本の読める店

読書日記(65)

Entry diary65

12月23日

一日を通してコーヒーを一杯しか飲まなかった、それはとてもめずらしいことだった、忙しい日になった、とてもうれしかった、夜になると腹が減った、『「死の棘」日記』をいくらか読んだ、閉店すると眠くなった、いつもより軽めにご飯を食べた、それでも2杯食べた。

夜、濱口竜介のインタビューというか対談を読んだ、聞くこと、そうだった、聞くことだった、と思った。対談をしている尹雄大の『やわらかな言葉と体のレッスン』という本をなんだか読んでみたくなった。

12月24日

開店前、目黒の武田泰淳を訪うも不在。島尾敏雄はアポなしで人に会いに行く、最近よく人と会っている、アポと思ったがしかし携帯電話もない時代で家の電話もあったりなかったりしそうだし、アポを取るのも大変だろうからそんなものなのかもしれない。明日吉本隆明とともに武田泰淳に会いに行く、とあり、とうとう島尾敏雄meets武田泰淳、と思ったら不在だった。『富士日記』は今年読んでもっともガチアガッた本のひとつだった、図らずもまた、日記に戻り、そして『富士日記』の世界とつながろうとした、そのことにいくらか震撼した、軽い震撼。それは震撼と呼べるのか。
昨日の夜はひき肉でごちそうを作った、子どもたちよく食べる。島尾敏雄は炊事をする。よく米を炊く、すき焼きをこしらえる、チキンライスも作る、ケチャップ。武田泰淳は家のことはほとんどなにもやらなかった。

昨夜、『「死の棘」日記』を持ち帰り忘れたため散髪をした、散髪をするたびに風呂の排水口の掃除をする、ひと月でこういうたぐいの汚れが堆積するものだと感心するし寒心するというか震撼する。軽い震撼。一所懸命掃除をすると運動をしたあとのように体が火照ったので何かを読もうと思って保坂和志の「キース・リチャーズはすごい」を読み始めた、グルーヴし続けていてずっとそのなかにいたかった、ソファで酒を飲み、布団に移って続きを読み出すとすぐ眠くなり眠った。保坂和志はすごい。

今日は悲しい。昨日も悲しかった。寛容になりたい。オオヤミノルの本を読んでから店と実存みたいなことをしばしば考えている。悲しくなったりするたびに僕はこの店をやっぱり自分の存在を賭けてみたいな感じで本気でやっているんだよなと思う。それが息苦しさを生むこともあり、僕が立たなければ解決すると思ったりするが、今のところ僕は店に立ちたいし立つ。
2時から6時までの時間で予約した人が来て、来てみると二人だった、男女だった、おしゃべりできないのは大丈夫ですよねと念のために言うとその場で確認しているようだった、大丈夫ということなので通した、席についてメニューを読んでしばらくすると帰るとのことだった、男は照れ笑いのような、ごめんちゃい、みたいな顔をして、僕は無表情で一瞥して言葉は発さないでぷいっと踵を返し、それからは出ていくまでパソコンの画面を見ていた。その画面には特に見るものもなかった。
寛容になりたいと思うがこういう場面で僕はしばしばこういう振る舞いをする、『三月の5日間』の「あっそう死んどけ」を思い出す、予約をしておいて思ったのと違った店だから帰るというのはそれにしてもよくできるなと思う、予約をして席を確保することで店の売上を奪っている可能性がはっきりとあるのに、よくできるなと思う、それでイライラやもやもやしながら暮らしているとそういえば今日はクリスマスだった、クリスマスで男女で予約をして「カフェ」に行った、4時間予約した、つまりすごくゆっくりクリスマスなデートなおしゃべりに興じる予定だった可能性がきっと高いのだろう、しゃべれないということを認識していなかったということは。夜は夜でディナーかなにかの予定があるのだろうか。クリスマスなデートの日に、ウキウキしたものである可能性が十分にあるその日に明確に他者から怒りみたいなネガティブな感情をぶつけられるというのは、あまり気分のいいことではないだろう。まあ外に出たら笑いながら怒っていたねとか感じ悪いねとか言って済ますのかもしれないけれど、悪いことをしちゃったなというか、後味の悪い思いをしていないといいのだがというか、二人の一日に影が差さなければいいというか、そういうことを考えていた、いやむしろしょうもない一日になってしまえ、そのあと行くところも決まらずダレきったデートにでもなればいいと、そこまでは思えなかった、それにしても二人はそのあとどこに行ったのだろう、どんな選択肢があるのだろう、スタバにでも落ち着いたのだろうか、それで夜まで茶を飲んでおしゃべりをして、夜はどこかで酒を飲み飲み食事でもして男は途中からセックスのことしか考えていなくて女もそれは同じだった。次の一手、一声、それを発せずに別々に帰路についた。だからといって予約を踏みにじっていいということではない。

