##12月22日(土)
初台の坂の途中に作っていた老人ホームかなにかが夜に通ったら上品な光を放っていて道にそれがこぼれていて見ると、中にはもうソファその他の調度品が置かれロビーとして完成していて驚いた、つい二週間前くらいはまだ何十人もの人が入って壁を作ったりしていたし壁を作っているときは中はまだなんの細工もされていないスケルトンの状態だったように記憶していた、資材置き場として機能していると思っていた。つい一週間前とかに外壁ができてきれいになるものだなと思っていた矢先だった、一週間はさすがに言い過ぎだろうか、いずれにしても急速だった、何十人もの人の手が入るとこんなに急速に物件というものはできる。
店、土曜、3連休、ご予約がすでにたくさんありいくらか緊張するというか身構える、開店までには、開店までには、といくつか完了させないといけないタスクがあった、何十人もの人がもしいたら、一瞬で終わるだろうか、そうでもない。余るだけだった。
悩み事というか迷い事があり、珍しい迷い方だった、この話を内沼さんに相談したかった、『読書の日記』とも関係ないことではなかったからというか関係することだったし、相談するのは変なことではないようにも思えたが相談するというのはハードルがあるものだと思った、あきらかにたしかにただ「時間をいただく」ということはやはりなにかハードルがあるらしかった、僕だったら人からなにか相談されたら「聞くよ聞くよ、なにか言えることがあれば言うよ」という、頼られたことに対するうれしさみたいなものがあるからまったく嫌じゃないと思っているからそれを反転させればいいとも言いたいところだが人が違う、相談みたいなことなんてしょちゅう舞い込むだろう、むしろ相談を受けることが仕事みたいなところすらあるかもしれないそれはわからない、わからないけれどなにかおいそれとは、という気分がある、おいそれは言い過ぎかなと一瞬思ったが「おいそれ」とはなんなのか。
それでメッセージを打ちながら、最初はうんぬんかんぬんで、「今度どこかでお時間をいただくことはできませんでしょうか?」でおしまいで、しかし、それに対して返せるものって「はい、かまいません」くらいしかありえないような気がして、それは無益な往復運動を誘うだけだから無益なことは避けたい、「今度どこかでお時間をいただけたら、とてもありがたいです」にして、そこから、どうしたらいいものかな、そのままだったら「あ、いいですけど、えっと、いつ?」ということになるだろう、無益な往復運動を誘うだけだから無益なことは避けたい、いつか。僕は話したいから話したいのであって早いとうれしい、特に早くなければいけない話じゃないけれど早いからうれしい、だから希望は年内ということになる、しかしそれはもう今週だ、さすがに失礼というか暇もないだろう、希望を伝えることはタダでできるから伝えてみても構わない、「1時間くらいいただけたら、と思っているのですが、年内はさすがにもう厳しいですよね…?」に進み、「もし、余裕のあるお日にちお時間があったら、教えていただけたらと!(すいませんずいずいと)」とずいずい勝手に進んで、送った。結果、「相談させていただけませんか?」から「今週相談させていただける時間ってどこかにありませんかね?」にまで変形していてって、面の皮、と思った。たしかに厚くはなっている。
すると程なくして返信があり、ご返信があり、ありがたいことにぜひぜひということだった、それに続いて「ところで無理を承知でなのですが」とあり、「そのご相談を25火曜の朝10時から公開でやるのは、」とあり、渋谷のラジオだwww と思ってここで僕はすでに笑ってしまったが、そのあとに「やっぱり、あんまりですよね?」でとても笑った、「やっぱり、あんまりですよね」、というのはとてもいいなと思った。月一でパーソナリティを務めているラジオの放送があってわりとそういう方針らしくゲストであるとかを直前に決めていてまだ決まっていなかったし、年内っていうとそこかあるいはもう一日か、くらいしかなくて、もちろん年明けでも、ということで、僕にとってもその日はちょうどよかったし、クリスマスの朝にお金稼ぎの話をするのは愉快なような気もしたし、微妙すぎる知られ方の人間が微妙な金稼ぎを考えていてそれを相談するというのはなんというか、微妙さゆえに面白い、あまり外に出てこない話のような気がして、それはなにかいいコンテンツなのではないかと思ったし、可能性は低い気がしたがもしかしたら聞いている人から僕がいま課題に感じている具体的なことの解決策を、発することによって教えてもらうきっかけになるかもしれなかったし、相談したいことの中で外に出せない話ってなにかあったかな、どうだったかな、と頭の中でセンサーを働かせて精査したところ特にはないような気もしたので、それだったらまったくありだなと思って、でもそのまま「そこでぜひ!」と言うとただ妥協というかおもねりというか遠慮というか、そういうものにも響きかねない気がし、上記のようなことを書き、それでお願いした。
それが開店前と、開店してしばらく経ってからのことだった、ご予約が2時に、5つあった、そこまではゆっくりした調子で、そこからドカーンだった、ひたすらがんばった、がんばっていると夕方に山口くんがインして、山口くんもがんばった、夜になって少し落ち着き、一段落した感じがあり、日記の推敲がこのままだと終わらない! というそういうたぐいの焦りから、ちょっと30分だけ抜けるねといってドトールに退避した、そこで推敲をした、なにか、山口くんが入っている日はドトールに行かないと済まない体になってきたのかもしれない、と思った。
帰宅後、年末年始のことを考えていたら、東京に戻る日のことを考えたときに、親が大宮に帰る車に便乗できたりしないかな、帰るのってこの日あたりだよな、という考えが浮かんだことに気づいて、あっ、となった。両親が帰る大宮の家はもうなかったんだった、父の退職を機に埼玉を離れた、彼らは栃木に暮らしていた。いつからだったっけか。
寝る前、吉田健一。『時間』を読んでいると、自分のこれまでの33年とかの人生のあいだで時間は、一度たりとも止まっていない、時間は、その間、ずっと、ずっと変わらずに流れ続けている、ということに思い至り、その認識はなにか、なにかを不安定にさせるものだった、時間すごすぎる、というような。3時だった、また遅くなった、2時くらいで止まっておいてほしかった。
##12月23日(日)
昨日、2018年のベストみたいなツイートで1位に『読書の日記』を挙げてくださっている方を見つけて、それがうれしかった、うれしいというようなものではなかった、それって、すごいことだな、というものだった。たくさんのたくさんの本が出版され、その中でまず手にとってもらえるということがまずすごいことで、そこで読まれて、たくさんの、一年間に読まれたたくさんの本のなかで、一番、よかったとか印象に残ったとか、そういう本になる、というのは、なんというかこれは、すごいことだよな、と思って、じわじわと、すごいことだ、と思った。
