読書日記(95)

2018.07.29
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#7月21日(土) なんとなく働いたところ、いったん座る時間ができて、そこで宇田智子の『市場のことば、本の声』を開いたところ、大滝詠一と断捨離のやつを読んだ、断捨離のやつがなんだかすごくよくて、なんだかすごくいいぞ、と思った、この本を教えてくれた人が、タイトルとかに「本」とか「本屋」とかってこれ入れる必要ないんじゃないかと思う、ただのエッセイでいい、補助は要らない、十分な強度がテキストにすでにあるのだから、というようなことを言っていた、それを思い出した。それで本を閉じて、和え物でもこしらえておくか、とこしらえ始めたところ、一気に忙しくなり、夜まで、ひいひい言いながら働いていた、7時、疲労困憊というふうになって、しばらくしたら困憊というほどでもなくなった、あのときの、とても困憊した感じはなんだったか。
閉店前、『ぼくの兄の場合』読み終わる。
夜、食べていいものが見当たらず、ラーメン屋。ラーメン大盛りとご飯大盛りにしたところ、いくらか過剰だった。食べながら「Number Web」の記事を読んでいた、巨人の内海哲也のことが書かれていた、今年は直球の比率が高くなり、それがいいことになっているとの由。それから、サイト内検索で「内海哲也」と入れると、2006年くらいからいろいろと出てきて、そのとき、内海は期待の若手で、2010年であるとかは完全なエースで、という、そういう時期時期の内海哲也の語られ方の違いが面白かった、この遊びはいいと思った。
帰宅後、酒、飲み、プルースト。なんでだか明日の晩、翌日を気にせず好きなだけプルーストを読むぞ、ということがやけに楽しみな気持ちになったが、きっと、すぐに眠くなる。
##7月22日(日) それにしても、と朝思った、日ハムが昨日もソフトバンクに勝っていた、これでこのカードの勝ち越しは決めた、おとといが6対5、昨日が3対2。なんだか、とても勝っている印象があるけれど、ソフトバンクはいったい本当にどうしちゃったのか、と思ったが、印象がそうなだけで実際の対戦成績はよくてちょっと勝ち越しくらいだろう、と思って見てみると、11勝4敗と、これはお得意様というやつじゃないか! というような勝ち越し方をしていた。ソフトバンクがお得意様ってどういうことだ! という驚き。そして昨日、西武は楽天に逆転負けをしていて、気づいたら0.5差しかない。どういうことだ! という驚き。今年の日ハムは変なすごさがあるようだった。
それで、今日は仕込みも特になかったのでパドラーズコーヒー。暑い、外の席、座って、あ、これはいけないかも、中に入らないといけないかも、と思うような暑さが当初あり、去年はこんなことなかったような気がしたが、と思った。しばらく蟻を見ているうちにそこまで暑くなくなって、いられた。よかった。
店に行き、ご飯を食べる等、営業の準備をおこない、開店した、ゆっくりな始まりで、日記の推敲をしていた、今は、金曜か土曜、先々週くらいから金曜、に、エディタ上で推敲をして、それで日曜に更新し、ウェブ上というのか、更新されたものを再度確認し、という段取りになっているが、これは、最後の画面のところでなんやかんや間違いが見つかるからなのだけど、実際にけっこうな箇所、書き換えているのだけど、つまり、そうすると、日曜の12時くらいからとても掛かれば夜くらいまで、そこに表示されている日記は修正前のもので、なんというかきれいではなくて、というところで、急いで確認だ、という気持ちがあるのだが、なんでそう思ったのか、金曜に一度推敲したものを、アップする前に、何か読みいい形にして、印刷して紙で確認すれば、ウェブ上で再度確認するということをしなくて済むのではないか、と思って、それにしてもなんでそう思ったのだろうか、それは本当だろうか、とにかくそう思って、なぜなら紙のほうがやはり確認しやすいから、と思って、今日は途中でイラレでそういうフォーマットを作り、流し込んで、試しに印刷して見てみる、ということをやった、というか、これだったら、というか、だったら、というわけではないが、金曜土曜の最初の推敲というのも省いて一発でできないだろうか、と思ったが、どうか、というか、なんだろうか。
とても暇で、ゆっくりゆっくり、と思って、推敲も終わったので、やることも、と思って、昨日、読みだしたら忙しくなったという縁起を担ぐみたいなところで宇田智子読み始める。昨日読んだ断捨離に続いてあった「オキナワで考え中」というやつもなんだかすごくよくて、なんだかすごくよいぞ、と思って、いくつか読んだ。「よすが」という言葉が出てきて、僕はよすがという言葉を使いこなせるようになりたい、たぶん今まで一度も使ったことがない、と思った。よすが。縁。あ、よすがって縁なのか。
それから、というか、今日はそれによって忙しくなるという効果は得られず、それから、経理仕事が最近は本当に放棄されている、日々やればなんでもないのに、やたら溜まってしまった、これはいよいよちゃんとタスクとして課したほうがいい、と思ったところ、じゃあTODOリストをまずは作り直そう、今のものは、なんとなく一覧性が低いというか、パソコンの画面上だと8つまでしかタスクが一気には見えなくて、どれくらい消化できたかがよくわからなくなるというか、漏れが生まれやすい気がする、もっと一気に見られるようにして、それでそこに毎日経理のタスクを入れて潰す、ということを繰り返したら、追いつくはず、というところで、スプレッドシートをあれこれして、TODOリストを新調した、愉快! と思って満足した。