俺? 俺は夜は「宮崎あおい」で検索したくなったからさ、検索して過ごしたよ。画像検索して表示してふむふむとか思いながらしばらく見てたんだけど、奇跡みたいだなとか思いながら、そしたらふとお客さんみんな本読んでるのに俺はなにやってるんだろうって笑っちゃったよね、それにさ、満足して閉じようとした瞬間に目が何かを捉えたんだよね、違和みたいなもの、なんかあったんだろうね、なんだろう、と思ったらさ、数十枚の宮崎あおいの写真のなかに二階堂ふみの写真が紛れ込んでたんだよね、吹くかと思った。

夜、『「死の棘」日記』を読んでいた。島尾家は相変わらずすき焼きを食べまくっている。
次第に陰鬱な気分になっていった。

12月25日

八百屋さんに行くと外の、果物が並んでいる棚の上にサンタクロースが乗っていて奇っ怪な動きをしながらざらついた大きな音楽を鳴らしていてその様子がよかった、とても大きな音だった、仕込みをいくつかすると家に帰って文字起こしをしていた、なんだかとてもいい気分になったというか、話している人の、流れている時間の、なにか大切な大事なものをあずかっているような気がしたというか、時間がそこに留め置かれていること、それを何度でも再生できるということ、そのことがなにか感動的だった。なにか、宝物のような気になった、ずいぶん大げさだが宝物という言葉が浮かんだ。人に話を聞くということはなんというか、こういうことが起こることであるならば、もっとたくさんやってみたい。
それで文字起こしをがんばってやったら4時半ごろに疲れて少し眠くなった、毎度のパターンだった、アラームをセットし、ブランケットを頭までかぶってソファに横になった、まだ起こしていないところをパソコンから再生しながら目をつむった、聞くでもなく会話の音声を聞きながら、眠りに落ちていった、途中大きな音のノイズのような箇所があったのか、そういう音で目を覚ました、また寝た。起きたら店に行った、今日は完膚なきまでに暇だったようだった、夜も変わらなかった、つまり完膚なきまでに暇な一日だった、仕込みをしたり、イラレでiPadのホーム画面用の画像を作り直したりしていた、アップデートしたらDockの様子が変わってこれまでのものだと気持ちが悪いことになっていた。10時半には誰もいなくなり、音を流して文字起こしをした、完了した。5時間くらいは掛かるかと思ったが、4時間くらいで済んだ。
昨日、気がついた、文字起こしは5時間くらいは掛かると思ったあとに気がついた、原稿の赤字の反映作業についてだった、1200枚の紙がある、仮に1枚1分で処理をできたとして、1200分掛かる、それは20時間ということだった、しかし1分では処理はできなかろう、5分掛かるとして、6000分掛かる、それは100時間ということだった。どうやってやるんだこれ……そう思ったそれを思い出した。

昨日夜、悲しかったのは新しく買ったパソコンのタイピング音が、薄々そう思ってはいたが昨日改めて思った、これはうるさいのではないか……それで、では、どうしたらいいのか、新しいMacは家で使うことにして店では旧Macを使うということか……いや、そんなことならば買った意味とは……誰か引き取ってくれないだろうか、ほぼ定価で……そういうことを思っていたら悲しい気持ちになった。ふと、キーボードカバーの存在を思い出した、それで調べたところいつからかMacBookはバタフライ構造という構造のキーボードになってそれですごくうるさくなった、ということが書かれていた、使い勝手がいいのかどうか知らないけれど音がうるさくなるということは普通に改悪ではないか……と思いながら、カバーをつけるとだいぶよくなる、ということが知れたしまた、2017年モデル、僕が買ったやつだ、それだとそもそもキーボード自体だいぶ改善された、そういうことが書かれていた、以前のモデルはどれだけうるさいのだろうか……ともあれカバーを買った、今日夜、届いていた、それを置いた。すると、静か! ということになってたいへん安堵した。
感触はマットになっていくらか重くなって、慣れるまではいくらか要するかもしれないが、よかった。これで打てる、というところで、本当によかった。