今日は開店前の時点で9つだったか、ご予約があって、たちまち満席状況になることが見えていた、いくらか緊張というか身構えながら、一呼吸、と思って開店直前、一服しながら吉田健一を摂取。心地いい。
開店し、調子よくこなしていった、すると午後、コーヒーを飲んで帰っていく方が会計のときにお席料について「これはなんですか」となり、えっと、読まれてないですか、と聞くと、まず答えず、えっとあれ、読まれてないですか、と聞くと、読んでない、ということで、これはお席料で、かくかくしかじかの仕組みで、と柔和に説明したところつっけんどんな感じで「そんなの知らなかった」と言ったのでカチンときてというか戦う姿勢になってしまって「書いてありますからね」といくらかヘラヘラしながら答えたところ「払いますよそういう決まりなら」と、不承不承の顔で帰っていった、こういうことは久しぶりだった、数ヶ月ぶりくらいのところだった、半年とかレベルかもしれない、覚えていない、こういうとき、どうしても喧嘩腰になるというか、勝ちたくなる。なんですか、僕が最初に「変な仕組みの店ですからね、読んでおいてくださいね」とか言わなかったのが悪いとでも言うんですか、でも安心してください、ここにいるあなた以外の9人の方は全員読んでくださっているので。99%以上の人が何も言わなくても普通に読んでくださっているので。あなたは外れ値なので、安心してください。これが(あなたはきっとそう思っているのでしょうけど)よくあることだとしたらこちらは対策をするだろう、していないということはそういうことなんだよ、読むんだよ。あなたが、勝手に、読まないという選択をした、それだけだ。そう、言いたくなる。それを伝えたくなる。いつも言葉が足りない。ちゃんと説き伏せたい。となる。
こんなところで敵を作ってもなにもいいことないんだけどな、と思いながら、ため息をついた、指先が震えていた、こういう局面でいつもこうなる、こんなふうにならなくていいものなのにな、と思いながら、こういう日に限って起きるんだよな、こういうことは、と、思ってから、「こういう日」というのは忙しい日みたいなつもりなのだろうけれど、起きた日を勝手に「こういう日」に仕立てているだけで、別に忙しい日であってもこういうことはだからここ何ヶ月か半年かとか起きていないんだからそれは間違っている。等々、こういう忙しい日にそういう余計なことを考えたくなかったがそれから2時間くらいのあいだはなんとなく棘みたいにそのやり取りがまとわりついて、鬱陶しかった。猛烈に忙しかった。
猛烈に、ずっと、忙しく、パズルかな? というような感じで満席状態が維持されていった、予約の後ろにぴったりと予約が入るような、そういう状態が続き、それが解けたのは7時を過ぎてくらいだったか、少しずつ余裕が出、チーズケーキを焼いたり、おかずの下ごしらえをしたりしながら、開店からずっと同じ強度でずっと夜まで、ちょっと泣きそうになる時間もあった、ずっと働き続けた。あまりにずっと動きすぎていて、半袖のまま外に出ていたがまったく寒さを感じなかった。
寝る前、ライオン。を、殺そうとしている、がんばれ、と思う。
##12月24日(月)
早起き、完全に早起き、早く店に行く、煮物が昨日ゼロになったから開店までに完成させないといけない、となるとただただ時間が必要、労力はわりと不要、ただ時間が必要。
なので、出汁を取り、取れたら大根等の野菜等を煮、あとはのんびりしたもので、のんびりしていたが勤勉の血が騒いだのかカレーを仕込んだりし始めた、恐れ入った。
今日はご予約は少なく、開店と同時にお二人が来られた、二人組で、昨日予約されていた、他に誰もいなかったので他にいないうちは話しても大丈夫ですよと伝えたところ、楽しそうに話し出して、その、言った直後、言って他のことをし始めた直後、話し声が聞こえてきたとき僕は音に反応して「ハッ」として、そのあとこれが話し声で、そして自分で「話して大丈夫ですよ」と言ったところだということに気づき、この店でお客さん同士が話す声を聞くのはやはりそれだけ新鮮な感覚になるのだろう、変だった。しばらくお二人だけで、それがわりと続いた、なんか、デートで、間違いなくデートで、うわあ、クリスマスイブ、デートだ! と思ったらニコニコしてしまって、ずいぶん短いご予約だったから最初に来られたときにこの時間で大丈夫ですか、もしあれならこちらで延ばせますけどと伝えたところ2時から予定があるもんで、ということで、2時からなにがあるんだろうなあ! と勝手に僕はウキウキしていた。いい一日になったらいいなと思った。
それからものんびりと働いていた、今日は二人組の方が多く、いっときは二人組の方の方が多い時間帯があった、いいことなのかは全然わからないが特に問題もない、みなさんフヅクエとしてちゃんと過ごしてくださった、そのなかの一組が英語の人たちで、ICCのなにか展示を見てきたところなのかICCのなにかを持っていて、「カフェッ?」と言ったのか多分そういったことを言った、なので「アー、イエスイエス、バッ、ユーキャントトークイーチアザー」と伝えて、オッケーということだったので、オッケーということだった、お二人ともがっつり英語の人のようで、これは、メニュー読めないよな、絶対、日本語過剰だもんな、と思って、なにか僕に手助けできることはありますか? 困難はありませんか? もしそこになにか問題があれば尋ねてください。そういうことを言いたかったが、言いに行きたかったが、「キャナイヘルプユー?」でいいんだろうか、とか考えていたら動けなくて、動けるときと動けないときがある、今日は動けない日らしくて動けなくて、二人の挙動をこちらが不審な挙動をしながらちらちら見ていた、なにかを用いて解読している様がうかがわれた。やっぱりイングリッシュなメニューをアベイラブルにしたほうがいいよなあというのは、何度かというかこういうことのあるたびに思うことだった、それをまた思った。どうされるかな、と思ったら、コーヒーとピザトーストとカフェオレとカレーで、よかったというか、これでもしコーヒーとカフェオレだけだったら席料のことを説明する必要がきっとあって、そうならなかったので、よかったと思ったが、席料は実は問題なくて、以前説明するときにメモに書いているやつが検索したら見つかったからで、いつでも出せるぞと思ってそれは用意していた、でもとにかく、イングリッシュなメニューはあってもいいらぶるなあ、と思って、真剣にピザトースト等をこしらえた。
持っていくと、女性はKindleでリーディングをしていて、男性はノートにドローイングしていた、見えたのはいろいろな書体で書かれた「fuzkue」の文字で、お、フヅクエじゃん、と思って、厨房に戻ってから「フヅクエミーンズ、ジャパニーズトラディッショナルテーブル、デスクかな、ジャパニーズトラディッショナルデスクフォーリーディングアンドライティング」、そう言ったら、きっと男性はもとより本を読んでいる女性もこちらを見て、ワオ、そうなの、それは美しい名前だね、なんて言うだろう。アメイジングでしょ、オーフルでしょ、僕は言うだろう。
