ゆっくりがっつり本を読みたい人たちにとっての場所、こここそがきっとその場所になるよ、と意気込んで店を始めたのが2014年の10月17日でどうしてだか14日だったような気がしていたらしく3日前に「あ! 5年の日では!」と思ったが違った、今日だった。
5年が経った。長くはないけれど短くもない時間で、とにかく5年だった。5年は続けるぞ、ということは始めたときのひとつの目標だった、というわけではなくて小さな店をやるというのは僕にとってはその日その日でしかなかったし同時にいつまでもいつまでもということでもあった、3年とか5年とかの数字は具体のように見えてむしろ抽象だった。
とにかく5年が経った。フヅクエをめぐる僕の態度は徐々に変質していった。
当初フヅクエは僕の店で、僕が一人で立って僕が食えるくらいになればそれでいい、それに足るだけのお客さんはきっといるのではないか、初台なんてどんな町なのか知らないけれどそのくらいの人はいるのではないか、なんなら商圏は全国だ、こんな場所はきっと貴重だ、一人の読書好きとして僕がこんな場所を欲望したように、こんな場所がほしかったんだというそんな人たちが日本中からやってきてくれるのではないか、目指せ聖地、そんなポジションを狙えるのではないか。そんなふうに思っていた。
意気込みは意気込みとしてまったく嘘でなくあったが、まず主語はとにかく僕だった。それが次第に、この場所で素敵な時間を過ごしてくれる人たちを見続けてきたせいだろう、「これとってもいいぜ」という声をたくさんいただき続けたせいだろう、意識は次第次第により強くお客さんにフォーカスされていって、とにかく絶対この人たちを裏切っちゃいけない、この人たちのいい時間を守り続けるの、作り続けるの、という、義務ではないけれど、この店の担う役割みたいなものの大きさみたいなものを感じるようになっていった。その帰結というのか、フヅクエはどんどんと本気で本をがっつりゆっくり読みたい人たちのための店になっていって、つまり「本の読める店」として先鋭化していった。
この5年のあいだ、ゆっくりがっつり本を読みたい人たちにとって残念な変化というのは、おそらく一度たりとも選択していないつもりだ。これは、ものすごく、誇らしい。
それから次に、このフヅクエという概念というのか装置というのか、これはきっと、もっとたくさんの場所にあるべきなのではないか、と思うようになっていった。映画を映画鑑賞のための場所で楽しみたい人のために映画館が全国各地にあるように、本を読書のための場所で楽しみたい人のために「本の読める店」は、全国各地は想像もつかないけれど、もっとたくさん、あるべきなのではないか、それは世界の豊かさの増加に寄与することなのではないか、そんなふうに思うようになった。そんなふうに思うようになってそんなことを言うようになっていた矢先に、縁あって、こんな物件ありますけれど、という声を掛けていただいて、来年の4月に下北沢店をオープンさせることになった。まだ始まってもいないけれどこれをステップにしたい。まず手始めに、下北沢、その次に、そしてその次に、ということをやっていきたい。こういうことは声を出しておいて損をすることはないように思うので、言っておこう、目標としては次の5年であと3店舗、その次の5年で5店舗、出したいね。出そうじゃないか。数字は今考えたので超適当ですが、それが実現できたら10店舗になる。展開というには慎ましいペースでなんだかいいんじゃないかと思うが、どうなるか。
そうやって、店を増やしたり、していきたいね、ということを考えていくにつれて、今度は人のことを考えるようになった。あいにく僕の体はひとつだけなので、僕だけで店を回していくことはできない。フヅクエを一緒にやっていく仲間みたいな人たちを、つくっていかないといけない。それでスタッフを募集して、雇うということを始めていった。最初は、僕の代替、という意識ばかりだった。俺だけじゃ疲れちゃって無理なんで、俺の分、代わりに、頼んだよ、というような。一人のそれぞれ固有の人間として好きであるというのはそれはそうとしても、人を雇っている、ということについてあまり真剣に考えていなかった。そんなにお金払う余裕ないしね、そこはなかなか難しいよね、あんまり払わないで済むならそれに越したことはないよね、というような。