今日はしかしなんというか僕の労働とはなんなんだろう、と考えざるを得ない日だった、半分の日でそれが暇になるとそう思う、一日いれば一日暇でもそうは思わないが、短いうえに暇だと僕はいったい何をやっているのかというふうに思う、僕の存在は今日いったいどんな価値を生んだのだろうか、なにも生んでいない、と思う、しかししかたがない。ともあれ、文字起こしは面白い作業だった。声をできるだけなまの状態で起こしていくことは僕の性に合っていた。「〜なのです」みたいなインタビューを見ると僕は違和感を覚える、そうではない、なまの、RAWの。やはり僕はRAWなものに惹かれるのだろう。言いよどみであるとか、おかしな応答であるとか、そういうすべてが僕にとっては豊穣な物語だった。

帰宅後ホタテを食べてウイスキーを飲んだ、『「死の棘」日記』を読んだ、ソファに移ってウイスキーを飲んだ、『「死の棘」日記』を読んだ。そのまま眠った、途中で寒くなってブランケットをかぶった。そのまま寝続けた、シャワーも浴びなかった、歯も磨かなかった。

12月26日

家でインタビューの修正や構成や、なぜか、送ってご確認いただく用にイラレで、Webと同じ見え方のフォーマットを組んで、流して、写真を置いて、PDFにして、というそういうことをやっていたらただただ楽しかった。

本屋に行かなければいけなかった。午後、神山町の魚力に初めて入って定食を食べて、それはすごくおいしかった、おじちゃんおばちゃんたちがにぎやかに働いていて途中で子どもが手伝いに上がってきて、いいグルーヴがあった、ご飯をたくさん食べた、おかわりを半分くらいと申し出たところ大盛り気味で盛られていて、笑って、よかった。
本屋に行かなければいけなかった。丸善ジュンク堂に入って、年末年始、なにを読むか、さあ憂鬱な時間が始まるぞと、棚を見た、やはりどれにしたらいいかわからない、ふと目に入った、トマス・ピンチョンの『重力の虹』は未読だった、ずっと読まないでいたら気づいたら絶版になっていることもあるだろうとは思った。しかし、いやいやw いきなり?ww 心の準備できてないよ?www そう思ったが、もう決まったようなものだった、しかし絶対に年末年始だけでは読み切れまい、3月とかまで掛かるんじゃないか、しかしもう決まったようなものだった。その分厚い2冊を取った、それは30日の帰省の電車のなかから読み始められるだろう、そうしたい、ではそれまでは、と思い、目に入ったのはアメリア・グレイの『AM/PM』だった、なんというか1ページ1ストーリーな感じみたいで、これはインスタみたいな小説なのかなと思って、それを読むのはいいことのように思えた、それを取った、それから、永江朗の『インタビュー術!』を前に教わったのでそれも読もうかと思ったがなんとなくやめることにして尹雄大『やわらかな言葉と体のレッスン』を探した、初めてhontoのアプリで探した、人文の棚だった、人文7、日本現代思想。どこにあるのかわからない、著者の名前もなんと読むのかわからないし探しづらい、ユウ・ウンデと読むことがわかった、というところでお店の人が通ったので「あの」と声を掛けた、ええと、と、画面を見せようとするもなかなか表示されず、「やわらかな言葉、みたいな」と言ったところすぐさま場所の見当をつけて探し始めた、すぐに見つかった、感動した、見ると胸の札には「人文」とあった、担当の棚とはいえ、なんというかやはり感動は変わらなかった。
それでその4冊をレジに持っていくと1万円を超えた、1万円を超えるとそうなるのか、紙でもビニールでもない丈夫な袋に入れてくれて、なにか上客になったような心地だった。

