メールマガジン「読書日記/フヅクエラジオ」 | fuzkue
##5月27日(月)
店を通り過ぎて商店街が甲州街道とぶつかるところにあるATMに入ってお金を下ろしながらふと頭上を見ると銀色のプレートというのかが鏡みたいになっていて空と建物を映していた。それがどうも北口の通りから見た景色に見えて、あれ、北口の通りが見えている? と思うがそんなわけもなく片側2車線の甲州街道を挟んでいるしなにより首都高に邪魔されてそんなふうに見えるわけもなく、だから南口の商店街の様子をなんらかの角度で切り取って反転させると北口の通りの様子に似るというねじれたことが起こっていて今日も暑かった。
大家さんのところに行って家賃を払い、それから店の準備をして大して準備はしなかった。開けるといつになくコンスタントにお客さんが来られて鈍い休日くらいの客入りでおかしなものだった、一生懸命に近い強度で働きながら同時に日記の推敲をしていってこれまでは赤ペンだけを使っていたが黄緑色のマーカーを朝、文房具屋さんに入って買ってこれまでそこでは煙草を買うことしかしたことがなかった、だから買って、それで今週からは赤ペンと黄緑色のマーカーを使い分けることになって使い分けた。使い分けは文章の修正はこれまで通りに赤ペンでマーカーはInDesignに流してからのもので立てた欧文の周囲をベタ組みというのか、にするであったりカギカッコの中にカギカッコがあるときに小カギにするであったり二倍ダーシにするところであったり、というのを塗っておいて流してから黄緑部分を触るというそういう目印でそれにしても鈍い休日くらいで満席になるかと思ったらそうはならず、しかしコンスタントにずっとあって今月は平日がまったくの惨憺だったからありがたかったし平均を押し上げるためにも一気呵成でどんどん来てもらいたかった、よく働きよく疲れた。ここ数日の空腹時の摂取食物であるネオバターロールに鶏ハムを挟んで食った、2個、バカうま。
……8時にはどなたもおられなくなった。
勤労意欲は減退の一途をたどっていったというかゼロになったためミックスナッツをつまみながら本を読んだ、『居るのはつらいよ』。ケアとセラピー。ただ、いる、だけ。読み終わった。ずっとひたすら面白かった。ただいるだけ。ただいるだけ。先週だったかに僕は非生産の時間の側にいたいと書いたことと通じることのような気がした。ずっとなにか響き合うものを感じながら面白く面白く読んでいた。いること。それはフヅクエにとってとても大事なことだった。まだ10時半とかだった。もういいやと思い看板を上げ、飯食った。11時半。銭湯行こ。
ゆっくり風呂に入った。すぐにのぼせるから下肢だけを入れて立っていたり、それでどぶんと入ったり、隣の水風呂にやはり下肢を入れてみたり、これはあたらしい挑戦だった、水風呂なんてこれまで見向きもしなかったがふと今日は「水風呂」と思ったためそうしてみたのだった、それは気持ちのいいものだった、いつか僕もサウナと水風呂を行き来する存在になったりするのだろうか、ふくらはぎがとにかくだるくて、それをケアしたかったということだった、それでどうなったか。
帰り、まだ早い時間だった、遊ちゃんと話していると歌舞伎の話になり「奈落」と言うから、そうか、そういう場所は奈落というのか、と感心して、自信がないというので調べてみると正しかった、奈落だった、と思ってそのあとにデニス・ジョンソンの『海の乙女の惜しみなさ』を開いた、短編集ということだった、最初は表題作でその中に細かい話が入っているような感じで静かだった、いくつか読んでそれは静かに熱いような感じもしたし静かに冷たいような感じもしたしそれが老いなのだろうか。晩年の、というのをどこかで見たのだろう、ふと帯を見た、帯ではなく背表紙の上のところになにか文章があるのだったか、とにかく背表紙側を見たら「抑制の効いた語りのなかに、人生の奈落をふいに垣間見る瞬間。」とあって「また奈落」と思っていくつか読んだら眠った。
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##この週に読んだり買ったりした本
デニス・ジョンソン『海の乙女の惜しみなさ』(藤井光訳、白水社)
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『ユリイカ 2019年6月臨時増刊号 総特集 書店の未来』(青土社)
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又吉直樹、武田砂鉄『往復書簡 無目的な思索の応答』(朝日出版社)
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