のんきに働いていたらお客さんの数で言えばまったく普通に忙しい休日だった、異常に体感がゆったりしていた、昨日を乗り越えた俺は次のレベルに行ってしまったのだろうか。つまり、アイウェントトゥネクストレボー、ということか。
そう思いながら悠々と働いていると山口くんイン、山口くんにいろいろやってもらいながら、ゆるゆると働いていた、満席になったり、ほどけたり、また満席になったりして、ただの忙しい日に見えたが、なんの余裕だったのだろうか、InDesignを触って「なるほどブックってこうやって使うのか、なんかわかってきた気がする」とかやりながら、やたらな余裕だった、夜、お客さんの数もまばらになって、僕は外に出たくなった、ドトールは9時で終わりで、終わってしまった、残念、と思ったところスターバックスがあった、それでスタバに来た、来て、他のことをしようと思っていたのだが日記を書きだして、書いている。現在に追いついた。ここまで。
帰宅後、年末年始の過ごし方の話を遊ちゃんとしていて、また口論になった、どうやったら話を煮詰められるのかわからなくなって、困惑した、うーん、と思いながら、そんなにきれいに話は着地せずに、タイムアップという感じで眠った、さみしかった。
##12月25日(火)
朝、昨日の気分を引きずったらしくどんよりと起床、早起き。家を出、晴れていた、さっさか自転車を漕いでAbout Life Coffee Brewersに。僕はそういう考え方をするタイプだから渋谷のラジオに出ることに決まった瞬間に「さて、どこでコーヒー飲もう」となって、あの場所のすぐ近くには僕はおいしいコーヒーを飲める店は知らない、それは過去2度の出演というか、お邪魔したときに思った、それで、経路を考えて、一見するとアバウトライフから渋谷のラジオまでは少しあるようにも思うが、道玄坂のほうでなくて大きな通り、あれは246とかなんだろうか、とかに出たらぴゅーって行って曲がってぴゅーで、きっと5分だ、ラジオの時間の前にひと息ついて、それで、というのはきれいな流れに思えた、理想は渋谷のラジオから歩いて3分以内の場所にそういう場所ということなのだが、と書いていて思ったがもしかしたら新しくできた渋谷のあのあたりのビルディングのどれかの中にはそういうコーヒーがあるのではないか。
ともあれ、アバウトライフでコーヒー飲もう、とラジオの話が決まった瞬間から考えていて、だからそれを決行した、ドリップコーヒーをいただき外の壁にもたれ座りながら煙草を一本吸って、よし、行ってこよ、と思い、行った、自転車を停めて歩いていると声を掛けられ、あ、という久しぶりの顔に遭遇し、職場に向かうところということだった、やー、こんなところで、ばったりって、楽しいですねえ、と言いながら、あれ、渋谷のラジオってどこでしたっけ、あれ、あれ、これですよ、でもこんな入り口じゃなかったはずだ、とか言っていたら内沼さんがやってきて、こんにちはをして、ここですよ、工事が終わってこうなりました、と言って、入ることになった。よかったのは、工事完了以前は入り口の脇のエリアに灰皿があって、あったから、今日も一服はアバウトライフでなくてあの場所でもいいのではないか、と思っていたのだけど、行ってみたらきれいになって遊歩道みたいなところとそのままシームレスなものになった入り口のところにはもう灰皿は置いていなくて、もし渋谷のラジオの横で煙草吸おう、と思っていたら吸えないところだった。死活問題。あほらし。病人。しかたなし。
それで、入って、内沼さんとしばらくフォントの話をして、それから放送室というのか、に入って、ラジオを始めた。予定どおりというか予定以上にただただ相談に終始した。以前は冒頭の朗読や途中の音楽があったが、最近は朗読なしというパターンもある、ということで、今回はそうなった、というかそうしてくださった、音楽は、もし何かあれば、ということで、音楽なんかあったかな、とApple Musicのアプリの中を探したら、ギルバート・オサリバンの「Alone Again」が見えた、先日ドトールで聞こえてきてよくて、シャザムに教わったものだった、これはいい曲ですよねえ、ということを事前に、話していた、でも、掛けなかった、相談に終始した。
話していたら、というか相談していたら、いろいろクリアになっていくことがあった。やっぱり相談させていただいてほんとよかったなと思いながら楽しく愉快に話した、内沼さんもかつてメルマガをやっていたことがあったそうで、それはいくつかのチームで合同で、という形で、でも購読者数は100ほどだった、内沼さんのところには月々数千円が振り込まれていた。また、オンラインサロンについても最近は考えているところがあるということで、ふむふむ、いやー、ほー、と思いながら、聞いた。楽しい時間だった。洗濯機の話もしたかった、という話で放送の時間が終わって、洗濯機の話をしながら外に出て、あたらしくなった見慣れないというか初めて見るどこなのかわからないエリアというかきっと駅前の、エリアで、少し立ち話をして、別れた。よいお年をと言うのを忘れた。
この話を内沼さんに相談したいなと思ったとき、思ってから何度か思い出していたというかふっと浮上してきたのが植本一子の『かなわない』のすごく好きな場面で、植本さんが、なんのときだったか、なんの場面だったろうか、『かなわない』のZINEを作ろうとしていたところだったろうか、その話をだったか、最初の著書の編集者に相談して、たしか中華料理屋さんで夕飯を食べながら相談して、そのときに編集者の人から「時期尚早だと思います、編集者としても、一人の友人としても」という答えを得、そうか、と思った、思って、私は一人で行かねばならない、みたいなことを書く、その場面を思い出した。すぐに見つかった。
でも、私はやりたいんです。私は私の名前だけで、勝負したいんです。そう言うと工藤さんは「時期尚早だと思います。編集の立場からしても、友人の立場からしても」と言われ、もう終わってしまったんだな、と思った。この人を置いて、私は次へ行かなくてはいけない。
植本一子『かなわない』(タバブックス)p.134
この場面が僕は、好きだったというかなにか鮮烈ななにかだった、読みながら泣いた記憶がある、今も少し涙ぐんだ。僕はこの、ストリートファイトしようとする書き手、というその、その姿勢にたぶん、打たれたし、今もなお打たれる。別に今回の僕の相談がこういう形に帰結したらどうしようとかそんなことを思っているわけではなくてもでも、私はやりたいんです。私は私の名前だけで、勝負したいんです。きっとそういう話だから、思い出したわけだし、それについて僕自身がでも、時期尚早なのではないか、と思ったりもしているから、そして内沼さんは言ってみたら僕の担当編集(僕の担当編集!)ということをしてくださっているわけだし、つながって記憶が喚起されるのは自然なことだった。
