読書日記(94)

2018.07.22
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#7月14日(土) 一日、よく働いた、忙しくなってくれて、うれしかった、ありがたかった、やさしかった、先んじて、先んじて、と思って、というかせざるを、いや、を、得ない、なんてことはない、のだが、日記の更新は日曜日だ、それが俺の中での今の決めごとだ、それは破ってはならない、や、ならない、なんてことはない、のだが、のだが、と思いながら、普段は日曜日の午後におこなわれる日記の更新を0時を過ぎたのを確認しておこなった、夕飯食い、たらふく食い、2日間の不在に備えて準備というよりは確認をよくして、帰り、日記の推敲というか確認をいくらかした、していたら、これはまだ時間が掛かりそうだ、今週分も2万字ある、と思い、そういえば、と思って遊ちゃんに持っていっても大丈夫なWi-Fiってある? と尋ねたところあった、それを借りることにした、それで安心して確認作業をやめることにした、明日は早く起きなければならない。
僕は、今は、これは、悲しみではなかった。おばあちゃんが亡くなって明日、通夜に行くわけだが、今は、ここにあるのは、悲しみではなかった。明日あさってと移動が長い、『茄子の輝き』に続いて今度は『死んでいない者』を読もう、葬儀だったか通夜だったかの日の話だったはずだった、これはきっと、今読むのにとてもちょうどいいのではないか、と思って、行き来の電車が楽しみですらあった。悲しむのは悲しみがやってきたときでいい、悲しむモードに自分を浸しておく必要はない、悲しくなったら素直に悲しもう、悲しみがもし、この週末にやってこなくても構いはしない、悲しい顔をして過ごすことだけはやめよう、そういう気分がなんだか強くあった。真面目であろうと思った。ここで今、僕が、神妙な顔をしてみせたとしたら、それこそ不真面目だった。僕はおばあちゃんを好きだった、先々週、最後に会えて本当によかった、それでもう完全に十分で、そのままでいよう、と思っていた。
寝る前、『レーナの日記』、ソヴィエトの、英雄的精神。
##7月15日(日) 早起き、出、新宿へ。昨日調べていた、電車で朝食としておにぎりを食べよう、ねえグーグル、新宿駅でおにぎりを買えるのは? いくつかあったが、アクセス的にニュウマンの2階にある、というところがいいのかもしれない、ニュウマンの中とかって高いのかな、と懸念し、検索したところとても高いというふうでもなさそうで安心して、眠りについた、そのおにぎり屋さんに僕は向かった、暑い、茹だるような、日だった、全国的に、酷暑ということだった、災害レベルの、という表現を見かけた、オレンジから赤になり、赤から紫になった、地図上で。それで、だけど行ってみると、改札内だったおにぎり屋、それで、であるならば、中にコーヒーを買えるところはあるのだろうか、懸念、と思って外の、ヴァーブコーヒーというのだったか、で、ニトロブリューの大きいサイズ、16オンスのアイスコーヒーを買った、つまり大きいコーヒー、それは僕がまさに希望していたものだった、悲しくはなかった。電車に乗った。頭が眠く、手前にずっとあった。
宇都宮までの湘南新宿ライン、グリーン車は、連休中日、どうだろうか、と思ったら空いていて、エアコンがききすぎて途中から寒くなった、リュックに手を突っ込むと羽織るものが入っていたので取り出した、なにか、クリーミーな香りがした気がしたがどうか。
『死んでいない者』を読み始めた、餃子屋さんでビールを飲みながら、読んでいた記憶があった、紙ナプキンに、家系図を書いてみた、そういう記憶がある、通夜の夜の話だった。
押し寄せてきては引き、また押し寄せてくるそれぞれの悲しみも、一日繰り返されていくうち、どれも徐々に小さく、静まっていき、斎場で通夜の準備が進む頃には、その人を故人と呼び、また他人からその人が故人と呼ばれることに、誰も彼も慣れていた。
人は誰でも死ぬのだから自分もいつかは死ぬし、次の葬式はあの人か、それともこちらのこの人かと、まさか口にはしないけれども、そう考えることをとめられない。むしろそうやってお互いにお互いの死をゆるやかに思い合っている連帯感が、今日この時の空気をわずかばかり穏やかなものにして、みんなちょっと気持ちが明るくなっているようにも思えるのだ。 滝口悠生『死んでいない者』(文藝春秋)p.3
