊まったホテルから見下ろした古びたアーケード街の屋根と、それを地上から、入り口から見たときの、店が連なって奥まで続くその様子で、それだけで十分になにかを訴えてくるものだったが、それだけではない、何かがぶわーっと炸裂した、なにかわからないまま、眠気がやってきて、本を閉じて、寝た。
そろそろシャワーを浴びてちゃんと寝たほうがいいのではないか、という遊ちゃんの声で目を覚まして、起き上がると、1時半だった、何時から寝ていたのだろうか。言われたとおりにシャワーを浴びて、今日は交換日記の番だった、ソファに座り、さあ書こうと思いながら、長々とツイッターを見ていた、煙草を吸いにベランダに出ると、水の中にいるみたいだった、車が通る水を弾く音というか水の上をタイヤが通っていく音があって、それから靄がかった空気の見え方があった、水中。ツイッターをやっと閉じると交換日記を書いて、頭も靄の中にいるみたいだった、それから続きを読んだ。
近所で進んでいたマンションの建設工事が、途中で止まった。二階部分のコンクリートまで作られたそれは、それから七年も放置されることになった。
「未来軒」は、最低限の補修をしただけで、隣の飲み屋と洋服屋と支え合っていた壁にその屋根の痕跡を残したまま、どこも変わらなかった。「来来軒」のはずが間違われたという、もうだいぶ剥げた看板もそのままだった。暗くなるころに、駐車場の真ん中でぽつんと「未来軒」に灯りがともった。
駅前は、だんだんとさびしくなった。次々に建った真っ白いビルは、「テナント募集」の看板だらけになった。ワンルームマンションは、ベランダに放置されたごみが目立つようになった。商店街の店も、少しずつ閉まり、代わりに格安のチェーン店とコンビニばかりになった。
同前 p.60
凄い。『百年の孤独』を現代あたりの日本でやったらこうなるのか、というような気になった。人間のこの間違い方、この愚かさみたいなもの、この時間の流れ方、凄い、と思って読んだ、どの話にも、たくさんのなにか徴みたいなものがあるように感じられて、徴は、たくさんの記憶を喚起させる、それは自分の記憶だけではなくて、これまで見てきた映画や、読んできた本、そこで見てきた景色でもあった、次の戦争の村の話もそうだった、この本は凄い、と思いながら読んで、4時過ぎだった、また寝た。
・・・