メールマガジン「読書日記/フヅクエラジオ」 | fuzkue
##4月8日(月)
イ・ランを朝から聞いていてここのところずっと聞いているし聞いていないときでも頭の中に流れているから聞いている。とにかく心地がいいようでこれまで聞くことのなかったことがもったいないようにも思ったがきっと今とフィットしたということだから今でよかった。
だからぼんやりとイ・ランを聞きながら準備をして店を開けて、とりたててやることもない、昨日印刷した日記の赤入れをしてそれから反映させてInDesignできれいにした。
貧すれば鈍する。ヒンスレバ・ドンスル。コロンビア人の商店主で54歳。先日孫が生まれた。大きな犬を飼っている……
夕方、山口くんイン。やることがほとんどないなあと思い、店が暇とか忙しいとか、どちらでも「仕事をしたなあ」という気になれるようなそういうのがいいよね、なんかやることないかね、そういうことを話した。それから今朝の「誰かの日記」が僕はやけによくてその話をして、不安とかさみしさとかは全面的に肯定されるべきだと思うんだよ、じゃ、一生懸命働いてね、と言って出た。不安とかさみしさとか、弱さとか。なにか弱さのあらわれを上から押し込んで閉じ込めようとする様子を見ると「それは強さだよ」と言いたくなるんだよね、「それ、強さだからね、その自覚のうえで行使してね」と。ということは言わなかった。店を出て初台の通りを、人を人とほとんど感じることなくぼんやりと視界に収めながら、思っていた。しかしその強さは、僕も持っているところがあるだろうし強さでもって弱さをやっつけようとしてしまうことも多々ある気がする。とは思う。個々それぞれに、いろいろの部分で、強さだったり弱さだったりは持っていてだから弱さの体感を知っているはずだから、強さの発動には敏感でありたい。いま「びんかん」と打ったらすぐに変換を確定させたからサブリミナルみたいに残像として残った「ビン・カン」これはなんなのか、と思ったら「瓶・缶」ということか。
家に帰って、結局こう、ぼんやりとした、なんの欲望もない、そういう状態はまったく僕はダメで、というか少なくとも慣れていなくて、やることがない、と思った。きっとあるだろう。けれどないように思って、コンビニでチョココーンフレークみたいなものを買ってきてコーヒーを淹れてむさぼりながら吉田健一を読んでいた。忍者寺に行ったら住職と川を船に乗って進んでいて中国の建物みたいなところに入って、夜になって建物の天井がなくなったり、していた。寝た。
たくさん夢を見て遊ちゃんが帰ってきて目が覚めたがまた寝て、それで起きた。2時間以上寝ていた。虚しさ。出て、雨が降っていて、それでユーロスペースに行った。三宅唱の『ワイルドツアー』でそれを見た。主人公の一人であるタケの風貌というか顔が自己認識としての中学高校時代あたりの僕のそれとほとんど同じで、だから他人事とは思えない気分で見ていてソワソワし続けた。そしてニヤニヤし続けた。そして喜び続けた。三宅唱の映画のこの豊かさみたいなものはいったいなんなんだろうなと思う。中学生たちであるとか高校生であるとかの顔のそれぞれの密度というか、強度というか。こんなふうに若者というか子供と大人のあいだくらいの年齢の人たちをこんなふうに映した映画は僕は覚えがなかった。これまであっただろうか。どうしてこれが成立するのだろうと思ったときに中学生とかそういうああいう年齢はある種のぎこちなさみたいなものを特権みたいなものとしてまとっているというか中学生はぎこちなければないほどに中学生であるから演技という場面においてもどれだけぎこちなくてもそれが中学生をさらに中学生にさせるからだから成立するということはあるのかもしれない。というか、あの中学生のありようは中学生以外にはできない中学生のありようなのではないか。とにかくずっとよかった。ニコニコしながら、すべてが愛おしかった。映画館を出たら雨はもう上がっていた。
まだ乾いていない道は夜で光っていて歩きながら通り過ぎる店をいちいち見ているとどこも人が少なくて「そうか」と思った。今日は人が少なかった、と遊ちゃんも夕方に思ったらしかった。なにかが発令されて人は今、どこかに潜んでいるのではないか。という説を僕は持つことにして、遊ちゃんと映画の感想というか「あいつがね」「あの子がね」と話して楽しかった。話していて、というか「あいつがさあ」と話していて思い出したのが僕はこれがどうしてだかずっと印象に残っているらしくてかつて大学生のときはてなダイアリーでブログを書いていてたしかフランスの小学校の哲学の授業を撮った映画でそれの感想とかを書いたときに唱くんがコメントで「あのちびがさ!」みたいな喜んで嬉しがったそういうコメントを書いてきたことがあってその印象がずっと残っている。その「あいつのあの顔がさ」というその「いいもの見ちゃったな」というあのその気分の全部が『ワイルドツアー』に結実しているというか『ワイルドツアー』はそれでそれがまったく完全な形で出力されたものに思えてあのころから十年以上が経ったのか。途中でSPBSに寄って『POPEYE』を開いて唱くんのところを読むと『ワイルドツアー』のことでそこで「演技に向かう彼らの勇敢さ」だったか「果敢さ」だったか、とにかく「敢」の字がつく言葉で彼らのことを言っていていい言葉だなと思ったしいい言葉だったし彼の視線のあたたかさが端的に現れていた。人が何かに臨む姿を見て、「勇敢」というふうに思う、その眼差しは、かっこいい。