最初からずっと心地いい、家族構成というか誰が誰の、と追いながら、留めながら、頭がカラカラと動いている、だんだん関係が作られていく、その感覚が気持ちいい、すぐに忘れる、ほどける、それもいい、高校二年生の知花が出てきて、同い年のいとこの男の子が汚らしくて、それから、10歳離れた兄の美之の話になるあたりで、とてもいい、美之を巡る話が僕はたぶんとても好きで、やさしい。
途中、うとうとしたりしながら降りるべき駅に着き、着いたので降り、実家に向かった、姉家族は昨日からいたらしく、前に会ったときよりも少し成長したように見える、何が成長を感じさせるのかはわからないが、そう見える、単に時間が経ったことが、といっても一、二ヶ月だが、時間が経ったことが、ことがというかことから、こちらが勝手に成長しているはず、と思っている思い込みがそうさせるところは大いにありそうだが、成長したように見える姪っ子が迎えてくれた。母方の実家に向けて出るまではもう少しあるらしく、しばらく、家全体が昼寝の時間になった、カーテンが閉められ、うっすらと明るくなくなった部屋で僕はソファに横になり、姉は布団を敷き、そこでみんながパタリと横になった、時間が淀んで、僕はうとうと眠ったり起きたりしながら、寝ない姪っ子が一人で遊ぶ、たまに僕のところに来てマトリョーシカの半分を渡してくれる、ありがとうと言う、そういうことをしながら、姪っ子が一人で遊ぶ音や声を聞きながら、静かな静かな時間のなかを漂っているようだった。
起きて、着替えて、出た、母方の実家に着き、着くと、伯母たちや、いとこたちや、いとこの子供たちがいた、おばあちゃんが眠っている奥の部屋に行った、眠っていた、先々週に対面したときが、終始苦しそうというわけではなかったけれど、しかし嚥下は苦しそうだったその姿は見たからやはり苦しそうという印象を一部は持っていた先々週対面したときから比べると、穏やかな寝姿がそこにあるというふうで、僕と母とがその横に座って、ふむ、と思っているところに、7歳のちびっこがやってきて明るく無邪気に、ねえねえ死んだらもう生き返らないの、等言っていて、その明るさはこれから過ごす二日間の通奏低音いやむしろ主旋律としてずっと流れるだろう。
いちばん涼しいのが台所で、この家の台所は、この家の台所のにおいだよなあ、という匂いがあって、落ち着く、その台所がエアコンがきいていて涼しくて、だから台所の椅子に座って、親戚と話したり話さなかったりしながら、本を読んでいた、しばらくすると、納棺の時間になって、豆腐を飲みこんだり酒で唇を湿らせたりしてから、おばあちゃんのいる部屋にたくさんが集まった、8畳の部屋がいっぱいになった、そこで、足袋を履かせたりしていた、僕は手につけるものを手につけることになり、手につけた、中指を通す、というので指を持ち上げようと触れたときに、ひんやりとして、冷たくて、そうか、と思った、棺が、8畳の部屋の縁側のほうから入れられて、納棺を自宅でやるということは、棺を部屋に入れられるだけの開口部があってこそなんだということを改めて思った。出棺し、寺に、何台かの車で向かった、車で2分くらいだったが、歩くという選択肢は誰にもないらしかった、暑かったから、それもそうだった。
寺の本堂は天井がとにかく高く、立派だった、坊さんが3人いて、読経はその寺の住職だったが、両サイドに座る2人もひとつ参加するお経があり、3つの声が妖しく交差する感じ、それから、両サイド2人の、力の抜けた、息継ぎや休憩を自在にするような、聞かせるためではない読経というのか、唱えるための読経のように見える読経がよかった、仏教のことを僕はまるで知らないが、こういう読経になにか本当のことがあるような気がしたし、もしかしたらそうじゃなかった。
とにかく、暑かった、スーツをちゃんと着ていたが、お経を聞きながらそこに没頭することで暑さを忘れようとしたが、お腹のところでじんわりと汗が噴き出るのを感じた、宗派的なものなのだろうけれど一緒にお経を読むパートがなくて、聞くだけだったのもあって、早く終わらないかな、と最後のほうは思っていた、意味がわかればもう少し違うのだろうなと思った、お経は、現代語訳をしなくてもいいのだろうか。