夜までは『「死の棘」日記』を読もう、フグレンに行って読もう、と思ってフグレンに行くとすごく人が多くいた。さっきの丸善ジュンク堂もいつもよりも多かった。年末、もう冬休みなのかもしれなかった。フグレンはそれにしても多かった。座る場所もほとんどなさそうだったし、きっと賑やかだろうから、とやめて、家に帰ることにした、代々木八幡駅のすぐのところにスイッチコーヒーがオープンしていて、コーヒーを買った、こぼさないように注意しながら帰った。
それで本を読もうかと思ったが、けっきょくまたインタビュー原稿というか、「ひとの読書」原稿をいじることをやっていた、今回のインタビューをお願いした橋本さんからリアクションがあり、「なんか」とかの多用は読みづらいのではないか、ファクトチェックをした方がいいところが何箇所かある、他の人が読んでも意味が通らないところがあるのでは、という感じの意見をいただき、僕のスタンスをお伝えした、読みやすさ読みづらさ、正しさ正しくなさの観点ではなく、人に与えたくない印象かどうか、なにか不要なリスクを負うことにならないかどうか、という点で判断されたい、読みづらさ、正しくなさは僕はおもしろい、読むときの引っ掛かりはいいものだと思う、人を傷つけうることには慎重になるべきだが、そうではないことのファクトは僕は重要とは思わない、間違いは、間違ったことが言われているというそのこと自体が僕は面白い、間違った記憶みたいなもの自体が持つ時間の厚みとか物語みたいなものを取り込みたい、そういうことを伝えた、すると夜、全面的にご理解をいただけた、それはなにか気持ちのいいやり取りだった。

そうこうしていると夜になっていった、一日は短いと思った、新宿に出る電車のなかで本を読んだ、新宿はやはり人が多かった、よく来てくださる方が向こうから歩いてきたことに気づいて、僕は手を振るというか気づいてもらおうとしたところ伏し目にすーっと真っすぐ歩き続けて、僕は、「あ、そうか! これはまるで俺は!」と思いながら、食い下がるようにして手を差し出して差し出して、最後は正面で待つような感じにして、やっと顔が上がって気づいてもらえた、僕のそれはもう完全にキャッチであるとかの動きだった、新宿で、そうだよな、そう思われるよな、と思ってすごく愉快なゲラゲラとした心地になった、これからフヅクエに行くということだった、今年はありがとうございました、よいお年を、と、それを伝えることができた、よかった。
無印良品でいくらか買い物をして、それから紀伊國屋書店に入った、丸善ジュンク堂とはやはり違う並びで、違う本が目に入ってくる、それは面白いことだった、先日B&Bで初めて見かけた田中小実昌の『題名はいらない』という、それは幻戯書房の銀河叢書というシリーズだった、小島信夫とかもラインアップに入っていた、それをまた見かけた、かっこいい装丁だな、これはまたかっこいい装丁だな、と思い、見ると、「緒方修一」とあった。そういえば初めて緒方修一という名前をはっきり知ったのはやはり幻戯書房の本だった、平出隆の『ウィリアム・ブレイクのバット』がそれだった。それは人にもらった本だった、もらったとき、それは暗いバーだった、かっこいい装丁だなとは確かに思った、4人くらいで飲んでいた、かっこいいですねえ、とかを言ったのだろう、その場にいたデザイナーの方が本を開いてクレジットを探し、「緒方修一」と発語していた、そうか、デザイナーの人は装丁が誰かを見たりするんだなと、かっこいい習慣な感じがするなと、そう思ったことを記憶している。

一階の廊下のようなところで壁に寄りかかって『「死の棘」日記』を読んでいた。今は島尾ミホが入院しており、島尾敏雄も一緒に寝泊まりしていた。敏雄はトイレで本を読んだりしている。他の患者から、敏雄が患者に思われる、ということが立て続けにあった。昭和30年6月のことだった。
友人と合流し、なにも決めていなかった、三丁目のほうに行った、九龍という香港料理と看板に書かれた店に入った、二人とも前に一度来たことがあった、そこでいくらかつまみながらビールを飲んだ、話していたら保坂和志をまた読みたくなった、『プレーンソング』を読みたい、それから池林房に移動した、一人ずつ人が増えていき、5人だった、日本酒を飲んだ、それは愉快な時間だった、僕はとてもこれはよい時間だと思いながらとても充足していた、みんな、いいようになればほんとうにいい、ととても思った。楽しくありたい。
帰り、ひと駅早く降りて散歩をしながら帰った。

12月27日

指折り数えるというか水・木・金、と発語すれば指を折るまでもなく3日で、あと3日で今年の営業が終わりということが不思議だった。3日で終わる。そのうちの2日は僕は半分だから、店にいる時間は少ない。なにか、足りないような気がする、なにかに追われているような感覚がある。なにをやらなければならないんだったっけか。思い出せない。