SPBSは僕はイ・ランのエッセイ集が欲しくてSPBSはとてもありそうと思ってそれで映画の前に丸善ジュンク堂ではなくて映画後にSPBSにしたというか、ソファで眠気に勝てないで起き上がれないでいるときに「丸善ジュンク堂に行かなくていいのか?」と自問したときに「SPBSにきっとあるでしょう」と思ってそれでそうしてギリギリまで寝ていてその後のSPBSということで、見つからないな、と思ったあとに「あ、音楽とかコーナーはどうだ」と思って見たらすぐにあってだから買った。レジのところに前に家にあったエジプト塩があってとてもおいしかったそれを一緒に買った。
ビールを飲んで帰ることにしてタラモアに入るとフードのラストオーダーは終わってしまったということでポテトフライは果たされなかったがだからなのかいつもはハーフパイントで頼むビールをパイント一本勝負と思ってそれでよなよなリアルエールを頼んだ、遊ちゃんは白ワインを頼んだ。机にiPhoneを置いてボイスメモを起動させた、それは木曜日に青山ブックセンターの山下さんに「ひとの読書」で話を聞きに行くことが昨日決まったというかずっとなんとなく放っていたが昨日「えいや」と思って打診したら今週は木曜日が都合がいいようでそれで木曜日に決まって、なにかビールでも飲みながら話しましょうと前に言っていたからある程度の騒音の中でどれくらい録れるのか知っておきたくてそれで起動した。
日中は日中で備えていてデジカメを久しぶりに取ってきて充電をしてそれから試し撮りをした。試し撮りをしていたら店の中をいろいろ撮っていてなんとなくいい感じに撮れた感じがあってそれでそれをLightroomでかっこうよく調整したりしていた。さっちゃんに送りつけて「どう? 上手に撮れてる?」と聞くとかっこいいよということで、でもそのいくらかダークな感じのその感じに僕は照れのようなものと「もしや」というものを感じていて「これっていくらか中二病的な感じとかしないのかな」と聞いてみたところ「なんていうか覚えたての人がやるイメージだよね。なので阿久津くんがやるのはしゃあないよね。通り道だから」という返信があってなんというか突き抜けるような気持ちよさを感じた。自分でも不思議なくらいこのやりとりが気持ちよくておかしかった。
ビールを飲んで遊ちゃんのワインを少しもらったらワインを飲みたくなってコンビニでワインとポテチを買って、帰りながら僕は思いついた、今のこの暇はもしかして、ゴールデンウィークのせいじゃないか、という説だった。つまり、10連休というおそろしい長期休暇が目の前にあって、人は今出費を控えているのではないか、説。これは人の感覚としてはありそうなもので、もしそういうことが起きているとしたら連休によって消費を促すみたいなそういう政府とかの目論見とかはまったくうまく機能していないのではないかというかそもそも促すもなにも人が使えるお金は有限だ。ゴールデンウィーク、一人につき10万円支給します、だったら促されるかもしれないがたとえば初任給をもらいたての新入社員が10日休みを与えられたところで卒業旅行に行ったばかりで金もなかった。卒業旅行と言ってみたが僕はそういうものに行った覚えはなかった。
帰ってワインを飲みながらポテチを貪りながら吉田健一を開いた。12時を過ぎて山口くんから連絡が来ていて今日の勤めが終わった。伝票の写真があった。今日のお客さんは3人だった。イ・ランを読みながら寝た。
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##この週に読んだり買ったりした本
イ・ラン『悲しくてかっこいい人』(呉永雅訳、リトル・モア)
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マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈4 第3篇〉ゲルマントのほう 1』(井上究一郎訳、筑摩書房)
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メイソン・カリー『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』(金原瑞人・石田文子訳、フィルムアート社)
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ビー・ウィルソン『キッチンの歴史 料理道具が変えた人類の食文化』(真田由美子訳、河出書房新社)
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マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈5 第3篇〉ゲルマントのほう 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)
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