発売中の「いつか行くフヅクエ券」についての謝辞

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先週の18日、「いつか行くフヅクエ券」の発売を開始した。
発売から一週間経過の昨日終了時点で、545枚をお買い上げいただいている。金額としては136万円で、これは固定費にすると1.36ヶ月分に相当する。40日分くらいのエンジンを注ぎ足していただいた格好だ。本当にたくさん、お買い上げいただいている。
本来であれば、皆様お一人お一人にご挨拶をすべきところ、みたいなところですが、きっとお一人お一人に挨拶をしていくことは、結局はコピペを繰り返すだけの「作業」に堕してしまうような気がしていて(「ありがとうございます!」「ありがとうございます!」「ありがとうございます!」)、こちらを通してひとつの挨拶として書くことのほうが、ずっと正しく嘘のない感謝の意の表明になるように思い、こちらから。
しかし感謝、と言うが。
通常であれば、お金のやり取りはまったくの等価交換だと僕は思っている。お客さんと店はできるかぎり対等であるべきだと僕は考えていて、お金を受け取ることに対して、いたずらに、過剰に、みだりに感謝の言葉を並べ立てるのは、むしろ敬意を欠いた振る舞いになる危険性さえあると思っている。お客さんにとって店に支払うことは、善行でも、施しでもないのだから。いつでもお客さんと店のあいだは、ひとつの「ありがとう」とひとつの「ありがとう」がシンプルに交換されている関係であるのがいい。
そう思っているし、今回もあくまで「少し先の楽しみな予定を持とう、もしそのひとつがフヅクエで過ごすことだと光栄なことに思ってくださるのならば、これを買ったら楽しみな予定をその手に掴むことができますよ」という価値を提供するものであり、それに対してフヅクエは、先にお金をいただいて、続けていくための体力(手元資金)という対価を受け取る、これは等価交換である、という意味合いも持たせた。しかし今回は、僕は「フヅクエは余裕で生き残ってやるよ」と信じ切っているけれど、それでもやはり先の見えない不安はあって、だから、もし応援してもらえたなら、やはりそれは救いになる、うれしい、助かる、ありがたい、そういう部分もできるかぎり正確なニュアンスになることを期して書いたつもりだ。こういう言葉はどんなふうに受け取られるのだろう、一体どれだけの人が反応してくれるのだろう、と緊張しながら公開をした。その結果、日々、刻々と、実際にたくさんの方がこの券を買ってくださり、そしてそこにメッセージを付け加えてくださったり、あるいはSNS上でいろいろ書いてくださったりするのを見ていたら、いやおうなく強烈な感謝の気持ちが溢れて、炸裂して、「ああ……与えてもらった……」というような、そういう心地が現れてくるのを抑えられなかった。ただただ感動してしまった。
なので、もうほんと、めちゃくちゃありがとうございます! ものすごい強い安心と勇気と元気をいただいています。
今回、こうやってたくさんの方に買っていただく中で痛感するのは、商売人には、商売をしているという日々の実感が必要なんだということで、その実感が次の日もがんばるための活力になっていくんだ、ということです。
今フヅクエは、ほぼ休業、という形を選択しています。「本を読みながらゆっくり過ごしていただく」という、フヅクエが本来提供する価値の宛先がない状態、フヅクエの時間を享受してくださる人を見ることのない状態、そういう状態で毎日を過ごしていると、「フヅクエなんてとっくに忘れ去られて、もう誰にも必要とされていないのではないか」みたいな気持ちになっていく。これがとても問題で、気持ちを蝕んでくる。
そういう中で、日々フヅクエ券が購入されていくことが僕に伝えてくるのは、「フヅクエは忘れ去られてはいない。こんな状況でもフヅクエの時間を所望してくれる人たちがたしかにいる」という、強く、たしかな手応えで、これが、とにかく、大きい。めっちゃがんばれる、という気に、たしかに、なる。
そんなわけで、めちゃくちゃ助かっています。支えてもらっています。
また、それだけでもありません。やはり、お金というのは、すごいもので、前向きで建設的な気持ちが生まれもしました。
4月頭からここまでは、突然の状況に対する戸惑いと、開店準備等で去年からずーっと全力で走り続けてきた足をピタリと止めることによる虚脱感のようなものの中にいました。その中でも「#自宅フヅクエ」をやったり『music for fuzkue』をリリースしたり、なんとか前を向こうという感覚は忘れなかったつもりだし、気の抜けきった朗らかな気持ちみたいなものすらもあった。のだけど、「じゃあ具体的にこれからどんなふうに事業を続けていくんだろう、この状況が終わるのを黙して待つ以外、なにかできることなんてあるんだろうか、今そういうの全然わかんないわ」と、ぼんやりと手をこまねいて過ぎていく毎日でした。それが、この券を発売し、お金をいただく実感を得ると、すぐに、「とりあえず月に100万ちょっとの売上をつくり続けられれば続けることを続け続けられる、であるならば、一日あたり3万ちょっとだ、ということは・・・」という、単純計算でしかないんですけど、頭が皮算用の動きを始めました。商売人としてのやる気のようなものが、やはりここでも復活した感じです。
お金を与えられるということは、それはすなわち時間を与えられた、という感覚です。素早く動くところは素早く動きつつ、じっくり腰を据えて、考える。そのための時間を与えられた感覚です。今は5月6日がひとつの境目で、そこからどう動くだろう、というふうなところですが(この状況が変わるとは到底思えないので、あまり意味のない境目だとも思っていますが)、ちゃんと続けていくために考えることを続けたいと思います。
そういう意味でも本当にありがとうございます。
(余談ですが、先日立ち上がった、運営メンバーとして参加しているブックストアエイド基金について、僕個人がもっとも思うのも、この「考えるための時間を」というところです。書店のみなさんに、急場をつなぐためのお金を受け取っていただくことで、考えるための時間をもし少しでも、提供できるのならば、それに貢献したい、という気持ちが強いです)
最後に提案を書いて終わりです。今回、売上情報を更新して発信しているのは、小さな個人事業であるフヅクエでいったいどのくらいの金額が集まるのか、ひとつの参考例になればいいなという考えからです。
フヅクエはこんな感じです。フヅクエにとってこの金額は、だいぶ助かる金額です。
お店の状況ごとに、だいぶ助かる金額、足しにしかならない金額、いろいろあるはずですが、もしかしたら、こういう取り組みを待っているお客さんは、けっこういるかもしれません。
店をよく思ってくださる人たちは、店が思っている以上に、こちらのことを気に掛けてくださっているんじゃないかと感じます。何かできることがないかと思ってくださっている人たちは、思っている以上に多くいらっしゃるんじゃないかと感じます。そういう方々の中には、徒歩や自転車でアクセスできる人も、そうじゃない人も、グッズがあるなら買いたい人も、そうではなくてやっぱりそのお店で過ごす時間こそがほしいんだよという人も、いろいろだと思います。
「未来の時間を買う」という具体的なアクションの機会を用意してみることは、店を思ってくださるお客さんに報いるためのひとつの形たりえるはずだと僕は考えています。実際にやってみて、その思いは強くなりました。
あれ、なにを提案したかったのか。そしていったい誰に。というか提案なんてやっぱりおこがましいし、全然誰に向けて書いているのかわからない気分になるな。そもそも別にフヅクエが初めて始めたことではないし。まあなんか、「これよく見るよね。というかどこもやってるよね」というくらいにたくさんのお店がこの方法をやったらいいんじゃないかな、という気分です。店が続いていくことこそがお客さんへの最大の報いになるはずなので。