坂を上がった。青山の方向というのか、に進んでいったところ金王八幡宮があった、遊ちゃんとお付き合いを始めることになった夜、歩いている中でここに入った、懐かしさと強い思いのようなもので胸が締めつけられるようだった、それから大通りを渡り、渡ると、反対側の道路のかどっこに初めて見るコーヒースタンドを見かけ、だったらコーヒー飲もうかな、お店研究というかお店は知りたい、ってあるんだな、俺にも、と思って引き返して店の前に行ったが、見たらガラスに「ワーキングスペース(登録不要)」みたいな文言があり、別の場所だ、と思ってまた引き返した。
青山ブックセンターに行った、行って、入ったところにあった佐久間裕美子の『My Little New York Times』を取って、中を開いたら面白いレイアウトというのか組版というのかあれで、トム・ハンクスの掌編シリーズみたいなやつを思い出した、それから岸政彦の『マンゴーと手榴弾』を取って、うろうろした、うろうろしているとそのうちに忘れがちだったがフヅクエTシャツと選書のコーナーを見かけて、お、と思い、がんばれがんばれ、と思った、デザインの棚に行った、タイポグラフィーなコーナーに行くと、昨日だったかおとといだったかに存在を知って気になっていた『Typography』の12号、「和文の本文書体」という特集のそれを手に取り、開いた、実際に使われている本文書体とかマジ知りたいというかめっちゃ面白そう、と思って、見ていたら、面白くて、見ていたら、9号、「美しい本と組版」というやつも目に入り、開いた、これもよくて、なんでなのだろうなんの勢いなのだろう、この2冊も買っておくことにした、それから先日ツイッターで見かけた、翻訳者の人が黒人女性に話を聞いた聞き書きのやつが復刊されて、という、それを探した、見当たらなかったので近くに店員の方があったので
「すいません、あの」
と言いながらツイッターの画面を見せようとしていたが手間取り、
「あの、岩波現代文庫の、復刊された、塩を」
と言ったところで
「あ塩入ってきてないんです〜」
という答えがあり、早押しクイズみたいで、というのはあとで思ったことだが、これ俺なんかすごい感動するよ、と思って、最高と思って、別に書店の人になんでもかんでも把握していてもらいたいとは思っていないけれど把握されていたらなんかそれ俺感動するよと思って、礼を言った、その4冊を持ってレジに向かった。大きな紙袋に入って、初めて見るABCのそれはすっきりときれいな色合いでよかった。
それにしてもABCは、入って、並べられたというか配置された本を見ているとというか囲まれていると、「全部、全部知りたい!」となって、強烈になにか、焦れるような、全部、読みたい、という気持ちになる。これは丸善ジュンク堂では起きていないことで、丸善ジュンク堂は僕にとっては「必ずある」というそういう書店で、目当てのものがひとつもない状態で行くよりも少なくとも一つはこれは今日とっても買いたいの、という状態で書店に行くことが大半だから、そのときに「必ずある」は僕には必要で、そのうえでうろうろしていたら思わぬものを取ることになる、というそういう場所で、ABCは僕は「必ずある」とは全然思っていないからそういう行き方はしないのだけど、ふんわりと行って、それで、予期せぬもの未知のものとの邂逅を繰り返して、アワワワワ、となる、というのは毎回そうなっている気がする、危ない気持ちになる。好き。
腹が減り、丸亀製麺でうどん食ってこう、と思って向かったら長蛇で、やめて、ふらふらと自転車を進めた、なか卯でうどん食べようかな、と思っていたが、出た道がもうなか卯を過ぎていて、じゃあフグレンでコーヒー飲もう、ということにして、フグレンに入った、ソファで、ソファに座ると、大きいソファに座っていたちびっこと女性二人が歌をうたっていた、イーヤーイーヤーヨー、イー、ヤー、イー、ヤー、ヨー、手本を見せ、繰り返させ、彼らは歌った。
僕は、リュックには、もともと入れてきた本が3冊、『ライオンを殺せ』『新潮』『時間』の3冊があって、パソコンがあって、さっき買った4冊があって、リュックの中には僕の迷いがまるごと入っているようだった。パソコンを取り出し、コーヒーを飲みながら、内沼さんと話している中で「こうしようかな」と思ったというか、リンクを貼ったmobiファイルを内沼さんが開けなかったということが決定打だった、内沼さんに開けないものなんて、誰にも開けるわけがない、と思って、これは面倒なことは抜きにしてメールだな、メール、そこで完結、そう思って、HTMLメールを作る方法を調べ始めた。うんざりしていた。なにを俺はやっているんだろうな、優先順位おかしいんでないか、これなのか、いま俺がやるべきことはこれなのか、休日にやりたいことはこれなのか、と思いながら、手は止まらなかった、調べていると自前で作るのはこれ大変だぞ、というところに行き着き、いくつか配信のサービスをするところがあるようだった、そのひとつの「Benchmark Email」というところに登録して、それでそこで作ってみた、試しに送ったりしてみた、これだな、と思った、もうこれで、十分なんじゃないかな、と思った、ePubとかmobiとか、なくていいんじゃないかな、これで、もう十分なんじゃないかな、と思った、際限がなくなりそうだったので家に帰ることにした、帰る前に外の縁側で一服していると、ぼーっと空と建物を見ながらぼーっとしていると、お店のお兄さんが「いい天気ですね」と言って通っていって、「あ、えっと、あたたかい、気持ちいいですね」と答えた。あたたかいわけではなかったからだ。帰った。
帰ってから、昨夜の続きでいろいろと話し、そして仲良く着地した。よかったと思いながら、僕は外面的な元気がないモードを回復させることはできず、ダメだな、こういうとき、引きずるな、これはなにかのポーズのつもりなのかな、そういうの無益だからやめようよ、と思いながら、しょんぼりした、元気のない顔をしていた、でも気持ちはもう明るかった、眠くて、タオルケットをかぶって寝た。
気持ちはもう元気だったが、時間、時間、時間、と思った。追い立てられている。年内にやっておかないといけないことがいくつもある、いつやれるのだろうか、本は、読めるのか、いつ読めるのだろうか、なにをすべきなのか、時間、時間、時間、と思って貧しい、やはりこんな働き方がなによりもいけないんだよなということは痛感する、焦る。困る。バランスよく生きられないな、と思ったら情けない気分になって、涙が出た。
起きて、店に行った、行って入るとひきちゃんが働いていて閉店10分前だった、今日は閉店後にひきちゃんと飲む約束をしていた、僕は以前夏に遊ちゃんに閉店後に遊ぶ約束をしていてそのときに閉店直前に入ってきた遊ちゃんに「店は待ち合わせ場所じゃないからさ、そういうのよくないよ」ということを言った、そういう場面があったが、まるで同じことをやっちゃったな、と思った。隅っこの席について、『ライオンを殺せ』を開いた。
今日初めての読書で、体になにかがじんわり入っていくようだった、暗殺は失敗したか? それでは次の作戦を考えろ。まだ、お客さんたち、いてくださっていいよ、なんなら30分くらい、まだいいから、俺、読んでたいから、と思いながら本を読み、一人、二人と帰っていかれたらしかった、端っこにいると動向がわからないものだった、7時を少し過ぎて、仕事が済んだらしかった。