そのあと、いったんピークタイムのようなものが訪れ、淡々と働く、途中、来られた方が、『百年の孤独』はありますか、というので、ありますよ、取ってきますね、といって取ってきて渡した、そのやり取りのあと、なんだか、幸福感というか、いい店だなあ、と思った、貴重ないい店だなあ、というか、初めて来た方が、「『百年の孤独』はありますか」と躊躇なく店の人間に聞く気になれて、そして「あ、『百年の孤独』ね、ありますよ」とすんなり通り、かつ実際にある、という、店って、なんだか稀有というか、気持ちいいというか、いや『百年の孤独』なんて超有名作品じゃないかみたいな、いやいやそんなのはね、海外文学に親しんでいる人にとってはそりゃあそうだろうけれどもそういうものさしで世の中を見るのはなんか俺は不健全だと思うんだよねというか、僕は誰に向けて話し始めたのだろうか、そういうさ、よくないよ、そういうのはさ、というか、というかではないが、うちのお客さんにはこういうものを読んでいてほしいんだよねみたいな、そういうものは僕には一切ないし、そもそも何を読んでいるかなんてたいていはわからないのだけど、人が本を読んでいる光景は等しく美しいと思うというかそう見ているのだけど、自分が知っている本や読んだ本や好きな本を読んでいる人を見かけると「お」とは思うわけで、それはちょっとどこかお楽しみみたいな感覚はあって、昨日、面白かったというか「お」と思ったのは、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読んでいる方があって、その隣に座った方がソローの『森の生活』を机に置いて、二人ともカバーを掛けていなかったからわかったのだけど、だからなんだというところだけど、岩波文庫を読んでいる方が二人並んでいて、なんだか面白いというか、愉快な店、だし、ほんと多分こんな店めったにないそういう店、と思った、ということがあった、ということを今日思い出したし、「プロ野球 - スポーツナビ」を見に行ったら日ハムが今日も接戦を制して勝った、ナイターの西武が負けたら首位なんだけど? と思って、それにしてもソフトバンクを3タテってどういうことだ、と思った。
夜になり、暇なままで、『レーナの日記』を取る。1941年10月4日。
彼女たち(母と娘)は防空壕に入ったが、多くの人、とくに男性は入り口のところに残っていた。そしてこの時に爆弾が炸裂して、防空壕の入り口を埋めてしまい、入り口にいた人はみんな埋まってしまった。中にいた人たちは無事で、天井が少し沈んだだけだった。彼らは窓の一つを叩き破って、そこから外に這い出した。そして目にしたのは、埋まった人たちが掘り出される様子で、多くの人は生きていたが、錯乱状態だった。 エレーナ・ムーヒナ『 レーナの日記——レニングラード包囲戦を生きた少女 』(佐々木寛・吉原深和子訳、みすず書房)p.113
「多くの人は生きていたが」で「あ、生きているんだ」となり、「錯乱状態だった」で「あ、そうなるのか」となった。西武はがんばって勝った。
帰り、店を出て自転車にまたがろうとすると歌声が聞こえてきた、夜中のひとけのない通りを、女が熱唱しながら歩いていて、「今すぐ会いたいクレイジーフォーユー」と歌っていた、それで、歌っているな、と思って自転車に乗り、しばらく進むと、そういえばスマホを忘れた、と思って引き返した、さっきの女とすれ違った、まだ歌っていた、店に着き、取り、また出、乗り、漕いでいくと、また女を追い越す格好となった、女はまだ歌っていて、また「今すぐ会いたいクレイジーフォーユー」の箇所だった。
帰宅し、さあ、たくさんプルーストを読むぞ、と思い、買ってきた缶ビールを開けて、飲み始め、読み始め、すると10ページくらいで眠くなったのでやめた。そうなると思っていた。布団に移り、『レーナの日記』を少し。
##7月23日(月) 起きると先にとっくに起きていた遊ちゃんがお腹が空いた、と言っていて、なにを食べるの、と聞くと、カレーが食べたい、というから、それなら一緒にカレーを食べに行こうよ、と言ったところ、カレーを食べに行くことになった、それで、二人で自転車に乗り、38度だったか、暑くないね、涼しいね、寒いくらいだね、と言いながら、走り、渋谷。無印良品に行って買いたかったものを買おうとしたがなかったので買わず、宇田川町のほうに行き、虎子食堂というのか、カレー屋まーくんというのか、名称がわからず、出る前、調べるのにも難儀した、月曜は営業しているのだろうか、どうだろうか、と思った虎子食堂に行ったところ看板が出ていて「虎子食堂の昼の部はカレーだけです」的な文言があったから、間借りというか、でも名称は虎子食堂でやっているんだなということが知れて、階段を上がった、入り口に説明書きの黒板があり、それがとてもよかった、かくかくしかじかと書かれていて、カレー食べて、ちょっとゆっくりして、という感じの認識だったら問題ないと思います、みたいな締められ方がしていて、とてもいい説明だなと思った、入った。 それでカレーを食べた、とてもおいしくて、きれいで、おいしくて、きれいで、自分が何を食べているのか全然わからないまま(これ魚介かな、レベルに)、おいしいおいしい、と思って食べた。こまごまと食べていると結構な量で、遊ちゃんが食べきれなかったのももらって、満腹&大満足というところだった。夏だった。
丸善ジュンク堂に行って、特に目的はなかったがなんとなくふらふらして、そうだミシェル・レリスの『幻のアフリカ』を、と思って在庫を調べるとなかった、アプリの検索は近い店舗から表示されて、それらはどれも在庫△で、三角はどういうことなのかわかっていないが、一冊は、昨日くらいの時点ではある、くらいなのだろうか、画面をずっと下っていくと○が目に入った、それは丸広百貨店飯能店だった。飯能!
