読書日記(119)

2019.01.20
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##1月13日(日)  朝、「起きる意志はある」とだけ言いながら眠いのと寒いのでなかなか起き上がれずにいたらりんごがあるよという声に釣り上げられて起き上がるとりんごを僕が食べていると今日の山口くんの日記すごくよかった、と言っていて、お、そりゃいいね、楽しみ、と思いながらiPhoneを起こすと「誰かの日記 一月十二日」とタイトルがあり「雨。休み。近所にあるクリーム色の家から滴る水が練乳に見える。塗料が溶けているのでしょうか。コインランドリーにて笹山と会う」と見える、まだ2日目だがこれがある日々を愛している。
遊ちゃんとゲラゲラ笑いながらメルマガ購読者を増やす方法を話して家を出ると扉が閉じると扉が開いて遊ちゃんが「オンラインファイナンシャルプランニング!」と言って二人はわっはっはと笑った。僕は人の保険の加入状況を聞いて「それはきっととても無駄」と言うのが趣味だった。
店、着き、米、炊き、コーヒー、淹れながら山口くんの日記を読む。遊ちゃんの言ったとおりとてもよかった。短いなかでずいぶん遠くまで連れていってくれるこの文章はなんなのか、僕は山口くんの文章のだいぶファンで、そろそろ「2018年のよかった本ベスト10」みたいな記事をアップしたいな、そのためには本を考えなければな、と思うのだけどそのときに最初のほうに浮かんでくるのが彼の『デリケート』だった、いろいろな場面をいろいろなタイミングで思い出す。それは、すごいことだと俺は思うんだ。
開け、ゆっくりなスタート、ゆっくりな、ゆっくりな…… ただの暇な日が徐々に形成されていった、ツイッターを見ていたら岐阜の本屋さんであるところの庭文庫のツイートが流れてきてこの本を1000冊売りますというものでその本を見てみると『文化のなかの野性』という本で途端に読みたくなり、まったく知らなかった本を途端に読みたくなる、なったときに、それはなんというかもう完全に、そのツイートに、だからそのお店に、本を教わったことになる、教わり、欲望を喚起されたわけで、知らせ、喚起する、それは完全に本屋の仕事で、それを抜かしたら本屋は書籍販売店でしかなくて、それは本屋の本分ではきっとない、本分にきっと近い、知らせ、喚起するその仕事を果たした店でせっかくなら買いたいよと思うのだけど、と思った、でもAmazonか丸善ジュンク堂で買うだろうなと思った、なんせそうは思ってもそれに従うだけの忠誠心とかはないし、そのそこで買いたいという欲望にしたって日頃の便利さに打ち勝つだけのものでも、長いあいだ持続させられるだけのものでも、ない、だからAmazonか丸善ジュンク堂で買うだろうなと思ったら、ツイートの連なっているツイートでネットショップが案内されていて、そうしてくれるとね、非常にね、生じた欲望を処理しやすい、コストなく処理できる、ありがたい、そう思ってそこでポチッと買った。届くのが楽しみな本があるというのはそれだけで生活に潤いをもたらす。
ぼんやり、そうやっていたら、しかし午後の遅めの時間からみっちりと埋まり、夕方に山口くんがインしたあたりは僕もまだ余裕があったが次第に余裕を失ってほとんど憔悴していくようだった、ご予約のすぐ後ろにご予約があり、そしてご予約とはまた別にどこかで席が空くのを待たれている方が何人もいる、という状態に、どうやってこれ管理したらいいんだっけ、となって、ワタワタとしながら、生きて、生きて、生き抜いた。
夜、暇、座り、今度はWebをいじろうと、どこを触ろうか見当してから、Dockerを立ち上げて、云々、やろうとしたら、表示させていたローカルホストのページがリロードしたら赤くなって「ActiveRecord PendingMigrationError」というものでどうしたらいいかわからない、先日のDNSサーバーのときみたいにおかしなことになってはいけないから、と思って、やめた。なんでも勘だけでやっているから、なんの蓄積もないから、なんにもできないまま。銭湯いきたい。体が、夕方くらいから、背中等、体全体がギシギシと重く、銭湯に行きたい。本読みたい。満たされない。
しかし銭湯には間に合わない時間だったので家に帰り、風呂をわかした、珍しいねと遊ちゃんに言われ、全身が疲れた旨を伝えた、風呂がわくまで『時間』を読んだ。
例えば一軒の家はそれが何年前に建ったかということにも増してその家に人間が住み着いてから何年になるかということがその家をその家であることに向って進めるのでこれは人間がそこに住み続けることで時間が働き掛けるものがそれだけ多くなるからである。何だろうと我々が使い馴れた道具というのは凡てそうでそれが物質であっても生命に触れ続けているものは生命を帯びてくる。 吉田健一『時間』(講談社)p.141,142
生命に触れ続けているものは生命を帯びてくる。
風呂がわくと、体を洗うと、湯船に体を沈めると、呼び出しボタンを押した、遊ちゃんがやってきて、お風呂をわかすときいつもそうするように、僕は湯船に浸かり、遊ちゃんは扉の外の洗面所の床に座っておしゃべりをする、それをするときにいつもリリー・フランキーがトイレでうんちをしているときに扉の前の廊下に対面の位置に彼女が座って弁当を食べるといういつだかに読んだエッセイに書かれた場面で、忘れない。なんか昨日もうんちに関することを書いた気がしたがなんだったか。そんな覚えがあるが思い出せないが。執着でもあるのだろうか。肛門期とかなのだろうか。 それで、ああだこうだと話してゆっくり浸かり、体の疲れがゼロになったため上がった、上がって、本を読みたい、全然ここのところ読めていない、でもしかたないよね、メルマガの始まりのときだったわけだもんね、そりゃそうだ、しかたなかったわ、と話してからウイスキーを飲みながらもう少し『時間』を読んだ。
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