向かいの二階の、徳島県の居酒屋さんに入った。僕は何年か前に行ったことがあった、夏、野球を見に行った帰りだった。
入る前に、店の前にあったメニューの黒板だったか張り紙だったかを見てひきちゃんは「白子ポン酢」と言っていて、白子ポン酢は遊ちゃんが食べられないものだった、僕はそういえば今日は、コーヒーを朝と午後に飲んだきりで固形物は何も口に入れないまま来てしまった、ビールを頼んで、それから白子ポン酢であるとかをいくつか頼んだ。おでんもあって、あったが、おでんは年末に遊ちゃんと食べる、だから頼まない、おでんでないものを、白子ポン酢であるとかをいくつか頼んだ、それで、いろいろと話した、「単語ひとつで恥ずかしくなれない人間は文章にかかわる仕事をしないほうがいいんじゃないか、と、最近思ったんだよね」と僕は言ったか言わなかったか。
話していると、僕はひきちゃんが大好きだなと思った、僕は内沼さんが大好きだなと思った、僕は遊ちゃんが大好きだなと思った。好きな人とばかり会って、それは幸せなことだった、そういうことを改めて感じた、いい時間だった、山口くんとは話す時間がいくらもあるけれど、ひきちゃんとは交代のときとか、あるいは開店前の時間とか、限られた時間しかなかったから、たまにこうやってうだうだとお酒を飲みながら話す時間を設けるのはとてもいいなと思った、働き方の話をして、本の話もいろいろとした、ひきちゃんは本は読むものとしても好きだけどそれと同じくらいにデザインされたものとして好きということで、だからジャケ買いをけっこうするのだと言った、買ってみたら全然読めたものでなかったりすることもあるし、買ってみたら面白くて好きな書き手になったということもある。それは僕はまったくない本との出会い方だし、デザインされたものとして本が好きというそういう好きは、とても好きだった。ジエン社を見に行った日のことを話した、あの日さ、と言ったら、予想どおりというか、そういうことはあるかもしれない、と思ったとおり、あの日ひきちゃんは見終えると僕たちとはほとんど言葉を交わすことなく「じゃ」と言ってさっさか帰っていったのだが、予想どおりというか、そういうことはあるかもしれない、と思ったとおり、ひきちゃんはとても感動して揺さぶられていたらしく、人と話してる場合じゃねえ、というので帰ったということだった、俺のその前週だか前々週だかに演劇見に行ってそうなってそういうことをしたそれと同じだね、と言った、ひとりひとりがかっこよかった、すごかったし、それに大学時代、仲のいい人たちでボードゲームをしている人たちがいた、彼らのこと、あの場所で過ごした時間を思い出した、そうしたら私はわーっとなって、わーっとなった、それであの夜は、帰った。洗濯機の話もした、月賦で買おう、提案した。
話しているうちに、がぜん来年の1月からメルマガを始めたくなった、がぜん、始めたいぞ、と思って、そうなったら、つまり今年の年末年始は覚悟を決めて根を詰めて仕事をこなすということだ、それもまたいいんじゃないか、と思っていった。
店の前で別れ、よいお年を、と言って、また来年、と言った、いい挨拶だった、トコトコと家までの道を歩いていると、飲んでいたのか仕事帰りか女性二人が別れるところで、
「また来年」
と言っていて、うん、いい挨拶だよな、と思った、帰った。帰って、俺はひきちゃんが大好きだし内沼さんが大好きだし遊ちゃんが大好きだよ、と遊ちゃんに言った。やっとちゃんと笑えた、元に戻った。僕たちはニコニコして生きよう。
それから、根を詰めるというけれど、実際どんなタスクが、と思って、年内のタスクだと思っていたものをそれぞれよくよく考えたら、どれも別に年を越してからで大丈夫だな、ということが知れて、つまり、メルマガだけがんばればいい、ということが判明して、安心した。
夕食にポテチを食い、ウィスキーを飲んだ、友だちとチャットというかメッセンジャーで話していた、チャットという言い方でいいのか、とにかく、話していた、メルマガについて。サンプルで昨日までの日記の分を貼りつけたメールを送っていて、それを、別に読んでほしくて送ったわけでなくて見てもらいたかっただけなのだが読んでくれていて、「あれ、オーフルじゃなくてオーサムでしょ」と言われた。きっとそうなのだろう。
寝る前、『ライオンを殺せ』をしばらく読んだ。
12月26日(水)
母親からのLINEに「游さん」とあり、「それじゃ游明朝じゃないか」と思い、「遊ちゃんだよ」と送った、ごめんなさい、わかっていたんだけど、変換されてしまった、ということだった。
早起きし、3日連続で早起きということだった、どういうことだろうか、仕込みをしてから皮膚科に行こうと思っていたが、存外に早かったので先に皮膚科に行くことに急遽予定を変更した。そうするとオペラシティの前の横断歩道であるとかにはまだ通勤の人たちがたくさんいて、それぞれの持ち場につこうとしていた。皮膚科は入ると誰もおらず、5秒で呼ばれ、30秒で診察を終え、30秒で会計に呼ばれ、出た。
店、時間にまだ余裕があったので先に昨日の日記を書いていた、フヅクエが閉店するところまで書き、それから仕込み、がんばり。がんばりながら、先日なにかを聞いた時にSoleを思い出してSoleを聞いてすごくよくて、その流れでAnticonで、Why?を聞くことにして聞いた、『Elephant Eyelash』だった、大好きな、大好きな大好きなアルバムだった、何年ぶりに聞いただろうか、聞いていたら白和えを作っているところで、涙が出てきて、涙があふれていった、よくて、特に、完全に、アンセムの「Gemini」はグズグズ泣いた、泣きながら、泣く曲といえば□□□のあれだよな、あれを掛けてもっと一気に泣こうかな、となんというか下劣というか、なんだろうか、下劣ではないけれど、特に品のない感じのことを思ったが、自制し、Why?を聞き続けた。大学生のときにO-Eastとかで見たライブを思い出した、「天使がいた」と思った、それを思い出した。
開店後、チーズケーキを焼いたりピクルスを作ったりして、やることが済んでからはひたすらメルマガのことを考えていて、頭で考えているだけではこれまでと同じように行き当たりばったりにしかできないから、ちゃんとワークフローというのか、ところでワークフローとはなんなのだろうか、仕事の、流れ? であるなら、ワークフローまさしく、というところで、だからきっとワークフローなのだろー、それを組み立てていった、どういう順番でどういうアクションが起こされて、どういうリアクションが発生して、そのリアクションをするためには何を用意しておくことが必要で、それはいつまでに必要で、というのを一生懸命考えて、スプレッドシートを作っていった、そうしたらなんとなくやるべきことが見えてきたような感じがあり、「まずそれなんだ?」というところだったがメルマガ専用のアドレスを作った、「diary@」という形で、なんでだろうか「diary」というのはなにかなつかしいキュンとするいいものがあるなと思って、それからメールのロゴをなんとなく作って、試しに遊ちゃんに送ったところ、diaryに対して、どうしてだかなつかしさみたいなものがあってキュンとする、と言っていて、ほーすごいな、今このアドレスを見た全員がなつかしさを感じてキュンとしている、と思った、遊ちゃんのなつかしさは「昔のブログのメニューみたい」ということらしく、僕のなつかしさはなんか薄いブルーやピンク表紙で金色斜体のdiaryの文字みたいな、そういう日記帳みたいなそういうやつだった。