何も買わず出て、コーヒーをまだ飲んでいない、と思ってCoffee Supreme Tokyoに入ってアイスコーヒーを飲んで、それで帰った。
帰って、少しゆっくりして、夕方、出て、電車に乗りながらプルーストを開いた。ノルポワ氏の言葉。
要するに彼はまだ大御所といった地位にあげられているとはいえませんが、徒手空拳でずいぶんりっぱな地位と成功をかちえたものです。何も成功は、くわせ者と相場がきまっているような、狂躁者、逆上家、からいばり屋だけにやってくるものとはかぎりません、じつに成功は彼の努力にむくいたわけなのです。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈2 第2篇〉花咲く乙女たちのかげに 1』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.44
「要するに彼はまだ大御所といった地位にあげられているとはいえませんが、徒手空拳でずいぶんりっぱな地位と成功をかちえたものです。」という一文がなんだか気に入って、エピグラフに使いたい、と思った。エピグラフを必要とする機会があるならば。
新宿に着くと暑くて、町がなんかもうそれ自体が暑さ、という暑さですぐにうんざりして、無印良品に行った、何も買わなかった、どこで時間を潰そう、としばらく考えた結果、椿屋珈琲店に入った、アイスコーヒーを頼んだ、それで、買ったまま忘れていたチェーホフの『中二階のある家』を持ってきたので、読んだ。書き出しからよくて、落ち着くような心地があった、しばらくすると、「そしてこの健康で裕福な美しい人々は皆この長い一日を終日何もしないで過ごすのだと分かっているとき、そんなときには、だれしも人は、一生がそんなふうであって欲しいと思うものだ。このときの私もまったく同じことを思い、一日中、一夏中をそんなふうに仕事も目的もなく歩き回るか、という気持ちになって庭を歩き回っていた」とあり、一夏中を、仕事も目的もなく歩き回る、というところで、そんな言葉を最近聞いたような気がする、と思ったら、『きみの鳥はうたえる』だった。彼らには金はなかった。
ジェーニャは画家としての私がとても多くのことを知っていて、知らないことを正しく洞察できるものだと思っていた。彼女は、私が彼女を永遠なるものや、いと美しきものの領域へ、彼女の意見によれば私がその一員である至高の世界へみちびいてくれるのを望んでいて、そして彼女は、神や永遠の生命や奇跡について、私と話しあった。で、私は、私も私の想像力も死後それっきり滅びてしまうことを認めていなかったので、「もちろん、人間は不死です」、「もちろん、永遠の生命がわれわれを待っていてくれるのです」と答えた。彼女は耳をかたむけ、信じ、証拠を求めなかった。 アントン・P・チェーホフ『中二階のある家 ある画家の物語』(工藤正廣訳、未知谷)p.21
信じ、証拠を求めなかった。
とても久しぶりにチェーホフを読んだけれどもよくて、よかった。最後のところは、保坂和志のあれは「キース・リチャーズはすごい」だったか、で引用されていたところで、そこがすごくよかったから、読んでみたくなって、買ったのだったそこを読むことになった。
私はすでに中二階のある家のことを忘れはじめている、でも、ただ時折、絵を描いたり読書したりしているときに、ふっと、これといった理由はないが、あの窓の緑の灯りや、また時には、恋をした私が戻る途中に寒くて手をこすりあわせた、あの夜の野畑に鳴っていた自分の足音などが、思い出される。そして、これはもっとまれだけれども、孤独に苦しめられ悲しくなる瞬間、私は、おぼろげに思い出し、すると少しずつだがなぜかしら、私も思い出されているのだ、私を待ってくれているのだ、そして、私たちは会えるだろう、とそう思われはじめるのだが…… ミシューシ、きみはどこにいるの? 同前 p.50
やっぱり美しかった、すると少しずつだがなぜかしら、私も思い出されているのだ。保坂和志の引用で見たのは小笠原豊樹訳で、今度そちらも確認しよう、と思った。