通夜ぶるまいの席になり、大広間にたくさんの人があった、『死んでいない者』は、おじいちゃんが亡くなり、子が5人いて、それぞれの配偶者が5人、孫が10人、孫の配偶者が1人、ひ孫が1人、という、その孫のうち2人が不在だったが、そういう親族たちの通夜の晩が描かれた物語で、悲しむ、ということはそう描かれず、通夜ぶるまいの時間の途中くらいから始まる、飲む、未成年の孫たちもなんだかやたらに飲む、そのなかであれこれが、それぞれが思う、話す、だからそれが故人を偲ぶ、なんというか僕にとってはそれは正しい偲び方に思えて、他の作品同様に風通しがとにかくいい、そういう小説だったが、主に親戚たちで構成されるこの大広間も同じだった、96歳のおばあちゃんが亡くなって、娘が4人、その配偶者が3人、孫が9人、その配偶者が7人、ひ孫が13人。ひ孫1人が風邪で不在で、35人。35人! なんということだ! 孫は32歳の僕が最年少で、上は45歳くらいか。ひ孫は、19歳から1歳半。5歳児や7歳児たちが、にぎやかに、にぎやかに夜を彩っていた。
必要以上に神妙な顔なんて絶対にしないぞ、というのは、たぶん、SNSで見かけるたびにモヤモヤする、「ご冥福をお祈りします」であったり「R.I.P」であったり、どんなリアリティを持ってその言葉を書き込んでいるのだろう、という、冥福を祈るとか悼むとか偲ぶって、そんなものなんだっけ、違うんじゃないのか、みたいな、そういう苛立ちがずっとあったからで、それで、せめて、せめて俺は真面目に振る舞うぞみたいな、子供じみた反抗心みたいなものを持って臨んだわけだったが、拍子抜けするくらいにみな、そう振る舞うべき悲しみらしい態度みたいなものに淫することなく、過ごしていた。とてもいいし、おばあちゃんにとっても、これはきっととてもいいもののはずだ、と思って、気持ちがいいものだった。
ゆるやかに散会となり、いったん家に戻って、シャワーを浴びて、いとことウイスキーを飲み飲み、やはり台所で、飲み飲み、ぽつぽつと話しながら過ごし、それから3人で寺に戻って、先ほど飲み食いをしていた大広間に家から運んできた布団を並べた、寺で一晩過ごす、という役目だった。
線香を絶やさない、寝ずの番で線香を絶やさない、そういうことなのかと思っていたら、いまは24時間続くような螺旋形の線香があるらしく、だから寝てよい、というものか、と思っていたら、本堂のおばあちゃんの横たわっている祭壇のところに行ってみたら、線香がついてすらいなかった。もはやそのあたりも簡略化されていっているらしかった。そうか、と思って、ビールを一缶だけ飲んで、遊ちゃんといくらかLINEをしていた、一緒に暮らし始めてから別々に眠る夜は3回目で、1回は遊ちゃんの出張のときで、1回は大雨過ぎて帰るの大変なので店で寝ていく、という日だった、だから3回目で、違うか、年末年始の数日も別だった、ともあれ遊ちゃんが隣にいないで眠るのはとても不在、という感覚があった。
本を読もうと、開いたが、ほとんど読まずに、眠った。
##7月16日(月) 途中途中で目を覚ましながら、8時になって起こされた、起きると、昨日の酒が完全に残っていて、体調がこれは悪いのではないか、というような調子があった、読経のときとかにしんどくなったら嫌だな、と最初思った。布団を畳んで車に乗っけて家に戻って、戻ると、もうわりと起きていて、朝ごはんの用意がされつつあった、朝から、ずいぶんいろいろなものが食卓に上っていた、ご飯、味噌汁、茄子の漬物、海苔の佃煮、ピーマンの肉詰め、ハンバーグ、ポテトサラダ、とんかつみたいなものの卵とじみたいなもの、あといくつか、すごいなこれは、と思いながら、ご飯を食べていた。この家にいると、ほとんどしゃべったこともないいとこの子供たちであるとかがいる中でも、不思議とそのまま落ち着けるような感覚があって、不思議なものだった、なにか、勝手にしていられる感覚がこの家にはあった。それは、この家がずっと、たくさんの人たちを迎えてきた時間の厚みみたいなものがそのまま返ってくるというようなことなのかもしれなかった。そこにいる人たちの関係性によってもたらされる落ち着きではなくて、この家という結び目というか、子どもや孫たちにとってのなにか結節点みたいな、そういうものがもたらす落ち着きなのかもしれなかった。それを全員が了解していることが、この気楽さをさらに高めているのかもしれなかった。
食後、店のほうに出て本を読んでいた。静かだった。しばらく読んでいると、部屋の壁がぱきっと音をたてた。
一音だけで別に続くでもないその音が、祖父のなにかであったかどうかなんて説明できないが、たとえばあの星が、ともう集会所の庭まで来ていた知花は空を見上げ適当な星をひとつ定めた。あの星がおじいちゃんの生前のなにかで今光ってるみたいなことを誰も証明できっこないけど、そうかもしれないと考えることをとめられなくない?
