吉田健一『絵空ごと・百鬼の会』(講談社)

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4月16日(木)
夕方、なんだか雲行きが怪しくなってきた。今日は雨は夜かと思っていたが予報を改めて見ると7時8時くらいにも一雨ありそうで、鈴木さんは自転車だった、1時間の道のりだった、早く帰ったほうがいいかも、となって、帰ることにした。鈴木さんがコーヒー代を払おうとした、今日の売上は2杯で1000円だった、火水木と4000円、2000円、1000円となっていてその数字が面白かったから、そのままにしたいところもあり、というかもともといただくつもりもなく、固辞した。ナイキのかっこいい靴を履いた鈴木さんは帰っていった。4時半。僕らも帰ることにした。「雨が降りそうだから店じまい」というのに笑った。
しかしその判断は見事なものだった。帰って少しして6時過ぎだったか、外からパチパチと聞こえてきて、雨だった。雨に勝った!
夜もポヤポヤと過ごして春キャベツと豚肉の炒めものをこしらえ、あとはタッパーにあるおかずでバクバクとご飯を食べて、毎日うれしい食事ができている。うれしい。
或は別な例を取るならば、浅草は戦争中に全焼してその後に何もかも建て直されたのであるから今の浅草の仲見世ならば仲見世を写真に取って三十年前のと比べるならばその二つが同じ場所であると考えられる訳がなくても浅草に実際に行って仲見世を歩けばそこは紛れもない浅草の仲見世である。
こうした事情の説明を抜きにしても、それ故に今日の東京にも東京が残り、それを拠りどころに確かな生き方をしている人間もいる。落合勘八もその一人で、勘八は四谷に住んでいた。 吉田健一『絵空ごと・百鬼の会』(講談社)p.10
引き続きのコーディングを経て、寝る前の時間は吉田健一を開いた。のっけから面白い。本当に面白い。乾いたスポンジに水が染み込んでいくように面白い気持ちが高まっていく。
或る冬の日の午後、昼寝から覚めて天気がいいのでその店まで歩いて行って煙草を吸っていると又一人客が入って来て勘八がいる卓子の前で立ち止り、
「元さんの画廊が店開きするんだそうです、」と言った。
それで少くともその元さんというのは一種の画商、或は画商の仕事もする人間だったことが解る。その店開きのことを言ったのも勘八がその酒場で仲よくなった人間の一人で何か会社をやっているらしいことを人と話している時の様子などで勘八も知っていた。併し親しくなったのはそういうことと関係がなくてその小峰さんというのがただそこで飲んでいてもそれがその小峰さんという人間の世界の一部での出来事でその世界がどういうものなのか見当も付かないままに確かにどこかに、或はそこに小峰さんの世界がある感じがすることが勘八には魅力があった。 同前 p.16
あんまりいいので音読をして遊ちゃんに聞かせた。そこからも面白い面白いと読んでいたら「併し東京が東京でなくなったからと言って我々がどこかのそのレジャー・ビルデンス・デラックス・コロナ・タウンとかいうのに引っ越しますかね。」という言葉にぶつかって
「あっ」
と思って閉じた。
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