ちょうど時間になったので店を出て歩きながら、これは贅沢な本で、50ページの短編ひとつで、残り半分くらいは訳者の解説エッセイとあとがきということだった、先日読んだ『さよならのあとで』なんかは一編の詩だったからなおのことだったが、短編一つでも本になるのだな、と思って、なにごとかを考え始めながら、なにごとか、つまり、2時間で読み切れるような本を作って、フヅクエで売るとか、だった、考えながら、歩いた、新宿三丁目に行き、鼎という居酒屋に入った、地図を調べるときは「ていだん」で「鼎談」で「鼎」だったが、この字は「かなえ」と読むのか、と驚いたし、実際いま入力したところすぐに変換されたから、そうだった。それで地下の店に入ると、入った瞬間にこれはいい居酒屋、という居酒屋で、よいなあ、と思って、まだ人々は来ていなかったので、チェーホフをぺらぺら読み返していた。すると、内沼さんが来て、それからしょうくんが来て、大地が来て、4人で飲んだ、しょうくんとはフヅクエ閉店後にたらたらお話したり道端でばったり出くわして茶をしばきに行ったりということはあったけれど、こういう場で改めて飲むというのは実は初めて会ったとき以来なかったんじゃないかというところで、それは12年前とかということだった、大地としょうくんともう一人と、映画好き大学生はてなダイアラー的なつながりで今度会ってみましょうよみたいなところでオフ会みたいなところで、横浜の土間土間で飲んで、という、それが初めて会った夜だった、それからも映画館や、クラブや、そういうところで出くわしたりしていた、なんというか、いい思い出というか、圧倒的いい思い出、という感じがあった。大地とは、ちょこちょこと会って飲んでいるけれど、しょうくんは会うのも今日は久しぶりで、久しぶりに話すしょうくんはやっぱりとても気持ちのいいやつで、気持ちのいいやつだなあ、と思った、愉快だった。
内沼さんが本やチラシを持ってきてくださっていて、それを見て、『きみの鳥はうたえる』、それを見て、ああ、もう、ほんと、この場面、最高でしたよね、であるとかを、話しているだけで思い出して涙ぐみそうになった、大地はまだ見ていなかった、最高だよ、驚くよ、と言った、それから、『読書の日記』のファーストカットについて、みんながいいと言うから、そんなにいいものだったっけか、と改めて開いて読んでみたところ、ちょっとゾクゾクとした、たしかに、これはこれしかない、という書き出しだぞ、というような。そして、このタイトルのこの物量の本の一行目として、すごいぞ、というような。
それで、映画のこと、仕事のこと等、あれこれと、愉快に話し、飲み食いした、よく笑った、完璧にいい夜だった、途中、僕は内沼さんにずっと言っていなかったというか、別に言っても言わなくてもいいのだけど、言ってみたかったようなことがあって、それは僕が、内沼さんの講座に通ったことで内沼さんと知り合うことになったわけだけど、4年前の夏、ちょうどフヅクエの工事の真っ最中で、毎週土曜日だったか、隔週くらいだったか、日中工事をして、そこからみなとみらいのBUKATUDOに行く、ということを繰り返していたのだけれども、通うことにした動機の3割くらいのところに、僕というかフヅクエという店のことを内沼晋太郎という人に知ってもらおう、というものがあった、ということだった、そこで、何かしらいいものだと認めてもらえたならば、フヅクエにとって何かいいことが起きうるのではないか、という狙いがあったというか目論見があった、十分にいいものとして認めてもらえたならば、それを人に紹介することが紹介する自身を利する、利するは言い過ぎにしても少なくとも価値を落とさない、と思ってもらえたならば、こういうお店があってね、ということを人に話したりしてもらえるのではないか、というような。僕は始める前からなんだか妙な自信があった(それは今も変わらない)、ここにいる阿久津という男が始めるフヅクエという店、他に類を見ない強度を持ったいい店になるはずですよ、知っておいてもらって損はないですよ! というところだった。
好きでもなんでもない人に対してだったらこういうあざといアクションは僕は取れないだろうなと思うし、こういうことを自覚的にやったのは後にも先にもなかった気がするのだけど、本を通してしか知らないがしかしそれで十分だがはっきりと好きで、敬愛みたいな感情があって、という人に対してならば、なんだか堂々とそういうことをできるような気がして、本の仕入れ方法とか学びたいし、面白そうだし、これはいい機会、よっしゃよっしゃ、近づいとこ、と思って、それで受けた、ということだった、という話をした、して、これはなんだか僕にとっては堂々とした気持ちでできる話だったけれど、聞かされた方はどういう感じだろうかなと、利用しようとしてたのか、と気分を害されたら怖いなと、言ったあとから、なんだかそわそわして(違うんです利用じゃないんですウィンそしてウィンを目論んだんです!(不遜にも!))、帰り道にもう一度その話をして、ちゃんとヘルシーに届いていることを確認して芯からやっと安心した、小心なんだから小心らしく振る舞えばいいのにと、こういうとき思う。