うん。 滝口悠生『死んでいない者』(文藝春秋) p.59
うん。7歳のちびっこがやってきて、テレビを見たいというからつけた、チャンネルをいくつか替えるとどれも朝のワイドショーで、普段は学校だからこのあたりの番組って見ることないんでしょ? と聞くとそうだということだったが、羽鳥アナウンサーというのだったか、たぶん羽鳥アナウンサー、が出ている番組で、「これ」と言った、しかし、大して見ようともしなかった、外に行こう、というので庭に出た、後ろをついて歩いた、庭の木や苔を点検するところから始めて、奥の畑のほうに行った、畑の端っこの竹林の入り口のところまで行って、草木を見ていると、トンボが飛んでいた、しっかりと黒い、透過性のない黒の羽のトンボがあって、黒いトンボだ、というと、捕まえるために近寄っていった、何か、藁みたいなものでできている小山をのぼって、進んでいった、そこから手を伸ばそうとして、でもその先は竹林の急斜面につながるというかそこへ何かでずぼっと落下するようなことがありそうなのでそっちは落ちるんじゃないか、というと素直に引き返してきた、黒いトンボが目の前に止まっていた、見ると、細い体は明るい緑色で、きれいだった。それから方向を変えて探検を続けた、小さいカエルがいて、器用に捕まえていた、それから木の幹に茶色いつやつやした卵を見つけて、拾った枝でつんつんとやると鈍くやぶれた、ヤモリの卵だろうか、と言った、ヤモリの卵ってあんな感じなの、と聞くと、トカゲの卵はあんな感じだ、ということだった。少し離れたところに立っていると、おじさんもさ、こっちで探そうよ、と言ってきて、おじさんって俺のこと? と聞くと、そうだ、ということで、おじさんと人に言われたのはなんというか初めてのことのような気がして、それから過ごす一日のあいだ、おじさん、という言葉を思い出すことが何度かあった。驚いたのかもしれなかった。いや、ただの、否認の感情か。
それからもしばらく、トカゲを捕まえてぶら下げてみたり、空いているほうの手でカエルを捕まえて食べさせようとしたが食べなかったりして、そろそろ中に戻らないか、俺は暑いよ、暑くないの、と聞くと、暑くない、涼しいくらい、と言って、どうして、大人になると暑いんだろうね、暑くてたまらないよ。その疑問への答えはなかったが、カマキリの巣を破壊しながら、カマキリは50匹くらい孵化するから、壊しちゃったほうがいいんだ、家がカマキリだらけになっちゃう、ということを教えてくれた、また、カマキリは親と一緒に行動しないから、カエルとかに食われてしまうんだ、人間は、親がいるから安心だ、そんなことを教えてくれた。そのあとも、拾った鉄の棒みたいなものを振り回しながら、インゴット、という、これをトントンとやって刀にするんだ、というようなことを教えてくれた、俺の知らないことをたくさん知っているなあ、と思ったし、都会の子どももこんなふうに虫であるとかに詳しくなるものなんだなあ、と感心した、いい時間で楽しかった。
昼前に寺に行き、着くとお弁当があったので食べた、また食事だ、と思って、食べたらお腹いっぱいになって、それから葬儀だった、今日も坊さん3人体制だったが今日はサイドの2人が読経するパートはなかった、それはそれでかっこうよかった。せみの鳴き声、夏の音の中で聞く読経は、いいものだった。
わたしたちは、おばあちゃんの横たわる棺を花でいっぱいにした。
わたしたちは、そのとき、悲しかった、悲しかったし、たぶんそこには、感謝とか、思い出の思い出しとか、その場にある幸福のようなもの、めでたさを伴わない幸福というものがあって、この、数十人の親族に見送られるおばあちゃん、そして彼女の存在によって存在している数十人の私たち、という、これを幸福と呼ばないでどうしたらいいのか僕にはわからない幸福に包まれて、泣いたり、泣かなかったりしながら、悲しかったし、感動した。こんなにいい、豊かな葬式には、もう二度と立ち会えないのではないか。
そこから焼き場へ。焼かれるのを待つ間、畳の控室のようなところで本を読んでいた、美之の、「どちらかと言うと働かずともこうしてなんとかなっていることについて、無理なく肯定的でいられるにはどうしたらいいかを考えているというか、わりと肯定的でいられるのはなぜか、ということについて日々考えているし」という、わりと肯定的でいられる、という、それは本当に健やかなことだよなあ、それでいいよなあ、濱口竜介の『親密さ』の工場で働く兄の言葉を思い出した、というところに続いて