それが次第に、あ、なんか、この人たちが、ここで働くことによって幸せになれるようにちゃんと、マジでちゃんとしないと、いけないわ、というか、そうしたいわ、という、責任感と言うには現時点ではまだ薄すぎるという感覚だけれども、その芽みたいなものが出てきた。フヅクエで働く人たちが、その働きの時間を充実した喜びのあるものとして感受できて、暮らしがちゃんとしたものになって、そしてまた、先々を考えたときに、うっすらとでも、光のようなものが見えるような状態にいてもらえるように、マジで、していかないと、ダメすぎる、と思って、さて、どうしていこうかな、やば、こわ、おそろし、と思い始めた、のが最近。(
引き続き一緒にフヅクエをやっていく仲間というか人というか仲間を募集中です )
そんなわけで、とても一人称単数の、僕の、まさに僕の店だったフヅクエは、より強く本をがっつりゆっくり読みたいお客さんのための店になっていき、まだ見ぬ各地の読書好きの人たちのための場所として広がりたがっており、そしてそこで働く人たちを幸せにするための場所にもなりたがっている。
この先どうなっていくのかはさっぱりわからないが、ひとまず、5年でここね。早いのか遅いのかは全然わからないけれど、嘘のない、いい歩みをしてこれたとは言いたい。
5年。これまでフヅクエに来てくださった方々、行きたいと思ってくださる方々、一緒に働いてくれた方々、働いてくれているみんな、ありがとうございます。
みなさんの存在がなかったらとっくに潰れているか、潰れないにしてもなんかよくわからないつまらないブックカフェみたいなものになっているか、そんな感じだったはずです。こんな店がいつまで続くのものかねえ見ものだねえと思いながら帰った人もたくさんいるであろうそんな店が続いているのは、ひとえにこんな、本をがっつりゆっくり読みたい人以外にとっては全然おもしろくもなんともない、ほとんど不愉快なだけかもしれないこんな極端な店を、受け入れてくださった、楽しんでくださった、みなさんのおかげです。俺がそういう場所がほしいんだから、こんなのはそんなに特殊な欲望じゃないはずだ、絶対、いるはずだ、同じようにそんな場所を求める、そんな人たちが、と店を始めるときにほとんど根拠なしに思っていた「そんな人たち」がみなさんです。いてくれて本当によかった。これからもどうぞよろしくお願いします。
そしてまた、そんな人たちには、おめでとうございますとも伝えたい。フヅクエがあって、よかったでしょう? フヅクエが存在する世界が続いていくことは、いいことでしょう? それが増えたがっているなんて、希望以外のなにものでもないでしょう? お楽しみはこれからだ、そうだね、実に頼もしい話だね。だからとてもおめでとう。
長くなりましたが、とにかく、フヅクエは、本を読むという行為を明るく嬉しく贅沢な豊かなものとして享受できる人が一人でも増えることに寄与できたらいいなと思っている。読書を、変なプレッシャーのある「すべきもの」としてとかじゃなくて、「読書は楽しい、読書めっちゃ好き、以上」というそんな気楽な楽しみ方をできる人が増えることに寄与できたら最高だと思っている。
読書文化の中の、これまでなぜかほとんど真剣に顧みられてこなかった「読む」というパートの、隅っこと見せかけてど真ん中で、脇役と見せかけて主役くらいの立ち位置で、なんかなにかに貢献できるようにしていきたいというか、いや違うな、ただ目の前の、本を読みに来てくれた人たち一人ひとりに喜んでもらえるよう、疲れたとかしんどいとか休みたいとか言いながらも真剣に、一日一日やっていくだけです。一日一日、本を読む人たちのために/とともにあり続けるだけです。
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