それから、今度はそのアドレスでSquareのアカウントを作って、そのアドレスでBenchmark Emailのアカウントを作って、そうしたらやっぱりBenchmarkで遊ぶのが楽しくなって、メールのテンプレートを作っていった、今じゃない、まだそれ今じゃない、と思いながら、やっていた、そのあと何かを調べていた、何を調べたかったのか、退会、登録解除、配信停止、そういうのをどういうふうにアナウンスしているか、というのを知ろうと思って、先日メルマガを思い立ったときに大人気メルマガがどうなっているのか勉強しようと思って登録してみた『堀江貴文のブログでは言えない話』を見、ちょうど初月無料が終わるところなので登録解除し、解除したが、なんとなく勢いで解除したが、Q&Aコーナーがけっこう面白くて、やめるかどうかいくらか迷っていた、勢いがやめさせてくれた、メルマガをやめるためには勢いが必要ということだった、それからまた初月無料ということなのでというところで『藤沢数希メールマガジン「週刊金融日記」』の購読登録をし、登録した瞬間に今月分の4号が配信され、タイムラグがないって素晴らしいなと思って、ここは俺は手弁当になるからタイムラグ生まれるんだけど、まあ、しょうがない、ということを思って、4号届いたので即座に登録を解除し、それから以前2年間くらい購読していた『佐々木俊尚の未来地図レポート』を配信されていたものをメール上で検索して見た、面白く読んでいたのだが読みきれなくなって、それがだんだんもったいなくなってやめたのだった、そういえばこれは佐々木さんは個人で配信しているのではなかったか、と思い、Webのメルマガのページを見に行ったら、学ぶことが多かった、これは完全に学べる場所だと思った、「特定商取引に基づく表記」とか、そうだよなそうだよなと思ったり、学ぶ〜と思って、それから登録ボタンを押してみるとPayPalでの定期購読ということで、そうか、PayPalか、と思い、あ、これ、SquareじゃなくてこれPayPalが正しいのでは? と思って検討したところ、PayPalだった、Squareだと登録完了までいったん僕の手を介してという動きがあって多分それはすごく登録する側にとっても邪魔くさいというかどんくさいもので、PayPalだったらそこから一発で決済、住所登録までできるから、それに安心感も違う、そっちの方が断然いいはずだった、数十円、手数料は高くなるが、たぶん僕の労力の軽減とお客さんの利便性の向上を考えたら安いものだった。
なんだかそればっかりやっていた印象もあるがお客さんもそこそこにいらした平日で、だから、あっちでもこっちでも働き続けた日だった、あっちというのは立ち仕事のことで、こっちというのは座り仕事のことだった。
根を詰めるというのは、だから、隙間の時間に本を読むみたいなことは完全に諦めて、ひたすら仕事に打ち込むということだった、だから、つまり、1月から始めるということは今週分が最後の更新というか、メルマガ以前の最後の更新というか、最後という言い方は正しくなくて、来週の分がフルでWebで見られるようになるのは3月ということで、ということでというか、それは僕が決めたことで、Webでの更新を2ヶ月遅れにして、先行配信というか、そういう形だった、だからとにかく、今までの形で運営する「読書日記」の最後の週が、本読まないぞ、という週になりそうだ、というそういうことだった、構いはしない、構いはしないというか構うが仕方がない。読みたい。
それにしてもこの突貫工事というか慌てて一気に準備をするのは『読書の日記』発売の告知が始まるタイミングでオンラインストアを完成させようと、あ、日がない、と気づいてあわてて準備をしたのとまったく同じで、あのときも旅行先の山口でカタカタカタカタとやった、同じことを帰省の栃木でやるのだろう、根を詰めて過ごす。しかし考えてみたら去年はゆっくりだらだら過ごしていたかといえばそうではなくて『読書の日記』の校正ゲラというのだったか、校正が入った原稿を確認するという作業を年末年始ずっと、根を詰めてやっていた、それで年末年始に読むぞと持っていった『重力の虹』はけっきょく200ページしか読まれなかった、だから去年も今年も変わらない感じになるのだろうか、今年のほうがまだ余裕ができそうな気がする。たくさん、読みたい本がある。
帰宅後、「PayPalということに気がついた!」と得意げに遊ちゃんに報告し、それから家ではメルマガ仕事はやめることにして日記を書いていた、書かないと追いつかないからだった、昨日のひきちゃんと飲んだところから、ここまで、書いている。
午前中に日記を書きながら、『かなわない』の当該箇所の前後を読みたいな、あそこらへんすごく好きだった、読みたいなと思ったのだが、結局本を手に取る時間はなかったから読むことはなかったが、午後に来られた方が本棚から『かなわない』を取って読んでいるところを見た、だから、僕の代わりに『かなわない』を読んでもらった。
12月27日(木)
寝る前に少しだけ本を読もうと吉田健一の『時間』を開くも、物質が精神が五官が不連続が、頭に全然入ってこない、少し前のところに戻って、ページを折ったところを読んだ、こちらのほうがなにか入ってきそうな感じが、ぐっと来たところだから、感触はあったが、やはり跳ね返す感じがあり、ダメだ、と思い、閉じ、寝た、朝方、早く起きて隣の部屋にいた遊ちゃんに「どっちのパターンがいいかな? 購読パターンかな?」とはっきりとした声で言っているのを聞き、そのあと遊ちゃんの笑い声があって、それで自分がおかしなことが言ったことがわかって僕もそれからしばらくゲラゲラ笑った、笑いながらも、でもたしかにそういうことなんだよな、みたいなことも思っていたが、なにが「たしかにそういうこと」なのか、そのあと起きてからはもうわからない。「購読パターン」というものがなんなのかはわからないが昨日のPayPalボタンの設置の残響みたいなものだったのだろう。
店、行き、家賃を払いに大家さんのところに。なんでせっかく稼いだ金を払わなきゃいけないのかな、という変な気分が起きた、年が終わる。来年もよろしくお願いします、と言いながら、来年こそ雨漏りをどうにかしてください、とは言わなかった。
店に戻り、『かなわない』を開いた、引用箇所のある一日を読んだ、雨宮まみの本の出版の話をブログで読んで、それで植本さんは「あああ〜〜〜! 私も、勝負、したい!」となった、ということだった、読んでいて、なにかやっぱりこみ上げてきた。