引きこもりがちではあるにしても、卑屈であるわけでも、塞ぎがちであるわけでも、何かに熱中しているわけでもなく、むしろ平然としていて、スーパーに買い物に行ったり、何か凝った料理をつくって祖父と一緒に食べたりもしているらしい。そんな話を聞いて、いったい何を考えているのかわからない、などと言うのは自分が何も自分で考えようとしていないからだ。あいつらは、いっそ、お兄ちゃんが、典型的な、新聞やニュースで見るような、引きこもりの青年であってくれればいいのにと思ってるんだ、と知花はさっきプレハブで一緒に酒を飲んでいる時に言っていて、立派なことを言う妹だ、と美之は思った。 同前 p.117
それから、祖父が妻と喧嘩というか、祖父の感情が高ぶって、逃げるように家を出て、行きつけのスナックに行き、ママに、カラオケを一曲歌ってもらう、それはテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」で、プロ顔負けの歌声を披露した、と、その歌詞で章が終わって14章になって、
歌い終えた美之がギターを置き、いとこたち、そして浩輝は、歌を聴いている時から変わらぬ戸惑った様子のまま、誰かが何かを言うのを待った。 同前 p.132
という一文にぶつかった瞬間に、大きな、分厚い、感情の動きのようなものに見舞われ、本を閉じた。泣きそうになって、胸の内側で何かが轟々と音を立てていて、しばらくやめた。広間では、10くらいのテーブルに別れて人々が、茶を飲んだり菓子をつまんだりビールを開けたりしながら歓談していて、ちびっこたちは楽しそうにここでも走り回っていたか。明日は君たちは学校があるのか。
明日も忌引きで学校に行かなくてもいい。でも明後日からはまた学校で、授業はいやだし、中間テストは迫っているし、進路のことも考えなくてはいけない。ひそかに思いを寄せている行きつけの美容院の美容師にはたぶん彼女がいる。でも、今夜は気持ちがいい。明日まではいやなことを考えなくていい。おじいちゃんが死んだんだから、こんなに晴れやかな気持ちになるのはおかしいけれど、どうしてか、かなしみの隙間にこういう晴れやかさとか楽しさがないというのも嘘だ。たしかに今私は晴れやかなのだから。 同前 p.135
かわのながれにーみをーまーかせー、あなーたーのうえーにーのーせーられー、とさっき美之が歌ったのとは全然同じじゃないメロディで、歌詞も違うしがなるような声だったがしかしやけくそのように歌い続け、やがて息が切れたみたいに歌うのをやめると、その場で腰を下ろして水のなかに尻をつけた。あー気持ち悪い。酔ったー。
知花ちゃん、大丈夫?
それから後ろに体を倒して、知花は水のなかに寝そべった。浅いから、頭と体の下半分が水に浸っただけだったが、浩輝は、流されるかもしれないと思い、知花の手を握った。知花も浩輝の手を握り返し、あー、気持ちいー、と間抜けな声をあげて目を閉じた。
あれ、と陽子がさっきみんなで歩いてきた方を見た。遠くから、長く響く鐘の音が聞こえてきた。 同前 p.138
僕はなんというか、こういう小説を書いてくれる人がいるんだから、大丈夫、という、何に対して何が大丈夫なのかわからなかったが、大丈夫という、なんだかそういう気になった。
薄い黄色や桃色やすみれ色がところどころにあるような骨を拾い、骨壷に移すとまた寺に戻り、精進落しでまたご飯を食べ、寺を辞し、実家に戻り、ごろんと横になると、家に帰りたい、という気持ちが強く湧いて、湧いたと思ったら僕のごろんの横に姪っ子がちょこんと来て座って、この2日の、たくさんの数の見知らぬ人が周りにいたという状況下で相対的に僕の地位が上がったような気がし、仲良くなったならうれしかった、それで、カレーが出てきたのでまたご飯を食べ、桃を食べ、母の運転で駅まで送ってもらった、姉と姪っ子はもう一日いるらしく、帰りは姉の夫というかだから義兄とだった、宇都宮の乗り換えでグリーン車に座り、僕は鈍行で時間を掛けて × グリーン車で安定、という状況がすごくご褒美みたいな感じがある、そこでビールを飲み飲み、話し話し、広がる田んぼ、乳白色の光を受けてさやさやと揺れる明るい田んぼや、深い緑色の高い木々による森みたいなものであるとかを見ながら、これらが僕に与えてくるこの落ち着きのような安堵のような感情はいったいなんなんだろうな、と思った。こういう場所にいたいのだろうか、たまに見られればそれで足りるのだろうか。