夕方、『「死の棘」日記』を読んでいた。どん詰まり。読んでいても閉塞的な気分になってくる。 夜、日記のインデザインのファイルを受け取ったため、インデザインをインストールする。明日から修正作業をしようと思うと、なにか緊張のようなものを覚えた。早く取り組みたいらしい。

もう少しで『「死の棘」日記』が終わるような気がしたのか、酒を飲まないで読んでいた。昨日珍しく日本酒を飲んだりして、それもあったのか、たまにはアルコールなしで生きようと思ったらしかった。病室で二人は同じところを回っている。どん詰まり。
去年『キャッチ=22』を読んでいたとき、年末、早く終わらせなければ! そして『煙の樹』に行くんだ! と慌てて読み進めた、帰省の電車の場面を思い出した。帳尻を合わせたいらしい。貧しい性格。30日までに『「死の棘」日記』を終わらせて、できたら29日までで、それで30からはピンチョンに臨むのだ、のだ。

12月28日

パドラーズコーヒーが年内最後の営業で、今年は夏くらいからしばしば朝に行く、それは楽しいことで、うれしい朝だった、だから貴重というか大切な場所だった、だから納めたかった、だから行った。朝、酒を飲まなかったせいかクリアに目が覚めた気がする、これはもしかしたら酒を飲まなかったせいかもしれない、だとしたらこれはもしかしたらそういう選択はありなのかもしれない。外でカフェラテを飲んだ。
牛乳を飲むとたまにそうなるようにお腹に不穏な調子を感じ取り、そこで辞した、お腹の声を聞きながらスーパーに寄り、店に行った。仕込みもあまりないし昼わりとすぐに店を出た、それで野方のデイリーコーヒースタンドに行った、これまでは行くときは環七を長々と走ることが多かった気がする、それだと飽きるし遠い感じがあった、それで今日はカクカクと、笹塚、中野、高円寺、のような何度か曲がる行き方で行ったところずっと早く感じた。自転車は心地がよかった、朝、ドラッグストアで買った100円の手袋はしなかった。

デイリーコーヒースタンドは友人がやっている店で、先日飲んで、なんとなく年内に行こうという気がそのときに起きた、なんなんだろうか、この年内感は、それで昨日行こうかと思ったが今日行った、そこでは『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』の複製原画展というものをやっていて見た、複製原画というものはおもしろかった、什器がかっこうよかった。
それでパソコンを出して、原稿の修正作業を始めた、校正原稿というのか、原稿の赤字や鉛筆書きが入っているところを見て、考えて、反映させたりスルーしたり別の文句にしたり、をインデザイン上でおこない、もとの原稿と変えたところをマーカーで塗り、迷いのあるところや僕が触らないほうがよさそうに思えるところを色分けした付箋をつけていく、ということをやった、1時間半くらいやったが進んだのは30枚だった、残り1070枚あった、なんとなくずっと1200枚だと思っていたが見たら1100枚だった。90分で30枚、つまり1枚3分掛かるということだった、つまりあと3120分あれば終わるということだった。3120分とはいったいどんなものなのだろうか。
それにしても校正のというのか校閲のというのか、なんというのか、書き込まれた指摘を見るのはすごく面白い。野球が始まる18時を待っていた、というような記述に対して記録では試合開始時間は18時35分ですが、であるとか、保坂和志の「この人の閾」でドストエフスキーとか長々とした小説をだらだら読み続けたいんだという話が書かれていて、みたいに書いていたところにドストエフスキーは嫌だとありますが、であるとか、そういう書き込みがある。すごく面白かった。この二箇所についてはスルーした。僕はファクトみたいなことに興味がない。
ファクトみたいなことに興味がない、と思って、今日アップできることになった「ひとの読書」をアップする準備というか、アップできる状態にする作業もしていた、それは原稿直しより前、到着してすぐのときにしていた、それをしてから原稿直しをやった、その「ひとの読書」でも僕はファクトには興味がなくて、正しさには興味がなくて、それを考えていたら、正しい回答は一種類しかないけれど間違っている答えには無限の可能性があるから、ということなのかもしれない、と思った。間違いには豊かな多様性がある。そう思ったらいよいよファクトなんてどうでもよかった。
それから原稿の直し作業を一所懸命やった。コーヒーを飲み、お腹は大丈夫そうだった、カフェラテを飲んでマフィンを食べた、3時間いた、いい時間だった。