冷たいうどん食って帰った。チェーホフの、訳者解説エッセイのようなものを少し読んで、気持ちのいい抜けのいい文章で、いいなあ、と思って、寝た。
##7月24日(火) 起き、出、買い物、店、おかずをがっつりと作る、作っているとひきちゃんやってきて、セイハロー。ひきちゃんは最近はもっぱら豆腐そうめんを食べているとの由。12時半くらいに離脱、帰宅、うどん茹でて食う。それから日記書き、家にあったはらだ有彩『日本のヤバい女の子』を少し読む、そのあとプルースト。ノルポワ氏が長広舌を振るっていて、ものすごく退屈。で、眠くなるので、眠る。眠ると、たくさん眠った。アラームに起こされて、まだ明るくはあった、体が眠気でしびれていた、店行った。
休日明けで夜まではオフ、となると、働く気にならないなあ、と思った、すると、ひたすら暇な夜になった、もっと働きたかったなあ、と思いながら、おととい苦心して、じゃなくて歓喜しながら作ったTODOリストに従って、経理をやったりをして、やることもすぐになくなり、今、読んでいる本はプルーストと『レーナの日記』ということだけど、なんとなく心がウキウキはしていない、なにか、読みたい! というものがほしい、とこう書いていて思い出したが来週には柴崎友香の新刊と保坂和志の新刊が出るんだった、まさかの同じ日だった、8月1日だったか7月31日だったか、ともあれ、水曜日にABCで買おう、と思っていて、それは愉快な予定だった。ただ、それまで、一週間あった、なにを読もうか、というところだった。
やることも、お客さんの姿もなかった、Tシャツを、とそういえば思い出し、Tシャツを畳んでOPP袋に入れる作業をした、それが済み、チェーホフを、とそういえば思い、本棚から取ってきて「学生」を読んだ。
で、今も、寒さに縮かまりながら、学生はリューリクの時代にも、ヨアン雷帝の時代にも、ピョートルの時代にも、これとそっくりの風が吹いていただろうということや、彼らの時代にも、これとそっくりのひどい貧しさや飢えがあっただろうということを考えた。こういう穴だらけの藁屋根や、無知や、憂愁や、こういう周囲の荒地や、暗闇や、重苦しい感じ——こうした恐ろしさはみな、昔もあったし、今もあるし、これからもあるだろう。そしてなお千年たっても、暮らしはよくならないだろう。そう思うと、家へ帰りたくなかった。 チェーホフ『子どもたち・曠野 他十篇』(松下裕訳、岩波書店)p.176
『小説の自由』だったか、他の本だったかで保坂和志が引用していたところもやっぱりすごかった。
こうして今、学生はワシリーサのことを考えていた——彼女が泣き出したところを見ると、あの恐ろしい夜、ペテロに起こったことがみな、彼女になんらかのかかわりがあるのではないだろうか……。
彼は振り返ってみた。淋しい火かげは闇の中で穏やかに瞬いていたが、そのそばにはもう人かげは見えなかった。学生はまたもや思いに耽った。ワシリーサがあんなふうに泣き出し、娘があんなふうにどぎまぎしたところを見ると、たったいま自分が話して聞かせた、千九百年むかしにあったことが、現代の——この二人の女に、そしてたぶん、この荒涼とした村に、彼自身に、すべての人に、なんらかのかかわりがあるのは明らかだった。老婆が泣き出したのは、彼の話しぶりが感動的だったからではなくて、ペテロが彼女に身近なものだったからだろう。彼女がペテロの心に起きたことに身も心も引かれたからだろう。
すると喜びが急に胸に込み上げてきたので、彼は息つくためにしばらく立ち止まったくらいだった。過去は、と彼は考えた、次から次へと流れ出る事件のまぎれもない連鎖によって現在と結ばれている、と。そして彼には、自分はたった今その鎖の両端を見たのだ——一方の端に触れたら、他の端が揺らいだのだ、という気がした。 同前 p.180,181
10ページほどの短編だが、学生が、歩いていて、女二人と出くわして、一席ぶって、歩いていく、というそれだけの短編だが、すごい緊密さというか、すごかった。この短さの中で、どうしてこんなに大きな音を響かせられるのだろう、というような。で、他の短編を読もうかと思ったが、やめて、『桜の園』を今度は取ってきて開いた。人が、びっくりするくらい簡単に寝入っていた。
ピーシク あれが大した人物であることは、認めにゃなりませんて。現にうちの娘のダーシェンカが言うには……、いや、いろいろと言うとりますが……(鼾をかく。しかしすぐに目をさまして)それはともかく、奥方さま、どうかわしに、二四〇ルーブル貸して下さらんか…… チェーホフ『桜の園』(小野理子訳、岩波書店)p.37
雨だ!