窓外の景色は、空が暗くなるにつれて今度は商用の光というか、ネオンの割合を高めていった、都心に近づいていった。赤羽で降りて義兄と別れて、新宿、それから初台、店に行った、それで翌日の準備をいくらかして、2日間エアコンの掛かっていなかった店内は暑かった、暑い、と思いながら、アイスコーヒーを淹れて飲んで、働いて、家に帰って、風呂に入って、ゆっくり浸かって、汗をかいて、ビールを飲んで、遊ちゃんと話して、布団に横になって、本を開いて、『レーナの日記』を何日分か読んで、早い時間、眠りについた。
##7月17日(火) 外に出れば太陽の容赦ない熱が攻撃してくるし、出なくても、ここ数日で一気にアトピーがよくない調子になり、ちょうどステロイドを切らしているところで対処というか「塗ったんだからよくなれ〜」と念じることもできず、あるいは無意味に念じることしかできず、だから外に出なくても、体がガサガサと攻撃を仕掛けてくる、そういう状況にあって、全部が俺に敵対しているようだ、という心地になり、なんのやる気もない。
朝、買い物し、店行き、仕込み、しているとひきちゃんがやってきて、こんにちは、しばらく歓談したのち、いったん皮膚科へ。処方してもらう。戻り、しばらくうろうろし、昼間、ウディ・アレンの映画を見に行こうかとも思ったが、調べてみるとちょうどいい時間のものもあったが、行く気にならない、敵対する世界に妨げられた、それに、ここのところ家でゆっくり過ごすということをしていなくて、それをとても欲していた、それで、じゃ、と言って出る。家帰る。スーツ等を持ってクリーニング屋さんに行き、帰り道にセブンイレブンでアイスコーヒーを購入し、家帰る。ひやむぎを茹でて冷やして食っている途中で、途中で味を変えるためにいつもそうするように生姜をすりおろそうとしたところ、引っ掛けてグラスを落っことし、完膚なきまでに割れて悲しくなる。食後、床をきれいにする。それから、日記を書いたりして、それから、『レーナの日記』を少し読む。戦争でどこかに疎開しているのだったか、どこかの学校にいて、レーナは恋をしたり、恋をしている男女をうらやましく思ったりしている。レコードを掛けて、踊ったりしている、その場を離れて、外を歩く、音が、喧騒が小さくなっていく、空を見上げる。
そのあと、店に届いていたのを取ってきた『ぼくの兄の場合』を読み始める、数ページ読んで、いい感触、と思う、そうしたら、眠くなる、タオルケットをかぶって、ソファで、眠りだす。眠ると、3時間くらい昼寝をしていた、最後に夢を見た、場所は家だったがそれは店だった、表情のない小柄な女と幼児が2人、気づいたら目の前におり、すいません、おしゃべりできない店なので、と、エアコンで枯れた喉からどうにか声を出して告げる、帰ったかどうかは知らない、同じタイミングでもう一人来られて、僕が親子にそういうことを言っているあいだにキッチンに立っていて、フライパンを振り出した。なんなんだ、こいつは、と思ったところで目が覚めた、それからもう少しだけ『ぼくの兄の場合』を読む、第二次世界大戦のときにドイツ軍の兵士として戦争に参加して、そこで命を落とした兄について、思い出したり、思い出せなかったり、残された日記を読み解いたり、するようだ。
店。ちょうど誰もいなかった、ひきちゃんと、暑いねえ、と言い合う。
やる気が、まるでそのまま湧かず、なにかしようとも思うが、気づいたらすぐにネットサーフィンをしているので、途中で諦めて本を読むことにした。日記を読む限り、ソ連での殺人や収奪に対する懊悩や自問のようなものはうかがえない、とのこと。ドイツに侵攻されたソ連の少女の日記、ソ連に侵攻したドイツ人兵士の日記、を並行しているのか、今。
夜、どんどんむなしくなっていく、どんどんむなしくなっていって、どうにか夜にやるべき仕込みをひとつだけして、帰る、悲しい、なんだか未来がとても暗い、なにもうまくいかないように思う、帰っても元気が出ない、ソファでだらだらと本を読み、その気分のまま、寝る。