開店。開店前、ずいぶんご予約が入っていることに気が付き、「わっ」と思う、一生懸命準備していてよかった、そうしていなかったらけっこう焦るところだった、煮物作り、味噌汁作り、カレー作り、トマトをオーブンで焼き、チーズケーキ焼き。本当に真面目によく働くなあと思いながら、仕込みをしつつ、オーダーをこなしつつ、がんばる。がんばって夕方に落ち着くと、当然、メルマガ準備の作業に入る。昨日のPayPalの出現によりワークのフローがずいぶんシンプルになった、今日はPayPalの決済のテストをおこない、登録完了のお知らせメールを作り、顧客情報の登録の段取りを確認し、質問フォームを作成し、特定商取引の記載を書いた、それで閉店時間になって、今日は忙しい日だった、忙しい金曜日くらいに忙しい日だった、だからずっとそちらでも働きながら、こちらでも隙間の時間を全部使って働いていた、つまり、一日中まるまるフルスロットルで働き続けた。勤勉な男だよお前は。
そうやってみると、残るは告知ブログの作成と配信メールの作成で、配信メールの作成は猶予がずいぶんあった、猶予はずいぶんあったがこちらの作業は一番あとでいいにもかかわらず最初の段階でつい楽しくてやっていてあとはちょっとした調整で済みそうだった、だから告知のメールだ、1月3日あたりに更新する、それの作成だ、それが済んだらほぼほぼ大丈夫だ、すごいぞ突貫工事、というところで閉店後、告知のブログを書き始めた。なるほど、それはいいね、購読しよう、と思わせる文章を書かないといけない。でも誰に向けて。というところの設定がたぶん問題だった。どの程度、いいぜ、読書日記、と思っている人に向けるのか。
ちょっと書いて、また明日と思い、飯を大量に食った。
帰って、パソコンを持って帰ろうかとも思ったが、ダメになるので、持って帰らなくて、帰って、『ライオンを殺せ』を読んだ。すると読み終わった、最後緊迫した、面白かった。訳者解説を読んだらメキシコの人だった。
布団に移り『時間』。さっぱり頭に染み込んでこず、すぐ閉じた。
12月28日(金)
パドラーズコーヒーが年内最後の営業で、去年の夏くらいからしばしば朝に行く、それは楽しいことで、うれしい朝だった、だから貴重というか大切な場所だった、だから納めたかった、だから行った。
昨日の夜に、明日は仕込みがなさそうだ、パドラーズ行かない? と遊ちゃんに言ったら、明日が最後だということで、よかった、金曜か土曜かどっちかで行けないかな、納めたいな、と思っていたから、行けてよかった、行って、カフェラテを飲んで、外の席で、出していただいたブランケットがあたたかで、寒くなかった、お店の人たちに今年もありがとうございました、よいお年を、と挨拶をして、よかった、ずっとこの朝を過ごし続けたい。
昨日午後、タナカさんが来られ、そのときにそういえば去年の暮れに新宿でばったり遭遇して、そのときタナカさんはちょうどフヅクエに向かうときで、なにか節目的な挨拶をした、そういう記憶があるけれど、あのとき僕はどこに行こうとしていたのだったか、誰と会う夜だったのか、本当に年末だったのだろうか。僕の記憶だとそこから紀伊國屋に行って、なんか時間を潰して、『富士日記』を読んでいた、それは夏じゃないか、夏だろう、それから新宿三丁目のほうに出て大学時代の友人たちとタイ料理屋に行った。しかし夏であるとしたら、いったいなんの挨拶をしたのか。まさかお盆とかで、お盆で挨拶なんてまさか、しないだろうし、じゃあやっぱり年末だろう、なんの夜だったか、と思って帰り際に、去年、ばったり遭いましたよね、あれ年末でしたっけ、ということを聞いたらそうだということでやはり年末だった、だから去年は道端で、今年は店で、今年も「今年もありがとうございました、よいお年を」と、それを伝えることができた、よかった。それにしてもあの夜はなんの夜だったのだろう。日記を探した。
そうこうしていると夜になっていった、一日は短いと思った、新宿に出る電車のなかで本を読んだ、新宿はやはり人が多かった、よく来てくださる方が向こうから歩いてきたことに気づいて、僕は手を振るというか気づいてもらおうとしたところ伏し目にすーっと真っすぐ歩き続けて、僕は、「あ、そうか! これはまるで俺は!」と思いながら、食い下がるようにして手を差し出して差し出して、最後は正面で待つような感じにして、やっと顔が上がって気づいてもらえた、僕のそれはもう完全にキャッチであるとかの動きだった、新宿で、そうだよな、そう思われるよな、と思ってすごく愉快なゲラゲラとした心地になった、これからフヅクエに行くということだった、今年はありがとうございました、よいお年を、と、それを伝えることができた、よかった。
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12月26日にそうあった、僕はそのあと紀伊國屋に行き、武田さんと合流して二人で三丁目の九龍に行って、二人で三丁目の九龍に行った? 僕は武田さんが来るのを待ちながら九龍でフラナリー・オコナーの短編集を読んでいた記憶がたしかにあるが、でも、それは『スリー・ビルボード』の後だから年末じゃないしそもそも待ち合わせは九龍でなくて紀伊國屋のところだったのだから、違うときだ、ということは僕は二度、武田さんと九龍にいたのか、いや違うのか、オコナーを読んで九龍で待っていたのは武田さんではなくて優くんか、そんな気がだんだんしてきた、武田さんと紀伊國屋で合流して九龍で飲んだ、途中で遊ちゃんが合流し、それから優くんが到着するタイミングで店を変えて、地下のところに行った、淳子さんも来て、それで忘年会みたいな形だった、忘年会だった、その日だった、僕は武田さんや優くんと仲良くしてもらえてうれしい、そう思ったので今、二人にそう送った。
日記を読み進めていると去年も28日にパドラーズに僕たちは行っている。
12月28日
パドラーズコーヒーが年内最後の営業で、今年は夏くらいからしばしば朝に行く、それは楽しいことで、うれしい朝だった、だから貴重というか大切な場所だった、だから納めたかった、だから行った。
同前
それでだからパドラーズを経て店を開け、真面目に働いていた、昨日の伝票を入力したときに、営業日は今日含めあと2日だけど、今売上ってどんな感じなんだろうな、12月は暇だった記憶が強いから見ても面白くもなんともないだろうけれど見ておこうかな、とピボットテーブルをパチンとやって数字を出したところ、すでにバジェットは達成していて、というか、1日あたりのお客さん数でいえば今年一番の数字になっていた、まったくどういうことなのかわからなかった、今年一番というのは3月でバカみたいに毎日が忙しかったような谷川俊太郎御大のおかげでバカみたいに毎日オペラシティアートギャラリーから人が流れてきたそれが3月だったその3月よりも忙しいということ? まったく実感が伴わなくて、もちろん営業日数が違うから売上としてはまったく足元にも及ばないのだけれども、平均お客さん数は、そうだった、残りは金曜と土曜だから、きっとこの今の平均が下がるということはないのではないか、ということは12月は歴代最高だった、レコード。