帰りは手袋をはめて自転車に乗った、同じような道を通った、やはり近かった。
店に戻ると忙しそうだった、伝票を見ると「これは大変だったろうな……」という日だった、バトンタッチして、するとお客さんはどんどん減っていって、いったん誰もいなくなって笑った、そのあとまたある程度来られ、総じていい日だった、年の瀬的な何かだろうか、ありがたい、いろいろ仕込みをやりながら、慌ただしい様子で働いた、途中、太ももに疲れ、張りを感じた、なんだろうと思ったら、往復50分の自転車だった、笑った。
閉店してからもカレーを完成させたりごぼうをささがきにしてから湯がいたりチーズケーキを焼いたりと、明日が最終営業日だった、なんというか最後に全力疾走できる感じはうれしかった。

寝る前『「死の棘」日記』を数ページ。終わらない。

夕食後ミホ質問反応的になり、そうするとぼくは先廻りしてどんどんへんになり、(兵卒的反応)するとミホ攻撃的になり、電灯消し(外の人たちピンポンしていたので)ぼくの頬を叩き大雨、収拾つかぬようになり、しかしミホ反省的、ぼくはミホの足うらに水虫の薬ぬった時ミホ軟化するが機至らず、ミホ呼吸困難になり、ふとんの上にぼくは水をひっくり返し。ミホぼくを恢復させようとして努力し、ぼくは不安で支え切れず、頭と胸が喪失的になり、しかしとにかくミホに不安をとかれる。 島尾敏雄『「死の棘」日記』(p.404)

12月29日

母がヒステリックに激怒していた、その場に居合わせた、気がおさまらない、別居するという、父は困った顔をしていた、母は栃木に帰るという、父は大宮の家に残り、僕に大宮に住んだらどうだという、僕はそれは受け入れられなかあった。そういう夢を見た。夜に読むものが悪い。
それで起きて夢でよかったというか、嫌な夢だったと思って思い出していると、僕は父と母の喧嘩というのはほとんど見たことがなかったことを思い出した、それはたまに思い出すことだ、僕が覚えている喧嘩がひとつあった、それは僕が小学2年か3年のときで進研ゼミを始めた、一気に僕はやってしまいたいというか、最近もいくらでもあるとにかくやっちゃいたい、そういうモードは僕はかつてから持っていた、それがそのときにも発動されたらしく、たぶん何週間分も進めようとした夜があった、母がそれを諌めた、父がやらせたらいいじゃないかというようなことを言った、それで口論になった、それが僕が知る唯一の夫婦喧嘩だった、そのことを思い出した。

早起きをした、スーパーに行くと早い時間にもかかわらずいつもよりもずっと多くお客さんがいた、これが年の瀬だった、家族連れであるとかがたくさんあった、見ていて気分はよかった、店に行った、カレーの仕込みを始め、パンを作り始め、それからごぼうをあれこれで和えたりした、朝ごはんを食べてコーヒーを飲んでバタバタと準備して店を始めた。
昨日が忙しい日だったこともあり忙しい日である設定でいろいろを準備したがそれはリスキーなおこないではあった、なんせ最終営業日で次はなかった、開けてから1時間くらいは誰も来なかった、不穏な気配が立ち込めていた、全員帰省したのかと思った、それからお客さんが来られ、徐々に、ボルテージは上がっていった、結局、大忙しというかここのところなかった程度に忙しい日になった、リスクを取って仕込んだカレーやスープはちょうどなくなった、それとともになんというか2017年という年には思い入れがあるのか今日が最後だというところがあるみたいで、その最後の日がなんというか、どの方もいいように過ごされているように見えて感動している時間があった、この店がすばらしい店だということは誰よりも知っていたが、そのすばらしい店もこうやってすばらしい過ごし方をしてくれる人たちがいて初めてすばらしい店として具現化するのだよなと思って、なにか感動的な気分があった、いい一日だった、ヘトヘトに疲れた。
店が終わり、カレーを食い、なにか気ぜわしさを感じた、それは拭えなかった、今日中にしたいこと、年内にしたいこと、年末年始に渡ってしたいこと、するべきこと、がいろいろとあるような気がして、気ぜわしかった、なんとなく気持ちが沈んでいった。
帰って、今は3時で、今日中にしたいこと、金曜日分の日記を書く、書いた、一週間分の推敲をする、これからする、12月分の伝票やレシートの入力をする、これからする。それから『「死の棘」日記』を少しでも終わりに近づける。貧しさ。

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