##7月18日(水) 起き、コンビニでアイスコーヒーを買い、試写会場に。三宅唱監督作品『きみの鳥はうたえる』を見る。『すばる』の日本映画特集のインタビューで一緒に映画を作る人たちを好きになるために自分は映画を撮っている、今回もそうやって、好きだった彼らをもっと好きになった、というような発言があったが、もう本当にそんなふうで、というかそんなふうな気分があふれていて、どこまでも気持ちがよく、うれしい。いくつもの、いくつもの最高の最高の顔を見ることができた、クラブの場面ではずっととにかく涙が止まらなかった。いち、に、さん、よん、ご。函館の町に対する敬意というか、そこで暮らす人々への敬意というか、愛情というか。最高だった。柄本佑、染谷将太、石橋静河。最高だった。みんな最高にかっこよく、愛らしく、情けなく、全部、最高だった。いろいろ、思おうとしそうになるのだけど、思おうとした先から「最高」という言葉が迫ってきて、そうだよな、最高だよな、というので、最高としか言えなくなる。最高だった。
最高だったと思いながら外に出て歩きだそうとすると、見知った顔に似た顔があり、わりと長いことその顔を注視していたのだが、それが本当に見知った人なのかどうか確信がどうしても持てず、いったん通り過ぎ、でもやっぱりきっとそうだよな、と思って引き返し、またジロジロ見て、ほぼそうだと思う、違う可能性もなんでだか全然拭えないけれど、ほぼそうだと思う、ここまでほぼそうだと思うのだから、間違っていたときも「人違いでした」でもういいだろう、と思ってもっと近づくと、あ、という顔があって、やっぱり武田さんだった。同じ回で見ていたようで、立ち話をしながら、あそこね、よかったよね、ほんとね、と言っていたら、喜びがまた戻ってきてちょっと泣きそうで、声を震えさせたりしながら話していた。駅のほうまで行くというのでしばらく一緒に歩き、別れた。
その足で労基署に行き、よくわからなかった書類の記入方法を教えていただき記入し、そのあと税務署に行き、なんかの書類をいただき、お金を納付した、それで、それから久しぶりにファブカフェに行った。
ファブカフェは本当に久しぶりだった。一年前、とても頻繁に来ていた。4月ぐらいから7月ぐらいまで、とても頻繁に来ていた。それは今お蔵入りしている本の原稿を書いていた時期で、休みのたびにファブカフェに行ってずっとパソコンの前に座って過ごしていた。原稿は、最初のうちはファブカフェでしか書いていなかったが、途中から営業中も書ける方法を見つけるというか慣れていって、店でもどんどん書くようになったが、やっぱりいちばん多く書いていたのはファブカフェにおいてだったと思う。7月いっぱいで書き終わり、それから対人的な問題みたいなものが起こり、こんな気分悪い状態でだったらやりたくないわ、と思って話を終わりにして、それからもう一年が経とうとしている。ずっと放置していたが、先月くらいに知人の方から出版社というか編集者の方を紹介していただき、読んでいただき、企画会議にかけていただき、という動きがあったが、会議のときに上長の方から、こういう感じにするならこの部数でのそれにGOサインを出す、というので出された本のコンセプトというかタイトル等のいろいろの方向性が、ちょっとさすがにその振る舞いはできない、というものだったのでお断りし、また眠ることになった。今は、どこかなにか出版社の方とか声掛けてとかしてくださったりとかないかな、と思っているところで、なんかあったらいいな、と思っているところだった。というそういうファブカフェで、とても久しぶりで、久しぶりに行って、懸案だった原稿を書き始めようとした、その前に、サンドイッチを食べた、久しぶりに食べた、おいしかった。お腹いっぱい。スタッフの方が寄ってきて、今日このあと、フロアの向こう半分でドローンを飛ばすイベントがある、大丈夫だと思うが、飛んでくる可能性がある、ということを言われ、ファブカフェならではの注意みたいな感じがして好ましい気持ちになって笑った。
それから、書き始めた、すると、これは危険な原稿というか、感情が刺激されすぎて、というか自分で刺激しているわけだけど、書いていたら刺激されすぎて、泣きそうになるというか、喉のあたりがはっきりと泣きそうになっている、震えるというか、目に涙が溜まっている、ちょっとのことで落涙するだろう、そういうことになってしまって、うろたえている、ファブカフェで泣きながらタイピングする男。というのもどうかと思い、どのみち今日はいったん仕込みのために店に行かなければいけないというだいぶ面倒な用事がある気がずっとしていて、しかしその仕込みは本当に今日でなきゃいけないのだろうか。いや今日だろう、というものがあったし頭にチラチラしているのもあったので、出、買い物をして店に行き、仕込みをいくつかした、チーズケーキを焼いたり、ショートブレッドを焼いたり、おかずをひとつ作ったり。けっきょく2時間以上やっていた。映画を見たらとても簡単にそうなって、OMSBの『Think Good』と、それからHi'Specのアルバムを大きな音で聞きながら仕事をした。映画のなかのHi'Specの音楽も、ライブシーンの「Think Good」も、最高だった。