もちろん、『ソトコト』とか『すばる』であれだけデカデカと紹介されて、時期としてはお客さんが増えて然るべき時期というか、え、そうでしょ、だってさ、という時期であることは確かというか客観的な事実というか確かだと思うのだけど、なんか暇、暇、とずっと言っていた記憶がある、そういう記憶しかない、だから、乖離しすぎていて混乱した、なにか数字を間違えているんじゃないかというのは疑っているし確認してみていいことだし確認する気力はないことだった。
それからジンジャーシロップを仕込み、それからまたメルマガのことを考えていた、あとは告知ブログができたら、というところで、それをやったりしていた、お客さんは今日も昨日同様に調子よく来られ、堅調、という調子だった、なにを作っているときだったか、これまでずっと「読書日記」というタイトルで考えていたメルマガを、タイトルもそうだし打ち出し方もそうなのだが、これ、違うんじゃない? という考えが突然やってきてしまった。そこで思いついたのが「読書日記/阿久津のラジオ」で、こっち側なのではないか。そう思って、そうかもしれないと思っていたら山口くんがやってきた、おとといの晩に連絡があり激しい頭痛がやってきてそれが一向に取れず、というところで昨日は休んだ、心配だった、熱とか咳とかだったらわかりやすく風邪っぽくていいが、頭が痛いって怖いなと、頭痛を持っていない人間だから頭痛に対して免疫がないから怖い感じがあるのだろう、怖いな頭痛、よくなるといいな、と思っていたらだいたいよくなったということで今日は来た、どうなの、大丈夫なの、と聞くと、だいたい大丈夫になったとのこと、元気が一番。
じゃ、と言って店を出て、ドトールに来た、先日のスタバでそうしてみて「これがいいかも」と思ったのがコーヒーではなくお茶を選択するということで、スタバではハーブティーを飲んだ、ドトールは「ティー」だった。ティーを飲みながら日記を書き、済んだらメルマガのことに没頭した、途中で内沼さんに火曜日のお礼と(いまさら)、その後の急展開というかたぎる欲望に突き動かされた展開のことと、告知ブログと配信メールのサンプルができたら送らせていただくのでご意見等いただけたら幸いですというお願いを、メッセージした、その数十分後に、「たちまちできたので送りました〜!」ということをやった。するとご意見をいただき、あーそれいただき! という感じで改善改善をして、ということをしていた、肩がどんどん重くなっていって、寒く、空腹で、消え入りそうな体になっていった、疲れたので8時頃、店に戻った。7割方埋まった店内で、山口くんが働いていた、見ていたら、今まで見たことのないような速い動きをしていて、山口くん、こんなに速く動けたんだ! と思っていくらか感動すらした、僕は横で洗い物を手伝うところからインし、あとはマイペースにやっていた、ショートブレッドを焼く必要が浮上し、生地を作った、大きなやつを2枚作る成形の作業の片方を山口くんにやってもらうことにしたところ、上手にやっていた。
閉店、夕飯を食べながら、山口くんに「ラジオとは」ということを教授してもらう、彼は大活躍したハガキ職人だった、スタッフ募集をしてお会いしてみて山口くんにお願いしようとしているあたりで優くんと飲んだときに「ハガキ職人で」と言ったらラジオ好きの優くんは名前を知りたがり、言うと、「ファイヤーダンス失敗ね、知ってる知ってる!」と優くんのあの表情で言った、というくらいにだから、大活躍したハガキ職人だった山口くんに「ラジオとは」ということを教授してもらった、ほうほうと面白く聞いていたしなるほどなるほどと思ったのだが、どうしてだかだいたい忘れてしまった。明日また聞こう。
そのあと山口くんにもサンプルメールを送ったところ、iPhoneでGmailアプリという同じ、iPhoneの新しさは違えど、僕のより薄くて大きい印象だった、なにかのシールが貼ってあった、違えど、似たような環境だったにもかかわらず、明朝体の部分がゴシックになっていたりして、違った見え方をしていた、ほえええ、と思ったが、しょうがないのかもしれなかったが、どうか。
しばらくBenchmark Emailをイジイジしたのち帰宅して、今日はこれを楽しみにしていた、という、であるならドトールでも読めばよかったのではないか、という、滝口悠生の「続続アイオワ日記」を読むべく『新潮』を開く、読む、一週間、読書をそっちのけで「読書日記」を続けていくにあたっての新しい環境構築というか準備というかに追われというか勝手に追い込んでひたすら打ち込んできて頭がずっとオンの状態にあった熱した頭が読めばたちまち、冷まされていくというかゆるめられていく。滝口文章まちがえた滝口悠生の文章をずっと読んでいたい、ずっとこれ読んでいたい、と思いながら、読んでいく。
それにしても、今回に至っては「最後まで」であるとか「最後になって」であるとか、そういう書かれ方が何度かあって、これまでも未来から、折り込むように書かれる日記だったが、それがアイオワ終わりという終点をも含んでくると、より、なにか小説というか、小説とはなにか、わからないが、小説というか、を読んでいるような感触があらわれた、時間の枠組みが決められることと、それは関係あることなのか。
私たちがフィッシュアンドチップスの袋を下げて店を出ると、アウシュラたちは私がさっきビールを買ったスーパーで何か食べ物を買っていて、またそれを買うのに迷っているのかやたら時間がかかり、私とカイは外で待ちながら、ここで何か買うならはじめからそれでよかったのでは? と勝手に振り回されていることはわかりつつややいらだちと脱力の感じをふたりで覚え、手にさげたフィッシュアンドチップスを食べる気力ももうほとんどなかったのだが、それでもホテルに戻って、アラムは部屋に帰り、中庭のテーブルでアウシュラとアドリアーナとカイと私とでビールを飲みながらフィッシュアンドチップスを開けて食べはじめたら、味など全然期待していなかったこれがひじょうにおいしく、私とカイは、おお、ベリーナイスだ、とふたりで励まし合うように感激して元気になった。どういう流れでだったか、雪の話になり、エクアドルのアドリアーナは自国ではほとんど雪を見たことはない。台湾もほとんど降らない。東京はしょっちゅうではないがたまに降る。リトアニアは冬はずっと雪だ。
滝口悠生「続続アイオワ日記」『新潮 2019年1月号』(新潮社)p.257
読んでいたら元気な明るいうれしい気持ちになっていった。それでニコニコしながら布団に入って、布団に入ると僕は遊ちゃんの掛け布団を一度剥ぎ取っていつもタオルケットをかぶっていないから、どこかに小さくなっているタオルケットを取って広げて遊ちゃんの体に掛ける、そして掛け布団を掛ける、それから横たわり、もう一枚のタオルケットを、足をバタバタさせながらなんというかおさまりをよくして、それに包まれ、掛け布団の半分をもらう、そのときいつも、楽しい、うれしい、と思う、それを今日もおこなって、「アイオワ日記」をおしまいまで読んで、寝た。