##7月25日(水) 昨夜は帰宅すると遊ちゃんも帰ったばかりだったようで、送別会帰り、酔っ払ったらしく、布団のわきで床に寝ていた、足が寒い、というので、足にタオルケットを掛けた、楽しそうに寝ていて楽しかった、僕は、シャワーを浴びると、『桜の園』の続きを読み、すると読み終わって、「桜の園」と思い、「喜劇」と思い、それからプルーストを開いた。「私の名と私の人間とがそのように一瞬間ジルベルトのそばに見出され、知られない彼女の家と彼女の生活のなかにはいりこむという官能的な快楽」というところで、いいぞ、と思い、この、名前がうんぬん、というのは第一巻でもあった、シラブル、音韻、うっとり、的な。それから、
しかし父は、このうえ変わらない私の趣味について語り、私の生活を幸福にすべきものについて語りながら、私の心に二つの非常に苦しい疑惑を呼びおこすのであった。第一の疑惑は(毎日私は、自分というものを、まだふみこまない生活、あすの朝にしかはじまらない生活の、敷居の上に立っているもののように見なしてきたのだが)、その生活はすでにはじまっているのではなかろうか、つづいてやってこようとしているものは、先に過ぎていったものと、それほどちがわないのではなかろうか、ということであった。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈2 第2篇〉花咲く乙女たちのかげに 1』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.92,93
昼間あんなに退屈だったプルーストが今度はきらめきを放っているというか、面白い、と思って、ここもエピグラフに使いたい、と思って、それで存外に長い時間読んで、寝た。
起きた、25日、水曜日、今週は長いというか、月曜が休みで、次の休みが来週の水曜だから、長い、という気持ちがあって、長いぞ、と思った。
開店前、準備をしながら、おとといの夜の会話を思い出していた、大地は医療に関係する仕事をしていて、今の会社に入って仕入れた、アートはかつて医学、手技だった、という知識というのかあれを、すごくない、これ、感動するよね、みたいなことを言ったところ、しょうくんが、そうだよね、だれだれの時まではそうだよね、ダ・ヴィンチとかもお医者さんじゃん、というようにさらっと返した場面を思い出して、そのときに、わ、すごいな、教養、みたいに思ったことを思い出した、大学を卒業して10年とかして今さら学歴とか言ってもバカみたいだが、しょうくんは(内沼さんも)一橋で、僕はなんだか一橋と東大と京大はなんか異次元、と思っているところがあるらしく、さすが一橋なんだなあ、と思った、ということを思い出した。
営業、まじめにいろいろとやり、夕方にはだいたい片がついて、本を開いた、レーナ、きみはどこにいるの? 彼女はレニングラードにいて、17歳で、1941年の11月だった。「ああ、なんてことだ、みんなを再教育して欲しくてたまらない」と書いたあと、彼女は混乱しているところらしく、「ちがう! そうじゃない! ただの旅行者なんかじゃない。何になりたいのか、自分でもわからない。頭の中がこんがらがった! カオスだ! ……」とあって、それを、いくらか倦みながら、この時間自体に倦みながら読んでいたところ、まんまと「何になりたいのか、自分でもわからない」と考えだした。僕は、今むやみに疲れていて、肩が馬鹿みたいに重くて、ということもあるだろうけれどやたらネガティブになっているらしく、何になりたいのかわからない、どう働きたいのか、どう生きたいのかわからない、どう生きたら、心地いいのだろうか。金銭的な心配が仮にまったくなくなったとしたら、僕はどんなふうに生きようとするのだろう、どのくらいフヅクエに立ちたいと思うのだろう、どのくらい本を読みたいと思うのだろう、映画を見たいと思うのだろう、旅行にいきたいと思うのだろう、どのくらい文章を書きたいと思うのだろう、なんだか全然わからないなと思って、ただ長く眠るような姿しか想像できなかった、倦んで、ただ体を横たえて、目をつむる、そんな姿しか想像できなかった。頭の中がこんがらがった!カオスだ! ……
いくつかの条件が重なってのことだったと思う。これだ、という読みたい本がわからないこと、体にやたらな疲れを感じていたこと、夜までに調子よくお客さんが来たためここから先ゼロでも今日のバジェット的にはもうオッケーだったこと、それなのに、どんどん読んでいいんだよというそんな状況なのに、なんだか読書に食指が動かないということ。喜び、どこにあるの? みたいな気持ちになったらしかった、それで、こんなときは保坂和志だ、と思い、保坂和志コーナーの前に行っていくらか考えたところ『小説の誕生』が取られて、それで開いたら、開いて一行二行読んだら、なんだか一気に気持ちが開けた。俺今晩ずっとこれ読んでたい、というふうに即座になって、喜びに満ち満ちた生が帰ってきた。