それから、コーヒーを淹れて、また原稿に戻って、書いていた、2時間くらいしたら、ダラダラとネットサーフィンをしていた、それでもう今日は無理だと思って諦めて、餃子を食べに行った、ビールを飲み、餃子とご飯とキャベツの酢漬けみたいなものを食べ、『ぼくの兄の場合』を読んだ。
##7月19日(木) 朝からはっきりと疲れていて、開店前には疲労困憊している気になった、生きているだけで疲れる、いつだって生きているだけで疲れるのに、こんなに暑かったらなおのこと生きているだけで疲れる。息してるだけで疲れる。
いくつか仕込みをしながら一生懸命働いて、あとの時間は原稿の続きをやっていた。宿題があると気が重い、気が塞ぐ、ということを、宿題を目の前にするたびに思う。毎回忘れて毎回思う。この感覚はもしかしたら小さい頃からなのかもしれなくて7歳か8歳か9歳か10歳あたりのところで進研ゼミを始めたときに届いたその日にその月の分を終わらせたがる、そういう傾向があった、きっと遠くない未来にやらなければならないことが残っていると気持ちが悪い、という感覚があったのだろう、この感覚は、いつどうやって芽生えたのだろう。
原稿をやりつつ、それなりに働いて、やっと、労働のモードというか、そういうモードに慣れてきたというか体と気持ちの準備が整った感じがある。週末はちゃんと働くぞ、という前向きさが今ある。
帰宅後、印刷をした原稿をソファで酒飲み飲み、ボールペン片手にチェックというか通して読んでみる、ということをやっていたら、妙な満足感というか幸福感というかお楽しみ感があった。ライターごっこというか。
寝る前、やっと本を開く、『レーナの日記』。
##7月20日(金) 朝、早め、のつもりが同じ時間。仕込みいくつか。
営業しつつ、昨夜書き入れたあれこれに従って原稿を直していく、という作業をしていたら夕方というか夜になった。とりあえずこれで送ろう、と編集者の方に送った。何も終わっていないけれど、何かが済んだような、肩に乗っていた荷物が下りたような、そういう感覚があった。どうなるか。
午後、父が来た。『鬼が来た!』という中国だったかの映画があったことをとても久しぶりに今思い出した。とても大変な映画だった記憶。で、父が来た。大学時代だったかの友人たちとの集まりがあり上京したとの由。ウイスキーを一杯。『読書の日記』も買ってくれた。途中、外で煙草を吸って、中に戻るときにそのあいだに来られた方はいるかなとなんとなく客席を確認する視線の動きがあるのだけど、そのときに、父の後ろ姿が見えて、いることを忘れていたのか、あ、父さんだ、と思って、なにか、ほっこりするような感覚になった。神田に行った。
夜、忙しい日に。働いた。働きつつも、文字起こしをしたものを送って、それから、今週の日記の推敲をしていた。今日はだから、原稿、文字起こし、日記という、3つ別々の何かしら書かれたものを、どうにかこうにかしていた、触っていた、つまり、このテキストエディタの画面とずっと触れ合っていた、ということだった。本読んでない。なにやってんだろ。
帰宅後、昨日、友人が贈ってくれた本をひらいた、ヘンリー・スコット・ホランド『さよならのあとで』だった。読みながら頭に去来していたのはジュリアン・バーンズの『人生の段階』だった。バーンズも読んだだろうか。
私の名前がこれまでどおり ありふれた言葉として呼ばれますように。
この一節に当たったとき、うわあ! と思った。泣きそうになった。なにかのとき、この本をまた開こうと思うだろう、と思った、また開こうと思うときが訪れなければいいのに、と思った。
なんか、そうか、本って、こういう力も持てるのか、と思った。それで、『レーナの日記』を開いた、毎日空襲、レーナはめっちゃ恋に恋してる。それで、『失われた時を求めて』の2巻を開いた、数ページ読んで、なんの話してるのかな、と思いながら眠った。
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