簡単だった、それで、最初がミシェル・レリスの日記というか『ミシェル・レリス日記』からの引用で、ミシェル・レリス日記、これは、『幻のアフリカ』とはまた別の何かなのかな、と思って検索したところ、そういう日記があるらしくて、1922年から1989年までの、みすずで2冊で出ているらしくて、5000円くらいと8000円くらいで、怯む金額で出ているらしくて、まあまずは『幻のアフリカ』だろう、とは思ったのだけど、そのAmazonに行く前の検索結果のページで、いくらか下におりていくと、「思うに、最も加工せず、生【なま】な書き方をしたのがレリスなのではないか。加工しないから、前述のエッセイとも何とも分類不能な短文を集めた本がレリスには多いのだ。」という文章があり、そうだよ、なまな書き方、これだよ、と思って、いいこと言う人だな、このブログは読んでみたいな、と思って開いた、開いたら、ずいぶん古いつくりのウェブサイトで、読んでいたら、あれ、これって、と思って、アドレスバーを見たら「k-hosaka.com」とあり、だから保坂和志のウェブサイトだった。日経新聞、「半歩遅れの読書術」1回目、とのことだった。
それで、読み読み、営業し、夜が過ぎていった。『幻のアフリカ』をいい加減、もうポチっちゃおう、と思って、それで検索したところ、平凡社ライブラリーのやつと、それが2010年ので、1995年に出ている単行本というやつもあって、どちらが、テンションが上がるのだろう、どちらが、持っていてうれしい気持ちになるのだろう、というので、悩む、平凡社ライブラリーにした。
閉店前、そうだそうだ、昨日畳んでいたTシャツの写真を撮ってあるんだ、シェアして購買につなげないと、と思って、「やることも、お客さんの姿もないし、というのでTシャツでも畳むか、というところでTシャツを畳んでいた様子です、さあ売れろ、Tシャツ!と思っているところです。」という言葉とともにツイートした、その15分くらい後、なんとなく、そうだそうだ、というか、そうだ!w ちょっと試しにというかw なんとなくwww と思って、「売れた〜!(大歓喜」というツイートを足した、これによって、そうか、買うに値するものなのか、と思う人が現れたらいいな、みたいなところというか、これによって売れたら面白いな、と思ったのか、なんか悪ふざけをしてみたくなったらしかった、それで、その数十分後、どうせ嘘をつくならば骨まで、みたいなところで、「ちょうどTシャツと値段が一緒だったので(ので?)『幻のアフリカ』をポチりました。」というツイートを足した、時系列ぐちゃぐちゃwww みたいな、なんか愉快になっちゃった、みたいなことを、帰宅後、Twitterの画面を見せながら遊ちゃんに話していたところ、話していたまさに、だから一緒に画面を見ていたまさにそのとき、画面上部からメール受信の通知がおりてきて、そこに「商品購入通知:BASEショップにて商品が購入されました。」という文字列があって、見ると、まさにTシャツをどなたかが買ってくださったらしかった、なんというか、先ほどは虚偽も混ざっていたが、買われたことによって虚偽はなくなり、なので、いよいよ時系列ぐちゃぐちゃwww と言える状態になって、それはとてもよいものだった。
寝る前、ア・リトル・ピース・オブ・プルースト。
##7月26日(木) 昨日のような疲れはなくなっていたが腰がピキッというたぐいの痛さをどうしてだか、持っていて、腰痛でも発症しただろうか、と思いながら起きた、外は、そう暑くはなかった。
夕方までいっしょけんめい、タスクをこなしていった。TODOリストを新調してから、なんというか真面目に働いている感じがある、これまでも真面目だったが、これまで以上に真面目ということだった、午後4時の時点で、今日やるべきことは、今のところというか現在のTODOリストを見る限り、何もないらしかった、また増える可能性はいつだってあったが、目下のところ、すべてのタスクが灰色に塗り潰された、あとは、本を読んで生きるのか、どうか。
だいたいの時間、『小説の誕生』を読みながら生きていた、暇な日だった、『小説の誕生』はずっと面白くて、レーモン・ルーセルの『アフリカの印象』や『ロクス・ソルス』の引用箇所がアホほど面白くて、『アフリカの印象』はそれで、かつて読んだときに読みたくなって読んだのだったが、やっぱりいちばん印象に残っているのは『小説の誕生』で引用されていた家族みんなでお腹を反響装置にして音をすごいことにするあの場面で、引用で見かけるというのは印象として強く残ることになるのだなと思った、先日のチェーホフもそうだった、それで、だからずっと『小説の誕生』で、ここのところはひとつの本を長い時間は読んでいられないというか気があちらこちらに散っていろいろな本に手を出しながら暮らしていたような気がするが『小説の誕生』はそれ自体が散っているのか、散りながらゆっくりと進んでいっているというか、なのか、だからなのか、まったく飽きずに、ずっと新鮮に、ずっと読んでいた、そうしたらしまいにはふいに豚の生姜焼きを食べたくなって、それで、ちょうど冷凍庫に豚肉があったから、それを解凍して適当な漬けダレを作って漬けて、玉ねぎが甘く炒められたそういう生姜焼きが食べたかったから、玉ねぎも、薄く切って、一緒に漬けておいて、それで、閉店したら、一日暇だった、閉店したら、生姜焼きを作って食ったところまったくもって完全にこの味が食べたかった味だったという味の生姜焼きになり、ぶくぶくとご飯を食べた。
帰宅後、プルースト。なんでもそうなるわけではないから反応するなにかがあったということだけれども小説の中とかで「コートを着て」とか「朝の冷たい空気のなか」とか、わからないけど、冬を知らせる記述があると、とてもビビッドに「あ、冬」と思うことがあって、冬のあの寒さ、みたいな、思うことがあって、似たようなこととして、プルーストを読んでいたら「病気を家人にさとられたら外出をゆるされなくなるという考が、たとえば生存本能が負傷者に力をあたえるように、やっと私の部屋までたどりつく力を私にあたえ、その部屋で熱が四十度もあるのを知った私に、なおもシャン=ゼリゼに出かける仕度をしようとする力をあたえた」という記述があって、それで、あ、子供時代、と思って、熱なんて、大人になっても出しているけれども、やはり子供時代なのか、というか書かれているのが子供時代だからなのか、あ、子供時代、となって、そのまま続けていたら、頭の中に浮かんでいるのは幼年期から高校生のときまで暮らした大宮の大和田駅の駅前の光景で、踏切があって、さぼてん、東武スポーツクラブ、東日本銀行。
##7月27日(金) ずっと働いていた、ここまで今日作ることになるとは思わなかった、という仕込みをいくつもしたような気があった、朝は、長靴を買おうと思って、よくわからない生活雑貨屋みたいなところに入った、たまに洗剤とかを買う、そこに入ったところ、いくつかあったが、おんなこどものものしかなくて、僕はおんなこどもという言葉が好きだった、でも表記が難しい、「女子供」だと「じょしども」という感じもするし、「女子ども」でも同じで、「女こども」だと、あ、これはいいかもしれない、「おんなこども」だとさすがに開かれすぎていて一瞬なんのことなのかわからない、いや、「女こども」も「女の子ども」、あ、これはまた問題だ、「女こども」も「女の子ども」みたいに見間違われる可能性ありそうと思ってそう書こうとしたのだが、「女の子ども」、あ、だから、だからというか、これは別の話だ、「女の子ども」というのは女の子たちという意味にも、女のチャイルドという意味にも、どっちにも取れる! というところで、というところでなのか、そもそもなのか、こんな言葉は使わないほうがいい、ということなのかもわからなかった、ともあれ、そこにはだから、メンズの長靴はなくて、おんなこども、つまりレディースとキッズの長靴しかなかった、そうとは気づかず、これは入るのでは? と思って履いてみたLサイズの長靴はだからレディースで、入らなかったというか無理があった、それで諦めて、インターネットからこうにゅうをした。日曜日に届くとの由。
ずっと働いていて、ときおり、座って『小説の誕生』を読んでいた、小島信夫の『菅野満子の手紙』のことが出てきて、読みたくなった、講談社文芸文庫とかで出てたりとかするのかな、と思っていま調べてみたところ、それはなさそうだったが、水声社の「小島信夫長篇集成」で出ているらしかった、8000円。水声社のこのシリーズは全部たぶん8000円とかで、8000円はさすがにちょっとさすがに過ぎるんじゃないのか、と思った記憶があって、今も、思った。しかし『菅野満子の手紙』は古本でも今あるようで、1986年発行の集英社のやつが出てきた、と、こんな商品をご覧になっていますコーナーが上に表示されていて、そこに「Guwa」という表紙があった、『寓話』なんだろうけど、なんなんだよこの表紙はwww と思って、愉快だった、それは、福武書店、1987年、のものだった、「Kojima, Nobuo」の文字もあり、下には「Note : This is not the actual book cover」とある、なんなんだこれは。これがなんなのかはよくわからなかったが福武書店版の『寓話』を検索したら装丁が見られた、いい装丁だった。『寓話』はそもそも持っていた。
それで結局、なんだかよくわからない忙しさのある一日だった。よく働いた。雨はまだ降り出さなかった。帰宅後、プルースト。ぼく、ジルベルトのおうちに、通えるようになったよ! ということが書かれていて嬉しそうだった。
もういまでは、もし彼ら夫妻のどちらかが私の到着したところに通りあわせると、腹立たしいようすをするどころか、にこにこしながら私の手をにぎりしめていうのであった、
「《ごきげんいかがですか?》Comment allez-vous?(彼らは二人とも t を連音しないで《コマン・アレ=ヴ》と発音した。いったん家に帰ると私も、その連音をやらないという、たえまのない、官能的な練習にふけったことを、考えていただきたい)。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈2 第2篇〉花咲く乙女たちのかげに 1』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.128,129
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